6-12 獅子狩り
戦術もへったくれもない。俺は、フォッカー氏はもう少しクレバーな人間だと思っていた。彼は明らかに突出していた。自分の部下の誰も、彼についてくることができていない。まるで――いや事実、猪武者だ……。
だが、見る間にもう三匹を兜から割っている。
敵と比べても、明らかに一人だけ動きが違う。一足で十歩以上は先へ行っている。味方が四、五歩でやっとというところを、だ。
「なんなんだ……?」
突撃して暴れ回るのは全体に合わせて動かないし動けない俺達の役割で、彼も当然それを了解しているものと思い込んでいた。そう確認をしたわけではなかったが――だって、敢えて合意形成に努めるほどのことか? こんな、初歩的な……。
俺が前へ出たのはそれが可能だから、あるいは、その程度で死ぬなら最初から無かったも同然、という前提に立っているからで、ジュンの背中を押したのも、ほんの心ばかりのサービスをしただけだ。
失礼な表現をしてしまえば――同じことができるとは、考えていなかった。
六、七、八、とさらに同胞がやられたところで、ようやくエルフも彼が尋常の相手ではないということに気付いた。すぐに、歩兵同士の勝負を中止した。俺達を取り囲もうとしていた隊は離れ、代わりに鋼鉄の獅子が何台か前へ出てきた。その身に宿した砲門を、同じ方向へと揃えながら。
そして、まったく予想通りに、火球が発射された。
数えるのも馬鹿らしい。それ以上に、避け始めたフォッカー氏が馬鹿馬鹿しい。
これが単射なら、まあそういうこともやらなければならないか、という気にもなるが、向こうは加減などせず、攻撃が途切れないよう順番に砲を使っていた。砲自体の性能というよりは、中に乗っている炎の魔法家達に左右されるのだろう。こういう場合もやはり、突出した数名より、能力の近い何十名かを集めた方が結果的に安定するのだろう。
とはいえ、完全に均一というわけでもなく――いや、最初から豆鉄砲など当てるつもりはなかったのかもしれない。エルフ達はしつこく狙い続け、フォッカー氏が足を止めたところに、主砲と思われる一本から放たれた特大の塊を見事命中させた。
俺は彼が片方の掌で受けたのをしっかり見ていた。爆炎の中から現れた後も、特に鎧の表面は溶けていなかったし、膨大な熱を問題にしている様子もなかった。
それで測り終えたのか、フォッカー氏は再び大太刀を構え――その頃になると俺もその行動をそこまで無謀ではないと思うようになっていたが――獅子に真正面から向かっていった。彼の歩幅は向こうからしてもあまり馴染みのないものらしく、ことごとく照準の修正に失敗している。やがて懐に入られて、まずは前足が両方とも切断された。動きを止めたと確認したのも刹那、空中へ舞い上がってから、振り下ろしの代わりに落下した。大した抵抗も感じさせず刃は獅子の胴体部分をきちんと一番下まで通過し、また跳び上がるとVの字型の切口になった。中の砲撃要員ごと無力化したわけではないだろうが、あの一台は、もう駄目だ。
「私も後に続きます!」
「おう……」
ジュンがそう言うので、俺達ももう少し前へ出た。
彼女は動かなくなった獅子の残骸から這い出てきたエルフ達を指した。
「ありがとうございます、あとは自分で走ります! フブキさんは姫様のところへ戻ってあげてください!」
少しづつ獅子は修復されていた。作り出すのと同じ要領だろう。付近の土が目減りしていくのがわかった。放っておけばまた動き出す。
「ん……」
彼女の魔力は、この物量差にもある程度は対抗できるであろう溢れ方をしている。見ていて目が痛くなってくるほどだ。弾幕を凌ぐこともそう難しくないだろう。鎧は既に裂いている。殺しの実験をするにはこれ以上ないシチュエーションということもあり、この最前線へ置いていくことに抵抗はない。
フォッカー氏と同じようにあのデカブツを壊せるなら、まさしくコラプス・クラスということになるだろう。
