5-6 かつて
「まあ、丁度よかった、ということなのかしらね」
屏風越しに姫様の声が飛んでくる。
「ええ、多分……」
話が決まってからすぐ報告に来たのだが、どうやらジュンを使ったマッサージに興じていたらしく、詳しい様子を窺い知ることはできない。取り込み中ならそう言えばいいものを、どうしてこう、半端に部屋へ上げてしまうのか。
「よいしょ……。あのーわたし、これちゃんとやれてるんでしょうか……」
「悪くないわ。でも、もう少し強めにお願い」
「まだ強くするんですか? うーん」
「――そう、それでいいわ……」
俺は何だか落ち着かないものを感じながら、再び屏風に話しかけた。
「話、続けていいですか?」
「ええ。明日は早起きした方がいいのかしら?」
「いや、向こうの都合がわかりませんから、まだ何とも。宮殿に用事があるらしくて、それを終えてから弟さんを訪ねると……暇ならすぐ応じてくれるかもしれませんが、そうでなければ明日でも捕まらないかもしれませんね」
「そう。外に出られるかと思ったけれど……結局は待つだけなのね」
「それで、ついでに色々とフォッカーさんに訊いてきたのですが……」
家出同然とはいえ、縁を切ったというほどのことでもないらしい。
親子仲は未だに複雑なままだが、兄弟仲は比較的良好で、フォッカー氏が言っていたように時々ふらりと帰ってきては冒険の土産話をして去っていくとのことである。
といっても、そのジェレミー・ハギワラという青年は遺跡の探索を専門に活動しているらしく、依頼らしい依頼を受けることは少ないそうだ。一応、国から、どこそこの新しく発見された遺跡を調査してくれ、という内容の依頼を出すこともあるらしいが、大抵は冒険者業界にいる見つけ屋から情報を買う。そして探索を終えて得た戦利品を売却して利益を得る、というシステムになっている。
完全に遺跡荒らしである。
――が、まあ、この世界、この時代、この国では別にそれは罪というわけではない。
どうも、文化財の保護という概念がないように思える。
むしろ話を聞いているうちにわかったのは、遺跡に潜ってそこで見つけたものを持ち帰るのは推奨されていることであり、それを社会へ還元――というか、供給することによって、冒険者は尊敬を集めるのだという。
そのため売却先の最大手は国の学術機関であり、その中でも特に利用価値のある、いわゆるマジックアイテム(これもかなり大雑把な括りだと思うが)は場合によっては研究という段階もすっ飛ばして国力へ直結するため、特に高値で取引される。尤も、これは冒険者自身がさらなる戦力として確保するケースも多いらしいが……。
また、現在よりも優れた技術によって製作された物品が見つかることもある。
もしかするとこれが一番重要な発掘品かもしれない。製造が望めず数もかなり限られているマジックアイテムや、歴史の証明にしかならない書簡、墓の中に入っていた副葬品と比べると、構造や動作原理を分析することによって理解を深めた結果、この時代での生産が可能となるかもしれないからだ。
実際に、ディーンでは製造可能となった例がある。
茶運び人形がそれである。
ゼンマイを巻いて、盆に茶を置いたらかたかた運んでくれる、アレだ。
実はこのハギワラ邸にも一機配備されており、最初の方で見せてもらっていたのだが、俺やジュンはかつてテレビで見たことがあって、そのため喜んだのは姫様とデニーだけで、別に運ぶのが速いわけでもなく、むしろネタを知っている身としては退屈を隠すのが困難な程の遅さだったので、変な空気になってしまってそれ以降登場していない。
だから全然気にすることもないままでいたのだが、そういう来歴があったとなれば話は別だ。要はからくり技術ということで、この時代に存在していなかったわけではないのだが、発掘されたオリジナル品の精巧さは現在知られているどんな職人をも上回っており、特に歯車に関してはここから学び取ることによって何百年も進歩が早まったのではないかと考えられているようだ。
俺達が見せられたのはオリジナルの劣化コピーの劣化コピーの劣化コピーくらいの品らしく、したがってお世辞にもいい出来とは言えなかったが、それでも自動で茶を持ってきて、椀を盆から受け取れば止まり、再び盆に椀を置かれれば踵を返して去っていく、という一連の流れに関しては全うしていたので、その貢献度は容易に窺い知れる。
動きの完成度は無闇に哀しくなる仕上がりだった。
――これもリバースエンジニアリングというのだろうか?
