5-4 11歳の43歳
沈黙が降りた。
「……それは、――一体、どのような……?」
いきなり流れをぶった切ったことに対して、さすがに陛下は困惑している。
少なくとも困惑していると思い込ませるくらいの表情は作っている。
ジュンは狂人のくせに狂人を眺めるような目つきになった。
姫様でさえも、俺をじっと見つめていた。
やってしまったのかもしれない。
大した根拠があるわけではなかった。
ただ、勘が――口を衝いて出た。
転び出たと言った方がいいかもしれない。
自分でもどうしてこんなことを言い放ったのか理解に苦しむ。
何故、留めておけなかったのか。
あー、とか、えーと、とか、間を繋ぐための唸りさえ、そうしようと思ったそばから消滅していく。
窒息してしまうような気がした。
そこへ至ってやっと、俺は見えない何かに――それこそ、空気というやつに――責め立てられるように、なんとか、説明を吐き出し始めた。
「……別にあなたを責めているわけじゃない。あなたは今回の一件には噛んでないだろう。突然大変なことが起こって驚いているはずだ。本当なら関係ないと言い切って無視してもいいようなところを、国の長というだけで逃れられない。お門違いかもしれないが、同情する。そして、俺達から話を聞きたいっていうのも、多分本心からだ。あんたは嘘を言っていない。態度も誠実そのものだ。――だけれども、隠しごとをされれば気になるのは人の性ってもんだ。例えそれが些細なことだったとしても、気にはなるんだ。申し訳ない。このままだと話を進められない」
このひっかかりのために、俺はこれから滅びるのかもしれなかった。
「正直に言おう。筋の通った理屈を俺は持っていない。証拠を提示できない。勘だ。だからただのハッタリだと受け取られるかもしれないし、実際あまりハッタリと変わらないのかもしれないし、そもそも何のためのハッタリなのかわからない――誰にもわからない。もし俺が正解していても、あなたが答えを隠すか、答え合わせに付き合わなければ、簡単にハズレたことになる。人によっては全く意味のないことをやらかしたと捉えるかもしれない……そしてその方が正しいかもしれない。だが、ひとまず解答それ自体は認められたと考えるか――まだ姫様が俺の首を刎ねていない」
客観的に自分の言っていることを評価することができない。
俺は意味の通っている文章を喋ることに成功しているだろうか?
「ということは、……よろしいですか、これから私がどうなろうとも、私が陛下の隠しごとについて言及した事実は、少なくとも残ります。この場にいる私を除いた全員の意見がもみ消しの方向で一致すれば別ですが――おそらくそうはならないでしょう」
俺はこのアルフレッド・アシナガヒコ・アキタカなる人物が明確に自分とは違うことを悟っていた。完全な別物であると。雰囲気に圧倒されたのはむしろ凡夫としては自然なことで、そこでおとなしく呑まれたままになっていればよかったのだが、どういうわけか、気圧されすぎて――そこから妙な仮説を導き出してしまったらしい。
この少年に、正体があるのではないかと――そう思ってしまったのだ。
あるいは、そう思い込みたくなったのかもしれなかった。
「もう一度言いましょう。あなたは本当に十一歳なのですか?」
だから、ただの勘違いということであればそれで終わりだ。
様々に受け取れるだろう。額面通り、年齢を詐称している、という意味かもしれないし、外見上の姿とは別の何かである、という意味を示唆したかもしれない。
だが、俺も明確にこうだと言えるような意味を込めたわけではなかった。
ただ、この男はまったくこの通りというわけではない、と思ったのだった。
そういう意味では、例え物の怪の類だったとしても――あざとい方向へ行けば女だったとしても、驚いてはいけなかった。
少年は当惑の表情からすぐに立て直した。流石だった。
「一つ、問います」
と彼は言った。
「道化だとしても許されない無礼を働いたという自覚が、あなたにはありますか?」
重みを感じた。
不手際によって発生したそれ特有の、絶対に動かしようがない重みを。
「私はこの国の元首として、民から――それが本心であるかどうかは置いておくとしても――敬われている立場にあります。それは、ある意味では、絶対に汚されてはならないということでもあります。私自身をではありません。私の座っている称号が、疑われたり、土台から揺るがされてはならないのです。非公式な場であっても、決して。問題は、私自身が汚されてしまうと、往々にして、その称号も汚されてしまうということなのです。あなたの今の言動を、とても見過ごすことはできません」
俺に心を読む能力が無くて本当によかった。
もし今姫様の心へ触れることができたら、きっとその手にかかるまでもなく、絶命していただろうから。
