6-2 彼の魔法を見つけるために
死の淵から甦ったシンは、信じられないようなものを見る目でマイエル達を捉えた。
そして、すぐに魔法の存在を信じた。
マイエル達からしてみれば、それを信じられないことの方が信じられなかったが、この度めでたく、シンは魔法を実感したのである。否定のしようがなかった。
シンは前置きもなく自身を害されたことに対してかなりの不満を漏らしたが、この程度まではまだ許容範囲だろう、とマイエルは踏んでいた。前回の失敗から考えるに、要はここではないどこかへ行きたいと思わせるほど締め付けなければいいだけのことである。傷は即座に跡も残さず快癒させたし、もうしない、という約束もした。もう一度する理由などまったくないので、タダ同然の約束である。
尤も、もう少し穏便なやり方があったのではないかとも思いはしたが。
ギルダがあまり悪びれない分、マイエルは気をつけて謝った。やれやれと思う一方、この構図は悪くないかもしれない、とマイエルは考えた。ギルダが多少の無茶をして、マイエルがそこから同情的に保護するのである。シンのギルダに対する印象は悪くなるかもしれないが、マイエルのことはいくらか信用するかもしれない。結果として、効率的に助力を引き出すことができる。
ひとまず――シンを安心させるためにも、これからの彼の処遇についてマイエルは説明を加えた。当面は、レギウスの研究室に寝泊まりしてもらうことになるだろう。もしかするとあそこは下手な部屋を用意するよりよっぽど快適かもしれない。生活用具も揃っている。どうせ主は不在だ、拝借すればよい。食料もマイエルとギルダが届ければ餓死することもないだろう。時々、レギウスにもそうしていた。
これで衣食住は揃う。
シンが着ていた服は破け、血で汚れてしまったが、それは洗濯し、繕って返してやればよい。そのくらいの責任はギルダも取るだろう。それが済むまでは、丈が合わないかもしれないが、やはりレギウスの持ち物から選んで着てもらうことになる。まあ、レギウスは元から体に合わせた衣服をほとんど持っていなかったから、運が良ければぴったりのものもあるかもしれない。
とにかく、路頭に迷うことはないということを強調して伝えると、シンはさすがに落ち着きを取り戻した。故郷に戻れないことからくる不安は残るだろうが、自分から死のうとするほどの絶望を覚えることもないだろう。
事情が事情であるため、行動には当然制限が出る。基本的に単独行動は許可できない。これは目の届かないところで勝手をされては困るということもあるが、シンの身の安全という観点から見ても、ほんの少しでも一人で出歩いて無事ということは、この学び舎においてもまずありえないからである。
これに関しては既にエルフとヒューマンが戦争状態にあるということを説明していたので、その流れから、敵国の生き物が通常どういう扱いを受けるものかというところまで仄めかしていくと、シンもいくらか察したようだった。
「もやもやするけど、まあ、わかりました」
ヒューマンは、マーレタリアにおいてはほぼ例外なく奴隷である。
遣いでもないのに個人で行動していれば、不審に思われることは間違いない。
脱走したものとして扱われ、瞬く間に捕縛されるか、発見者の虫の居所が悪ければ、そのまま殺されることだってありうる。一応それで賠償責任は発生するが、元からヒューマンの奴隷など重用するものでもなく、ヒューマンが野放しになることの危険性の方が主に問題点として扱われるので、国の補填と合わせて安く収まるか、無用な騒ぎを事前に防いだものとしてお咎めなしになることが多い。それは奴隷の使役側もよく心得ており、何か起きたとしても損失が軽微になるよう、初めから構えている。
いつまでもシンを閉じこめていても始まらないので、安全を確保して以降は、実験動物として、学内を連れ回しても支障がないよう周知させることになるだろう。話し好きの生徒に小遣いを握らせたりする地道な作業になるだろうが、必要だ。それでも相当変わった研究活動として見られることは避けられないが、バーフェイズ学長の方からも働きかけてもらえばとりあえず処分は免れるだろうし、学内掲示板にもその旨をしばらく貼り出しておくことに決まった。徐々に行動範囲を広げていくことが肝要だ。
そして、情報が学内に浸透するまで、マイエルとギルダは五日間ほど待った。
その間、ただ食っては寝てをシンに繰り返させていたわけではないのだが、目立った成果がないこともまた事実だった。
初日は早く休ませ、翌日から様々なことに取りかかったわけだが、早い段階で、シンが魔法を上手く扱えないことは判明した。魔力は、認識できている。そして、自分の内から魔力を取り出すところまでは、実は意外なほどすんなり成功していた。少し前まで、魔法を感じたことがなかったとは思えないほど……。
しかし、その先がからっきしなのである。
