4-3 特大カラットの輝き
ただ、完全にその気にさせるのには、さらに九日と半分を要した。
俺達もまだまだ苦労が足りてないということだ。
野郎は地下室から出て城内の目立たない座敷牢へ移された途端、鍵をちょろまかして、付けられていた見張りも両方ぶっ殺し、その俊足を生かして城から飛び出してしまった。早めに話が伝わって俺の地獄耳で捕捉できたからよかったものの、あわや大惨事になるところだった。街中でおっ始まるとまずいので、一旦外へ逃がしてから軽く捕り物をし、その場はなんとか収まった。
これはどちらかというと警備体制の不手際に原因があった。しかし、だからといって、俺達に全く責任がないということではない。例えザル警備を目の前にしてもそういう気持ちが起こらない、というところまでレギウスを仕上げるべきだったのだ。つまり、あれだけやっても俺達はナメられたことになる。ぬるかったのだ。
それでもっとハードなプレイが始まったが、レギウスはもちろんのこと、俺達の負担も激増した。
大体、過度な嗜虐趣味がないのにこんなことをしていて楽しいわけがない。
来る日も来る日も奴の肉体を非効率的に破壊しなければならないわけだが、やっているうちに徒労感が出てくるし、拷問官としての演技もこう毎日だとパターンを増やすのに四苦八苦しなければならない。
このエルフが悶絶する様を眺めるのが嬉しくないわけではなかったが、自分で手間をかける割にはリターンが少ないと思うし、いつまでもこいつに構っているわけにもいかない。延々と拷問することが目的なら、最初からそうなるように動いている。
鬱憤はもう、ある程度解消された。
早いところ次のステップへ移って、もっと自動的に、取り返しがつかなくなるような形でエルフ達を苦しめたいのだ。言いだしっぺの俺でさえこんなに倦怠感を覚えているのだから、姫様は更にうんざりしているだろう。
これではどちらが責め苦を与えられているのかわからない。
「さて、じゃ、やってもらおうか」
そんなわけで、ようやく、俺達はレギウスを精神的内殻に押し込めた。当分は出てくることがないだろう。出たってまた虐められるだけだ。
初めて俺がこの城へ来た時と同じ部屋だった。何日か座敷牢で生活させて様子を見、俺達が同伴さえしていれば庭を散歩させても問題ないようだったので、ここへ連れてきた。人目につかなければ別にどこでもいいはずだが、これからやることを考えると密室の方がベターな感はある。混乱というものは外へ漏らすべきではない。
「……えと、ああの、その……」
レギウスは変わった。当たり前のことだが、俺達に対して怯えるようになった。正確には、怯えを隠せなくなった。卑屈にもなったし、挙動不審が板についた。脱走以後のプレイは仕置に近いものがあったから無理もないが、完全に従えたわけでもないから注意は必要だ。こいつを廃エルフにしたのではなく、あくまで現時点での抵抗は全く無益だと思い込ませているだけなのだから。
「もちろん仰る通りにはいたします。いたしますが、その、こう、急にやれと言われても、あー、その、ええと、すぐにというわけには、いか、ないのです、けど……」
「わかってるよ。お前の魔法は円環型だから、そりゃ魔法陣を描くのに時間がかかるだろう。そのくらい待つよ」
「いえ、あの、その、そうではなくてですね、」
「他に何か?」
「あー、その、必要なものがありまして、それがないと、完成しません。はい」
俺が椅子から立ち上がりかけると、レギウスは自分を庇うように両手を前へ出した。
「こいつは驚いた。どういうわけか初耳だな。え?」
「やめなさい。訊かなかった私達の落ち度よ」
言われてみれば、細かい条件等については追及していなかった。俺も姫様もとにかく従わせることが大前提だと考えて、それだけを最優先目標に設定していたから、なんとなくその他のことが抜け落ちたらしい。
「触媒型との複合だったのね。それで、何が必要なの?」
まあ、姫様なら大抵のものは手に入れてしまうとは思うが――しかし、それでも厄介なものがパッといくつか思い浮かぶ。例えば臓器とか、
「金剛石です」
「金剛石?」
ダイヤモンド。この世界にもあるのか。まあそりゃあるよな、炭素の同素体だし。
「あっ、あっ、いえ、一般に宝石と呼ばれているもののほとんどが、私の魔法には反応します。ですが、その――フブキ様を召喚した時、初めて、金剛石を使ったのです。正確には、研磨された金剛石です」
「原石だと何か不都合があるの?」