「おそらく、あなたはただの道化ではないのでしょう。そのように口を動かすことそのものが仕事であり、おそらくゼニア姫もその手並みを評価されたのだと推測します。魔法よりも、よほど武器となってくれるのでしょうね。しかし、口は災いの元、という言葉がこのディーンにはあります。何事も使い方を誤れば、それは破滅を招きます。丁度、今のように」
その通りだった。俺は、調子に乗りすぎたのだ。
「あなたは、私の前でその発言をするにあたって、十分に考えが至っていなかったと、そう言わざるをえません。あなたどころか、あなたの主をも滅する可能性のあることまで、考えが至りましたか? 例え私がそれを望まなかったとしても、変わらずその可能性は起こり得た、しかも、決して小さくない可能性です。あなたはそこまで、考えることができていましたか?」
できてませんでした、と、そう言わざるをえなかった。
いつか面接でそう言ったように。
いつか自問し、そして自答したように。
今再び、見苦しく、姫様やジュン、何より俺自身の前で、そう口に出さざるを、
かちゃ、と食器のこすれる音がそれを止めた。
俺は顔を上げた。
少年が杯に手をかけていた。
おもむろに彼は、茶を、飲み干した。
一息だった。
そして言った。
「……こんなことになるとは思わなかったな。もっと軽い気持ちで会うだけのはずだったのに」
俺はしばらく、正解したことがわからなかった。
ほとんど呆けていたのだと思う。
机の下で(多分姫様に)脛を蹴られるまで、自分が停止していることすらわかっていなかったらしい。
それでようやく実感を得てから、問うた。
「……あなたは、誰なんですか」
「教えよう。当然、君が何者なのかも教えてくれるね? 私の勘も正しければだが……そこの彼女も含めて――君達はあまりに見たことがありすぎるな」
次の言葉は、日本語だった。
「こいつはかなり確信を持って言えるんだがね、君達、日本から来たんだろう」
靄が晴れていくような感覚があった。
まったく突然に、俺は、自分が本当は何を言いたかったのか理解した。
今や少年は――いや、目の前の男は、超然とした雰囲気を消し去っていた。
俺と同程度のものしか、持っていなかった。
「そういうこともあるかもしれないと思ってたが――いや、もっと早い段階で探しているべきだったんだ……ただパターンが違うだけじゃないか、俺達が召喚されたように、あなたは――中へ、入ったんだな」
陛下は静かに頷いた。
「そうだ。君の問いへ正確に答えるなら、私は十一歳であって十一歳でない。アルフレッド・アシナガヒコ・アキタカとしての人生は紛れもなく十一年だが、私には別の経歴がある。誰にも知られるはずのない経歴がね。実際には君が言い当ててしまったが」
そこで少し間が生まれた。
陛下が勇気を振り絞ったように、俺には見えた。
「四十三年だ」
手の震えを隠したようにも、見えた。
「前の私は、何とかそこまで生きた」
実に俺の二倍だった。
知らず、溜息が漏れた。
「だから今の私は五十四歳だが、まあ、それぞれ別の枠として数えた方がいいだろう。とにかく、死後、私の意識は地続きのまま、この肉体へと移動した。五歳の誕生日だったと記憶している。陳腐な言葉を使うとすれば、その時に、転生、あるいは前世といったものに気付いたわけだ。もしかするとずっと共にあったのかもしれない。はっきりとしたことは言えないが、とにかく、それからずっと、同居している。……この説明でわかってもらえただろうか」
俺は頷き、それから、さらに何度か頷いた。
不意に、姫様と目が合った。
「……なんか、そういうことらしいです」
彼女は長く息を吐いた。
「今日はなんて日なの」
首を傾げながら、焦ったようにジュンが言った。
「で、でも、陛下のいた日本が、わたしたちのいた日本と同じってまだ決まったわけじゃ……」
「ああ、そうだそれがあった。……すみません、少し付き合ってもらいます。察しの通り、私と彼女は現代日本からこの世界へやってきました。詳しいことは後で説明しますが、召喚魔法によってです。それで、一口にやってきたといっても、時間の隔たりがあります。私と彼女は――」
面倒だったが、やらないわけにもいかない。
しばらく答え合わせをし、陛下が同じ日本で死んだと思うことに決め、さらに彼がここへやってくる直前の時点が、俺とほぼ一致していることを把握した。
だが、彼が言ったように、着地した時間はかなり違っていた。同じような時間から飛んできたにもかかわらず、彼は俺達より五年か六年ほどこの世界の先輩だった。
「すみません、わたし、ちょっとわからなくなってきちゃって……」
「確かにややこしいけど、とりあえず今はあまり重要じゃない。大事なのは、召喚以外でこの世界に来た、ってことだ」
陛下は少し肩を竦めた。
「残念ながら、私は同じような境遇の人物に会ったことはないな。訊ねてみたこともないから、当たり前と言えば当たり前だが……。しかし、召喚魔法か……」
