6-8 皇帝の心
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回転の加わった小石が、水面の上を跳ねていく。
それは四回目の跳躍を最後に力尽きて、池の中へと沈んでいった。
アルフレッド・アシナガヒコ・アキタカ皇帝は、投げたままの体勢を維持しながら、俺に言った。
「では、結局、そのダンジョンから異常性は失われてしまった……ということで間違いないんだね?」
「はい。私達が遭遇した現象の数々は、おそらく最深部で眠っていた六人によって維持されていたんでしょう」
例のダンジョンから脱け出した後、俺達は結果的には無事な状態で、ハギワラ邸まで戻ることができた。姫様の魔法と、一緒に行動していたシェリー嬢の治癒魔法によって、怪我の問題もすぐに解決した。
しかし、ジェレミー君のチームより先に入ったと思われる一団のメンバーが、それ以降調査の手が入ってからも発見されていないことを考えると、なんだかんだで紙一重だったと言える。一歩間違えていたら、彼らと同じになるところだった。
行方は杳として知れない――そういう結末も、ありえたということだ。
きちんとした調査団が結成されてから、構造物内部のマッピングもほぼ完了したが、彼らの存在は、その痕跡さえも抹消されてしまったかのように、認めることはできなかった。あるいは最初から侵入などしていなかったのではないかという推測の下、都の方でもささやかな調査が行われたが、やはり一団は、影も形もなくなっていたのである。
あの構造物の性質が性質であったから――その主達と共に、何か、次元の狭間とも言えるような場所に取り残されてしまったのかもしれない。
「むしろそちらの方が気になっていたんだが、まあ、仕方がないか」
「すいません。どうも、余裕がなかったもので……」
「いやいや……」
陛下は俺のいる四阿の中まで戻ってきて、椅子に腰かけた。
「本来の目的に比べたら、重要なことじゃないよ。あれほどの数のダイヤモンドが確保できたんだ。私がこちらへ来てから一番の大事件かもしれない」
――見返りは、思っていたよりも大きかった。
なんと、発見された金剛石は、俺達が確保した十個だけではなかったのである。
ハギワラ氏主導の、ジェレミー君達冒険者も交えた調査団は、ダンジョンの付近にキャンプを設営した。これを言い出したのは姫様で、俺達からの報告を聞き、そういう経緯があったのであれば、もういきなりバラバラにされることもないだろうと判断しての提案だったらしい。それは当たっていて、扉を開ける度に別の場所へ繋がっているようなことはなくなっていたし、どこまで行ってもまだ上があったり、青白い肌の人々が襲ってくるようなこともなくなっていた。エントランスホールにある無数の扉は、それぞれが普通の館にもあるような客間や物置、食堂といった設備に通じていた。
だが、ゴーレムは、残っていた。
むしろ、それがメインだったのではないかと思えるほど大規模な採掘施設が地下から発見されたのである。もちろん、それは金剛石の鉱脈であった。おそらく採掘の任を帯びていたと思われる無数のゴーレムが、穴の中で発見された。それらはもう動くことはなかったが、ほとんど例外なく、頭部にダイヤの輝きを残していた。
そういうわけで、俺達は――少なくともヒューマン陣営は、さらなる金剛石と、未だ採掘の余地が残る鉱脈を一夜にして手に入れたのだった。
「これで、ゼニア姫も大手を振ってセーラムへ帰れる」
皇帝は伸びをし、欠伸も一つやってのけた。手を当てて上品に、ではあるが。
同郷であるが故の油断、なのだろうか。それとも、正体を知る者同士、もう少し打ち解けた態度でいてほしい、ということなのだろうか。
今日が初めてではあるが、俺は、この少年なんだか中年なんだかよくわからない知性体と一対一で会っていた。何故だか、呼ばれたのだ。
第一調査隊ということで、最近まで協力のため何日かおきに出向していた調査キャンプも、そろそろその役目を終えようとしていた。あとは回収したものを都まで運んでくるだけである。
帰国の目途が立ったということで、姫様とジュンは、今日は持ち帰るための反物を買い込みに出かけている。金剛石以外の、本当の土産が要るのだという。特に、姉のミキア殿下へ贈るための。
フォッカー・ハギワラ氏も調査団の指揮が一段落つき、今は邸宅に戻ってきている。兄弟同士の積もる話はキャンプ中に色々と消化したらしく、朝からデニーと戦盤に興じている。
そういう、俺がフリーになった一日を狙いすましたかのようなお招きだった。
「……君が、複雑そうなのはどうしてだろう?」
「出来すぎですよ、これは。あまりに、私達にとって都合がよくなってしまった」
「それは、確かに」
名目上は、セーラムへ帰る前に芸を披露してもらいたい(なんだかんだでそのチャンスがなかった)のと、ついでに調査結果の追加報告だったが、前者に関しては、感覚の肥えた日本出身者相手にやる気は俺にはなかったし、後者に関しても、姫様がハギワラ一家と共に済ませた最初の報告で、ほとんど要点は話し終えている。その後の密談で、金剛石の取り分まで決めてあった(このどちらにも同席していたからわかる)。
