4-1 緊急会議
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その日も十三賢者は揃わなかった。
「では――仕方がないので、緊急会議を始めてしまいたいと思います」
緊急会議であるのに、揃わなかった。無論、全員出席、時間厳守、重要議題、関係者召喚、と各員へ通達されている。通達完了の確認さえ取れていた。
半刻遅れの開始であった。
「今回の議題は、メイヘムにおける敗北と喪失です」
これが非常に由々しき事態であることは、司会を務める外務代表にとっては疑うべくもない。遅刻した魔導代表にとっても、その他の代表にとっても、マーレタリアの大多数の民にとっても、それは同じはずだ。
実際に集まったのは六名だけ。十三の半数を割っている。
五百歩譲って現在首都にいない内務代表と生産代表と環境代表を咎めないとしても(それとて運搬魔法家を特別に用意してあったのだから十分な言い訳にはならない)、残りの法務代表、教育代表の態度は明確なサボタージュである。
そもそも、十三賢者のまとめ役である総代表が欠席しているから始末に負えない。
――尤も、これに関してはここしばらくのいつも通りではあったが。
「それでは軍務代表、概要をお願いします」
軍務代表が椅子――切り株――から立ち上がり、外務代表は同じように並んでいる切り株へと腰かけた。それは非常に大きく、腰かけるどころか上で胡坐をかいてもまだ余裕がある。
この評議所だけが、賢者の森では唯一拓かれている場所なのである。円形に十三の切り株が配置された、小さな広場。それ以上でもそれ以下でもない、ただの広場である。
それでもここは十三賢者の、ひいてはマーレタリア発祥の地なのだ。
歴代の賢者達は皆ここで意見を戦わせ、問題を討議し合い、エルフ民族の行く末を案じてきた。時代がいくら新しくなろうとも、エルフはいつまでもこの陽が当たる広場で物事を決めていくだろう。流石に雨の日もここでやるということはないが。
「概要ね……。俺よりも、さっさと当事者達を招いて訊いた方がいいと思うが、報告はこちらでも受け取っている。セーラムの首都を落とすために本隊を例のルートで動かしたのは、前に話した通りだな?」
軍務代表はその名の通りマーレタリア国軍を統べる。現在はこのディーダ元帥という中年男性が務めており、全軍の指揮権を委ねられていた。肩書きに反し、自他共に認める細身の貧弱な戦士で、自身は戦場まで出ない主義だが、開戦当初の劣勢を覆した伝説の女傑、エメリカ・ベグジットの一番弟子として三百年戦争の後を継ぎ、以来そつなくヒューマン同盟を締め上げてきた。
その評価は現在でも二分されており、地味だが手堅い成果を繰り返し挙げ続ける真の戦略家とも、師の遺産を引き継いで目につかぬほど緩やかに食い潰しているだけの凡将とも言われる。今回の敗北が目も当てられない失敗として後者の評判を大きく底上げすることは確実と思われたが、元帥がそれを気にしているようには見えない。
この男が無感動な性格であることは関係者には知れ渡っていた。彼のこれまでのキャリアに幾度か訪れた窮地でも変わらず、その姿勢は貫かれてきた。それが結果的にプラスの働きをしたことは否めない。冷静沈着、というのとはまた違うのであろうが、動揺しない、動揺を見せない、という部分では、全く同じことだったのである。
「将軍によると、途中までは問題なく進軍できていたそうだ。いや、実際のところ、本隊には全くもって何の問題もなかった、と俺は考えている。挟撃を受けたことはまた後で話すとして、やはりメイヘムが突破されたという事実が重い」
魔導代表が手を挙げた。
「そもそも、その情報は確かなのかね?」
ほとんど野次のようなものだったが、軍務代表はただ、それを受け止めた。
「確かに今朝入ってきた情報だ。心配ならもう一度確認させるし、新しく誰かをここに呼んでもいいが、そこまで時間をかけることもないだろう。――さて、突破というのは正確ではないな、ヒューマンはもうあそこを再占領したと言っていい」
「また取り返せばいいだろう。……なーんて内務のヤツは思ってんじゃないかしら?」
と流通代表が言った。軍務代表はこれを完璧に無視し、
「こちらは衛務代表にも報告されていると思うが、メイヘムの住民を全て避難させることはできなかった。敵軍侵攻に対して内部で混乱が起こったためだ。まだ正確には数え終わっていないようだが、あの様子だとおそらく半数かそれを下回る。我が軍の損害は、まず第六火球中隊が消滅、」
空気が変わった。
「次に、メイヘムへ残した防衛戦力八千のうち三千二百――迎撃部隊と外壁に置いた兵だが、これもおそらく消滅している。中に詰めていた千もほとんどやられた。残りは住民と共に脱出した。幸いと言っていいかわからないが、この残りは無事だ。本隊は将軍が早々に見切りをつけて交戦せず後退に徹した……こんなところだ」
「はい、はい」
