5-15 回収です
最初に入ったのと、ほぼ同じような洞窟である。
ただ、こちらの方がいくらか質は落ちていた。
壁面が発光しているのも同じだが、その明かりは弱々しく、心なしかさらにいい加減な掘られ方でよしとされている。そして、広さも高さも――倍以上はあった。あの人形が通ってくるのにも、十分だ。
「ここから出入りしてたんでしょうか……?」
とジュンが言う。
「かもしれません」
同じようなギミックを持つ壁が、もしかしたらあちこちにあったのかもしれない。
「――いや、でも、果たしてどうか……」
帰り際、あのスイッチ? を律儀に押しているゴーレムの姿は想像できなかった。
その機能が備わっていてもおかしくなかったが、想像できなかった。
俺はまた後ろを振り返った。
「……どうかな……」
岩人形は、相変わらずそういう細かい作業が苦手そうな面構えをしていた。
別に第一印象がそうだったわけではないが、まあ、とりあえず、器用さを発揮する気はないと見てよい……と思う。少なくとも、ここまでで学習はしていても、工夫までは見られなかった。ジュンがあれだけ頑張ったのだから、その必要がなかったとは言わせない。あのスピードで腕をぶん回せるなら、もっとやりようがあるはずだ。
構造だけは、バッチリだと思うのだが。やはりソフトがショボいのか。
ジュンはまた口を開いた。
「この先に、いっぱいアレが、いたりして」
なにゆえに、ごうしちごうで、くぎったの?
「――その考えは、今は置いとけ」
いっぱいいたら、どうだっていうんだ。いっぱいいたら終わりだ。
……何々だったら終わり、が多すぎる。
しばらくすると、前方に扉が見えてきた。観音開きの大きな扉だ。
それはこれまでとは少し違っていた――装飾されていた。
といっても、飾りがゴテゴテ付いているのではなく、不思議な紋様がびっしり彫り込まれているという感じだ。
次のエリア。案外通路は短かったようだ。
先を行くジェレミー君が扉の片方に取り付いた。
体全体で押そうとするが、それはビクともしない。
「重……!」
遅れてジュン、そして俺も加わる。
「あぁあもう! 押せ押せッ!」
ゴーレムが地面を踏みしめている。それが後ろから衝撃として伝わってくる。
心なしか、少し間隔が短くなっているような気がした。
「……もしかして、治ってんじゃないのか、あれ、今!」
とジェレミー君が言う。
「だったらなおさら、急がない、と……!」
彼の言う通りだったとしても、驚かない。
ぐぎごご、と音を立てて、扉がじっくりと開いていく。
同時に、今度は明確に燭台からと思われる光が洞穴の中に差し込んでいく。
「いいぞ、もっとだ!」
一番大きいのはジュン。彼女が問題なく通れる程度にまで開けると、俺達はその向こうに滑り込んだ。
広間になっていた。エントランスホールだ。
正面のほとんどの部分は、緩やかな階段が占めている。その先にある、今必死になって押したのと同程度の大きさの扉が目立つ。一階と二階が繋がった吹き抜けのような構造になっていて、他にも様々な意匠とサイズの扉が空間の中に貼りつけられていた。
全体的に――これまでと比べたら、いくらかまともな構造をしている。
こういう屋敷は、ありそうだ。
「どれだ……?」
と俺は唸った。
「どれでもいいだろ!」
とジェレミー君が叫ぶ。
「一番近いやつで!」
ジュンの一声で、俺は彼女についていくことに決めた。
ただ、一番近いやつは、正面上のでかい扉だった。
全員で階段を駆け上がっていく。緩やかとはいえ、上りは確実に肉体へダメージを蓄積していく。足元の赤茶けた、分厚い絨毯に誘導されているのではないか――そんな考えが頭をよぎったが、検討するほどの気力も、時間的余裕も残されてはいないはずだ。後ろで、あの重い扉が破壊されたのがわかった。俺は振り向かなかった。他の二人もそうだろう。
「また押さなきゃならねえのかよ!?」
ジュンが扉に触れ、ジェレミー君の不平に答えた。
「あっ、軽いです!」
突き飛ばすようにして開き、今度は廊下がずっと先まで伸びているのがわかった。
扉の大きさに合わせた、だだっ広い廊下だ。やはり分厚い絨毯が敷かれている。
先はよく見えない。
「行くのか? これを?」
もっとよさそうな選択肢もありそうだったが、多分もうゴーレムも階段に足をかけていて、仮に他の二階部分に配置されている扉を開いたとしても、果たして先があるかどうか……。見えるだけマシと考えるべきか。
「もう開いちゃった!」
愚痴るように言う彼女を先頭に、俺達はまだまだ走らされる。
「おかしいんだよな! 長さがさ!」
確かに、それは入った時から思っていた。
まさしく、無駄に、長いのだ。
この廊下も、例によって何の為にあるのかわからない。
両側に窓がずらりと並んでいるが、見えるのは全て闇だ。
そのくせ、部屋に通じる扉は一番奥にしかないらしい。
この――この、無駄な距離!