「わかった。やってみな」
ジュンは滑るように駆けていった。スピードこそいまいちだが、接近に気付いたエルフ達からの集中砲火を、周囲に展開した水で全て防いでいる。もちろんその分は蒸発していくが、後から後から湧いてくるので盾としての機能は些かも失われることはない。
中で待機するはずだった分の装甲歩兵は数振りであらかた解体されてしまい、残った丸腰の魔法家達もジュンの動きを捉えられない。彼女はその勢いのまま残骸の中まで侵入し、悲鳴が途切れないことを考えるに、乗組員も全てその手にかけている。
フォッカー氏がいくら強力な刀を作り出したといっても、あの獅子に入れたのは切れ込みだけだ。残骸の中を通り抜けできるほどじゃない。しかしジュンは入ってきた所から出てくるのではなく、残骸をさらに壊して、向こう側へ行ってしまった。
見えたのは一瞬だったが、飛沫のようなものが数本走っていたから、それでウォーターカッターと同じ効果を得たということなのだろう。
「大丈夫そうだな……」
俺は一旦体を浮かせて、戦況がどうなっているか眺めることにした。
数台の獅子から狙われると、フォッカー氏もそこからさらに前進、というわけにはいかないようだった。だが、彼がよく引きつけていてくれるおかげで、ジュンが歩兵隊の相手をしやすくなっている。さすがに押され気味だが、すぐにフォッカー氏の部下達と合流できるのでそれまで踏み止まっていればいい。
と、あの二人だけでかなりの働きをしているが、もう少しすれば敵もこちらをすっかり包囲してしまう。こうしていられるのも今のうちだろう。
あの女隊長は威勢のいいことを言っていたわりには、かなり後ろの方へ退いていた。一騎打ちでもするのではないかと思っていたが、案外慎重なタイプらしい。そのせいで向こうの被害が拡大していくのはいいのだが、あの女隊長が実際どのくらいやるのかを、わからなくしている。
もしかすると、フォッカー氏が疲弊するのを待って、それから確実に仕留めようとしているのかもしれない。敵も同じだとは思うが、鎧を維持するのに相当な魔力を支払っていることは想像に難くない。あのパフォーマンスが最後の最後まで続くということはまずないだろう。
――こちらから先に、ちょっかいをかけてみるか?
いや、いや、いかんいかん。
ジュンを送り込むという仕事はこなしたのだから、彼女の言う通り、一度姫様のところへ戻るべきだ。優先順位を忘れるな。まず姫様ありきだ。
そのことを思い出すと、包囲陣から仲間外れになっている獅子の一隊はかなりよく目立って見えた――というより、(無理もないといえば無理もないのだが)フォッカー氏の部下達に全然ついていかないでマイペースに走り続ける姫様の孤立っぷりは、一体?
「おいおいおいおいお」
やはりジュンは正しかった。最後の「い」を発声する余裕もない。
俺は全速力で舞い戻り、併走した。
「危ないですよ!」
「でも、追いつけないわ」
「そりゃそうですが……。何人か借りるとかさ!」
「ただでさえ少ない兵を、さらに分けることもないでしょう?」
「だからって孤立する将がありますか! 敵の別働隊がもう来てますよ!」
「あれね――」
思わず舌打ちをした。戦闘速度でもかなり機敏だというのに、移動に集中したならさらにその上をいくらしい。そして、丁度俺達を射程圏内に入れたのか、もう筒がそれぞれ動き出している。
「俺の陰に!」
そう大した自信があるわけでもなかったが、姫様への攻撃を防ぎつつ、あれらの無力化を――やるしかない。
が、
「いいえ――」
姫様は俺の肩をとん、と叩き、
「いつまでも鈍ったままというのもね」
次いでぐい、と引っ張って自分の後ろへやった。
直後に飛来した火球を、素早く、そっと、魔力を伸ばして包むと、炎はきゅるきゅると縮んで消えた。三個同時に飛んできたのも、みんな仲良く、魔法が起こる前まで戻っていった。魔力の変形に合わせて、姫様の両手が目まぐるしい動きを見せる。にもかかわらず、それは優雅だった。
