5-7 散歩に行ってもいいですか
フォッカー氏は取り乱しはしなかった。
代わりに、努めて平静を保とうとしているように見えた。
「――どういうことなのか、説明してもらえますね?」
少女は小刻みに頷いたが、まだパニック状態から立ち直っていない。なかなか話し出すことができないまま、妙な間が生まれてしまった。
「……とりあえず、もう一杯お水を差し上げてみては」
「確かにその方がいいかもしれません。――すまないが、汲んで来てくれないか」
とフォッカー氏が使用人に声をかけると、代わりにその後ろから返事がきた。
「代わりにこちらで用意いたしますよ」
廊下の向こうから、姫様とジュンがやってきた。
「ゼニア殿下……」
「何やら大変なご様子ですね。よければ一緒にお話を聞いても?」
「は、はい、それは……起こしてしまい申し訳ありません……」
「いえ。ほら、ジュン」
「ほぁい」
ジュンはまだ眠たいのか、少し目を擦ってから柄杓を受け取って、水で満たした。
「どうぞ」
少女は躊躇せずに再び柄杓を空にした。
俺などはこのジュンから発生した液体を飲むのに初め少なからず抵抗があったが、こうして警戒もされず受け入れられるのは希少ではあっても魔法家が一般に認知されているためだろう。まあ、気にするどころではない精神状態に少女が置かれているのも確かではあると思うが……。
三杯目は必要なさそうだった。これでようやく少女は落ち着きを取り戻し始めた。
「これで少しは話せるようになったかしら?」
と姫様も屈み込んで訊ねた。
「はい……。ええと、まずわたしの名前はニーナといいます」
さて、彼女曰く、ジェレミー・ハギワラ君にとっては国から出されたお触れのことはどーでもよかったらしく、彼を中心とした冒険者グループは兼ねてより計画していたダンジョン(便宜上ね、便宜上)へのアタックを実行に移した。
ジェレミーにとっては降って湧いた一攫千金のチャンスよりも、予定通りに仕事を進めて確実にリターンを持って帰ってくることの方が大事だったのである。何より、金剛石を見つけられるだけのネタを、周囲にいる同業者の誰も掴めそうにない状況だったということもあり、所詮はお上のくだらない道楽との見方が強かった。どうやら依頼を出すのはあまり有効な策ではなかったようだ――残念だが仕方ない。
話がこじれたのは三日ほど前である。ジェレミーのチームは以前から不仲だったまた別の冒険者の一団と、どうやら計画が被っているらしいということに気付いた。違っていたのは、その一団が金剛石を目当てに件のダンジョンへ潜ろうとしている点だった。
そのダンジョンは全く手つかずの新品という話だった。だからこそジェレミーは利益を見込んで情報を買ったし、見つけ屋もジェレミーのチームなら高く買い取ってくれるだろうと踏んでネタを持ち込んだ。それなりに誠実で質を重視する見つけ屋なら、みだりに情報の多売はしないものらしい。同じ情報を掴もうが早い者勝ちが鉄則の冒険者業界とはいえ、やはり縄張り被りは歓迎されない。
ジェレミーが見つけ屋を問い質すと、その一団は初対面のくせに何でもいいから未通女について売ってくれと失礼な態度で、しかもえらくしつこかった。あんまり鬱陶しいので渋々件のダンジョンについて漏らしたところ、なんとジェレミー達の三倍の値段を提示したと言うのである。その一団は手当たり次第に未踏査ダンジョンを情報を買い漁って、金剛石の報酬で全てペイする方針らしい。
確かに、金剛石は地中深くに眠っているものである。立派なものなら尚更。潜っていくタイプのダンジョンに狙いを絞るというのはちょっと合理的に聞こえなくもないが、しかしあの依頼を知る大部分が冒険者である以上、誰もが思いついてはいたことである。思いつき、考え、そしてやらなかった。それはアテもなく砂粒の中から金を探すようなものだった――と喩えると、砂金を知っていれば意外に簡単だと取られてしまうだろうか。これまでのパターンから考えておそらくディーンにも同じような文化があると思われるが、どうあれ、どこで砂金が採れるのか特定する段階から始めている以上は、困難であることに変わりあるまい。
少なくともジェレミー達から見て、それは無謀だった。