現在では、この茶運び人形の技術を応用したからくり時計の発明が進められているらしい。自分がいた国の歴史を振り返ってみると、確か人形と時計で順番は逆だったと思うが、それも時計という機械が先に入ってきたからそれを応用した人形が生まれただけだと考えれば、人形が入ってきてそこから時計を作ろうとするのも決しておかしくは――いや、生活を営む上で時計より先に茶運び人形が必要となることはないだろうから、やはりどこか歪な技術革新なのだろう。この世界ならでは、だ。
そういった説明を聞いていくにつれ、こんな言葉が頭の中を支配し始めた。
先住知的生命体。
「確かに、私達のルーツには謎が多いわ。どこへ行くのか、というのはともかくとしても――どこから来て、という明確な言い伝えは無いに等しい。ヒューマンとエルフが決定的に対立する以前のことを知る術もほとんどないというのに、さらにその前のことをどうして知ることができるのか――。今はただ、気が付いたらここにあった、と考えるしかないわ。けれど、それが正しいということはないでしょうね」
「大昔に、今よりも優れた文明があったってことですよね」
「そうね。それは確かだと思うわ」
「それを掘り返して使っている……どうして、そのまま伝えたり、残したりすることができなかったんでしょうか。一度断絶がある。それか、進んでいたものが一度戻っている……」
「少なくとも、私達と完全に繋がっているとは言えないでしょうね」
「遺跡がヒューマンのものか、エルフのものかもわからないと聞きました。あるいはドワーフが関わっているのかもしれませんが、どうしてそれだけの繁栄がありながら滅んだのか……」
この三種族以外の可能性だってある。
俺が首を捻っていると、ジュンがクスクス笑って言った。
「なんかそういうの流行ってましたねえ。アトランティスとか。一晩でなくなっちゃったっていう……」
「オカルトはオカルトですよ、お嬢様。こちらは実際に恩恵をもたらすほどの影響力を持っていますから、別枠で考えるべきじゃないかと私は思うのですが」
現代になって捏造しやすくなっていたり余計なバイアスのかかりまくっているオーパーツ群と違って、確かにあったものが出土している。
とはいえ、俺も今の段階ではただ話を聞いただけだから、まるっきり信じ込むべきではないのかもしれないが、どうしてもひっかかってしまう部分がある。
「あ、ごめんなさい……別に茶化すつもりはなかったんです。でも、本当にどうして消えてしまったんでしょうね。今みたいに戦争してたら共倒れになったんでしょうか?」
「かもしれないわ」
前提として、俺よりも前に、この世界へ来た奴がいる。
いや、皇帝陛下もその中には入るだろうが、ここで俺が言いたいのは、もっともっと前、三百年戦争が始まる前――か、始まった時のことだ。
召喚魔法は復活させたものである。
長らく失われていたものである。
どういう規模で利用されていたのかまではわからないが、少なくとも指南書を書き残そうとした者は現れた。レギウスにできたのだから、大昔の召喚魔法家も俺やジュンのような存在を喚び出していたと考えるのが自然だ。それこそそっくりそのまんま、俺達のいた時空から、定期的に引っこ抜いていた可能性すらある。
それも、有能な人材を引っこ抜いていた可能性が。
俺ですら拙いながらもこの世界の学者先生に知恵らしきものを伝えることができている――もし、専門家を招くことができたら、どうなるだろう?
考えを進めて、俺達のいた時間よりもさらに未来の人間を招くことができたら?
たくさん招くことができたら?
どうなるだろう?
そいつらが全員魔法も使えたら?
この世界は爆発的に発展するのではないだろうか?
もしこの先、金剛石の確保がうまくいって、エルフに対する俺のように圧倒的な戦力を揃え続けることができたら、おそらくこの戦争に勝利することはそう難しくないだろう。揃えるところまでが大変なのであって――それを行使する段階における困難はそう大きなものとはならないだろう。
一方的な展開だ。
だが、もし、マーレタリアが同じように戦力を招き始めたらどうなるだろうか?