流通代表が今度は手を挙げた。まだ若々しく愛嬌の目立つ女性である。
「消滅、というのはどういうこと?」
軍務代表は簡潔に答えた。
「文字通り消滅だと聞いている。――質問攻めが始まるのならこのへんにして、そろそろ彼らを喚んでやったらどうだ、外務代表」
「そうですね。ポーターがメイヘムから何名か誘導してきました。詳しい事情は彼らが知っているはずですから、質問はそちらに。……彼らをここへ!」
外務代表がよく通る声を木々の向こうへ示すと、少し間を置いて三名の男達が姿を現した。うち一名はまだ若く――しかし、それに見合うだけの活力が失われているようだった。賢者の広場に召喚された者の反応は大別すると三種類で、一つは自身もそれなりの地位にいるので、特に動揺もせず普通に受け答えをする。もう一つは雲の上に招かれたと勘違いして取り乱し、回答者にとってそれほど難しくも後ろめたくもない質問でも要領を得なくなる。そして最後の一つは、これぞチャンスとばかりにいい格好をしようとしたり胡麻を摺ろうとしたりする。
若者はおそらく例外になるのではないか、と賢者達は考えた。
「右から、市長を務めていたマコットン氏、防衛司令を務めていたナボフ将軍、闘技場で管理と興行を行っていた、ええと、」
「マイエル・アーデベスと申します」
「そう、アーデベス卿。治癒魔法家でしたね。彼ら三名から話をお聞きしたいと思っています。よろしくお願いします。流通代表、先程と同じ質問を」
「ああ、はい。軍務代表から火球隊が消滅したと聞きましたが、どうもその……よくわからない。詳しい状況を説明できますか?」
「はい、私からお答えします」
と防衛司令が言った。
「探知要員がセーラム側からの侵入に気付いて、私は火球中隊を迎撃へ向かわせました。敵部隊の戦力は騎兵で統一された百六十四、うち魔法戦力が二と、ごく少数だったからですが、あまりに少なすぎるので警戒の意味も込めて中隊規模、ということです。交戦とは別に目的があるのではないかと推測しました。しかし、実際にはヒューマン共は一騎――いえ、一人だけをこちらへぶつけてきました。魔法戦力の片割れです。それで、火球中隊は消滅しました。一瞬で消されたのではなく、一名一名丁寧に、敵の魔法使いが彼らを殺したのです。中隊は完全に手玉に取られていました。初手で頭を潰され、しかも戦闘開始後の展開をわざと待たれたような節がありました。敵は風魔法使いで、その時点で中隊の飛行管制官を大幅に上回っていました。瓦解した後も追撃の手は止まず、何者も撤退することが叶わぬまま、中隊は消滅しました」
「何者も、と言ったな」
沈黙を保っていた財務代表が口を開いた。
見目麗しき(エルフ数えで)妙齢の美女だが、雰囲気からして柔軟性に欠けている。
「すると当然、」
「はい、その通りです」
先を言わせる前に、防衛司令はそう答えた。
「彼我の実質的な戦力差を見誤り、貴重な魔法戦力を一部隊丸々失ったことは、私の不徳の致すところであります。全責任は私にあり、いかなる処罰も甘んじてお受けいたしますので、何卒、」
「そういう話は後にしてくれ」
と衛務代表がうんざりした顔で言った。財務代表も疑問を呈する。
「敵軍の魔法戦力にそんな余裕はないだろう。わざわざ本隊を挟撃したのは、大がかりな陽動だったということか?」
これには軍務代表が答えた。
「いや、本隊の索敵要員が敵主力に相応の魔法戦力が含まれていたのを確認している」
「じゃあ……なんだ、敵がどこかから新しく強力な魔法戦力を持ってきたとでも?」
「持ってきたのです」
と、マイエル・アーデベスが答えた。
「ヒューマンではなく、我々が」
「……どういうことなんだ」
アーデベス卿は魔導代表にちらりと目を向けた。魔導代表は鷹揚に頷き、他の代表達はここで彼らが知り合いであることに気付いた。
国立魔法開発学院、略して魔導院である。魔導代表はその長が務めることになっており、基本的には最も強力な魔法使いではなく、最も魔法使いを育てた魔法使いが就任する。感覚の世界である魔法を育てることは、ある意味その導き手自身がどのような魔法を使えるかどうかよりも重要な能力である。現在の魔導代表は見た目からはっきりとわかるほどの老翁、バーフェイズ学長である。重ねられた年齢が実績を保証しているようなものであった。彼は説明を始めた。
「前の前の前の前の評議だったかな、貴女はいらっしゃらなかった。その時、話には出ていたのだ。どうやら耳に届く前のどこかで立ち消えてしまったようであるが、実は吾輩の弟子が召喚魔法の復元に成功してな」
「――何? ……それで?」
「うむ、結果が完全に成功とわかるまでは隠しておきたかったらしくてな、そこのマイエル坊やとつるんで色々準備していたようだが、風の化身を喚び出したつもりで、戦士でもないただのヒューマンを顕現させたと……相変わらず夢見がちなことだ。それで、役立たずなのがわかってから、闘技場で奴隷としてしばらく闘わせたと、そうだな?」
アーデベス卿は頷いた。
