3-2 父親泣かすに刃物は要らぬ
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ついにここまで来たか、と俺は思った。
姫様の口添えとはいえ、直接王陛下にお目通りするのだ。この国のトップ! 川へ落ちた時からは想像もできなかったじゃないか? 時間はかけたが、順調であるのには違いない。道化師とはいえ、宮廷のここまで食い込んだ。気分はさしずめ『アーサー王宮廷のヤンキー』ってとこだ。マーリンはどこにいる? ぶっつぶしてやるぜ。
謁見の間は実に遠近感を狂わせた。横だけではなく上にも独特の広さがあるからだろうか? この世界なら何らかの魔法がかかっていてもおかしくはない。両脇には一目で百人殺せる実力があるとわかる男達が軽装で控えており、俺をじいっと見つめている。
ガルデ王は一つの図案を後ろの壁に背負いながら、身体の倍はあろうかという椅子に座っていた。図案はルミノアの家紋だった。俺が姫様にもらった木札へ入っているものと同じだ。最近知ったのだが、実はあの木札には防犯装置が付いている。姫様が魔力を通した時だけ、誰にでもわかるよう焼印が発光するのである。そういう加工業に長けた生活級魔法家がいるとのことだ。実際にその面倒な確認作業が必要となることはまずないだろうが、その加工が施されている、という事実は大事なことだ。
姫様もあの珍しい姫君的格好で、王様の傍らに同じく椅子を用いて座っていた。軽くアイコンタクトをとり、俺は予め教えられていた適当な距離まで歩いてから、静かに跪いた。
「お召しにより参上いたしました」
その距離では少し声を張り上げなければならなかった。
「うむ。面を上げよ」
これが時代劇だったらここですぐに顔を上げてはいけないんだろうな――と思いながら、俺は王様を見た。
これまでにも何度か目にする機会はあったが、ここまで近くに寄るのは初めてだった。思っていたよりも体つきはがっしりとしており、多少老けているとはいえその顔にはまだまだ若き日の精悍さが残っていた。こうして見てみると、口髭は迫力を出すために伸ばしたのかもしれない。堂々たる態度はさすがに頂点といったところか。
「本日このように呼び寄せたのは他でもない。道化よ、お前はその達者な芸によって、皆を度々楽しませた――そのようなことは、ここしばらく随分と減っていたのだ。一時の戯れとはいえ、これは立派な功である。ゼニアからの希望もあり、余はお前に何か褒美を取らせようと決めた。あまり過ぎたものはやれぬが、相応な望みであれば取り計らおう」
前置きも何もなく、王様は一方的にそう言い終わった。忙しくて貴様なんぞに構っていられんよ――といったところか。
まあ、しかし、これは姫様と想定した通りの始まり方だ。つまり――悲しいことだが、王様自身は俺のことを面白い奴とも何とも思っていなくて、娘にねだられて仕方なくペットのおもちゃを買い与えようとしているだけだ。
普通ならここで金目のものや待遇のささやかな改善を望んでやりすごすべきだろうが――あいにくとそういうわけにはいかない。
「では――畏れながら、陛下」
どういう流れに持っていくかは、姫様と打ち合わせた通りだ。あとは出たとこ勝負。
「褒美とは別に、まず納得のいくご説明を賜りたいのですが」
王様は、すぐには俺の言ったことの意味が理解できないようだった。
先に説明をする必要がある。
「確かにこの城を訪れたというお客様を中心に、拙いながらあれこれと披露させていただきました。それが好評であるというのは、わかります。真に有難いことでございます。しかしながら私が疑問に思うのは――何故、陛下ご自身が愉快と思っておられないのに褒美をお与えになるのか、ということです。陛下はこの国で一番偉いお方であらせられます。お子であるゼニア姫様に何と言われようが、ご自分が素晴らしいと思わないなら、その名において褒美など決定するべきですか? 褒美とは、褒めるためのものではないのですか? 姫様が褒めて下さって、姫様からの褒美がいただけるのならわかります。陛下は褒めて下さらないのに、陛下からの褒美が出るとは、一体どういう――そこのところが、私にはよくわからないのです」
王様は面倒くさそうに言った。
「わかる必要はない。そういうものなのだ。お前はただ身の丈にあった願いを余に投じればよい」
俺は食い下がった。
「何故なのですか? 何故私のことを笑って下さらないのですか? 納得できません。――悔しい。道化には道化の矜持がございます! 私の芸が、単に陛下の好みではなかったということですか? 何故なのですか?」
王様は無表情に言った。
「何故、だと?」
彼の持論はこうだった。
「好みなど関係ないわ――何故、このような時代を生きておりながら、笑わなければならん」
俺は一発でこの男に同情したくなった。そんな筋合いはないのだが――。
王様は続けた。
「気の触れた頭ではわからないか? ――だが、よろしい、不毛だろうと説明してやろう。余がこの世へ生を受けた時、既にヒューマンは負けていた。負けるとわかっていながら余は兵を鼓舞し、自分は安全な場所にいながら、明日を担えたはずの者達を死地へと送り続けた。ルーシアとディーンは我々の土地を減らすことが当たり前かのように振る舞う。故郷を追われた者、家族を失った者は増える一方で、真に救える手段は存在しない。この都に住む民でさえ、明日にもエルフが生活を蹂躙するのではないかと怯えながら暮らしている。それもこれも全て余の不甲斐なさのせいよ。一体誰に向けて笑顔を見せることができるというのだ。愉快なことなど初めから何一つ残っておらぬというのに」
そうだな。まともな神経をしていればそうなのだ。王様、あんたが正しいよ。
出来ることならあんたにも笑って欲しいところだが、それはこれから次第だな。
