3-3 飛び出せ人間の城
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その日、デニー・シュートを意外な客が訪問した。
その男には見覚えがあった――というより、見覚えようと思って一度会いに行ったことがある。男の名はフブキといって、第三王女ゼニアに召し抱えられている、いわゆる宮廷道化師である。近頃人の出入りが激しいこともあってか、その登場時間の短さにも関わらず一部で瞬く間に有名となり、話題をかっさらっていった。
デニーは上司の付き添いの代理で初回の公演を偶然見る機会を得ただけだが、翌日には個人的なお願いをしに彼の私室を訪れていた。その時に一週間ほど待つとは言ったが――しかしその厳密でない期限もとうに過ぎてしまっていた。まさに彼は忘れた頃にやってきたのである。
道化師現る、の報を聞いた際には耳を疑った。しかしとにもかくにも、デニーは自身の決して広いとは言えない個室にフブキを通すことにした。
「まあ、座ってくれ」
しかしフブキは座らなかった。身動き一つせず、道化師らしからぬ鬼気迫った表情でデニーを見つめるばかりであった。会うのは二度目だが、相変わらずプライベートでは余裕のない男だ――とデニーは思った。
「いや、まあ、おれは別に構わないがね。そのままで疲れねえの?」
彼自身が冗談を生業にしているせいかはわからなかったが、この冗談は些かもフブキを揺り動かさないようだった。
「それにしても……あれから一ヶ月以上は経ったと思うが、まさか今更、上の許可が下りたってんじゃあるまいな?」
この問いに対するフブキの返答は、こうだった。
「デニー・シュート、あんたに頼みがある。呑んでくれたら、好きなだけ踊ってやるよ」
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「正直言って、俺はあんたを訪ねたことが正しいのかわからない。だが、他に手は思いつかなかった」
嫌な予感はしていた。
やりすぎてしまったんじゃないかと――そんな気が。
「――何のことか、きちんと説明はしてもらえるかな?」
俺は頷いた。
軟禁の報が知らされたのは、出兵が決まった日のさらに翌日だった。姫様からの遣いが部屋を訪ねてきた時、俺はてっきり出兵の準備が迅速に進み始めていて、秘密兵器としての自身にも、多少打ち合わせの必要が生じたのかと考えた。
「あのクソ親父が娘を溺愛しているのはわかっていた。だから姫様もそこに付け込んで五十か一万を選ばせた。うまくいきすぎたくらいにうまくいったと思ったが――結果を見れば明らかだ。追い詰めすぎたんだ」
やってくれた。
当初の予定通り、五十の罪人を俺に貸し付けて、姫様は城の外へは一歩も出さないというのだ。いや、城どころか――どうも専用の部屋から動かす気さえないらしい。
聞いた時はマジで頭の中が真っ白になった。
王様は優しいから、俺を消すことまではしなかった。それが救いであると同時に問題だった。俺の身動きが取れなくなるというのならまだやりようはある。そういうことに関しちゃ、姫様の方が裏技を心得ているはずだろうから。
だが俺には――姫様をお救いする術など見当もつかなかった。それだけならまだしも、姫様の目論見がうまくいかない場合は――即ち、エルフにポイントが入ってしまうことを意味していた。
そう、あのおっさんは根本的なところがわかっちゃいないんだ。知らされていない、ということでもあるが……どのみち兵を出さなければ、山越えを成功させたエルフ達が首都になだれ込むというのに――!
うん、山越えが何のことか、あんたにはわからないと思うから説明しておく。それが霞衆から姫様にもたらされた情報のキモだった。
さあさあ、地理の補習をやろうじゃないか。
現在、セーラムが首都とその周辺地域を維持していられるのは、天然の要害がもたらす恩恵に因るところが大きい。西にも北にも山脈が覆い被さっているから、そちら側から攻めようとするとどうしてもコストがかかりがちになるし、そこに住んでいるエルフでもドワーフでもヒューマンでもない何やかやの種族(蛮族で一括りにされていて詳しくは聞けなかった)が支配する領域ではあるから、事を構えないまでも、通行に(特に軍隊の通行に)際して面倒な問題が文字通り山積する。それらを避けるためのコストをしっかり払って、果たしてどれだけの実効戦力を揃えられるのか……というのが普通の結論である。南は全部海だから、この世界の航海技術だとやはり大兵力を揚陸するのは難だし……となると、やはり東へ真っ直ぐ進むのがエルフ側としては一番効率がいいわけで、実際に奴らはそうしてセーラムという国を縮めてきた。ヒューマンの方もそれがわかっていたから、国力で負けていても防衛のポイントを絞ることで、なんとかこれまでグダグダやってきたわけである。
だから、はっきり言って、山側には大した戦力が置かれていない。
それでなんとかなっていた。長い戦争の中で時折現れる膠着状態も、山側には関係のないことだった。が、どういうわけか――単にそれだけの準備をエルフ達が終えてしまっただけだとは思うが――霞衆からの情報は、山側からの攻略軍を伝えていた。メイヘムに防衛戦力を残しつつ、別方面から首都への突破口を開こうというのである。
えらいことだ。
この作戦が成功すれば、やわらかい群馬から埼玉辺りにかけての平野部などひとたまりもない。たちまちのうちに喰いちぎられた上、首都攻めの経路が二つに増えてゲームオーバーだ。
え? もうしょうがないからお前と懲罰隊だけでメイヘムへ行きゃいいだろうって?
