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5-3 あああ

 指定された時間は、翌日の昼食後だった。

 正確には、皇帝陛下の昼食後……ということであるが。


 都を見学した際、遠くにうっすらと見えていた宮殿に、今日は入り込んでいる。

 今は控え室の中で姫様、ジュンと共に招かれるのを待っている状態だが、ここへ至るまでに十分は歩かされたような気がした。セーラムのお城と比べると木造中心で、ほとんどの部分が平たかったが、代わりにとんでもなく横へ広がっている。もしかすると、都の三分の一ぐらいはこの宮殿が占めているのではないか――そう思えるほどに。

 ただ、天井は高い。

 この控え室からして、一体何人待たせるつもりなんだと言いたくなるほどの空間が確保されていた。意外にも調度品はそこそこしか置かれていなかったが、その分だけ部屋の広さが際立っているような気がした。


 二十分は待たされていた。

 本当に正確な時間は知ることができない、こちらの世界ならではのルーズさがここにもあった。謁見の相手が相手であるため、何かをしながらのんびり待つというような雰囲気でもなく、座布団を尻に敷きながら、目の前にある太陽が昇る様を描いた屏風を睨みつけるくらいしか、暇を潰す手段は用意されていなかった。


 そもそも、どうして俺とジュンまで一緒にお呼ばれなのか、そこが解せない。

 デニーと同じように、俺も留守番だと思っていた。

 百歩譲ってジュンは姫様のお付きだからいいとしても、皇帝陛下は一介の道化師である俺がお目に掛かれるような相手ではあるまい。それも、おそらくは私的な対面で。

 既に俺の存在と何をやったかがばっちり耳に入っていて、それで興味を抱いたということであるなら、まあ、ありえないというほどでもないのかもしれないが、しかしそれにしたってどうだ、至極簡単に出会えてしまった、という感覚が拭えない。

 確かにディーン側のチョンボで今回の観光が決まった。多少なり申し訳ないという気持ちがあれば、国の代表として被害者に何らかのコメントを残したいと考えることはあるかもしれない――が、個人的には今回の件を陰謀の上に成り立っているという前提で捉えているので、どうも、俄かには納得し難い。皇帝が今回の件に噛んでいないのなら話は別だが、そこまで楽観的にはなれない。


 なれないが、俺の考え過ぎだろうか?

 やっぱそうなのかなあ。


 単純に、面白いペットを召し抱えてるならちと見せてくれ――という、それだけのことである可能性も、なくはないのか?

 しかしそれならそれで、先に教えて欲しかった。

 全く準備がないというわけではないが、皇帝をも満足させる、というほどの自信はない――凡百の貴族共を相手にするのとはわけが違う。万全の状態で臨めないのなら、後は悪い意味での醜態を晒す可能性は高い。それは勘弁。


「フブキ、わかっていると思うけど、余計なことはしないように」


 思考を読まれたのか、そう姫様に釘を刺される。


「……落ち着いてますね」

「私は会ったことがあるもの」

「――そうか、言われてみれば……」


 同盟国の貴人同士、面識があってもおかしくない。


「じゃあ姫様、皇帝陛下がどういう人か教えてくださいよ。少しでも身構えておきたいので」

「……どこに()があるかわからないから、あまり多くは言わないけれど……そうね、他人よりも早く成長してしまったのだと思うわ。そういう方よ」

「はあ。……陛下は、今おいくつなんですか?」

「確か十一だったと思うわ」


 若っ。


「えっ、そんなにお若いんですか?」


 とジュンが驚いて言った。


「姫様、最後に会ったのは?」

「一年ほど前かしら」

「……最初に会ったのは?」

「三歳の時だった、と思うけれど……」

「もしかして、その二回しか会ったことないってんじゃないでしょうね」

「どうしてわかったの?」

「ヤなことにばかり勘が冴えやがる……。それじゃあ全然どういう人かわからないじゃないですか!」

「若いということがわかったじゃない」


 確かに、イメージと違っていたことがわかっただけで僥倖というものだが、そこまでとは思っていなかった。漠然とではあるが、王様と同じくらいの歳で、それが外れても俺よりは上だろうと予想していたのだ。