「あ、はい、本当のことを言うと、最初の実験で研磨されていない金剛石を使いました。条件付けは、フブキ様を召喚した時と同じです」
「……それで、何でその時に俺が出て来なかったんだよ」
「えと、はっきりしたことは、申し上げられませんが、それまでの傾向から考えると、基本的には研磨済みの綺麗なものか、元々美しい状態の宝石でなければ、感覚的に魔力の通りが悪いとでも言いましょうか……それが結果にも反映されてしまうものと思われます」
「……それで、俺の代わりに何か出てきたのか」
「はあ、その、こういうことは言ってもいいのかどうか……お気を悪くするかも」
「言え」
「はい。……今思うと――あの肉の塊は、ヒューマンだったのかも、しれません」
「なるほど、よくわかった」
そういう不完全、か。
「しっかし、対価が宝石とはな。じゃんじゃんばりばり使ってけないわけだ」
「はい。正直申し上げまして、私は研究よりも金策に奔走していたクチでして。しかも、その割に大きな成果も上がっていませんでしたから……国の保護を受けられなかったのです。特にマーレタリアは、現在の版図でも宝石の産出量が決して多いとは言えません。いくらヒューマンが住んでいた土地を併呑しようとも、そのように高価なものを、一介の生活級に支給してくれるわけがないのです」
この辺りの話を聞くに、魔法使いの分類に関してはヒューマンもエルフも共通している。そもそも、こうして同じ言語で会話ができている時点で、互いに憎み合っている割には、ヒューマンとエルフは共通点を持つのだ。もっと言えばドワーフも。そのものズバリ共通語という言語名にそれがよく表れている。エルフもドワーフも、そしてヒューマンのいくつかの国々でさえも、かつては固有の言語を持っていたし使っていた。だが、俺はエルフのレギウスに召喚されたにも関わらず共通語しか喋るように設定されず、また現在のセーラム周辺でも古語の話者は絶滅危惧種となっている。共通語で全て足りてしまうのだ。これはかつて、つまり三百年戦争を始める前のことだが、異種族同士で手を取り合うか、積極的に交流を図った時代があったことの証拠だろう。それぞれ独自の社会体制も敷いてはいるが、特殊すぎない。明日から置き換えられてしまっても十分対応できるようなものにとどまっている。
元を辿ると、実は同じ場所に到着してしまうのではないか――という仮定のもと、図書室の文献を読み漁ってはみたが、確証が得られるほど質のいい情報はなかった。しかし、もしこの仮定が正しいとすれば、三種族間の仲が今こんなに悪くなっているのは、頷けるどころか自然だとさえ思える。そういう生物として当然経るべき過程の只中にいるだけだ、と。
「金剛石の他には、何を試してみたのかしら? 宝石の種類によって召喚できるものが変わる、ということなの?」
「はい。例に出しますと、藍玉を使った時には、海水と思われる液体が、そうですね……この部屋の床なら全部濡らしてしまえるほど溢れ出てきました」
アクアマリン。なるほど。
「ただ、藍玉を使った召喚はもう一度行ったのですが、その時は泥水でした」
「結果が安定しない、ということ?」
「わかりません。ゼニア姫様の言う通り安定しないだけかもしれませんし、その時の藍玉に不純物が混じっていたせいかもしれません」
いつの間にかレギウスの喋り方が安定感を取り戻してきている。
おそらく話題に研究内容が混じり始めてきたからだろう。
現在の彼に希望が残っているとすれば、それは皮肉ではあるが、こういう状況に置かれたことによって自分の魔法が先へ進めるかもしれない、という期待である。
そのように俺達が誘導した。
「同じように、翠玉を使うと植物が召喚できるのですが、最初は花――チューリップが赤、黄、白の三色でばらばらに、1:2:7の比率で出てきました。根に少しだけ土が付いていましたね。次に木、ハルニレの若木です、鉢に入っていましたから、どこかの家から持ってきてしまったのかもしれません。最後に、これは何かの葉なのでしょうが、知り合いの研究者に訊いても種類がわかりませんでした」
エメラルド。なんだか触媒と出現物の関連性がイメージ通りというか、もうちょっと捻ってもいいんじゃないかと思わなくもないが、それをレギウスに言うのがお門違いなのもよくわかっていた。誰が決めたわけじゃない。
「それの特徴は?」
と姫様が訊ねた。彼は答えた。
「はい。えーと……まるいですね、でも、円ではないのです。中心まで切れ込みが一つ入っていて、――片面だけが、一度水に浸したかのように濡れていました」
