表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/212

5-12 音の主は

「……近くなってやがる、とは?」


 音は一発で静まらなかった。

 最初ほどの大きさではないが、地響きを伴った断続的な、身体を震わせるほどの()()が――彼方から聞こえてきていた。


「この迷路に入ってどのくらい経ったかわからないが、定期的に聞こえるんだ、あの音。一度にこうなる時間はそう長くない。あとは静かなもんさ。でも、しばらくしたらまた聞こえる。その繰り返しだ」

「何かいる、ってことですか? 音の主が……」

「さあ? そうだったとしても、出くわしたことがないからな。わからない。ただまあ……近くなってるってことは、こっちを探してるってことなのかもしれないな」

「い……」

「あまり喋くらん方がいいかも」


 そう言って、ジェレミー君は口に指を当てた。

 俺は代わりに、魔法でもう少し詳しく音を拾ってみることにした。例のポーズで固まると、彼は怪訝な顔で俺を見たが、魔力を確認するといくらかその反応は和らいだ。

 残りに不安はあるが、情報を増やすためだ。勿体ないということはないだろう……。


 しかし、そうやって音を選り分けてみても――何が立てている物音なのか、さっぱりわからない。かろうじて、どうやら壁が壊れているのではないか、ということまでは見当をつけることができたが、音はそれ以外にも溢れている。

 そのまま何かわかるまで耳に風を入れていたかったが、そもそも空気の動きが極端に少ない空間での()()は効率がすこぶる悪い。粘ってもこれ以上得られるものはなさそうだった。俺は諦めて、二人と同じようにじっと――やり過ごした。


 やがて、五分か、もしかしたら十分ほど経っていたかもしれない。緊張による時間感覚の鈍りが気になりだした頃、ようやく遠くでの物音は止んだ。

 俺達はすぐに動き出そうとはしなかった。いつまでもあの衝撃音が耳に残っているような気がした。さらに二、三分経ってから、ジェレミー君が少し荒く息を吐き出した。


「――で? 何かわかったか」


 俺は首を振った。


「いえ、壁が壊れていることくらいしか……」

「うん。確かにそんな感じの音は毎回してるな。オレは今まで確信が持てなかったんだが、()()()()()と思うか?」

「可能性は、高いかもしれませんね」

「何だろうな……」


 答えを掴むことはできていない。


 議論もそこそこに、俺達は先へ進むことにした。

 先に進んでいると、思い込むことにした。


 ジェレミー君は怪我している方の腕をだらりと垂れ下げたまま、それでも歩みに弱々しいところは見られない。応急手当ても自分でしたのだろうか。どこから都合したのかはわからないが、あのぐるぐる巻きの布の下にはきちんと添え木か、その代わりをする物が当てられているに違いない。吊らないのは、一応激しい動きを想定してのことだろうか――実際、ジュンとの殺し合いに発展しかねなかった。


「あのう」


 と俺は彼に声をかけた。


「何?」

「休憩とか……早めに言ってくださいね。ちゃんと時間取りますから……」

「おう、悪いな。けど、そんなにのんびりしてられないかもしれないぜ。いざとなったら、オレを置いてさっさと逃げた方がいい。恨みゃしないよ」


 言いながら、こちらを見ようともしない。


「はあ……しかし、申し訳ありませんが、我々がここへ入った目的のことを考えると、あなたを置いていくというのは、かなり取りづらい選択肢ですね。確かに状況は厳しいですが、だからといって投げ出しては、全くの無駄骨ということになりますから」

「そうかい? 少しでも負け分を取り返して帰るってのも一つの判断だと思うけどな」

「ニーナさんだって待ってますよ」


 とジュンが振り返って言う。そのまま後ろ歩きを始める。


「そうだな……だが、ニーナが俺のことを大事だと考えるように、アンタらにも大事な誰かがいる。ここでオレに構ってるより、どんどん先へ進んでお姫様を探した方がいいんじゃないのか」


 ――ふーむ。


「その姫様とはぐれちまった今、何の成果も無しに帰るのは耐え難い、って話なんですがね。それに、もう会えなくなったと決まったわけでもない」

「それはその通りだ。問題は、こんな状況下でどこまで希望を持ってもいいのか、ってことだと思うが……アンタ本当はそんな喋り方なのか」

「いいえ」

「ま、何でもいいけど……はっきり言って、オレはアンタらにとっちゃ足手まといなわけだよ。準備万端で来てくれたんならいいが、そういうわけじゃないんだろ? この先、アンタらがオレを気にかけて心中しようと思うくらいなら、自分達だけでも生き残ろうと考えてくれた方が、こっちとしても気が楽なんでな……」


 これは冒険者特有の考え方なのだろうか。それともこの少年の性格か。

 何にせよ、こういう態度で返されると、あまり気分はよくない。


「ジェレミーさんは、どうして冒険家になったんですか?」


 空気に棘が混じったのを察知したか、ジュンが強引に話題を変えようとする。

 何故かそこで、ジェレミー君はジュンの方を見た。そして言った。


「冒険者」

「……冒険者」


 ジュンが復唱すると、彼はそれなりに満足したような素振りを見せた。

 何か譲れない部分があるらしかった。


「別に大した理由はねえよ。商売なら何でもよかったさ。でも、何かを仕入れて売って、っていうのは複雑で難しいからな、あんまり自信がなかった。失敗した時大損しやすいしな。家から離れてやってくんだから、もう少し身軽な仕事がしたかったんだ。体力に自信あったから、外へ出てくようなのがいいと思って――それでこのザマさ」


