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 三人いた。

 誰かに会えたということを喜びたかったが、近寄るにつれ、むしろ悲しむべきかもしれないと気付いた。


 まず、三人いるだけで、()()()というわけではないようだった。

 紛れもなくヒューマンなのだが、肌の色が異常に白く抜けている。地底人だから色白だとか、そういうのとは違う。蝋人形の方がまだしも温かみがあるのではないか、と俺は思った。絶対に腐らない環境で死後何日も経ったらこうなるのではないか、と。

 もちろん目の焦点も合っていなかった。それぞれが好き勝手な方向をじっと見つめたまま、決して移ることはない。

 それでいて、真っ直ぐ、こちらへ近づいてくる。明らかに前方を視認できていないはずの個体も含めて、真っ直ぐ近づいてくる。


 内訳は、旅人風のが一、兵士らしいのが一、街中で見かけるような子供が一。


「あのー……、すいませーん……」


 駄目だろうとは思ったが、一応声をかけてみる。

 反応はない。ゆっくりと、ただ近づいてくるだけである。

 俺は足を止め、ジュンと顔を見合わせた。


「どう思う」

「……道を譲る?」

「それは別に構いませんが、さて、ここを通りたいだけなのかどうか。……大体、どこからやってきたんだ? どうしてもっと早く見つけられなかった……?」


 珍しく、一本道がずーっと長く続いている地帯だった。

 相変わらず上と下はごちゃごちゃしているし、そこへアクセスするための勾配や階段が両隣にいくつも走っていたが、俺達が今いるここは直線が続いていた。


「とりあえず、ロープはもう外しておきましょうか。邪魔になるかもしれない」

「そうですね。仕舞います」


 俺達はいそいそとロープを畳んだ。


 もし――敢えてこういう表現をするが――彼らが向こうから()()()でやってきたのなら、俺はともかくジュンがここまで接近する前に気付いたのではないか。

 またぞろ厄介ごとが起ころうとしている――そうとしか思えなかった。


 もう一度、声をかける。


「あのー! 小柄な女性と、セーラムの士官を見かけませんでしたか!? はぐれてしまったのですが!」


 やはり、反応なし。


「あまり話は通じないみたいだな」

「まったく通じないような気が……」

「引き返した方が無難かな」


 ジュンは後ろを振り返った。そして、


「あっ」


 と声を上げた。


 俺も振り向き、


「あ、うわ……」


 今度は五体を確認した。

 老爺が二、兵士も二、身なりだけは綺麗な女性が一。


 気付かれたことがトリガーだったのか、突如、彼らは猛然と走り出した。

 視線や顔の向きは固定されたままである。

 前方の三体を再確認すると、同じように全力で疾走している。

 兵士に至っては剣を抜いていた。


 挟み撃ち――。


「フブキさんは前を!」

「お、おう!」


 ハギワラ邸から借りてきた小刀を抜く。

 ジュンはセーラムより持ち込みの剣に手をかけた。槍や斧という選択肢もあるにはあったが、携行性を考慮すると、やはり鞘のあるものに落ち着いたようだ。

 そのまま一気に距離を詰め、先頭の兵士へと躍りかかって初太刀を受け流し――首を落とした。


 血は、噴き出しもしなければ、流れることさえなかった。


 俺も前へと向き直って、三体を待ち構えた。

 まず、単独で旅人が突っ込んできた。腰を深く落として、両手を軽く広げている。俺を押し倒すつもりか――見切って、脇に避ける。すれ違いざまに背中を斬りつけるが、やはりこの個体も血は流れない。裂けた服の先の傷は上手く確認できなかった。