ほとんどなぞなぞのようなものだった。ヒントが少なすぎる。
第一、この世界固有の植物だったらお手上げだ。
俺はしばらく考え、しかし、
「……スイレン?」
と言った。
「ああ、なるほどね……」
と姫様も頷いた。
「ディーンを訊ねた時に見たことがあるわ」
ますますそのディーン皇国とやらが大昔の日本なんじゃないかと思えてきたが、シアマブゼの一件もあるし、実態をこの目で見ないうちから妄想を膨らますのはやめにした。これ以上やるといつかギャップが大ダメージを生みかねない。
「お二人ともご存知で。あれはどういう植物なのですか?」
姫様が無言でじっと俺の顔を見た。
「……別に変な植物じゃねえよ。池とかの底に根を張って、茎を上に伸ばして、葉っぱを水に浮かせるんだ。それだけ。正解ですか、姫様」
仕方なくそう説明する。姫様も首肯する。レギウスは言った。
「……すごい」
嫌な予感。
「言われてみれば、おそらく別の部位に繋がっていたと思われる跡がありました! そんな植物があったとは……池にたくさん、あれが浮かんでいるということですか?」
「大体はそうだ」
答えない方がよかったかもしれない、と思った時にはもう遅い。
レギウスの表情は好奇心で埋まりかけていた。椅子から立ち上がり、俺の方へ駆け寄ってくる。
「じゃあ、じゃあ、これはわかりますか、あのですね、まったく未知の材質だと思うんですが、」
「いい加減にしろ! クイズ番組じゃねえんだぞ。要はダイヤがありゃいいんだろうが!」
俺は強風を起こしながらそう怒鳴った。レギウスが再び萎縮し、椅子に戻る。
それにしても効率の悪い魔法だ。国が援助を出し渋ったのも頷ける。宝石と水や花のやりとりじゃ、ちょっと釣り合わない。前者が飲むのに適した水なら、状況や量次第でまだ開発後の効果も期待できるというものだが……。
まあ、それも、ダイヤモンド一つと魔法使い一人の取り引きになれば、話は変わってくる。この非常時なら尚更だ。
だが、綺麗に研磨されたものは、手に入るのだろうか。
確か、ダイヤモンドってダイヤモンドで磨くんじゃなかったか。出来のいい機械なんて無いから当然手作業なわけで、一体どれだけの手間をかけて仕上げられるものなのか――俺の想像を遥かに超えている。
大きなものとなれば、お貴族だって持てるかどうか。
「どうなんですか、姫様。そもそも用意できるものなんですか? 金剛石」
王族なら、あるいは?
残念なことに、姫様は首を振った。
「いくら私でも、そうそう手に入るようなものではないの。きちんと磨き上げられた金剛石……素晴らしいわ。それだけで永久に国庫へ収めておくべきよ」
心の中が一気に曇天まで変わった。思わず目頭を押さえる。
「でも、ちょっと待ってて。取ってくるわ」
顔を上げた。
あんのかい。
本物だ。俺は目利きじゃないが、でも、言い切れる。
指輪に向かない大きさのダイヤは初めて見た。
「これ、私物?」
敬語も使い忘れて、俺はそう訊いた。姫様はこう答えた。
「取っておくものだわ」
「……流石に出所が気になりますな」
「ドワーフなら、不思議はないということよ」
「また髭の国から有難い贈り物ですか? 一体どうなっているんです」
隕鉄の剣もそうだが、どうもこのお姫様はドワーフにコネのようなものがあるらしい。
それは霞衆とのラインのように一方的なものかもしれないが、強力な繋がりには違いなかった。こんな現物が手に入るというのなら――。
「いくらぐらいするんですこれ」
「聞きたい?」
「結構!」
姫様はレギウスの方を向き、立派な金剛石を差し出した。
「これで足りるかしら」
レギウスは絶句していた。すぐには受け取らなかった。
「どうだ、俺くらいイカしたやつは喚べんのか?」
「――あっ、は、はい。はい召喚できると思います。フブキ様を喚んだ時と同じか、もしかしたらそれ以上に、この金剛石は大きいかもしれません。それに美しい……ドワーフの技ですか? これなら、これなら……」
「やってくれるわね?」
レギウスは頷き、おそるおそるダイヤを手にした。
「……では、参ります」
そう言って、魔力を放出する。
その魔力はダイヤへ収束され、輝きを放ち始めた。
俺は一応身構えたが、それを気にしたふうもなく彼は屈み込み、全身を使って、床にまず大きな円を描いた。
ダイヤモンドで、描いた。
魔法の発現に際して消費するものだとは思っていたが、まさかこんな使い方だとは。
