5-14 袋の
「やっぱり。はい」
そう言って、ジュンはその石ころを俺に渡そうとした。
「――ちょ、ちょっと待った。まさかそれだけのためにあんなことしたんですか?」
「え、はい。だって、ダイヤモンドが要るって」
「ナイフも一本駄目にして……」
「これの方が、価値があるんじゃないんですか?」
「かなりの値がつくと思うぜ。まあ、オレは専門家じゃないが……」
と、ジェレミー君も同意する。
「いやあの、そういうことではなく……」
「はい、もちろん、少しでも目が潰せたらいいな、って思ったんですけど、そうじゃなかったみたいですね」
「じゃあもうそれでいいや。確かに、それほど有効というわけではなかったようですね。まあ、他にまだ八つ残っていましたから、気にならなかっただけかもしれませんが」
「うーん、じゃあ、頑張って全部取ってみますか……?」
「いや、多分、どこかで死ぬと思いますね」
「ナイフの数は足りてるんですが……」
「まだあれが目だと決まったわけでもありません。やめておきましょう」
「んじゃあ、結局は逃げの一手かね。どっちにしろ姉ちゃん頼りだな」
「時間を稼いで、それで解決の糸口が見つかるかを祈りましょう」
「祈るってもね……」
こういう時、神に祈れないのは不便なことかもしれないな、と俺は思った。
特に、精神安定剤としての神に祈れないのは。
俺は宗教家ではないが、神を呪うことはたまにあったから、逆説的にそれなりの信仰心を持っていたということにはなる。
この世界の人々に祈る対象が存在しないというわけではない。
ただ、現代に生きていた俺達とは、少々捉え方が違うというか……遅れているというか、進んでいるというか……。
セーラムには創生譚がない。おそらくディーンにも、そして多分ルーシアにもない。
息づいているのは、かなり原始的な精霊崇拝のみ。
火、風、水、土には何かが宿っている――それだけの考え方。
擬人化して捉える概念はあるし、知性のある魔力の集合体とコンタクトをとった記録も残っている(これはかなり眉唾に思えるが)。偶像を作って台所に火の精霊を置いていたり(食事を出す屋台に飾られているのを見たことがある)することもあるが、しかしそれらは救いをもたらしてくれる存在というわけでもなく、必ずしも信者の味方であるというわけでもなさそうである。
このあたり多神教に近いが、こちらの世界のヒューマンは、精霊に誓って、とか、精霊が見ている、とか、精霊の加護あれ、とか、精霊が我々をお救いになる、とか、あなたは精霊を信じないのですか? とかは、不思議と言わない。
魔法というか、魔力を認識できない方が多数派だからなのだろうか。
いわゆる四大魔法の使い手なら、精霊の存在を身近に感じる(実感する!)こともあるのかもしれないが、それを他人と共有できる機会が極端に少ないのかもしれない。同じ魔法使いでも、姫様のように四大元素から外れている個体もいる。
それでも、エルフはもう少し信心深いらしいが。
初めて出会ったレギウスからして、風の化身なんてものに夢を見ていた。
あれは今考えると、風の精霊そのものを自分の制御下に置きたかったのではないだろうか? どの程度のものかはわからないが、成功すれば確かに脚光を浴びる可能性はある。結果は、よくなかったが。
あとは、単に、この世界の先祖達が、神に祈るのをやめたのか。
この遺跡に代表されるように、こちらの世界の歴史は、認識できないだけで非常に長い可能性がある。大昔なら、神はいると人々は考えていたかもしれない。それが長い年月を経て、神に祈ってもしょうがない、という境地まで至り、もう少しマイルドな信仰へ意識がシフトしていった……なんちゃって。
俺達がいた世界の人々は、たかだか何千年しか強力な宗教の味わいを体験していないから、まだ飽きがきていないだけなのかもしれない。
精霊はヒューマンとエルフの戦争を止めてはくれない。