だが、それはあくまで俺達にとって無駄なだけで――向こうにしてみれば、俺達の活動が引き延ばされれば引き延ばされるほど、いいのかもしれない。
それが証拠に、後ろから追ってくる衝撃は徐々にそのペースを上げつつあった。
疑念は確信へと変わった。
再生している。
いつか追いつかれることに変わりはないらしい。
この先のエリアもマラソンコースだったら俺は脱落かもしれないな、などと考え始めた頃、ようやく、廊下にも終わりが見えてきた。
扉だ。
ヒューマンが通れる程度の、扉。そのため壁の方の面積が勝っている。
最早ゴーレムは俺達との間を詰められるだけ詰めようとしている。
ジュンにもう一度あれの動きを鈍らせることができるほどの魔力は残っていないだろう。その方向での時間稼ぎはもうできない。
この先が、もしこの先が、都合の悪いものだった場合――。
ジュンが扉を蹴破った。
入った。
そこは寝室だった。
豪奢ではあったが、適切と言っていい広さが確保された寝室だった。
だが、肝心の寝具が適切な大きさではなかった。
それは一人で寝るのにも、二人で寝るのにも大きいと、俺は感じた。
天幕は付いていなかった。
一つのベッドに、六人が寝ていた。
この部屋には出入り口のみがあり、隠されている何かを探し出す時間は、もうない。
破壊された扉の破片が、背中に当たったその感触が、予想していたよりも強い。
振り返り、向こうが一歩踏み出せば、拳を届かせられると知る。
今度こそ、本当に、追い詰められた。
――だから、それを一番に感じ取っていた彼女が、立ち塞がってしまったのだろう。
敵わないと知りながら。
どう転んでも自分が悲惨な結末を迎えることになると知りながら。
彼女はジェレミー君に、鞘付きのナイフを放って渡した。
出てきた水は、弱々しかった。
できることは、そう多くはなかった。
俺は小太刀を抜き、ベッドまで賭け、飛び乗った。ジェレミー君もそうした。
六人の内訳は、女と女と女と女と女と男。
それらが、折り重なるようにして眠っている。
誰かに触れていない個体は無いように思えた。
直感が、殺れ、と伝えていた。生きているのかもわからないそれを。
男の喉笛に刃を刺し込み、片目を瞑って返り血をやり過ごす。
後ろから鈍い衝突音と、複数の折れる音。
隣でジェレミー君が手近な女の心臓を突いている。
俺も別の女の胸に小太刀を突き立てた。
各個体の反応は劇的だった。
それまで肌色を保っていたものが、突如として蝋細工のように色を失っていく。
そう、あの動く屍と同じような状態まで一瞬で到達し、この時点で出血も嘘のように止まる。そして、断末魔を上げるべく口を開くが、その空洞からは一音も漏れ出してこない。そのまま顎は閉じられず、際限なく広がっていく。それは口から虚空へと変わって、かつて人だったものを呑み込み、最終的に、消失する。
結果として――普通に失血死するよりもさらに早く、その存在は失われる。
思わず手を止めそうになるほどの怪奇を、こちらも呑み込むようにして耐える。
残りの犠牲者へ、さらに刃を向ける。
ド、――と床が震える。構わず、引き裂いていく。掻き回していく。
違うのか。
どれも違うのか。どれも、すぐ後ろにいる岩の塊を操っているわけではないのか。
ベッドの端が大幅に沈んだような気がした。
真横で同じように手を伸ばしていたジェレミー君の頭が、ごつごつしている物体に包まれた。それで俺の方が一瞬だけ早く、最後の一人を、やった。
視界の端に、岩の塊がコマ送りのように迫ったが、そこで止まった。
その、最後の一人が、白くなり、やがて消え去ると、がらり、という音がした。
俺が振り返り、へたり込むと、再び同じ音がして、そこからゴーレムが崩れていくのがわかった。ジェレミー君は、頭を潰される前に、いや、崩れゆくゴーレムの肉体に巻き込まれる前に、身を捩って、そこから抜け出した。
人形が、人の形という意味を持たなくなり、俺達だけが、残った。
「……――お嬢様!」