 まあ、自分がいた国の歴史を思い返してみれば、幼帝というのもそう珍しくはない。生後一年も経たずに即位した例もあったくらいだ、よく似たこの国で同様の事態が起こっていても不思議ではない。

 さらに話を聞いてみれば、先代の帝は今代の帝を出産(つまり女性だった)した際お隠れになってしまったらしく、今代の帝は生まれながらの皇帝としてその場で即位したということである。それでいいのかディーン人。


 そういうわけで、この国の政治は実質的には関白が取り仕切っているらしい。もちろん、帝が言葉も発することのできぬ赤子だった頃は、摂政が代理として全ての決定権を握っていたそうだが、立って歩き、話す内容にも理屈が通ってくるようになると(大体五歳頃のことだという)、摂政の位は関白へと変更され、最終的な決裁には協議を伴うのが基本となった。ということは、主導権は握っていないだろうにしても、帝は提示された事柄に関しては一応自分なりに考えて決めているわけだ。与えられる情報に多少のバイアスがかかることは避けられないとしても――。


「にしても、十一歳かあ……」


 その年齢だった頃、俺は何を考えて生きていただろうか。

 異国の姫君を陥れるために策謀を巡らしていただろうか。

 隣の組の女子を陥れるために策謀を巡らしていただろうか。

 そんなことはない。

 よろしい、ハギワラ一族は俺の中ではまだ潔白ではないが、とりあえず皇帝に関しては考え過ぎであったということを認めよう。

 十一歳にできることは限られている。あまりにも。


「少しは緊張が解けたかしら?」

「いや、なんだか余計慎重に喋らなきゃいけないような気がしてきましたよ。子供ってのは繊細さが表に出やすいですからね。下手なことを言って機嫌を損ねたりしないか心配です。お嬢様は、そのへん大丈夫ですか?」

「えっと、わたしは……多分ずっと黙ってても怒られないでしょうし……難しいお話はお二人にお任せします。うん、お任せします。その方がいいですよね?」

「……あっそ」


 まあ、その通り、ほとんどは姫様が相手してくれるだろう。あくまで招かれたのは彼女なのだから。俺とジュンはおまけもおまけ、姫様の気まぐれでくっついてきているだけなのだから。


 突然に、俺達をここまで導いてきた女官が再び現れた。そして、入ってきたのとは別の方向へと俺達を案内した。それでさらに五分は歩かされた。控え室のあった建物の向こうの建物の向こうの建物の向こうを抜けると、やっと建物から遠ざかり始め、よく手入れされた庭園を半分ほど横切ったところで女官は立ち止まり、先を手で示してからこう言った。