展開は膠着状態に陥る。
それだけならまだいい――しかし、ヒューマンもエルフも膠着のままをよしとするような生き物ではないだろう。
軍拡が続くに決まっている。
そしてそのうち、膠着は一時的なものとなり、再び戦端が開かれる。
今度の戦力は確保したそばから投入される。
戦いは激化の一途を辿る。
倒壊級も天災級も山盛りの、凄惨な争いだ。
そのまま、どちらかがぶっ倒れるまで続く。
そして、どちらもぶっ倒れてしまうかもしれない。
この世界の現在が、そうした過程の上に成り立っているとしたら、断絶があるのも無理はない。
――これは俺の妄想に過ぎない。
だが、もしそうでないとしたら、絶対に回避する必要がある。
俺は圧倒的にエルフを根絶やしにしたいのであって、エルフを根絶やしにするためのバクチを打ちたいわけではない。確実さが欲しいのだ。
そのためには、この世界のことをもっと知る必要がある。例えそれが昔のことだろうが何だろうが明らかにして、不明な点を不安がなくなるまで減らしたい。
「姫様、帰ったらセーラムでも発掘に力を入れるべきなんじゃないでしょうか」
「そうね。……ただ、今まで全くそれが検討されてこなかったわけではないのよ」
「そうだったんですか?」
ということは、何かよろしくない理由があって、できないのか。
「まず、セーラムには遺跡が少ないのよ。発見されている遺跡がね。ディーンやルーシアと比べたら、ほとんど無いと言ってもいいくらい。もっと本格的な調査をすればいくつかは新しく見つかるかもしれないけれど、期待するほどのリターンはないというのが定説だし、私もそうじゃないかと思っているわ。その分の人手を別なところへ割いた方が効率的で、実際にこれまでのセーラムはそうしてくるしかなかった……段々と領土を削られていくような状況下で、いつかアクセスできなくなるかもしれない場所に対して、おそらくご先祖達は興味を持てなかったのね。そして、見返りがなければ多くの人は動かないわ。国に冒険者がいても、活躍できる場所と環境がないのなら、いないのと同じ」
「なるほど。確かに、歴史的に見て版図が変わってきたセーラムと、維持し続けてきたディーン、ルーシアでは事情が違いすぎますね……」
「私の発言権も少しは強くなったし、メイヘムも取り返せたから、調査隊を組織することはきっとできる。でもこれに関しては、過度な期待をするべきではないでしょうね」
望めない、か。
どうしてヒューマン同盟が崩壊していないのか、なんとなくわかったような気がする。
セーラムは今なお強国だと聞く。だが、セーラムだけで賄えないこともまだまだ沢山ある。もっと国全体が発展できれば変わってくるのかもしれないが、姫様の言う通り、今の状況では過度な期待をしても仕方がない。
「結局はコツコツやってくしかないということですか」
思わず大きなため息を漏らしてしまう。
屏風の向こうの動きが一瞬止まり、再び蠢き始めた。
「――それにしても、今回の件は意外とすんなり呑んでもらえましたよ。向こうの予定には無かったことでしょうから、断られるかと思いましたが」
「そう。よかったじゃない?」
「……そう考えると、何だか妙な気がしてきました。もしかしてこちらが攪乱したつもりで、逆に罠を張る機会を与えてしまったのかも、」
「ちょっと待って、フブキ」
「だとしたらヤバいな。今からでもなかったことにするか? まだ向こうも就寝までは時間があるだろうし、」
「フブキ」
姫様は注意深く発音を区切った。
「はい」
「攪乱というのは?」
「……いや、あの、まあ、向こうのペースを少し乱せば、それだけ打つ手を遅らせられるかもしれない、と……」
「打つ手というのは?」
「そりゃあ、準備さえ万端になれば向こうは姫様のお命を狙えるわけで、」
「あなた、いい加減、その疑心暗鬼を改めた方がいいわね」
「――そう、でしょうか」
「私は別に構わないけれど、その調子だと、何か本当に企まれていた時に、到底見破れないでしょうね」
一拍置いて、
「曇っているわ」
「……う――」
薄々気づいてはいた。