我に返り、俺はジュンが最後に見た位置から消えていることに気付いた。
前から、気が付いていた。
間もなくして部屋の壁の一画が崩れているのがわかり、俺はそこへ駆け寄った。
何かがうずくまっていた。
いつだったか、アデナ先生にやられたときの姫様よりもひどい肉塊が、そこにあった。
膝をつく。
「あ、あ……うぁあ……」
「こいつは――まずいな」
後ろから覗き込むジェレミー君ほど、冷静にはなれなかったらしい。
動かしてはいけないと、わかっていながら、俺は、ジュンを抱え上げた。
自分でもまだそんな体力が残っていたことに驚いた。
「おい、どこ行く……」
ゴーレムが壊した出入り口の先は、何故か既にエントランスホールだった。
途中の廊下は、なかったことにされたかの如く、消え失せていた。
俺が階段に足をかけたのと、正面の大きな扉が開いたのは同時だった。
姫様が入ってきた。
奇跡だった。
だがそれを喜ぶほど、感情は器用に動かなかった。
どうしてジュンは身を差し出したのだろうという困惑と、その結果として彼女の命が失われることに対する、一種の取り返しのつかなさが、俺を支配していた。
「御姫ェ!」
もう一人、女性が一緒にホールへ入ってきたことに遅まきながら気付いたが、どうでもいいことだった。
「ジュンが死んじまう!」
俺は階段を駆け下り、姫様の方へ走った。
両腕は早くもジュンの血で染まりつつあった。にも関わらず、彼女の脈動があるのかどうかわからなかった。呼吸でさえも。
しっかりと抱えているのに、何かが零れ落ちていってしまうような――。
「ああ頼む、なんとかしてくれ死んじまうよ!」
姫様も、表情こそいつもの乏しさだったが、一刻の猶予もない事態であるということに気付くと、動作からだけは必死さが伝わってきた。
「俺達を庇って! 死んじまうよ!」
「寝かせて!」
その通りにした。改めて直視すると、その姿は惨たらしかった。
潰れていてはいけない部分が潰れていた。
折れて、そのまま刺さってしまったような所もある。
「早く、早く戻してくれ!」
姫様が瞬時に放出した魔力は、今まで見た中で一番の輝きを含んでいた。
まるで空間に対して乱反射させるような、そんな、魔法の走らせ方だった。
それで、ジュンの全てが元に戻った。
「――戻したけれど……」
ジュンはすぐに起き上がらなかった。
それが何を示唆しているのか、俺は理解したくなかった。
「……、おい……」
肩を揺すった。……もう一度、強く揺すった。
「おい」
掴んで、起こした。ジュンの身体には些かも力が入っていない。
姫様は、死人を甦らせることはできない。
直接そう説明されたことはなかったが、言われなくても、薄々勘付いていた。
「……嘘だろ?」
だから、戻すことはできても――手遅れならば。
「タチの悪い冗談はやめろ。おい、こんな時にまで俺がお前のことをお嬢様扱いするなんて思うなよ。助けてもらったことは感謝してるから、話をややこしく……するなよ」
何の反応もない。
「姫様とも合流できたし、ほら……」
また揺すって、それで――無駄だということがわかったような気がした。
俺はジュンの身体をそっと床に横たえて、立ち上がろうとして、駄目だった。
姫様がこちらを見ているのがわかった。
顔を上げて、
そこで、ジュンがくっくっと笑い出した。
「すいませ」
ふ、くく、くっ、あははははは。
「ごめんなさいこんな上手くいくと思ってなくて!」
そのまま起き上がった。
「好きなだけ怒っていいですよフブキさん、姫様も!」
何がそんなに可笑しいのか、けらけら笑い続けている。
「一回死んだふりしてみたいなあと思ってて、でもそんな機会普通ないのに、こんなところで……まあ本当に死ぬかもしれなかったしこのくらいは、すいませんでしたもうしません絶対しません」
俺はジュンと同じ高さに目線を合わせた。
彼女はさすがに身構えた。
「よか、よかっ、た……」
どうして俺はこんなアホのせいで涙を零しているのだろう?