 ジュンはさらに訊ねた。


「どうして、一人立ちしたかったんですか?」

「……アンタら兄貴の客人だろ? あのお喋りから何か聞かなかったのか」


 代わりに俺が答える。


「まあ、少しは……」

「そういうことさ。オレは兄貴と違って魔法の才能がなかったから……そういう意味じゃ、なるべくしてなったんだよな。親父は先長くねえだろうしさ、あそこはもう兄貴の家なんだよ。ずっと昔から。誰が見たって明らかさ……と言いたいとこだけど、余計なことを考えるヤツはどうしたって出てくる。それでややっこしいことになった家なんざ、うんざりするほど見てきた。となりゃあ、いつまでも家ん中でじっとしてるってワケにゃあいかなくなる。性にも合わねえしな。かといって婿養子なんざ御免だ。出てくしかなかったのさ。それが一番良かったんだよ。誰にとっても」


 ハギワラ家はディーン皇国の名門である。

 余所から来た俺達には力の片鱗しか見えていないが、その影響力は国内においては並々ならぬものがあるのだろう。付き合うだけでもう得する、というような立場の人間がいるのなら、お近づきになろうとあれこれ画策する人間がいるのも道理だ。しかし、それは多くの場合打算や野心に基づく行動だから、碌な結果を引き込まない。誰もが利を()()()()()()とするのなら、尚更。

 それでなくても古来より跡継ぎ問題というものは何かにつけて厄介事を呼び寄せるものらしい。ひどい時には、誰も何も企てていなくても禍を呼び込む。こちらの世界でも、それは変わらないのだろう。積極的に避けようとしたのなら、それは立派な心がけだ――と思うが、さて、今の状況と果たしてどちらがよかったのか。


「実際悪くないぜ、この仕事は。見た目より実力がモロに出るしな。なんだかんだで、やったらやっただけ返ってくる。ただ、全部が全部そうだというわけでもなくて――ツキがないとこうなっちまうんだよな。覚悟はしてたが、いざここまで追い詰められると、なかなか……。さっきはああ言ったが、オレももうアンタらに縋るしかねえ。大いに頼らせてもらうが、でも、駄目な時は駄目だからさ。それだけはハッキリさせたいんだ」


 迷路は、退屈だった。

 ジュンの左手を頼りに進んでいるわけだが、ジェレミー君以降何かが出てくるわけでもなければ、風景に変化もなかった。行き止まりか、先へ続いてるか、右へ曲がってるか、左へ曲がってるか、その両方か――こうして挙げていくと意外にあるが、脳がもっと様々なパターンを欲しているのは明らかだった。

 せめて落ちてきた時にゴールらしきものが見えていれば、それを目指せたのだが……アテがないというのは、想像以上に精神を摩耗させる。


 謎の衝撃音が始まると、それに合わせてしばし足を止める。

 遠くで壁を破壊している()()が知覚能力を持っていた場合、俺達が活動することでそれに引っかかる可能性はかなり高くなるような気がした。それこそ、俺のように向こうも音を拾うことに長けていたとしたら、小さな足音だけでも位置を割り出されてしまうかもしれない。

 家の電気を消してじっと空襲が過ぎ去っていくのを待つように、俺達は息を潜めて衝撃音が過ぎ去っていくのを待った。


 それは相変わらず、近づいていた。


 このエリアでも探索は長時間に及びつつあった。扉の内側へ入ってからこっち、時間間隔は破壊されっぱなしで、最早現在時刻を大雑把にでも把握することができなくなっていた。俺とジュンで認識に齟齬が発生してしまっているし、ジェレミー君に至っては抵抗を放棄していた。彼の場合は自分の怪我というもっと注意するべき問題があるから仕方がないとも言えるが、俺達の認識の違いは深刻だった。俺はまだ半日は過ぎていないと思っていたが、ジュンはとうに丸一日を過ぎたと主張した。そして、お互いに自信があまりなかった。


 どちらの方角へ向けて進んでいるのかもわからなかった。

 目印がないのだ。


 休憩時間は意識して設ける必要があった。

 ついに交代で仮眠を取り、決して多くはない食料も切り詰めるつもりで摂取量に制限をかけた。幸い、水に関してはジュンのおかげで大きな問題には発展しなくて済みそうだった。


「しかし、これは本当に有難いな……水のことはもう諦めてたからな。こんなに飲めるだけでどれほどの違いがあるか」

「お嬢様の魔力を使っていますから、限りはありますよ」

「対価を払って手に入るなら、それはいいことさ」


 最初にジェレミー君を(多分だが)一時間ほど寝かせて、その次の休憩で俺は三十分くらいだけ横になった。まどろみの中から這い上がってきた時、自分がここまでどれだけの時間をかけて歩いてきたのか、全く計算できなくなっていた。何をどう考えてみても、導き出した結論がでたらめであるような気がした。