通常、魔法というものは魔力の変換を経て発現するわけであるが、シンはその変換が上手くいっていない。ただ、この症状自体は珍しいものではなく、魔力が認識できるというだけで魔道に足を踏み入れた、いわゆる原石には意外とありがちな通過儀礼のようなものである。多くの場合、その原因は実際に自分がどのような(あるいはどのように)魔法を扱えるのか、上手く思い描けない(思いつかない)せいであると言われており、つまり、心を使って操る魔法の、心構えの部分に、問題があるのだ。自分にはこういうことができる、という感覚がなければ――脚がない状態で歩けるという感覚が生まれないように――火も起こせないし、水で掌を濡らすこともできない。
例えば、一族が代々魔法を使えると知っていれば、その子孫が(きちんとその素質を持っていればの話だが)同じように魔法を扱うのはそう難しくない。先祖がどのように魔法を使ってきたのかを聞いて育つだろうし、存命の親族が現役の魔法使いであれば、そのまま師匠たりうる。赤ん坊が周囲から言葉を浴びて喋り始めるように、イメージを浴びることが、魔法の助けとなるのである。同じように、魔法使いを知り合いに持つ者が、目覚めてみれば同じ種類の魔法使いだったというケースも珍しくない。元から適性があったところへ、手本を示して見せる機会が多かったという考え方である。
しかし、そのような縁や巡り会わせに恵まれない場合もある。特に、火水風土の四大魔法や、今日重宝されている通信、探知魔法といった、使い手の多い魔法ではない場合……それが稀なものであればあるほど、自分の魔法に確信を持てる機会は少なくなる。その点、ギルダは恵まれていた。指南書を手に入れたレギウスもまた恵まれていたわけだが、ギルダは師に出会えなかったら、一生を魔力が見えるだけのエルフとして過ごしたかもしれなかった。そういう魔法使いが、魔導院にいられる期間は長くはない。自分の魔法を知るために一生旅して暮らしたエルフのお伽噺――この国のエルフなら一度は聞いたことがあるものだが、そういう生き方はお伽噺の中だからこそ許されるものであり……そして、そのエルフはついに自分の魔法が何だったのかわからないまま、天寿を全うするのだ。
そういうわけで、異界の生物であるシンにとっては、魔法をつきとめるのは普通よりも難しいことなのかもしれなかった。
逆に魔法のない世界でどう暮らしていたのかマイエル達は訊ねてみたが、どうやらシンのいた世界ではからくりの類が(彼の話を鵜呑みにするのであれば)異常発達しているらしく、その恩恵を民も受けているので、魔法家がいなくても何とかやっていけるらしい。
「でも、不便そう……」
ギルダの感想に対して、曖昧に笑いながらシンはこう言った。
「まあ、魔法は、羨ましいよ」
最初、魔法という言葉に対して驚きを見せたのも、シンの世界ではそれが空想上の存在でしかなかったせいだという。ほんの一握り、現実のものとして主張する立場の者達もいたようだが、大勢が納得するような形で証明されたケースはなく、探究する集団もほぼ秘密主義的な動きをしたため、仮にあったとしてもわからない状態である――というシンの説明からも、未だまやかしのような印象が残っていることを窺わせた。
気に入らないのは、エルフの存在でさえも、空想上の産物として片付けられていたということだ。それどころかその空想上の産物を積極的に利用して(やはり聞く限りでは)大規模な商売にまで発達させていたというのだから、ギルダなどは他にやることはないのかと言い始める始末であった。マイエルも、空想を受け取る側が食傷気味になるほどありふれた要素としてエルフの存在が利用されていたと聞いて、一体何がしたいのかと首を捻ったものだ。が、シンにとっては、その文化は根強く、身近なものであったらしい。最初の発言が既に、仮装を意味するものであったというのだから、彼のいた世界でエルフがどれほど受け入れられていたのかは想像に難くなかった。一方で、それの何が楽しいのか、マイエル達にはやはり理解し難い部分があった。ヒューマンの仮装をして喜ぶエルフはいない。
それにしても、魔法の概念だけは発生していることといい、シンの言うエルフとマイエル達の特徴が符合することといい、シン自身のヒューマンとの共通性(あるいは同一性)といい、その世界はかなり近い場所に存在するのではないか、とマイエルは思った。
こちらの世界が、シンのいた世界に影響している可能性は高い。
だからこそ、シンが魔法とエルフを知ってはいたのではないか。
かつて――レギウスの言っていたように、召喚魔法が失われていなかった頃、それは他世界との貴重な交信手段だったのかもしれない。
――と、こんな具合に、聞き取りばかりが捗って、肝心のシンの魔法に関しては、さっぱり進展していなかったのである。