こればっかりは元いた世界と同じだが、最初から期待しなくていい、という点で、多少は救いがある。
「じゃあ、行きましょうか。フブキさん、はいこれ」
「いや、それはお嬢様が持っていてください」
これ以上荷物が増えるのは御免だ。
――というのは冗談にしても、俺よりは彼女が保持していた方が、姫様に渡せる可能性は高くなるだろう。
変わらず、迷路を歩くだけの時間が続く。
ジェレミー君の脂汗が、少し濃くなったことを除けば。
思っているよりも限界は近いのかもしれない。
俺は、ジュンが申告より少ない魔力しか残していない可能性について考えていた。
それが失礼であるということは承知している。
だが、(認めよう)嫉妬が――そうさせているのではなく、このダンジョンに入ってからの彼女の魔力使用量を一つ一つ思い返していくうち、どうも計算が合わないような気がしてならなくなった。
俺はジュンの魔力量を正確に把握しているわけではない。だが、姫様やアデナ先生との練習風景をまったく知らないわけではないし――その記憶の中から、彼女がバテるまでの長さを、なんとなく測ることはできる。
ジュンはあの人形を壊して楽しむようなメンタルは持ち合わせていない、と概ね認識している。つまり、魔法が強力になるようなことはないし、魔力をいつも以上に引き出せるということもない。一つ前のゾンビに対しても同様だ。
水の供給だって、一手に引き受けたまま。
――三割を切っている。
計算し直す毎に、その結論は強固になっていった。
そして、時間がやってきた。
遠くから――いや、最早かなりの近くから、破砕の音が届く。
俺達は少し歩く速度を上げたが、それに伴って向こうの移動速度も若干上がったように思えた。
すぐ後ろの壁がぶち破られ――それは再び、姿を現した。
全く別の何かが出てきたらどうしようかと思ったが、変わらず、ゴーレムである。
形を見るに、同じ個体だと思われた。
「……また九個ある」
指で数を数えながら、ジュンが言った。
俺が数えてみても、頭部の鉱石が九つに戻っていた。
「どっかで直してきたらしいな」
ジェレミー君は魔法を使っていない。
確かにこれ以上は魔力を消耗しない方がいいかもしれない。
ここを切り抜けた先で、何が待っているとも限らないのだから。
「ずるい!」
「ダイヤが余ってるってことなのか……? ――何にせよ、うらやましいことです」
「言ってる場合か、逃げるぞ。姉ちゃん頼むぜ!」
「はい!」
瞬時に魔力を練り上げたジュンは、惚れ惚れするような挙動で水の弾を分離、射出した。狙うはもちろん人形の下半分にある関節全てである。
命中する。
――と、おそらく彼女もジェレミー君も直前までは確信していただろう。俺にしてからがそうだったのだから。
しかし、結果は、あっさりと――腕部の動きが間に合った。
巨大な岩部分で、うまく覆い隠した形になった。
水弾は、そこを濡らしただけに終わった。
「……学習してんじゃねえか」
と俺は言った。そんなことは見れば誰にでもわかったが、言った。
「で、どうする?」
とジェレミー君も言い、ジュンは気を取り直して今度は少し多めに水鉄砲を撃った。
脚は隠されているので、今度は肩を狙ったようだが――人形の反応の方が上だった。むなしく阻ばれ、そして、頭部の鉱石が三つ輝いた。
「ま、前より動き良くなってねえか?」
彼女は次々と躍起になって水を飛ばすが、ゴーレムの動きは前回よりも洗練されていた。無論、完璧ではない――何度か、腕ではなく手で水の弾を埋め止めた。その結果、複雑に設計されていた指の部分が、何本か洗い落とされていた。
だが、俺達を殴ったり壁を破壊したりすることに関しては、性能を落としていない。
それよりも、ジュンの魔力がいたずらに消耗されていくことの方が問題だった。
「もうやめろ、そこまでにしろ!」
叫んだが、彼女は聞く耳を持たなかった。
肩を揺すられ、ぐいと引っ張られてから、ようやく我に返ったように魔法を止めた。