ここへ至るまでの経緯も、大分省きはしたが説明を加えていた。
「失われた技術が復活したということは、いよいよ我々も追い詰められたな」
陛下は最早完全に少年の仮面を脱ぎ捨てていた。
声こそ若いが、
「いや、でも、その大元を確保してあるわけですから、まだしばらくは、」
「しかし、マーレタリアにまだ召喚魔法家がいないとも限らない」
「それはありません。ずっと軽視されていたんです。そこに関しては同情してもいいほどに」
「そうか。……弟子の一匹くらい取っていてもよさそうなものだが、そういうことであれば、後継者も出ないのかもしれない」
「――いや、言われてみれば、それを質問したことはなかったですね。薄い線だとは思いますが……セーラムへ帰ったら、一応確認しておきましょう」
「まあでも、そうして奪い取ったということであれば、かなり強力なアドバンテージを得たように感じるな。君達のように強大な魔法使いの助力がこの先も見込めるのなら、こちらとしては協力を惜しむ理由はない。求める水準を満たせるかまではわからないが、金剛石を用意できるよう働きかけてみよう。といっても、この身でどこまで通せるか……。今回の件を考慮に入れれば、何とかハギワラ氏から渡せる方向へ持っていきたいところだ」
姫様は頷いた。
「ええ、私も最終的にはハギワラ氏へ頼むつもりだったのです。つまり、私の要望に困窮したハギワラ氏が、陛下へ働きかけることを期待して、ということですが……」
「ではやはりこちらから招くべきだったのだろうな。結局その方が話は早くなっただろう。身の上にまで話が転がるとは思ってもみなかったが……似たような境遇の人物がいるとわかって、少なからず安堵させてもらったよ。それこそ願ってもない」
「こちらとしても、同盟国に事情のわかる方がいるというだけで、かなり気が楽になりますよ。とにかく魔法戦力がこの世界では大事ですから、増強できるならそれに越したことはないんです。今のところ金剛石が戦力へ直結する状態ですから、用意できればできるほど、逆転の目も増えます」
「ああ、よく覚えておこう。……ただ、やはり国庫から出すということになると、摂政がいい顔をしないだろうな。逆に私が突然そう言い出したことを訝しむかもしれない。それはうまくない」
「それは、そうですね。フブキやジュンが異界の出身であることは別段隠しておりませんし、広まってそう困ることもありませんが……陛下のお立場では、そういうわけにもいかないでしょう」
「下手をすればこの国は割れるだろうな。まったく、人払いをしておいて正解だった。こんな話は他の誰にも聞かせられない」
「あー、話を戻すと、何か代替案が必要ということでしょうか?」
「その方が現実的に思える。新しく調達するのが一番いいが、生憎この国でも安定した供給は不可能だ。そこまでの鉱脈が発見されていない。さらにある程度以上の大きさとなると……どうしたものかな」
アテにしていた陛下がすぐに示せないなら、俺達に思いつけるわけもない。
誰が言い出すわけでもないが、時間が過ぎ去った感覚はあったし、ここで一旦お開きにするのは自然なように思えた。
「まあ――今日はここまでとしようか。あまり長々と話し込んで妙に思われるのもまた問題だ。君達、まだまだここへは滞在するんだろう? 時間はまた先に取ろう」
そういうことになり、俺達は席を立った。
「それじゃあ、すぐには決まらないだろうが、あ、いや、待てよ――この案は悪くないかもしれない」
「何か思いつきましたか」
「……思いつくというほど大層なことじゃないが、とりあえず試すのには悪くない手だ。冒険者へ特別に依頼を出してみるとしよう」
「冒険者、ですか」
俺は困って姫様の方を振り向いた。
冒険者がどういうものであるのかは知っているしイメージもできるのだが、何せ意味の広い言葉なので、それがこの世界において何を指すのか、あるいはどういう使われ方をしているのかまでは把握していなかったのである。
ただ、まあ、文脈から判断するに、その職業(?)は金銀財宝を求めて遺跡や洞窟を探検するような感じだろう。そうでなければ、時にモンスターを討伐したり、商人の護衛をしたりすることもあるかもしれない。そうした所謂クエストをこなしていくことによって、富や名声を得ようとする人々のことをそう呼ぶゲームは、元いた世界でも少なくなかった。
どちらかと言えば、今俺達が求めようとしているのは、探検家に近いものではないか。もっと言えば盗掘や強奪まで視野に入ってくるかもしれない。冒険者というよりは、侵入者だ。
そして、姫様の説明も、概ねその通りだった。
そういった誰かに金剛石を取ってきてもらおうというのだ。
依頼を出すというからには駄目元なのだろうが、それで少しでも確保できる可能性が増えるというのなら、まあ、確かに……悪くないかもしれない。