 旅人は素早く切り返して、今度は殴りかかってきた。こちらが武装していることを問題だと思っていないようだ。もちろん、斬られたことさえも。

 まるっきり見当違いの方向へ顔を向けたままなのに、狙いはかなり正確である。足の運びもしっかりとしている。まるで、首から上の時間だけが止まっているような――。


 だが、元が素人だからなのか、そこまで脅威には感じない。

 俺は旅人と重なり、そして、肩へ刀身を押し付けた。

 思ったよりも小刀の斬れ味はいい。すっぱりと右腕を落とした。


 しかし、バランスを崩しただけで、一向に動きを止める気配がない。


「マジかい……」


 残った左腕を、今度は大した勢いもないままに振り下ろしてくる。

 俺は身体の軸をずらし、試しに刀の柄で旅人の頭を()ってみた。

 一瞬のよろめき――そこへ、()()()の蹴りを、押すように放った。

 五体満足なら、それでも上手く押し(とど)まれたのだろうが、風圧と右腕の欠落は旅人の身体の支えを十分に奪い――足を踏み外させた。

 彼は直下にある少し幅広い通路の端へ激突し、さらに落ち、同じようなことを三回ほど繰り返した後、俺からは見えなくなった。


 その頃には、装備のせいか少し遅れがちだった兵士の個体が追いついた。悪いことに、子供の個体と足並みを揃えて。


 兵士の持つ長剣は俺の小刀と比べると、かなりしっかりしていて戦いに向いている。正面からまともに打ち合うのは得策ではないように思われた。体格もあちらの方が恵まれているので、その点でも不利がつく。おまけに、背嚢を始めとした荷物が邪魔をして、こちらの動きはどうしても鈍くなる。


 などと考えているうちに、兵士が上から覆い被さるように剣を振り下ろせる距離まで詰まっていた。派手に転がって避けられれば確実だが、そんなことをすれば下へ落ちてしまうのも確実。仕方なく、俺は風で兵士の刀身を押しながら、できるだけ少ない動きで空振りさせることにした――これは成功した。

 しかし、ここで出来た隙を生かしてどう攻撃すればいいのかがわからない。さっきの様子から考えるに、多少傷つけたところで些かも効果は無いのだろう。物理的に動けないよう肉体を壊して初めて有効打になると言える。

 相手はガチガチにではないが鎧で保護されている。かなり斬りづらいことは確かだ。隙間を狙って刺し込むにしても、それで動きが止まらないのならこちらが逆に捕まってアウト――そうだ、姫様がいないからワンミスでもアウトだ。

 急所を狙うしかないのか、そもそも本当に急所が急所なのか、わからない。


 判断に時間をかけすぎた。

 兵士の陰に隠れていた子供が躍り出て、ぴんと固定した二本の指を、俺の眼球めがけて目の覚めるような速度で伸ばしてきた。子供は真横に首を曲げている。

 小刀をそちらに向けざるをえなかった。人差し指と中指の間に刃が食い込んでいき――それがきちんとあるとすればだが――手首の骨で止まった。


「――やべ」


 これこそ俺が恐れていたことだった。この、痛みを大して感じていないらしい相手に、こうして()()()()()()のが――。


「くそ!」


 挙動が不気味なせいか、そのまま子供を倒して踏むところまでいっても、あまり良心の呵責がなかった。小刀を引き抜いて、蹴り飛ばす段になってから逡巡があって――結局はそうした。そうしなければ()()()()()()()ということがよくわかっていて、実行するしかなかった。


 転げ落ちていくのを確認する余裕もない。俺は兵士に向き直り、


「フブキさん!」


 すんでのところで、横薙ぎに振るわれた長剣へ小刀を合わせた。

 だが、勢いまでを殺すことはできなかった。踏み外しこそしなかったが通路の淵まで追いやられ、さらに金属の重みが腕を襲った――痺れた。

 体勢を立て直そうとするも、腕だけがついてこない。

 兵士は余裕をもって、もう一度剣を振り下ろした。

 簡単に走馬灯が流れ始めた。しかも、嫌な出来事ばかりを凝縮したやつだ。こんなクソな記憶を反芻しながら死ぬのか、と俺は思った。もっと幸せな出来事もたくさんあったはずなのに、印象に残っているのは逃げ出したくなるほど恥をかいた場面や、避けられたはずの洒落にならない失敗なのか、と。