 さらに次の休憩時間でジュンが寝て、さらにさらに次の休憩時間でジェレミー君がうなされている間、俺と彼女はまた少し議論を重ねた。休憩の感覚がどんどん短くなっていくように俺は感じていたが、彼女は逆に長くなっていると漏らした。正しいのは向こうだと本能は叫ぶのだが、しかし、ジュンも言ってみたはいいものの、自分の感覚に対する疑いを拭えない様子だった。

 きっと、二人とも間違っているのだろう。

 おそろしいのは――二人とも正しかった時だ。


 その間も、一連の衝撃音はその距離を縮めて来ていた。

 俺はその度、少しだけ魔力を割いて音を拾っていたのが、どうも規則正しく近付いてきているように思えてならなかった。ただし、音の発生点と収束点は全然一致していないようにも思えた。定期的にどこかへ近付くように現れては、いいかげんに音を立てて、消えていく。そして別の場所に現れる。その繰り返しなのではないか?

 こちらが一定の方向に動いてない以上、ぴったりくっついてくるには何らかの力が働いていて然るべきだった――が、大した理由もなくこの現象が起こっていることも十分にありえた。だとしたら、ランデヴーは時間の問題だった。


 それを裏付けるかのように、六度目の休憩の途中で、音が活動を再開した。

 それまでは、音が去った後に本格的に休憩を入れていたこともあって、休憩中に音の主が活動をするようなことはなかった。


 だが、ここに至って――向こうも休憩の間隔を変えてきたらしい。


 やはり、さっきよりも音は近くなっている。

 もう何枚も壁を隔てていないのではないかと思えるほど、音と――気配までもが、接近してくるのを否が応でも感じさせる。


「向こうさんは、こっちのことがはっきりわかってるな。もう避けられないだろう」


 と、座り込んだままでジェレミー君が言った。

 そうとも。こちらはこちらで、そこまで必死に避けようともしてこなかったのだ、いや、むしろ――全く打開の糸口がつかめないこの状況下で、何でもいいから変化を呼び込みたかったのかもしれない。

 この衝撃音が不吉なものであることは間違いないだろうが、一度、それが具体的にどういうものなのか、確認してみてもいいのではないか――そう思えるほど、手詰まりであることは確かだった。


 ジェレミー君は無事な方の手を床について、そこへ向けて魔力を集中させた。


「つきのてに、とどまるあめの、あたらしく」


 五・七・五だった。

 それが呪文(スペル)であると気付く頃には、彼の魔法はその効果を完了していた。

 彼の腕は再びあの鎧に包まれ、手にはしっかりと太刀が握られていた。そして、手をついていたはずの床は、ほんの少し、薄く――削れている。

 土魔法による()()なのだろう。

 とんでもない効率だ、と一瞬思ったが、おそらく彼はあれ以外に魔力の使い道がないのではないか? 鎧も同時に作れるのならば、全身覆ってしまった方が得だ。

 才能、という言葉が頭をよぎる。

 あれが、彼の精一杯の魔法なのか――。


 ジュンも無言で剣を抜き、これから起こる事態に備えている。

 俺も渋々、短刀を握った。

 十中八九、戦闘だ。ここまできたら、そうだろう。

 何かが、やってきている。壁を壊す力を持った、何かが。


 四枚ほど向こうの壁が破壊された。俺はできるだけ固まらないように立ち位置を変えた。高さで言うと三分の一から半分ほどは確実に抜いてきている。音からわかる数少ない情報だ。真正面に建っていたせいで、崩れてきたものに埋もれて終わりじゃ間抜けすぎる。風で吹き飛ばせる重さには限度がある。今は特に。


 三枚目。これは確信を持てる。

 同時に、急に正確なカウントダウンが始まったことに気付いて戦慄する。


 二枚目――。


 一、


「いィヤッ!」


 裂帛(れっぱく)の気合と共に、ジェレミー・ハギワラは太刀を(はし)らせた。

 一瞬遅れて、彼の正面にある壁が弾ける。

 その破片の一つ一つが、彼よりも大きい。

 飛んできた二つを、弧状の金属がなぞった――ように見えた。

 どういう手品を使ったのか、瓦礫はそれで、彼を避けて通ることにしたようだった。

 周囲にそれらがうず高く積まれていく。


 俺は出現した物を確認した。


「これか……!」


 体躯は、壊した部分を通り抜けるのにはあまり苦労しない大きさである。

 大体俺を三人か四人並べれば届くかと思われるが、前傾姿勢なので正確なところはわからない。バランス自体は悪くない。腕部が異様に太いことを除けば。脚部もそれらを支えるためにかなりしっかりと作られている。

 ほとんどが岩だと思われるが、頭部に輝く鉱石があしらわれている。また、関節部と思われる箇所はどちらかといえば泥や粘土質の素材で、柔軟に動かせるはずだ。


 話には聞いていたが、実際に見たのは初めてだった。

 それは、土魔法の典型的な系統の一つと言われている。


 複合素材による、ゴーレム(土人形)だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