首を傾げる。
「……やっぱずるいよなそれ?」
事実上、魔法を無効化している。
それはいいんだけれども、こんな馬鹿正直に敵の攻撃を捌き続けていては、接敵する前に魔力が尽きてしまう。
「ちょっと、あそこまで飛ばして」
「お安い御用で……」
言われるがまま、空の旅へお連れする。
その間も、姫様は砲火を――それが起こる前にまで戻し続けた。
「どれか一台の真上に落としてくれればいいわ」
「合点」
先頭の一台へ向かって放り出してやると、その背に触れる直前、彼女は成形した魔力を獅子の全体に覆い被せてしまった。
大量の土に塗れるエルフの集団――そして、着地。
ようやっと姫様は隕鉄の剣を抜くことができた。耳と耳の間をさくさくと縫い、効率よく胴体から首を離す作業に入っていく。
今ようやく気付いたのだが、獅子に備え付けられた砲は、前面に火力が集中するよう作られていて、側面から見てしまうと、弾幕と呼べるほどの数は揃えられていない。
まあ、しかし、わざわざ姫様の活躍を残りの数台に邪魔させることもあるまい――と俺は思い、そろそろ敵が本当に俺への対策を練ってきたのか確かめることにした。
ふわり、と浮き上がる。
あの中にいるエルフ達は、どうやら開閉式の覗き窓から外を確認しているらしい。結構原始的だが、全部に探知魔法家を乗せるわけにもいかないのだろう。亀になると少しグレードが上がって、鏡を組み込んだりしているのかもしれないが……。
相変わらず、エルフを見れば怒りが湧いてくる。
だがそれにも度合いというものはある。
もちろん俺はエルフ全体が憎い。ただ、その頂点に、レギウス・ステラングレとマイエル・アーデベスが位置しているという、動かし難い事実がある。おそらく、俺の魔法が最大限に引き出されるのは、あの二匹がいるとわかっている状況だ。
片方のレギウスは既に捕まえてしまって、手元に置いてあるわけだから、残りはマイエルのみ、そして、奴がいない戦場だと――この表現も変かもしれないが、あまり気乗りしない怒り、になっていると思う。
我ながら、かなり不安定だ。
この最大限でない怒りが、果たして、倒壊級に到達しているのかどうか。
「さて――?」
していないような、気はするが。
~
あまり乗り心地がいいとは言えない。
乗組員達は日々の訓練によって慣らされているから、耐性がある。しかしマイエル達にそのための時間はなかった。マイエル自身もそうだが、メランド姉妹、そしてシンは先程からしきりに生欠伸を繰り返している。いくら頑強なエルフといっても、こうした部分は鍛えていなければ脆いものである。その点、ギルダは体質的に恵まれているようだった。逆に、ヒューマンであるシンが粗相をせずに済んでいることを、多少は評価するべきなのかもしれない。かなり顔を顰めてはいるが……。
「やるなら外にしてくれ」
とマイエルは釘を刺しておくことにした。
「いや……、まだまだ……」
土魔法の鎧と歩調を合わせることはできないから、こうして乗せてもらうしかないとはいえ、中々厳しいものがある。これでは94番に近づく前に、こちらが参ってしまいかねない。椅子があるだけ有情だと、わかってはいるのだが……。
「あれに比べれば……こんなの、」
シンは一旦発言を中断し、揺れに五回ほど耐えてから再開した。
「ただ気持ち悪いだけです。は、吐いたりなんか」
「それなんだが……」
と、マイエルは満足な答えが返ってくることを祈りながら訊ねた。
「マーレタリアが勝つ、ということで、いいんだな? 君は」
シンが言ったのは、戦争を終わらせる、だが、終わり方は、そう多くない。
どちらかが勝ち、どちらかが負ける。
痛み分けということもなくはないだろうが、この三百年戦争では、考える必要はないだろう。
シンは答えなかった。表面上は、吐き気を抑え込むのに集中しているように見える。