俺は、飲み水欲しさに彼女を掴んだわけではないと理解してもらえるよう願った。
「……動くんだ」
俺の言葉に呼応するかのように、ゴーレムは腕を下ろした。
もう水が飛んでこないことをわかっているのかもしれなかった。
ジェレミー君は先に走り出していた。そのうち自分が一番遅くなってしまうとわかっているからだろう。今度は前のようにはいかない。あれの足は止められない。
今度は、本気で逃げる必要がある。
俺はジュンから手を離し、後に続こうとした。
すぐに足跡がついてこない。振り返ると、ジュンはまだそこにいて――魔力を放出していた。
「だから、何やってんだ!?」
ゴーレムは歩き出していた。
動きが良くなっている、ということは、歩きが走りに発展することも示唆していた。一秒だってこの場に留まっているべきではなかった――しかし、ジュンは、逆に向かっていこうとしているように俺には見えた。
その懸念は間もなく現実となった。彼女はもう一度、あの岩の塊に取りつこうとしている。俺にはそうとしか思えなかった。そしてそれは今度こそ無謀だった。
あの人形が学習しているのだったら、自分を登ろうとする対象も容赦なく叩き潰せるようになっている。水を防がれてしまったジュンに、わかっていないはずはない。
それとも――現実を受け入れられなくなってしまったのか?
見捨てるべきだ。
俺が出来た人間じゃないのは、あんたもよく知っているところだし――助けに入って何ができるわけでもないから、当然の結論だ。生存本能というのは、自分という個体を助けるために備わっているものだ。当然自分が優先されるべきで、そうでなければその機能が壊れている。
壊れていた。
どうしてか、俺もゴーレムに足が向かってしまう。
恐くないわけではない。矛盾もしっかり認識している。
しかしそれより強く――連れ戻せ、と訴えかける何かがある。
姫様が念波でも送ってきているのではないか、と俺は思った。
彼女のせいにでもしないとやっていられなかった。
ジュンは水を発生させている。登るわけではないのか、と俺は気付いた。だが、おそらくきちんと狙いをつけて人形の脚を撃ち抜く頃には、彼女は潰されているだろう。
それでもやるつもりらしかった。
何が彼女をそうさせるのか、わからなかった。理解できなかった。殺しに興味があるくせに、自分の死には無頓着なのか? 誰かの逃げる時間を数秒稼いだら、それで満足なのか? ただのサイコパスだと思っていたが、そうではないのか?
ゴーレムが拳を振り上げた。
ジュンが水を飛ばした――かつてない勢いで、手の動きと合わせて。
その間に割って入るほどの隙はなかった。
俺は残った魔力の全てを引き出してしまった。そして、それで出来ることもたかが知れていた。少しでも人形の腕を押し退けようと思って、右手をそれに向かってかざした。これは風にはっきりとした指向性を持たせたいという意図もあった。左腕はジュンの身体を抱きかかえた。押しただけかもしれない。俺よりも豊かで、大きな体躯を。でもそれくらいしかできることはなかった。押し倒し、あとはそこに風でブーストをかけて、空中を滑る距離を少しでも伸ばすだけ。横合いから、かっさらうイメージ。
三者の思惑が交錯し、そして結果が残る。
俺とジュンは潰されずに終わり、水はゴーレムの関節を多くはないが削った。
ジュンは俺を乱暴に起き上がらせた。
「行きましょう!」
ふざけんな、と俺は思ったが、逆らえなかったし、その気もなかった。
恐くて後ろを確認できなかった。ただ脚を回転させた。
ジェレミー君が走るのをやめてこちらを見ていた。が、すぐに移動を再開した。
遅れて、人形が地面を踏みしめたのだろう、揺れが追いかけてきた。
あれだけやって、結局動きを止めることはできなかった。