 その走馬灯へ割り込むように謎の物体が――よく見るとナイフが――飛来して、兵士の頭部と右手に刺さった。

 一本目に効果は無いようだったが、二本目は剣の動きを鈍らせることに成功した。そして、俺が致命傷をもらう前に――随分な質量の水が、兵士を押し流した。

 彼もまた落下したが、四段階くらい下の通路に着地したらしい。

 それを覗き込んでいると、ジュンが駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか?」


 差し出された手を取り、立ち上がる。


「ああ……助かった。ホントに助かりました。マジで死ぬところだった」

「あんな急に動くものだったんですね」


 俺は刀身を確認した。血糊も、脂さえ付着していないように思えた。


「紙でも切ったのか……?」

「首を落としても、普通に動いてました」

「――何?」


 後方を見る。ジュンは五体を全て落としたらしかった。

 通路の床があちこち濡れている。


「よくわからないですけど、そういう魔法がかかっているんでしょうか」

「手応えも、全部じゃないけどスカスカだ」

「というより、生き物を相手にしている感じが……」


 その通り、敵意というものがまるで感じられなかった。

 機械のプログラムを相手にしているようなもので、ただ条件に従って反応を返している何か――殺すための行動をしているが、殺そうと思っているわけではない、そういう雰囲気があった。動き方といい、表情のない顔といい、不気味で仕方がない。


「殺した感じがない?」


 明確に問うたわけではないが、彼女は肩を竦めた。

 物足りなかったのかな、と俺は思った。


「これも罠なのか……?」

「さあ……でも、とりあえず、これで終わりじゃないみたいですよ」


 ジュンが遠くを見ている。

 そして、俺もそれを確認した。

 さらに前方から八体――後方からは、パッと見て二桁を超えていた。

 数えるだけ無駄だろう。


「助けてもらってアレなんですが、ここからはあまり魔法を使わない方がいいかもしれませんね――キリがなさそうだ」

「進みましょう」


 俺達は彼らに負けないほど走らなければならなかった。

 前方のお邪魔者達を蹴散らしつつ、追跡者達も撒く必要がある。

 こんな狭い通路で障害物を薙ぎ倒していくのは容易ではないが――そこはアデナ先生と姫様の仕込みが功を奏した。ジュンはまるでそういうゲームであるかのように、青白い人々を次々と通路から落としていった。剣を鞘に納め、殆ど打撃武器として用い、押し出すことを基本戦術に道を切り開いていく。俺もいくらかは手伝ったが、出しゃばるよりも好きにやらせた方が効率のいいことに途中から気付き、戦闘は彼女に任せることにして、観察に努めた。


 誰もが真顔で、正面を見ておらず、しかし何らかの方法で俺達を把握している。運動性能や戦闘能力に関しては見た目に準拠している。兵士は兵士の強さで、老人は老人の強さしかない。但し、女子供の個体でも、か弱いなりに()()()されている。

 ゾンビが連想されるが、あそこまでウェットではない。しかし、生ける屍という観点から見れば、大した差はない。

 動きに関しては、それほど秩序だってはいない。数を頼りにしている割には、協力し合うという発想は彼らにはないようで、目指すところが俺達二人であることは共通していても、バラバラに仕掛けてくる。そこさえわかっていれば、少なくともジュンにとっては(さば)くことはそう難しくない。所詮は散発的な攻撃に過ぎない。


 彼らはこのようなものとして生み出されたのか、それとも元々ヒューマンだったのがこんなことになってしまったのか――どちらにせよ、俺やジュンの魔法に相性がいいとは言えない。エルフではないから、それほど強力にぶつけることができないのだ。そして怒りを呼び起こすような存在でもない。恐怖や戸惑い、ほんの一欠片の哀れみを感じることはあっても、怒りまでは繋がりようがない。

 ジュンも、殺せるような相手ならば魔法に張り合いも出るのだろうが、最初っから死んでしまっているような手合いには、そそられないのだろう。俺が風で押していくのと同じように、水で押していくことは容易だろうが、水だけでズタズタにできるほどの出力は得られまい。魔力は温存した方がいいだろう。


 思った通り、前方の八体を処理しても、すぐにおかわりが倍くらいの量で現れた。

 それだけではなく、別の通路にも彼らがちらほらと現れ始めている。出現の瞬間はまだ確認できていない。目を離し、次に注意を戻すと、もうそこにいるのだ。後ろを振り返れば、追跡者達もどこから合流したのか数を増やしている。