見つけ屋もそう考えていた。評判も大体そのように落ち着いていた。
一方、その一団もまた、ジェレミー達が同じ場所を狙っているのに気付いた――というより、見つけ屋から聞いて知っていた。ただ、そこまで急ぐ必要はなかった。彼らの基準で考えると、ジェレミー達は何をやるにしても何処へ行くにしても、支度をじっくりやりすぎていた。念入りなのは美徳ではあるが、その分(良く言えば)フットワークの軽さでは彼らが有利だった。彼らがちょっと急いで支度を整えてしまえば先手を取れる可能性は高く、その裏付けがないわけでもなかった。ジェレミー達の方針から考えると、まだたっぷり一週間近くは下準備にかけることが予測された。
なのでジェレミー達は先手を打って予定を一週間早めた。
――ことを見越して、その一団はジェレミー達よりも一日早く出発した。
流石に裏をかかれたが、行き過ぎた競争は双方に準備不足を生んだ。
加えて、ダンジョンは――遺跡は、手強かった。
ジェレミー達は、とうとう、先に入った一団の痕跡を、ダンジョンの中からは見つけることはできなかった。
危険なのが当たり前のダンジョン探索とはいえ、これは異様だった。
同時に、心細さを感じさせもした。
一番乗りが一番お宝を持ち帰れる可能性がある。しかしその反面、偉大なる先駆者の屍が大いに攻略情報を含んでいるケースも多い。装備も完全でないジェレミー達にとって、頼りにしたいのはそこだった。一日早く乗り込んだ彼らの憐れな姿を確認したかった。だがそれは見つからず――それでいて、まだ生きている可能性は万に一つも残っていないと思われた。
審判の時が来て、ジェレミー達はバラバラに引き裂かれた。
ダンジョンは冒険者のミスに対して容赦なく裁きを加え、決して安直に肉体を引き裂いたりなどはしなかったが――チームを分断した。
最終的に少女ニーナは、唯一姿の確認できる仲間であったジェレミーが穴の中に落ちるのを見た――自分も穴に落ちながら。
それが脱出口であったことは、彼女の幸運をよく表しているといえよう。
「その後のことは、何も」
「なんということだ……」
俺も今更、フォッカー氏の感想を疑おうとは思わなかった。
少なくとも何かに追われているかのように話すニーナ嬢が芝居をしているようには見えなかったし、結局ここまでしてどういう罠が成立するのか思いつかなかった。そろそろ、自分でかけたフィルターを頭から取り外さなければならない。
「だから、今ジェレミーが生きているかどうかまでは、わかり、ません……他のみんなも、どうなったのか……でも多分、出てくることができたのはわたしだけで、どうしたらいいのかわからなくて、とにかく誰かにこのことを伝えなきゃと思って、ジェレミーが出発の前に……珍しく実家のことを話していたのを思い出しました。そんな名門の出身だったなんて全然知らなくて、でもそれなら、もしかしたら力になってくれるかもしれないと思って、それで……!」
ニーナ嬢は顔を上げ、縋るような目でフォッカー氏を見た。
フォッカー氏もそれを受け止めはしたようだが、ものを言わぬ背中が彼もまたどこかに助けを求めていることを示していた。
少女は再び俯いて続けた。
「そこまで遠くないんです。隠れてはいますが、歩いて半日ほどの距離です……ここへ来る途中で運良く馬を借りることができましたから、最初から乗れるなら急げば四刻ほどで着くかもしれません」
だから救助隊を出せ、と直接には言わなかった。
だが必要とされているのはそれだった。
問題は、実際に出せるかどうか。
フォッカー氏は即答しておらず、それがそのまま答えということになるのだろう。
「……邸内にいる兵を全て集めれば、なんとか先遣隊にはなるでしょう。ですが、その先は私と父で都まで出向く必要があります。手続きを経て、それから正式な救助隊が編成されますが、全員が馬に乗れるのかまではわかりません。専門家である冒険者が行方不明になるほどの遺跡で満足な活動も望めないと考えると、果たして、どれほどの、時間が……」
「――そんな……」