「私と、レギウス・ステラングレ卿――召喚魔法家の名ですが、彼と一緒に闘技会のマッチング等、運営について考えていたので、その関係で召喚したヒューマンに94番と数字を振って、力を隠していないか試したのです。結果は……今でも私は、その時の結果もまた真実であると信じております。三月もの間、94番はただのヒューマンだったのです。斬られ、溶かされ、食われて簡単に死ぬヒューマンだったのです。私が治癒魔法をかけなければ簡単にその命を失う、貧弱な……。どの時点で間違えていたのか、私にはもうわかりませんが、決定的だったのは、若い風魔法使いと闘わせた日の、竜巻でした。94番はいつものように死にかけるはずでした。しかし、街の外壁を破壊し、弓騎兵隊を振り切る速さで走り、矢も当たらず、最後には魔力が尽きて、谷底の川へ転落し、流されたのです」
「察するところ、火球隊と交戦した風魔法使いというのが、その94番なのだろう」
防衛司令もまた、頷いた。
「その通り。……のようです。どのようにしてかは不明ですが生き残り、セーラムへと潜り込んで、少数とはいえ兵を率いる立場は手に入れた模様です」
「――信じ難い」
と財務代表は言った。
「が、メイヘムに追加で予算が必要だった真の理由としては納得した。報告に不備があったことはここで咎めても仕方がないから、後々追及するとして……竜巻を発生させられるのなら、天災級ということになるが」
「そこが大問題、ということになりますね」
外務代表は再び立ち上がり、一同を見回した。
「それだけの戦力がヒューマンの手に渡った、というのはもちろん、それだけの戦力を生み出す可能性のあった魔法家を失ったわけですから」
「当然だよ。レギウスの研究を国は保護する気がなかった」
と魔導代表は言った。
「今この場に彼がいないのがいい証拠だ。大方、逃げそびれた挙句に、マイエル坊やの治癒魔法の方が有用だからと、ポーターへ押し付けたのだろう。そもそも最初から好きにやらせていれば、メイヘムなんぞでコソコソさせる必要もなかったと吾輩は考えているが、まあ……天災なら、どのみちこうなっていたのかもしれん」
だが、召喚魔法がいにしえの時代にしか登場しない夢物語であることもまた、事実であった――これまでは。無論、まだ疑ってかかることはいくらでもできる。ただし、本当かどうかを一旦置いたとしても、敗北という結果は既に出てしまっている。
「禍というものは生物には御しえぬからな」
「――脅威だ」
と軍務代表は言った。
「そのままメイヘムの防衛隊も吹き飛ばされたと聞いている。話にならんよ。一対一でその94番とやらを倒せる者がいるか、確実なことが言えない。倒せるとしても、竜巻を繰り出してくる相手だ、特別なセッティングが必要になるだろうな。ただ……それでも、今までの我々なら対処できていたかもしれない。しかし、ここで挟撃の方の問題が立ち上がってくる」
そう、軍務代表の言う通り、おそらく部隊運用に関していえば何も問題はなかったはずである。ヒューマン同盟は何も知らないまま、気付いた時にはセーラム首都決戦を強いられることになる。そのための山岳経路だった。
しかし、蓋を開けてみれば、逆にこちらが挟撃に気付かされる形となった。
「私はこれを奴らの先読みとは思わない。ヒューマンは知っていたのだ、我々の山越えをな。奴らは然るべき手を打ち、然るべき逆撃をこちらへ加えただけだ。だから問題は――どうして知り得たのか、ということになる」
衛務代表が言った。こちらも軍務代表と同じく中年男性だが、いくらか先輩になる。
「内通者がいるってことか? 蛮族領から漏れたか!」
「いや、それで向こうに得があるとは思えないな。元々この戦争に迷惑して不干渉を決め込んでいた奴らだ。今回は随分と無理を言ったが、だからといって我々を売るなど選択肢にも浮かばないだろう。むしろこんなことになるならやめておけばよかったと後悔しているだろうな。我々とヒューマンの両方に踏み荒らされるところだった」
「しかし、万一ということはある」
「そうだ、もちろん万一ということはある。だが俺としては、万一よりはまだありそうな可能性の方を追いかけたい」
「――もしや、我々の中に?」
「そう言っているわけではない。ただ、今回の件に関しては我々の行動が相手に知られていた、これは事実として考えた方がいい――手段がどうであれ、ヒューマンは知っていたのだ。これは今回限りかもしれないし、この先ずっと付いて回るかもしれない。言えるのは、そのせいでこれから怯えて暮らさなければならなくなったということだ。我々は確かに強大だが、いかなる攻撃も通らなければ意味を為さない。いつも言っているように、完全な態勢を取ることは不可能だ。これからも読まれるようなら、マーレタリアは滅ぶ。こちらの都に風が吹くぞ」
軍務代表は無感動に提案した。
「急ぎ、新しい戦略を考えなければならない。用意しておくべき時期は、既に過ぎ去っていたのだ」