なので、何のために俺だけが呼ばれたのかが、よくわからない。
暇つぶし、をそのままの意味で受け取ったとしても、はて……。
「君達の言う召喚魔法がこちら側の手にあって、金剛石でしか動かないというのなら、これは戦略的にかなり巻き返してきていると言えるだろう」
「そんな生易しいもんじゃないでしょう。あの数の金剛石が全て魔法使いに返還されると考えてみてください。大変なことです。少しだけ時間はかかるでしょうが、新しい部隊を作れるようになる。それも、きっと、姫様が自由に使えるようになる部隊です」
大小様々ではあるが、直接、金銭的価値のあるものとして使ったら経済を壊してしまうのではないかと思えるほどの数がゴーレムから採取できた。それらのほとんどはディーンの国庫へ納められるが、元々金剛石を持ってきた者に対して莫大な報酬を与えるというキャンペーン《お触れ》中だったので、当然ジェレミー君達に支払う分の相応の額が入れ替わりで出て行く。それとは別に、これもやはり元から姫様への慰謝料として出されるはずだった分の金剛石が、陛下の尽力もあり――十八個に増えた。
当初予想されていたラインの実に6~9倍である。どうやら随分上手いこと関白を説得してくれたらしい。国としてのディーンの見栄もあったようだが、何にせよ、埋め合わせという名目で転がり込んできたのだから、莫大なアドバンテージを得たことには変わりない。
しかも、このダイヤモンドラッシュを受けて、アキタカ皇帝はこれから何かと口実を見つけては、国庫で眠らせておくはずの金剛石をセーラムが手に入れられるよう画策するつもりらしい。もちろん、そのためには、今回手に入れたダイヤによる新たな魔法使い達が戦果を挙げることが前提になってくる――つまり、ヒューマン同盟全体が、金剛石=戦力という図式に気付けば、セーラムへ金剛石を集中させろ、という論調に偏り、対エルフのための戦力増強という名目であれば、都合しやすくなるというのだ。
そうすんなりといくんかいな、という思いはあるが――まったくありえない展開だとも、言い切れない。
「現代人の大量流入ですよ」
「その状況を、素直に受け取るわけにはいかない?」
「そういう気分にはなれません」
「ふーむ……」
少年皇帝は、どこか遠くを見るような目つきになった。
「ところで、話は変わるけども、こちらの庭は、どうだろう、落ち着くかな?」
そこには、最初に案内した庭とは違うけれど、というニュアンスが含まれていて、俺もそれに応えた。
「植生が日本に、似ているからですか?」
セーラム風に仕上げた区画とは違って、こちらはディーン独特の庭らしかった。
「そう」
「いや、それが、都会育ちで出不精だったものですから……特に自然を愛したということはありませんね。それにそもそも庭園というものが、馴染みないですからね。別に貴族とかじゃなかったんで」
陛下はクスクス笑って、
「私もだよ」
と言った。
「これは勝手な想像だけど――君は、前世では相当苦労したのかな。……あ、いけない。君達の場合は前世とか、そういうわけではないのか」
「……俺もジュンも、死のうとしてこちらに来たんですから、似たようなもんです。彼女はどうか知りませんが、あっちのことは、俺にはもう前のことです。それでもずっと尾を引きっぱなしだから、確かに前世ってのは、感覚としては似たようなもんなんでしょうがね」
俺は少年のような男をちらりと見た。
「何です? まさか、こうなる前の俺がどんなだったのか聞きたくて、わざわざ?」
彼は頷きこそしなかったが、瞬きを二回して先を促した。
「――逆ですよ。苦労を知らなかったから、こんなことになってんです。簡単に死のうとするような奴だったから、閻魔大王のお裁きすら受けられなかったんですよ」
俺は煙草はやらなかったが、こういうのも、吸いたい時に入るのだろうか、と思った。話を程よく回転させるために、ある種の動作を伴った間が欲しいような――そんな時、煙を吐き出したくなるのだろうか。
「就職活動が、上手くいきませんでね。その時色々な……やる気とかも全部、面接室に置いてきたような感じがして……。まあ、そんなです」
小さな机の表面を、コツコツと爪で叩く。
「本当は、そんなことなかったんだろうけど……。でも、あの時は、何もかも駄目になったと思えたし、死ぬのには十分な理由だった。それ自体は今も変わらず真実であるはずなんです。だとしたら、今こうして、似合わない派手な服を着ている自分は何なんだろう、人間に笑われたのと、エルフに笑われたのは同じなのに、どうして今なら戦う気になれるんだろうって、そういうことは、思いますね」
聞いて、少しすると、陛下は立ち上がって東屋から出て行き、また足下に敷き詰められた小石の中から一つを選んだ。そして、池に向かって二投目を繰り出した。
今度は、水面で五回跳ねた。
「工場で働いていた」
と彼は言った。
俺も屋根の下から出て、砂利の上を歩いて、隣に立った。