俺には真実を見極める力などないから、とりあえず片っ端から警戒してみたが、それはあまり意味のないことだった。だったのだが、やっているうちに引っ込みがつかなくなっていたことは否めない。ここでわざわざストップをかけられて申し訳なく思う反面、ちょっと救われた気分になっている自分もいる。
「最初から何もかも疑ってかかるなら、徹底なさい。フォッカー氏に弟がいる、というところから信用してはいけない。それができないなら、諦めることね」
その通りだった。
「あなたはもっと別なところに頭を使いなさい」
これも、その通りなのだろう。
だが、目下のところ、俺が頭を使うか、あるいは役に立ちそうな場面は見当たらず、結果オーライだったからよかったものの、皇帝陛下との面会では相当に姫様の足を引っ張った。ポイントで言えば、ディーンに来てからはマイナスだろう。
何を焦っているのかと自分でも思うが――なんのことはない、存在していい理由が欲しいだけだ。身の丈を思えば、とんだ贅沢だが。
役に立てなきゃゴミだという強迫観念は未だにあるし、事実、今の俺はゴミと紙一重だろう。限りなく近いか、ほぼ同一か、単に同一だ。
道化師だからそれでいい? 俺の魂までがそうあるわけではない。
ジュンはこっちに来てからもよくやっている。
最初の頃に比べたら、舌を巻くような成長だ。魔法使いとしても、侍従としても。
本当に才能がある。俺とは違う。
それも焦らせる。
置いていかれるのではないかと、俺を焦らせるのだ。
彼女にまったく落ち度のないことが、さらに。
「――寝ます」
返事を待たず、俺は姫様の部屋を後にした。
疲れてなどいなかったが、ひっくり返って寝たい気分だった。
自分の部屋に戻ってその通りにし、一時間ほど物思いに耽ってから、きちんと布団の中に入って寝た。
眠りは浅かった。
大きくはなかったが、その物音は俺を起こした。
遠くから聞こえてきた。誰かが廊下を素早く歩いていた。走っているかもしれない。
話し声まで耳に入ってきたところで、俺は布団から起き上がった。
夢か寝ボケかとも思ったが、意識は覚醒していた。
外がまだ暗い。障子を開け放つが、空の端までが闇だ。
この邸宅で寝起きしてもう数日になるが、こんなことはなかった。
何かがおかしかった。
おかしな事態が、この屋敷を起こしたのだと思った。
俺も廊下に出て、騒ぎのする方へふらふらと歩いていった。
やがて少しの明かりが目に入った。
玄関の方だった。
「フブキ殿」
いきなり後ろから名前を呼ばれて、俺は少し魔力を出してしまった。
振り返ると、そこにフォッカー氏が立っていた。
「……びっくりした」
「すみません。起こしてしまったようですね」
「いえ……少し慌ただしいと思えたもので。何かあったのですか」
「いや、それが私にもよく……来客と言われましたが、しかしこんな時刻に」
「それは、妙ですね」
お互いに困惑の表情を作る間があった。
「とにかく、行ってみましょう」
後についていくと、確かに来客だった。
こちらの国における旅人風の格好に見えた。年の頃はジュンと変わらないくらいだろうか。少女である。どことなく頼りなさげな印象。急いで走ってきたのか、まだ息も整っていない。使用人から水を渡されて、それを半分はこぼしながら飲んでいる。
「一体どうしました、こんな夜分遅くに。ただ事ではない様子ですが……」
フォッカー氏が目線を合わせるように屈み込んで訊ねると、少女はつっかえながらこう言った。
「はっ、あの、あのっ、ここ、は、ハギワラさんのお宅で、いいんです、よね?」
「……はい、そうですが。あなたは……?」
少女はそれには答えなかった。
代わりに、未だ整わない息のまま、絞り出すように言った。
「は、――ジェレミーが……!」
それがハギワラ弟の名前であると気付くまで、俺は少し時間を要した。
フォッカー氏も別の意味で、自分の反応を相手に伝えるまで少し時間を要した。
「――もしかして、冒険者の方ですか? 弟と一緒に仕事をしていたのですか? 弟が、どうかしたのですか?」
「も、もう、死んでるかも……!」
だとしたら相当厄介なことになったな、と俺は思った。