「大変お待たせいたしました。ごゆるりと……」


 しかし、見える範囲では俺達以外誰もいなかった。

 どうやらもう少し先まで歩かなければならないらしい。

 大した時間は経っていないはずなのに、気がつくと女官の姿は霞のように消えており、後にはただ、この先に俺達を招いた張本人がいる――という示唆だけが残された。


「これも魔法かな」


 俺の呟きには答えず、姫様は先頭に立って歩き出した。

 それについていくと、すぐに庭園の表情が様変わりし始めた。

 和風(便宜上ね、便宜上)なそれから、どこかで見たことがあるようなそれ――セーラムのお城の中にあるそれ――へと、明らかに植生が違っていくのである。


 そして、東屋の中にその少年はいた。


 既に茶の注がれた杯が用意されていた。まだ湯気も立っている。

 俺はあれの中身が、今朝ハギワラ邸で振る舞われたものとは全く違う種類なのではないかと思った。つい数日前、使用人宿舎の食堂で飲んだものに近いのではないか、と。

 その少年は近付く客人達を認めると立ち上がり、東屋の下よりゆったり歩き出て俺達を迎えた。最初の言葉はこうだ。


「申し訳ありません。急な協議が入って、少し長引いてしまったものですから。――お久しぶりです、セーラム王国のゼニア姫」


 軽いお辞儀。

 姫様も同じように頭を下げ、俺は意識してそれより深くなるように倣った。


「陛下も、壮健なようで何よりです」

「それが取り柄のようなものですから。さあ、皆さんこちらへどうぞ。お茶を用意してありますよ。……そちらから取り寄せたものを」


 苦笑しながら、東屋へと戻っていく。


「さすがに菓子は、こちらで作ったものですが」


 俺とジュンは何も言えないまま姫様に付き従っていくしかなかった。

 王様とは別の人種だ、と俺は思った。魔力のように目には見えないが、この少年は確実に何かを纏っていた。王様のことを悪く言うわけではないが、この点においてはハッキリと違っていた。不思議な圧力、とでも言おうか、遠くからその姿を見ただけではわからなかったが、立って歩いて言葉が発せられたのをこちらが認識してから、明らかに存在感の質が変わっていた。

 これが尊さというものなのだろうか?

 それとも、単に自己暗示がそう感じさせているだけなのだろうか?

 だが、ジュンも同じように圧倒されていた。平気そうなのは姫様だけだ。

 座ると自然に背筋を伸ばさなくてはいけないような気持ちになる。

 何が入っているのかわからないからではなく、茶にも菓子にも手を出せない。


「このような庭園も持っていたのですね。存じておりませんでした」

「ええ、秘密だったのですよ。実はここ最近になってようやく完成したのです。あまり広くはありませんが、セーラムの方を招くのにこの選択肢を用意したかったのです。どこへ行ってもこの国流のもてなしでは飽きてしまうと思ったものですから、敢えて、そちらに馴染みのある風景をと」

「なるほど」

「一番最初にゼニア姫を招くことができたのは光栄です」

「ふふ、帰ったら父と姉に自慢します」

「それがいいでしょう。さて――」


 皇帝は姫様から視線を外し、こちらへ向けた。

 それだけで、動揺すらできなくなった。


「自己紹介まで遅れてしまいましたね。私はアルフレッド・アシナガヒコ・アキタカと申します。この、ディーン皇国の帝を務めています」


 どう自分のことを喋っていいのかわからなかった。

 代わりに姫様が俺達のことを紹介した。


「こちらが侍従のジュン、そしてこちらが道化師のフブキです」

「急にお招きして驚かれたかもしれません。しかし、侍従の方と引き離す特別な理由はありませんし、道化師さん――フブキさんのお噂は兼ね兼ね聞き及んでおりましたから、一度お目にかかりたいと思っていたのですよ。今度のようなことがきっかけでなければ、もっと喜びを示したいところなのですが……そう、まずはお詫びをしなければなりませんね。といっても今日は謝ってばかりですが――本当に申し訳ありません。民の暴走を戒められなかったこと、全ては私の不徳の致すところ。責められるべきは私と正しくない手段を選んでしまったウメザワ大尉だけであり、後者がいなくなってしまった今――どうか矛先を向けるならば、前者の私に絞って欲しいのです。このようなことを申し上げられる筋合いではないのかもしれませんが、セーラム王国のゼニア姫様、私以外の皆については、どうか平にご容赦願いたいのです」


 今度は謝罪の意味を込めて、少年は頭を下げた。

 姫様はハギワラ氏に言ったのとほとんど同じような内容の話をして、皇帝に頭を上げさせた。


「お心遣い、感謝いたします。償いはハギワラ氏に一任していますから、できることなら、どうか休日を心行くまでお楽しみください。それが一族の名誉を回復することにもなります」


 それにしても、と俺は思った。

 予想以上に()()()()()

 若さについてもそうだったが、まさか振る舞いもここまでとは――点数をつけるとして、俺が十一歳だったとき、果たして百点満点中の十点も取れたかどうか。いいとこ二点から四点だろう。そして、俺だけが極端に低いというわけでもないはずだ。

 一体どこから、この差がくるんだ?