「別に、その時死ぬつもりはなかった。でも目の中に情報が入ってきた時、ああ、何だかおれは一個も誰かの役に立たない人生を送ってきたな、と思って、気が付いたら身代わりになろうとしていたんだ。それが成功したのかまではわからなかった。とにかくそれで私は死んだ」
男はしゃがみ込んで、
「あの時はそれほど強く思っていたのに、どうして、そういう気持ちを、君達が来るまで忘れていたんだろうか。何もできないのなら、せめて誰かの役に立ちたいという、ただそれだけのことなのに」
発生した波紋が広がって朧げになっていくのを、いつまでも見守っている。
「だから、今は、君達の手伝いをしたいんだよ」
俺は少年の体を見下ろした。
「結局、もう若くないから」
そして、また、大きく伸びをして、ついでに立ち上がった。
足元の小石を優しく蹴る。
「いや、申し訳ない。聞いてほしかったんだろうな、自分のことを。そのために君にも自分のことを話させてしまった。ごめんよ」
――多分、彼も相当話したくなかったのだろう。
だが、何か思うところあって――腹を割って話してみよう、という気分になったのだろう。四十三歳だったという情報と、工場というキーワードで、俺がどういうイメージを抱くか、想像できないはずがない。
悲惨な人生だったのかもしれない。しかも、おそらく自業自得で。原因がはっきりしていて、そのため同情はできないという類の。そして、それで正解のはずだ。
そういう意味では、俺と彼は似ているのかもしれなかった。
その正解を知られてもなお――共感を得たかったのだろうか。
遠くから足音が聞こえてきたので、俺達は居住まいを正した。
見れば、フォッカー・ハギワラ氏が建物の方から駆けてくる。
緊迫した雰囲気を纏っていた。
また何かが、起きたらしい。
「何事です」
挨拶よりも先に皇帝はそう問うた。
俺は姫様の身に何か起きたのではないか聞こうと思ったが、やめた。
今回、フォッカー氏はどんな内容だろうが話してくれそうだったからだ。
彼は、当然付き物のはずの前置きすら飛ばした。
「ご報告申し上げます! エルフの襲撃にございます!」
聞いた途端。俺は腹の底から沸いてくるものを感じた。
「――何ィ?」
~
それは、ほとんど伝説と思える情報だった。
ヒューマン同盟の奥部に位置するディーン皇国では、その昔、ダイヤモンドの長者がいたらしい。その男は鉱脈の上に豪邸を建て、この世のものとは思えない美人の中から魔法の才能がある者を選んで妻にしたという。それによりさらに事業は発展し、男は一生を面白おかしく儲かって過ごしたという。ついでに言うと、鉱脈自体も全然尽きる気配がなかったという。
そして、その鉱脈が、魔力溜まりなのだという。
「――そこに運搬魔法家でアクセスして、部隊を直接送り込む、と?」
「簡単に説明すれば、そういうことになる」
と軍務代表は答えた。
「それは……すごいですが、しかし、我々の説明した94番と、関係があるようには……? 奴が所属しているのはセーラム王国で間違いないはずです。そしておそらく、レギウスもそこに囚われています。ディーン皇国の首都を狙える位置に戦力を投入できることの重要性はわかりますが、しかしそれも、今急いてやることとは……」
「それが、あながち関係無しとも言えない。特に、君達の求めている、その94には」
「……どういうことなのですか?」
マイエル達は首を傾げ、ディーダ元帥は説明を続けた。
「セーラム王国の第三王女、ゼニア・ルミノアは知っているか」
「……知っているも何も、メイヘムへ先頭切って攻め込んできたのが、そのゼニア・ルミノアだということではないですか」
「そうだな。その王女が、最近、道化師を一匹召し抱えたという噂がある。アーデベス卿、君の一瞬の目撃が正しければだが、その道化師が94番だということにはならないか?」
「それは、おそらく、そうなのでしょう。しかし、一体どこからそんな話を……」
「どこであろうと、間者は潜むものだ。俺が彼らの拾ってきたあれこれを吸い上げていることがそんなに不思議かね?」
「いえ……」
「続けるぞ。聞けば、そのゼニア・ルミノア、新しい道化師をいたく気に入っているそうで、どこへ行くにも連れて回るそうだ。まあ、戦にも連れてくるぐらいだから、本当なのだろうな……。それで、その道化師というのが、魔法と芸事以外にも色々と知恵が働くようでな、どうも、王女はそれを重宝がっている節さえあるらしい。ここまではいいか」
「はあ」
「――さて、ここで、そのゼニアがディーン皇国を訪問したとの情報が入った」
出し抜けに、点と点が繋がった。
「これは表向き観光旅行のように思われているが、実際には何やら厄介事が起こったということだ。それによりゼニアが迷惑を被ったために、ディーン側の謝罪を受け入れる意味でも、顔を出す必要があったのだろうな。だが、何らかの取り引きを独自にディーン側と行うためではないかという推測もなされている」
その繋がりは線であり、その線が、すなわち、近道であるというのか。
「どちらにせよ、用事が――大事な用事があって、ゼニアはディーン皇国へ向かった。レギウス・ステラングレ卿がそこにいるという保証はないが……94番の方は、捕まりそうな気がしないか?」