もし、単に危険に巻き込まれただけなら、もう少し腰は軽く上がるものだったのかもしれない。だが、彼らは――冒険者は望んで危険へと足を踏み入れ、そのリスクと引き換えに飯の種を持ち帰る職業だ。とはいえ肉親としては当然助けたい場面、仮にもう死んでいたとしても、その亡骸を持ち帰るためなら八方手を尽くす所存であるに違いない。それが自然に生まれる感情だ。
しかし一方で、こうして危険の彼方へ消え去ってしまうのもまた、冒険者の一側面なのだろう。用意されてこそいないが、彼らは遺跡へ入った時点で同意書にサインしているのだ。覚悟はとっくの昔に済ませておかなければならず、下手をすれば死ぬということは、頭に入っている前提で稼業が成り立っている。言い訳を聞き入れてくれる誰かがいるわけでもない。兵隊が事実上常に殺し殺されと隣り合わせであるのと同じことだ。
都合のいい時だけ泣きつくのは、理屈としては通らないのだ。自己責任の世界では。
――自己責任。自己責任、か。
多分、そこまで無理をしなくても、ハギワラ親子は人を動かせる。こんな時間に方々を叩き起こして回ることが可能な程度には力を持っている。
だが、だからこそ、その立場がそうはさせないはずだ。
あくまで可能であるだけで、その行動がどういう結果をもたらすのか、フォッカー氏は頭のまだ冷静な部分で考えたはずだ。
例えば、全く成果が上がらず、いたずらに行方不明者を増やすだけに終わったら?
逆に、ジェレミーを含めた行方不明者が皆生きていて、反面救助隊に二桁三桁の犠牲者が出たら?
そもそも、救助不要であるはずの立場の人間を救うために兵を動かしたことに対する説明はどうする?
これらの責任は、もちろんハギワラ親子が取らねばなるまい――システムが捻じ曲がっていないのなら。
家を出て行ってしまったジェレミー・ハギワラという肩書きも、事態を複雑にしていることだろう。
端的に言うと、非常事態だからといってそう簡単に動けるわけではない……のだ。
そして、それがジェレミーを見捨てることへの真の言い訳にはならないのだ。
フォッカー氏もそれはわかっているだろうから、敢えてニーナ嬢の非難が混じった呟きに対して何も言わなかった。
「あなた、本当にジェレミーのお兄さんなんですか……!」
しかし、続いたその言葉に対して、フォッカー氏は瞬時に目を剥いて怒鳴り返した。
「――できるならもうここにはいない!」
空気が張り詰め、ニーナ嬢は萎縮した。
俺はおそるおそる言った。
「あの、同じ冒険者に救助を頼むというのは……」
フォッカー氏の代わりに姫様が答えた。
「この時間に引き受けてくれるならそれもいいと思うけれど、少なくとも店は閉まっているでしょうね」
そこをなんとか起こして、説明をして、受けるかどうか決めてもらって――遅えな。
「生きていたとしても、今この瞬間に死にそうな目に遭っているかもしれない! そんなことはわかっている。一瞬一瞬が惜しい! だが、確実に助けられる保証など皆無に等しい。遺跡探索のできる兵を連れて行けるかどうかもわからない。そうでなければきっと惨いことになる。運良く精鋭が揃ったとしても、遺跡が危険であることには変わりない。ジェレミーを死なせたくなどない、当たり前だ、だがジェレミーを助けるためにどれだけ死ぬのだ!? 私にはそんなことはできない……!」
痛ましい叫びだった。
だが、その痛みを共有できるほど、俺はフォッカー氏にもニーナ嬢にも親しくない。彼らにとってジェレミーが窮地に陥っているか窮地から転げ落ちた状態ははまさに自分のことのように衝撃的なのだろうが、俺達はあくまで部外者であり、その様を文字通り傍観するしかない――。
と、思っていたのだが、
「じゃあ、私達で助けに行ってみましょうか」
姫様は簡単にそう言った。
「いや、……いや、いや、そういうわけには……!」
一瞬固まった後、フォッカー氏は首を振り、手を頭に当てた。
「姫様、今危険だって話を……」
「でも、現状一番身軽に動けるのは、私達だけだと思うけれど」
「――そりゃそうかもしれないですが、しかしねそりゃあちょっと暴論……」
「そうです! いくらなんでも同盟国の姫君にそのようなことをさせるわけには、というより余計にそのようなことをさせるわけには……」
俺もフォッカー氏も何を言っているんだか怪しくなってきた。