レギウスは軽石のようにダイヤを扱い、外側へさらにもう一回り大きな円を描く。描いた分、ダイヤが磨り減っている。
彼は一旦立ち上がった。
「私は標準的な円環型の性質を持っていますから、これで基本形です。ここから、二つの円の間に、条件付けのための式を書いていくのです」
「その、条件付けってのは、一体どういう基準でやってるんだ? よく考えたら、持ってくるものがわからなきゃ、手探りじゃないか?」
「いえ、そこは、宝石を手に取った段階で、ある程度何を喚べるかの雰囲気は掴めるのです。金剛石に初めて魔力を通した時、私は生き物の召喚を確信しました。それで、立って歩く生き物、という条件を付けたのです。結果は芳しくありませんでしたが」
「ふーん……」
「フブキ様に使った金剛石は、それは見事な大きさで、美しさも兼ね備えておりました。なので、あの時は少々無茶な条件付けを施したのです。二つの足で歩く者、共通語で話せる者、そして、魔法が使えるように、風の化身、と。欲が出たことは認めます。ですが、あの金剛石はそう思わせるほどの出来だったのです。もう二度と手にできないと思っていました。それで、まあ、フブキ様が召喚されたのです。正直に申し上げまして、ここまで力を持ったお方になるとは、私は思っていませんでした。元々、闘技場で活躍させる程度の期待しかかけておりませんでしたし、私の魔法の実力から言っても、私より強いということはないだろうと考えておりました。要は、人気と結果が出て、国から出資してもらえれば、何でもよかったのです。マイエルは別の意味で喜んでおりましたが、私にとっては、あの日、竜巻を目の当たりにするまで諦めていました」
「ま、実際――俺はヘボかったわけだしな」
「彼の魔力へ直接触れたことによって、何かの制限が解除されたのかもしれませんね」
それに関しては俺は別の見解を持っているが、ここで議論をする気はなかった。
後でいくらでもその機会はあるだろう。
――にしても、風の化身って、そんなあやふやなものだったのか。
「細かく付けようと思ったら、条件の項目はいくらでも増やせるものなのか?」
「それ自体は可能ですが、結果への影響を考えると、あまり多すぎたり矛盾しているものが加わると、まず成功しないのではないでしょうか」
「それは同感だな。で――どういたしましょうか、姫様」
「そうね……私としては、戦力さえ増えれば、そう多く注文は付けないわ。確かに二足歩行で、共通語を話せるという条件は妥当ね。それはそのままで――風の化身が二人というのも芸がないから、今度は、水の化身を喚び出しましょう」
「うん、それがいいでしょうな」
役割分担になるし、対応力も増す。
「では、以上で?」
「あなたは何か、付け加えたい条件がある?」
と姫様は俺に訊ねる。
「いや……まあ、ないことはないですが、こいつの言うことが本当なら、あまり増やすのも考えものな気はします。それで失敗したら目も当てられないですし」
「責めはしないわよ。もちろんダイヤはもう手元に残っていないから、数は絞ってもらうけれど。とりあえず私の注文を書いてもらっている間、考えてみたら?」
「うーん……」
そうは言うがな、既に上がった三つで、十分俺に近い奴が出てきそうな気はするんだよ。
レギウスが式を書き終わり、こちらの様子を窺う。
姫様も、いつもの無表情で促しているように思える。
俺は言った。
「じゃあまず、日本にいる者」
「……どこですか、その、ニホン、は」
「俺がいた国だ。ニホン、な。そうそれで合ってる。同郷の方が、召喚した後色々な説明がしやすいだろう。それと、若い者」
「若い者、と……」
赤ん坊が出てきたらそれはそれでマズいが、老人よりはよほどいい。
「あー、最後に、これが一番大事だ。ろくでなし。――これも条件に加えろ」
いやな国だったが、故郷は故郷だ。観測できないとはいえ、優秀な人材をいきなり引っこ抜くのは忍びない。いてもしょうがない、というか、いない方がいい奴を選べた方が、どちらも得をするはずだ。
それに――むしろこちらの方がいいのではないか、という気もしている。
俺のようなろくでなしにこそ、適性があるのではないか、と。
最後の条件まで書き切ると、レギウスはすっかりダイヤモンドを使い果たした。
一度こちらを見てから、円環に両手を添える。
魔法陣は俺が召喚された時と同じように輝いていた。
「いきますよ、いきますよ」
「――やりなさい」
姫様の号令で、一際強く、煌めいて。