俺は目を閉じ、百歩を超えたあたりでようやく捕まらないことがわかり、振り返った。ゴーレムは歩いていた。しかし、速くはなかった。俺達が走るのと同じか、誤差の範疇としか思えないが、遅かった。満足に歩けていないせいだった。半分引き摺っていると言ってもいいほどだ。そしてそれは、ジュンが関節部の泥を削っていたから実現したことだった。
併走する彼女も、それを確認していた。
「これで少しは楽になります」
と言われた。
「おっまえ無茶すんなよ! もう魔力ねえぞ!」
「ごめんなさい!」
「でも、助かった!」
もし万全の状態でゴーレムが走り出していたら、簡単に追いつかれてしまったことだろう。あとは地獄だ。結果的には、ジュンは正解を引いていたのだった。
しんどいが、これであとは時間切れまで走り続ければいい。
最初の角を曲がると、ジェレミー君が足を止めていた。
どうして、と思い先を確認すると、行き止まりだった。
行き止まり、だった。
「どうすんだ……」
呆然と、彼は言った。
どうしようもなかった。
俺達に壁を破壊することはできない。
上は、おそらく無限に続く空間のままだろう。
これまでも、行き止まりにぶつからなかったわけではなかった。
だから、あのゴーレムと遭遇している状態で進めなくなった場合のことを、気付かないわけがなかった。しかし誰も考えないようにしていた。
どうしようもなかったからだ。
ゆっくりと、揺れが追ってきていた。
俺はその場に座り込みそうになった。気を抜いたら失禁したかもしれない。
まったく打つ手が残されていないわけではないというのが、むしろ残酷だった。
あれとガチンコすればいいのだ。
しかし俺は自分の魔力がもう残っていないのを知っていたし、ジュンのそれもあとわずかしかないことまでわかっていた。
無駄だった。
俺は行き止まり部分の壁にとりつこうとするジェレミー君を見送った。
彼は必死に、無事な方の腕で壁を探り始めた。
他人事のように、半狂乱ってあんな感じか、と思いながら、俺も壁に近づいた。ちらりと後ろを見やると、ジュンが剣を抜いている。対峙する気でいるらしい。
「なあ、気持ちはわかるが、こっちに加わってくれないかな」
と俺は言った。
勝てないだろうが、やってみるしかないと思った。
そのためには病人にだって奮起してもらわねばなるまい。
戦闘経験自体はあるわけだから、俺よりは確実に役に立つ。
彼はこう返してきた。
「無抵抗で死ぬのは嫌なんだよ!」
それはそのまま、エルフに滅ぼされようとしているヒューマンの世相を反映した台詞だと俺は思った。
とりあえず、彼の中では、あのゴーレムと戦うのは抵抗のうちに入らないらしかった。かといって、壁を探るのが抵抗であるとも思えなかったが。
冒険者ならこうなのだろうか?
「なあ、すぐそこまで来てるのがわかるだろ。女の子一人に戦わせて、俺達だけイモ引くわけにはいかんて。違うか?」
俺らしくもない発言だったが、少しでも彼を説得する材料になればと思った。
彼は振り返り、壁を――よほど冷静さを欠いていたのか――怪我してる方の腕で叩いた。思いっきりやっていた。
「うるせえな! 黙ってろよ!」
直後に、痛みが伝わったのか、
「……いってええ!」
さらにその直後、壁の一部が四角くへこんだ。
「――え」
へこみは、それ以上触れていないのに、どんどんその深さを増していっている。
そして、一定のところで止まると、今度は、壁の真ん中から縦に裂け目が入った。
壁が、音を立てて、ゆっくりと、向こう側へ開いた。
その先は闇だった。
隣の通路へ――通じているはずもなかった。
また別のエリアに繋がっている、そう確信できる。
ジェレミー君はこれで当たり前だとでも言うかのように、先へ進み始める。
いつの間にか、隣にジュンが立っていた。
「だから、おかしいでしょ……」
と彼女は呟いた。
「でも、これでまだ少しは生きていられる」
一度振り返ってから、俺は壁の向こうへ足を踏み入れた。
ゴーレムはまだまだ元気だ。