 しばらく、俺達は皆無言だった。皇帝と姫様だけが茶を啜った。

 それから、彼は切り出した。


「それで、話は変わるのですが――いえ、今回はもちろん謝罪させていただくために皆さんをお招きしたのですが、実は個人的に一つ、訊ねたいこともあって……」

「はい、何でしょう? 私に答えられることなら、何でもお答えしますよ」

「――ヒューマンは、もう滅びるのですか?」


 姫様は即答を避けた。少し考え、そしてこう言った。


「質問に質問で返すようで恐縮なのですが、よろしければ何故そのように思うのかお聞かせ下さいますか?」


 少年は一つ頷いた。


「私の耳にも戦況は入ってきます。だから、ヒューマンの同盟が不利な状況に置かれていることは把握しているつもりです。ただ、詳細に、ではないのです。ご存知の通り、私に代わって政務の大部分を関白であるクドウ氏が請け負ってくれています。非常に助かっているのですが、その代わり、本当に何が起こっているのかを正確に知ることはできないのです。彼は情報の一部を私に隠す傾向にあります。――彼の不義を疑っているわけではないのです。彼は少なくとも私よりは政務の処理に長けていますし、私の知る限り、彼に任せて本当に悪くなったことは一度としてありません。少なくとも、彼のせいでそうなったことは。……私の耳にはただ、同盟軍が敗北している、敗北を重ね続けているという報告だけが入ってくるのです。しかし、私は実際に戦場に立ったことはありませんし、遠くからそれを眺めたこともありません。最前線がどうなっているのかもわからなければ、具体的に大局がどう傾いているのかもわからないのです。肌で感じ取ることができないのです。この宮殿にいるだけでは、報告される敗北を実感として受け止めることはできないのです。そんな折でした」


 一旦区切り、皇帝は茶で口を湿らせた。


「勝利が報告されました。セーラムの姫君が、奪われた都市を取り戻したと……そして、天災級と思しき魔法家が現れたと――エルフの軍隊が、蹴散らされてしまったと。私の記憶が確かならば、その勝利は、私が生まれてから初めて耳にする勝利でした。問題はここからです。お恥ずかしい話で、作戦に携わった本人を目の前にして言うことではないとも思うのですが、私はその勝利が虚偽の報告なのではないかと、疑っているのです。正直に告白します。私は第一報を聞いて喜びを全く感じず、ついにこのような報告がでっち上げられるまでに私達は追い詰められてしまったのか、という恐怖に全身が支配されるのを感じました。ここへきて、私は周囲の言うことを心から信用することができなくなってしまったのです。……そういうわけで、私が訊ねたいということはそれなのです。直接、戦いに赴いたゼニア・ルミノアという一人の戦士に訊ねたかったのです。私達は本当に一つの勝利を得たのか、そうでないのか。私達は実際にはどのような状況に置かれているのか。滅びゆくのを待つさだめにあるのか……。どうか、お願いいたします。真実を話していただきたいのです」


 姫様はあっさりと言った。


「勝利は本当ですが、そのうちヒューマンは滅びるでしょう」


 少年は複雑な顔になった。


「しかし、逆転の目が出てきましたから、これまでと比べて遥かに希望の持てる状況まで持ち直したと言えるでしょう。私がここへ素直に参ったのは、戦力の増強に役立つものを探せるかもしれないと考えたからでもあります」

「それは、どういうものなのですか? 用意が可能なら、できる限りご提供いたします。是非、そうさせてください」

「まあ、それは追い追い話すとして――天災級の魔法家が現れたというのも真実です。しかし、全て当たりというわけでもありません」

「それは、どういうことですか? その魔法家は、どういう方なのですか?」

「このフブキが、その魔法家です」

「――フブキさん、が……?」


 いきなりのことに、少年は戸惑いを隠せなかった。

 どうやら、メイヘムの戦いと道化師としての俺は、彼の頭の中ではイコールで繋がっていなかったようだ。その国のトップと言えども、国境を隔ててしまってはそんなものなのだろうか。いや、彼の場合、少し特殊なケースなのか。


「まさか、いや、失礼しました。そうとは知らず……」


 彼は俺にこう問うた。


「一体どのようにエルフの軍勢を打ち破ったのですか?」


 俺は言った。


「なあ、あんた本当に十一歳なのか?」

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