「君にも考えがあるとは思うが、こちら側に加担する以上は、そうなる。それ以外の着地点は、現実的ではない」
この辺りをはっきりさせてこなかったのは、敢えて確認することによって発生する面倒を、マイエルが避けたかったからである。
それを、この土壇場になって問い質したくなったのは、やはりこの少年がマイエルの精神を隷属させているからではないのか、と……疑うことまでは、できるのだが。
――それはもう詮無きことだ。そうではない。
やはり、ヒューマンの殺害を間近で見たことによる心変わりが、気がかりなのだ。
「君はまだこの世界の同胞のことはよく知らないだろうが、同胞は同胞だ。戦争がよくないものだと知っているのなら、負けた勢力に属する生物がどういう扱いを受けるのかも、当然、わかっているはずだ。どうあれ、悲惨なことにはなる。君はそれを覚悟している。それでも、戦争状態を終わらせたい。そういうことで、いいんだな?」
ややあってから、
「……わかっています。でも……オレの魔法、上手く使ったら、最小限に抑えられるって、思うんです」
「国中を飛び回って、エルフがヒューマンを虐げないよう、君の魔法を使うのかね」
「そうです。それを始めるまでに、オレも人を殺さなければならないでしょう。オレがやらなくても、あなた達が勝つまでに、結局、人はたくさん死ぬ。それでも、やります。協力してくれなくても構わない。いや、協力なんかしたくないでしょう。ただ――ただ、妨害だけは、しないでください。それだけでいい……レギウスさんを助け出したら、その約束だけ、守ってほしい」
――できるはずもない。
「いいだろう」
突如、鏡を覗き込んでいた観測手の一名が叫んだ。
「――な、何だ!?」
すぐさま管理官が反応を示す。
「どうした」
「前方――迂回した隊が到達した辺りです! 浮いて……? 一台が浮いて、ます! 違う、飛ばされているのか……? ――風、か?」
マイエルは立ち上がり、揺れに合わせて素早くその席まで辿り着いた。
「見せろ!」
「……なんですかいきなり!」
「私に見せろと言っているんだ!」
勢いに負けたのか、観測手はマイエルに掴みかかられると席を譲った。
確かに――獅子が一台、宙に浮かび、そして移動させられていた。
吹き飛ばされていた。
一応、この亀型もそうなのだが、一度や二度転倒した程度では乗組員が死亡しないような構造にはなっている。内部のほとんどが魔法の作用によって柔軟な素材で包まれているのである。揺れは軽減してくれないが、衝撃の吸収まではしてくれる。
だがそれも、複雑な地形を走行する際や、苦し紛れの風魔法による押さえつけ、横倒しを想定してのものだ。
高所からの落下、連続した回転、終わりのない反復――今この瞬間マイエルが目撃しているそれぞれの現象を防ぐことは到底できない。
その強さの風で小突き回されれば、中は、めちゃくちゃになる。
「――奴だ」
間違いなかった。
鏡から離れ、すぐさまマイエルは宣言した。
「悪いが、我々はここで降ろしてもらう」
管理官が椅子から乗り出した。
「何ですって!?」
「もうここにいても仕方のないようですので……」
外が比較的安全というわけでもないだろうが、黙ってあのようにされるのを待つことはできない。
「行くんですか」
シンがよろめきながら立ち上がる。
「そうだ。君ももうこれには乗っていたくないだろう」
ギルダがシンに肩を貸す。
メランド姉妹は心配そうにシンを見るが、彼はこう言った。
「すぐに戻るよ。オレ達が外に出れば、風はきっとこちらを狙うだろうし――そうですよね?」
「……ああ、そうだな」
一つ、希望があるとすれば、94番は獅子を壊すことができないからわざわざあのような真似をしている――という可能性だが……、ディーダ元帥の言ったように、あのヒューマンの起こす風がどこから来ているのか、突き詰めて考えてみると――それもここまでかもしれない、とマイエルは思った。