馬鹿言っちゃいけない。神輿が無いのに祭りを始めてどうする。
「俺と五十人だけで行ったって意味がねえんだ。姫様がいなきゃ、何の意味もない」
確かに神輿は戦闘力には寄与しない。でも、戦闘力には理由が要る。大義名分と、それに伴う士気ってやつだ。実際どれぐらいの効果があるのか俺にはわからないが、現状は無い無い尽くしだから、せめて物理的に用意できないものくらいは、揃えておきたいところじゃないか?
というのは冗談にしても、一万の大軍が見込めなくなった今となっては、姫様だけでも引っ張ってこないことには、本当に狂人の暴発ってことで終わってしまう。メイヘム攻めが成功したとしても、すぐにそれを維持できなくなるだろう。逆に姫様さえ連れて行けば、どうしても国の人間がそれを追わなければならなくなるから、後から人員を揃えられる。あの王様なら絶対にそうする。とにかく、姫様さえいれば融通を利かせてもらえる目もあるが、そうじゃなければ全く希望はない。後ろ盾ってのは大事だな。
それになにより、姫様の手柄にしなければ意味がない。
俺が手柄を立ててもたかが知れてるが、姫様にはそれを増幅する力がある。
「だからって、おれの小隊を増やしたって焼け石に水だろう」
「そこは大丈夫だ。実際に戦闘するのは俺だけだからな」
「――何だって?」
それで、俺はこの少尉にも自分がいかにエルフへ特攻できるか説明した。
「ハッタリは信じてもらえなきゃ意味ないんだぜ」
「ハッタリじゃねーって!」
「でも、王様は信じなかったわけだろ?」
「……まあ」
簡単に信じた姫様の頭がおかしいんだ。
大体、俺だってまるっきり信じてるわけじゃない。
「それで、仮におまえ一人でエルフの相手ができるとして、だ。おれたちは何をすりゃいいんだ? おまえらだけでなんとかなりそうな気もするんだが」
「用兵はあんたの方が専門だ。そのための教育も受けている。俺はどこまでいってもアマチュアでしかない。この差は歴然としている。よって、俺が兵を纏める必要を感じない。少なくとも姫様を取り戻すまでは、あんたの力が必要なんだ。姫様を連れ出すために動いてもらいたい。俺の五十人じゃ心許ないからな」
正確には五十四人である。
よくわからないのだが、この国の軍隊は九の倍数がお気に入りらしい。
「百八人のうち六十三人を、俺の隊の監視につけてもらう。逃げ出したり面倒事を起こしたりしないようにな。残りは、盗みをやったり、脅したり、物を運んだりしてもらう。俺が姫様を拾った後、そのままメイヘムに向かう」
この奪還作戦が難しい。
なんてったって反逆罪だからな。
「やなこった」
当然だ。
「なんでそこまでの危険を冒してやらなきゃならないんだ? 兵をどうやって説得すればいいのやら」
「だから、協力してくれればあんたらのための特別なショーを開くよ。きちんと成功すれば、お騒がせの罪も帳消しになる。それどころか大手柄だ。姫様が出世街道の通行権も約束してくれる」
「そう上手くいくとは思えないな」
それにしても、この男は本当に俺が態度を変えても変わらずに対応している。相変わらずその意図は不明だが、こういう切羽詰まった状況でも余計なところにまで気を払わなくていいのは助かる。
「……わかってる。実のところ、俺から確約できるものは何もない。無条件で手を貸してもらえるほどあんたと親しくもないのもわかってる。一歩間違えば国賊確定の案件だ――容易には決められないだろう。ただ、ここで手をこまねいていたら、本当にこの国は滅びる。それは俺と姫様の共通見解だ。……それと、あまりこういうことは言いたくないんだが、俺の言ったことが現実になれば、真っ先に蹂躙されるのは、きっと、あんたの故郷だ」
これは嘘じゃないと思う。
姫様に会えないことがわかってからすぐ、この男について調べた。時間もなかったしあまり有力な情報は得られなかったが、彼の出身地が予定上既に安全でないことは確実だった。今回の訪問に踏み切ったのもそれが理由だ。誰を頼るにしても、最低限、利害は一致していなければ。
「それは嫌だな……」
デニー・シュートは椅子を動かし、窓の外を眺めた。まだ昼にもなっていない。
「しかし、故郷を失うことには耐えられる」
俺は絶望的な気持ちになって、次の手を考え始めた。
こうなるとやはり手持ちの五十四人を説得して救出に向かうしかない。だが、言うことを聞いてもらえるかどうか、というところからもう不安が残る。それこそ姫様がいれば手間取らずに済むだろうに……最悪、あの人なら恐怖で支配することだってできる。俺はそこまでの自信がなかった。懐柔し、従える自信までは――。