代わりに、ニーナ嬢が息を吹き返したかのように叫んだ。
「お、お願いします! どうかお願いします! ジェレミー達を助けてください! お礼はわたし達にできることなら、いくらでもしますから!」
「――だ、だめだ! 駄目だ! この方はセーラム王国の第三王女、ゼニア・ルミノア殿下なのだぞ! 断じてそのようなことをさせるわけには、」
「――え、あの、ゼニア・ルミノア……?」
俺は顔を手で覆った。これは逆効果だフォッカーさん。
「あら、私の名前も少しは売れたものね」
ニーナ嬢は今や目を輝かせんばかりに姫様を見つめている。
俺も何か言おうかと思ったが、多分もう話の流れは変わらないだろうからやめた。
眠いし。
「なりません! もしそれで殿下に万が一のことがあったら、陛下に何と申し開きすればいいのか……いや、それで済むような話ではなくなる。国同士の問題に……いや既に問題だが……」
「ふーむ、そうね。確かに私としても問題が上の段階へと発展していくのは望ましくありません。わかりました、救助に行くのはやめましょう」
「そ、そうですか……いや、わかっていただければそれで」
フォッカー氏の気が緩んだのも束の間、
「その代わり、目が覚めてしまったので、少し従者達と散歩へ出ようと思います。こんな時間に悪いのですが、人数分馬をお借りしても構いませんね?」
「え、いやそれは……」
「構いませんね?」
「いや、いや! 申し訳ございません、お貸しできません!」
「そうですか? 夕食の前に厩舎の様子を見ましたが、馬が病気をしているわけでも長期の休息が必要なわけでもないように見受けられましたが」
「その通りでございます。しかし、お貸しすることはできません。理由は、言葉にせずともわかっていただけると期待いたします」
「……そうですか。感心できませんね。では、このことを然るべき場所に報告し、然るべき処置を取っていただくということで構わないということですね?」
「それは、……いえ、甘んじて受けましょう。とにかく、お貸しすることはできません。できれば徒歩での外出もお控えくださいますよう!」
俺は言った。
「……やめといた方がいいすよ」
多分ジェレミーを助けるために色々と投げ打った場合と天秤にかけたのだろうが、釣り合っていないし、正しい方に傾いてもいないと思う。
「仕方がありません。頼む人を変えましょう。――そこのあなた、とりあえず十頭見繕うように頼んで来て頂戴。それから選ぶわ」
姫様がずっとおろおろしっぱなしの使用人に声をかけると、彼女は点Pにベクトルを与えられたかのように廊下を駆けて行った。しかし角を曲がる前にちょっと悩んで、フォッカー氏の方を見て、彼が愕然としているのを確認した後に、消えた。
「さて……ニーナと言ったかしら。あなた、この辺りの地理には詳しい?」
「いえ、あまり――あ、違います。すごく詳しいです、わたし!」
「そう、では悪いのだけれど道案内をお願いしてもいいかしら。できれば案内してくれた先にもついてきてもらえるとありがたいのだけれど」
「あ、……それは……多分足手まといになるだけですから、わたしのことは置いて行った方がいいと思います。でも、お願いします!」
別に疑ったとかそういうわけではなくて、単純に疑問だったので俺は訊いた。
「どうしてですか? 同行してもらった方が、私達は明らかに助かるのですが」
少女は脚衣の裾をめくって、紫色に肥大した足を俺達に見せた。
「折れてます」
はよ言えよ。
「どうやってここまで来たんだ……」
と思わず俺は呟いた。
「馬に乗るまでは痛みで死ぬかと思いましたが、ジェレミーは本当に死んでしまうかもしれないんです! お願いします!」
「ところで、折ったのはどのくらい前のことかしら」
姫様は魔力を放出し、そこに触れた。
それで、戻った。
「これで歩けると思うけれど」
ニーナ嬢は目を丸くしている。
「もう、ついでですし、疲労も戻してさしあげたらどうです」
「今から出かけるのよ、さすがにそこまで魔力を割く余裕はないわ」
「そうですか……」
俺は頭を掻き、大きな欠伸を一つやって、それから歩き出した。
「どこへ行くの、フブキ」
「デニー起こしてきます。手は多い方がいいでしょ……」