何かおかしくないか?
「うわ、ちょっ……」
何で抱き付いてしまってるんだ?
「……すいません、ほんと」
「生きてて、本当に……」
「あはは……」
ぽんぽん、とジュンが背中を叩いた。
「俺とか……そういうつまんない奴のために誰かが死ぬなんて、やっぱりそんなのは駄目だ……許されることじゃない」
「え?」
「次があったら、絶対に私を犠牲にしてください」
「あのー、……まあいいです」
ひとしきり泣き終わると、俺は自分のしていることが急に恥ずかしくなり、そっとジュンから離れた。
「もういい?」
と姫様が長く息を吐いてから、言った。
「はい。もういいです……」
「本当に気は済んだのかしら?」
「いや、はい、もう、本当に」
しばらく誰の顔も見られない。
「で、姉ちゃんはもう大丈夫なのかよ?」
ジェレミー君の存在をすっかり忘れていた。
というか、よく見たら知らない女の人もいる。
「はい。ちゃんと戻してもらいました! ところで、姫様と一緒に入ってこられた、そちらの方は……?」
「彼女はシェリーよ。そっちの男の子と面識があるはずね」
二人は頷いた。本当は感動の再開をするところだったのだろうが、多分俺のせいでやりづらくなってしまったと思う。
「それで、」
話の続きを遮るように、玄関の扉が再び開いた。
今度はデニーともう一人、青年が(デニーに肩を貸してもらいながら)入ってきた。
「デニー!」
「あれ? ラッキー……みんな揃ってる」
確かに、一応、それで全員が揃った。
ジェレミー君達より先に入った一団とは合流できていないが、それに関してはデニーと、青年――ブライアン君が発見したらしい。
「……どうだったんだよ?」
彼らは揃って首を振った。
「そういうわけだからさ、もう帰ろうぜ。腹減ったよおれ」
「ああ、そうだな――いや、待った。お嬢様、アレを姫様に見せてあげてください」
「アレ? あっ、はい。これ……」
当然、その金剛石はどこにあったのだという話になり、俺達は寝室に戻って、崩れた岩の中から、同じような大きさの九つを回収した。
「これで十個!」
「分配のことは後で相談するとして――さっさと出口を探そう。ニーナが待ってる」
そうね、と姫様も同意する。
「もっとこの構造物を調べたいところだけど、当初の目的である救助が成ったのだから……一旦戻るべきでしょうね」
「でも、どうやったら戻れるでしょうか……」
ジュンが不安そうに言った。
もう嫌というほど、ダンジョンの変化に翻弄されていた俺達だ。
ここを一応の最深部と仮定して、戻るのにまたどれだけの労力を費やせばいい?
またはぐれたら、どうする?
「……来た道を戻れば、いいじゃない。そもそも、あなた達はどうやって一本道から迷子になったのかしら?」
「えっ……」
「いや、むしろそっちが……! ……あー」
待てよ、あの六人を消したらゴーレムも動かなくなったのだから、もしかすると魔法によって作り出されていたと思われる異常性も消えてしまったのではないか?
案外あっさり、そうなってしまっているのではないか?
「とりあえず、ここから戻りましょう」
姫様が玄関扉(別にもう重くもないらしい)を押して開くと、その大きさに見合った洞窟が、やはり存在していた。
しかし、エントランスホールから見ただけでもわかるほど、それは急激に直径を狭めていた。おそらく、最初に入って歩いた通路と同程度に――。
姫様が先にトコトコ行ってしまったので、全員がゾロゾロとついていった。
入ってきた時と同じ扉があった。
空があった。
外が――あった。
「……不思議ね。入ってきた時よりも、出ていく時の方が短いなんて」
俺とジュンは、きっと筆舌に尽くし難い表情をしている。