「覚悟も、とっくの昔に済ませた。いつか取り戻せる日が来ると信じることもできる。皆そうだろう。大罪人とされる方が、よっぽどつらい。失われた名誉は土地を取り戻すことより遥かに難しい」
デニー・シュートは窓の外を見たまま、不敵に笑った。
「が、出世は悪くない」
耳を疑う。
彼は部屋の中に目を戻して言った。
「そういう機会を夢見たことがないわけでもない……。こんなご時世、どうせ何をやっても短い命だ。摘まれるよりは、一花咲かせて散ってみるのが、賢い生き方だとは思わないか」
いや、思わないが。
「おい、本当に姫殿下はおれたちを取り立ててくれるんだろうな」
「ああ……そのくらいの良識はあるはずだ、けど」
「よし。その話、乗ったぜ。だが、兵の割り振りは一任させてもらう。五十四人の監視に、六十三人もいらねえよ。さ――時間が惜しい、早速段取りを整えよう。結局、何が必要なんだ?」
「本気か……?」
出世の方に食いついてくるとは思わなかった。
「話を持ってきたのはおまえじゃないか。おれが心変わりしないうちに、進めた方が身のためだと思うがな。今からお前を憲兵隊に突き出したっていいんだぜ」
「それは勘弁して欲しいが……いいのか? 部下に相談したりとか、色々――」
「おまえ何か勘違いしてないか? おれは偉いんだぜ。命令すればついてくるよ」
「その命令の内容がだな、」
「どんな命令でも」
遮った後、指先で机をコツコツと叩きながら、デニー・シュートは続けた。
「ついてくる。おまえにはわからないかもしれないが、そういうものなんだ」
ふうむ。
「――わかった。アテにさせてもらう。よろしく頼む」
「決まりだな。作戦内容は細かく決まってるのか? 基本方針は?」
「実はもう片方の協力者がいて、承諾も得ているんだ。多分、その人が動いている間は、あんたの部下もスムーズに動けるはずだ」
「さっき言ってた、盗み、脅し、運搬、か?」
「そうだ」
「それで、おまえ自身は何をする? どうやって殿下をお連れするんだ? 大体、殿下がどこにいらっしゃるのか、もう掴んでいるのか? これから調べます、じゃ困るぞ」
「大丈夫だ、もう調べはついてる。城には二つの塔があるな? あそこのてっぺんは両方部屋になってるらしい。姫様が囚われているのはその片側だ。だから……」
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ええ、ええ、はい。
本を読むでもなく、一日中窓の外を眺めながら、物思いに耽っていらっしゃって……無理もございませんわ。突然のことでしたもの。いいえ、決して陛下を悪く言うわけでは……ただ、あまりじっとしているのが得意ではないお方だと存じておりましたし――世間の評判もそうでございましょう? 外出を禁止なさるにしても、せめて日に一度はお庭に出られるよう、どうして陛下はご配慮なさらなかったのかしら、と――出過ぎたことを申しました、慎みますわ。
その時の殿下、でございますか? いえ、至って平静でおられました。いつもの通り――と申しましても、わたくしは普段殿下のお世話をする栄誉に預かっているわけではございませんから、その時はそのように見えた、ということになると思いますわ。
はい、そうです、寝る前に水がもう一杯欲しい、と仰られまして、わたくしはそれを部屋までお運びしたのです。そうしたら、殿下はいきなり、星がきれいだわ、なんて――驚きませんか、ねえ? わたくし、そういうお話はされない性格なのかしら、って頭から決めつけていたものですから、なんだか嬉しくなってしまって、ついその場で話し込んでしまって……でも、殿下、意外と、
申し訳ございません。
そんな時でした。急に、とても大きな音が聞こえて、そう、とても大きな音だったんですよ、どかーん、ばかーん、びりびりびりって震えるのがわかるくらい、どかーん、ばかー、はい、それで、わたくし達、何が起こってるのかと思って、一緒に窓の外を見ていたんです。もう少しだけ大きな音が続いて、それから静かになりました。
でも、すぐに別の音がしたんです。今度は大きくはありませんでした。
かつんかつん、と、そういう音でした。
それで、あの方が――あの、フブキという道化師の方が、馬に乗って向かいの塔の屋根にいらっしゃるのがわかったんです。わたくし、目を疑いましたわ。でも、間違いありませんでした。暗かったけれど、あの衣装ですもの、見間違えようがありませんわ。ええ、刺青もきちんと目の下に。
え?