一日中魔力を出しっぱなしにできるわけではないから、魔法開発に関してはどうしても限りがあったし、昼間はギルダが、夜間はマイエルが交代でシンを見張るように努めてはいたが、丸一日張りついていたところで何が得られるわけでもなく、また、どちらの手も空かず、シンを放っておかなければならない時間も出てきた。マイエルは治癒魔法家として後進の育成を再び義務付けられていたし、ギルダは裕福な家庭の出ではないため、週に何日かは街へ出て勤労に励む必要があった。
シンが逃げる気配はなかった。
逃げたところでどうにもならない――そう理解しているだろうとはいえ、マイエルは少々拍子抜けした。物置(研究室)への訪問者はマイエルがいた時で一度、ギルダがいた時で一度あり、どちらもシンの姿を見て驚きはしたものの、研究材料の一つだという説明をきちんとし、目当ての物品を一緒に探して持たせてやるとすぐに帰っていくので問題にはならなかった。それで、試しにギルダが物陰に隠れ、シンのみで訪問者の対応をさせてみたところ……情報を流してから数日経っていたせいか、少々疑惑の目を向けられたものの、特に危害を加えてくる様子もないので、
「絶対にここから動かないよう言われてますんで。なんか、勝手なことしたら殺されるらしいんで。それは嫌なんで」
というシンの説明を聞いた後は、訪問者は半ば無視するような形で去っていった。
マイエルとギルダはシンに留守番させることに決めた。
――そのうちシンは、暇だと言い始めた。
「ネットできないし、テレビもないしな……マンガもない」
それらが何のことを指すのかマイエルにはわからなかったが、シンのいた世界では相当娯楽が充実していたらしく、彼に言わせれば、レギウスの研究室は何もないのと同じだそうである。一度近くにあった書物を読もうとしてギルダにこっぴどく叱られて以降、空いた時間は寝るか体操をするか筋肉を鍛えようとするかのどれかしかしていなかったシンだが、見かねたマイエルが許可を出して、むしろ内容がわからなくても積極的に目を通すよう勧めた。魔法の糸口を掴む助けになるかもしれないし、言語能力がどの程度あるのか把握しておきたい向きもあった。
結論から言うと、シンは難なく共通語の書物を読み進めた。
「言い回しが難しいから、全部はわからないけど……」
文字を読むこと自体に難しさは感じていないらしい。
ギルダ曰くそういうものらしいので、いきなりこちらの世界の言語を操ることは不思議ではないという。話せる者を召喚しているのだと。思い返してみれば、94番もそうだった。
その説明をすると、シンは驚いて、
「そっちが日本語喋ってくれてるんだと思ってた」
どうやら、書物の文字も、その日本語として読んでいたらしい。
94番もそうだったのだろうか、とマイエルは思った。
試しにエルフの言語で書かれたものを読ませてみると、
「英語っぽい」
という答えが返ってきた。シンがいたのとは別の国の言語だが、教育機関で必ず修める(のを目指している)らしい。シンはこれに関してはあまり読み取ることができなかった。その、英語というもので意志の疎通を図れるほどではないせいだ、と彼自身が推測を立てた。ちゃんと勉強していれば今の時点でもかなり読めたはずだ、とも。
しかし、そうして半端にこの世界の情報に触れさせたせいか、シンは外に興味を持つようになった。元から出たいと感じてはいたようだが、その思いが強くなってしまったらしい。逆にマイエル達が数多く質問されるようになり、躱したりはぐらかしたりするのが面倒になってきた。
そのくせ、魔法の内容に関しては、相変わらず進展がなかった。
閉じ込めておくのには限界がある――外へ出した方がいいかもしれない。
この認識はギルダにもあり、むしろ、シンの場合は積極的に様々な体験をさせた方が近道なのではないかという意見さえ出してきた。
「わたしのように、誰かを見つけるべきなのかも」
なかなか魔法のイメージが掴めない、ということは、相応に珍しい=希少価値がある=有用な魔法であると期待することができる。冷静になって考えてみれば、例えば火の魔法使いがひとり味方に増えたところで、できることが大して増えるわけではない。簡単に習得できてしまうような魔法が、マイエル達にとって有用であることはまずないだろう。思っていたより厄介かもしれないが――シンが役に立つ魔法を本当に持っているのなら、厄介であるべきなのかもしれない。
機は熟したのだ。マイエルとギルダの両者がついていれば多少の面倒事は収められるということもあり――試しに、シンを連れ出してみようということになった。
彼は言った。
「とりあえず、この学校がどうなっているのかは知りたいな。うん、探検したいね」
「いいわよ。言う通りにしてあげる。じゃあ、まずは、どこを?」
「君の好きなところでいいよ。どうせ隅々まで見るから」