「どんどん増える――」


 ジュンは処理のペースを上げた。おかわりの一団を片付けた頃、ようやく一本道が終わり、三択の分岐点に差し掛かった。どれもが彼らで埋め尽くされていた。


「一番少ないところへ進もう」


 しかしそれでも、さっきまでとは比べ物にならないほどの人数が行く手を阻んだ。

 ほとんど進むことができなくなった。ジュンが彼らを蹴落とすよりも早く、彼らの増援が到達していた。今や上の通路から次々に彼らが降ってきていた。

 追跡者達に追いつかれた。ジュンはもう手一杯で、こちらの相手は俺がするしかなかった。最早節約のことを考えるわけにはいかなくなった。できる限り使わないようにとは思うのだが、いくら連携が取れていないとはいえ、面で制圧されれば手数は向こうの方が多い。一度に三体相手しなければならないような状況が続くと、どうしてもそのうちの一体は風で押すなり留めておくなりしなければ、対応が追いつかない。悪ければ二体吹き飛ばす。ジュンが水を使う音も聞こえる。


 じりじりと、退がる。退がるしかない。そうしなければ飲み込まれる

 俺は悲鳴のような声を上げていた。


「お嬢様! このままだと――」


 少しの間、返事はなかった。

 しかし、やがて、大きな水流の生み出される気配があった。

 俺は少し無理をして空気の壁を作った。彼らが殺到している状態を、何十秒もこれで押さえるのはしんどい。

 振り返ると、ジュンは先程の水流で一気に数十人を落としたらしかった。

 そして――通路から外れた空中に、水の塊を停滞させていた。

 跳躍して、その上へと乗った。


「――こっち!」


 二つ目の水の塊を少し下へと発生させ、ジュンはそこに降りた。さらに三つ目も。


「か、階段か!?」

「早く!」

「――ええい!」


 他に選択の余地もない。俺はおっかなびっくり、即席の水面へと降り立った。

 二段目、三段目――俺が離れたそばから、ジュンは魔法を解いて液体の足場を崩してく。空気の壁を消した。流石の彼らも、虚空へ飛び込んでくるほど無鉄砲ではないようだ。ジュンはどんどん足場を作って、下へと進んでいく。俺は必死にそれを追いかけていく。かなり集中を割いているのか、水の塊はひどく揺蕩(たゆた)っている。踏むと少し沈む。頼りないが、今はこれに縋るしかない。


 三番目くらいに近い通路へ、俺達はひとまず辿り着いた。しかしすぐさま両側から彼らが押し寄せてくる。


「駄目だ……」

「諦めないで。まだ逃げ道はあるはず」

「でも、いつかは魔力が――」


 ジュンは再び階段を作成し始めた。ついていくしかなかった。


 彼らの増加が止まる気配はない。通路のどこからでも発生し、可能であれば上から降ってくる。俺達は安全に進めそうな通路を空中から探したが、もうどこもかしこも彼らが占拠してしまっていて、近寄ることさえ難しくなっていた。

 ジュンはもうほとんど下へ降りていくことだけを目的に階段を作り続けているようだった。果てはあるのだろうか、と俺は思った。無限に通路の組み合わせが続いているのではないか、と。


 一本だけ、それほど彼らの多くない通路を発見した。

 ジュンの階段は、揺らぎをさらに強くしていた。集中力が切れて形を完全に維持できなくなるのは時間の問題だった。


「一度立て直した方がいい!」


 俺がそう言うと、ジュンも同じことを考えていたのか、その通路へと水の塊を誘導していった。久々に固い足場を踏みしめ、束の間の安堵を得る。すぐさま彼らの相手をしなければならないとわかっていても――それか、また無理矢理空中を歩くか。


 通路に、大きな亀裂が走った。


 彼らの中の一際大きな個体が跳んできたからだ、ということを認識した時には、もう崩落は始まっていた。ジュンが、俺を抱きかかえるようにして掴んだ。俺も、ジュンを抱きかかえるつもりで掴んだ。同時に、水の足場が作られる――が、今度は上手く形にならない。周囲にある他の通路はどれも、この状態ではあまりに遠すぎる。風で少しでも落下を制御できないかと俺は苦心した。ジュンも、再び水を発生させた。通路がいくつも視界から過ぎ去っていく。水の塊――今や俺達を濡らしながら一緒に落ちていく水の塊。一秒に十も二十も数えられる通路。掴んでも滑り落ちていく水の塊。


 唐突に闇の中へ入った。

 もうここからは通路が続いていないからだと――途切れたからだと、俺は思った。


 俺達は闇を落ち続けた。

 そしてその闇も途切れた。

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