あの方がその時何か言ったか、ですって?
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「御姫、こっちだ!」
姫様が窓枠から飛び出したのと、キップが屋根から飛び出したのはほぼ同時だった。
潔さはさすが――。
彼女の身体能力ならわざわざ空中をランデヴーポイントにしなくても、こっちの屋根まで跳んできてもらうことは可能だろうが、目撃者がいるのは厄介だった。屋根伝いに跳び去っていく方向を把握されたら、面倒が増える可能性は上がる。それに、あの端女も手練れだったら――十分ありえる話だ――そのまま追ってくることも考えられる。仕方なく、下の闇へすぐ溶け込めるようにこの方法だ。この高さからの落下までは真似できまい。
俺は鞍から目一杯――元が短いからたかが知れているものの――体を伸ばして、姫様を迎えた。少しだけ風の助けを借りて、滞空の時間差で姫様がこちらへ落っこちてくるようにした。彼女は寝間着しか纏っていなかった。様々な障害を甘受してでも、敢えて昼に決行した方がよかったかもしれないな、と俺は思った。もう数瞬でも見惚れ続けていたら、きっと姫様を掴み損ねてしまっただろうから。
なんとか腕をひっかけて、予想以上に落下の力が強くて離れそうになって――でも、捕まえた。
引き寄せる頃には石畳も間近に迫っていた。魔法でキップの体を包んでやって、危なげなく着地。なかなかの名馬じゃないか。こいつは決して駿足じゃないし、跳躍力も優れていないかもしれないが、この状況で動じないクソ度胸がある。ちょっとの訓練ですぐに慣れやがった。
見上げると、あの端女がこちらを見下ろしていた。苦笑いしながら軽く敬礼する――姫様はもらっていきますよ――すると、何故か彼女も敬礼を返した。逆に驚かされるが、いつまでもこの場にはいられない。姫様は俺の腕の中からするりと逃げ出して、後ろに回って落ち着いた。
「しっかり捕まってろよ!」
少々の変更はあったが、逃走経路の目途は付いている。俺は迷わずに分かれ道を右に曲がった。
「その服だと一発で誰かわかるわね」
「もちろん。後で責任の所在を明らかにしなきゃならないからな」
なかなか、白馬に乗った王子様、というわけにはいかない。我慢してもらおう。
「――決断できないかと思っていたわ」
「手紙があったのさ。いつ置いてったのかは知らないが――とにかくあんたを助け出せ、と、それしか書かれていなかった」
これでなんとかならなかったら、あいつらのせいにしてやらあ。
「でも、よくあそこまで上がれたわね」
「アデナ先生が、おっとやべえ――」
衛兵の一団に出くわして、急遽ルートを変更する。
「優しく上げてくれたのさ!」
もう片方の協力者とは彼女のことだ。軟禁状態の姫様に面会を望む、という名目で来てもらった。曲者に偶然出くわして、その場には先生しかいなかったから、捕まえるために大暴れって寸法だ。今頃は衛兵達を誘導してくれていることだろう。間違っても罪は着せられないから、ここでお別れだ。
「……私の剣は、持ってくることができなかったでしょうけど、代わりは用意されているのかしら」
「いや、予定通りなら、もう運び出せているはずですよ。鎧から下着まで、馬のマウジー殿も、全部」
「――他にも誰かが? よく協力してくれたわね。どんな取引をしたの」
「俺じゃなくてあんたが取引するんですよ、姫様。この作戦が成功したら、きちんと取り立ててやってくださいよ、そんだけの価値はあると思うな、あの男――デニー・シュートにはね」
俺達はもう城を脱けて、寝静まった街へ出ていた。
デニー隊とは外で落ち合う手筈になっている。
戦端は、既に開かれていた。
2015/03/23 ミス修正 北が南に南が北に