「しかし――しかし、それではあまりに悲しいではないですか! どうあっても陛下は笑うことができないのですか? それは、私には途方もない損失としか思えません。陛下を再び愉快にさせる方法さえ、もう一つも残っていないというのですか?」
「それをいちいち人に訊ねて、よくも道化が務まるものだ。……まあよい、例外がないわけではない。しかし、お前にはそれを用意することは叶わぬだろう」
「例外――」
「最早余の心を満たすのは、エルフの屍のみよ」
おっ。
「――いえ、陛下、それでは私の願いは決まったも同然です」
ここだ、ここで言うしかない。
「私に、いくらか兵をお貸しいただけないでしょうか」
あきらかに空気が変わり、俺は内心怯んだ。
王様はたっぷりと俺を視線で突き刺してから、言った。
「一応聞く。どういう理由で必要なのだ?」
頭ごなしに否定しなかったのはさすがだな。だが、この要求は呑めまい。
「――既に姫様から聞き及んでおられるとは思いますが、私はメイヘムでエルフ達の闘技奴隷として過ごしておりました。一日おきに生と死の境を彷徨うような生活を送ったのです。私の願いは――陛下、私の真の願いは奴らの幸福を奪うことです。陛下と同じです。私も奴らの屍で愉快になりたいのです。私には魔法が使えます。信じてもらえないかもしれませんが、私はエルフ憎さに竜巻を引き起こしてメイヘムから逃げおおせたのです。よって、魔法使いは、それがエルフであれば自分で対処することが十分可能です。メイヘムへと攻め込んで、憎きレギウス・ステラングレとマイエル・アーデベスを自らの手で終わらせたいのです。もちろん、軍事的な行動ですから、成果は見込まれなければなりません――しかし、一人で占領まで行うのは不可能と申せましょう。だから、そのための兵をお貸しいただきたいのです」
爆弾投下ってところだな。近衛の二人なんかもう完全に狂人を見る目だぜ。まあ、道化師ってのは元からそういうもんなんだが。
「――数を言ってみろ」
うーん、なかなか耐えるじゃねえか。でも、こいつはどうだ?
「そうですね――ま、一万ほどいれば十分でございましょう」
王様は姿勢を変えた。心持ち前へと乗り出した。
「ほお……普段ほど莫迦ではないと思ってはいたが、命の張り方は間違ったようだな」
そうそう、そうだよ。生まれてこのかたずっと戦争、なんて人間がここまで舐めくさった態度を取られて放っておけるわけがないんだ。戦争は問題として繊細すぎる。冗談も侮りも許されはしない。煽られれば乗って来ざるを得ないのだ。
「――道化、あまり妙なことばかり言っていると、」
「じゃ、訂正いたします。五十で結構です」
あまりの落差に、さしもの陛下も力が抜けたような格好になった。
「……五十万じゃなかろうな」
「五十です。正規の兵でなくとも構いません。そうだ――持て余している罪人等おりましょう、そのあたりから私の申した数を見繕ってくだされば、それで」
陛下は何かを言いかけたが、やめて、椅子に深く座り直した。それから改めて、
「……たまにいるのだ。お前のように突拍子もないことを言い出して場を乱し、それから活路を見出そうとする者が。質が悪いことに、そういう手合いはいつでもその方法が有効だと信じていて――いつでもその策を用いようとする。救いようがない。奇策というものは、大した準備もせず、場当たり的に使ったところで成果を出すようなものではないのだ――一体何を企んでおる?」
まあ、先に到底呑めない条件を突きつける、というのは常套手段すぎるし、今の俺のやり方もあからさまだから、そりゃあ警戒するだろう。その調子で揺さぶられてくれい。
「企むだなんて、そんな畏れ多いことはとても……。ただ、手足とするのに最低人数がそれだけは必要だということです。実際にはメイヘムに駐留している戦力のほとんどを削ぐ予定ですので、瓦解すれば自ずと市内の奴隷達が反乱を起こすでしょう――というより、その五十人に反乱を煽って欲しいのです。正規兵を投入するよりはスムーズにいかないでしょうが、それでも最終的には目的を達成できるはずです」
そうしてまごまごしているうちにエルフ達が増援を送って来なければの話だが。
「悪くない話だと思うのですが。残念ながら、陛下は私にうんざりしておられる。しかし、この願いを叶えれば、私と罪人の両方を厄介払いできるのですよ――おっと、失礼、陛下のようにご立派な方がそのようなことを考えるわけはございませんでした。やれやれ、自分の心根が卑しいと他人も同じようなものだと思ってしまうからいけません」
ふう。
こんなの相手にしたら、いくら温厚な俺でも手が出ちまうかもな。
「……それで、どうでしょうか?」
姫様が言うには、この王様はこれで結構子煩悩らしい。もしも娘が言い出さなければ、俺のことなど気にもかけなかっただろう。そもそも俺を飼おうと姫様が言い出した時点で一悶着あったらしいのだ。そして結局は我儘が押し通されてしまった。俺はそんなことなど知らなかった――また、知ったところで何ができたわけでもない。
姫様の言っていることが本当だとすれば、子息の悉く、そして真ん中の息女を亡くした心痛はいかばかりか……。おまけに、末の娘が害意はないにしても自分を陥れようとしている。時に権力とは、こうも持ち主のためにならないものなのか。
王様の目には苦悩がよく見て取れた。娘と同じで表情を隠すことこそ巧みだったが、俺の狙いが不気味にわからないことで判断を迷わせているに違いなかった。言うことはまず信用できない。となれば要求は自殺志願としか聞こえない、叶えるのも簡単――そして、俺は道化師ではあるが本当の意味で頭脳に欠陥があるとまではみなされていない。
いやー、わからんだろうね。
「……ならぬ。別の願いにせよ」
そうそ、わかんねえもんは却下できる力があんたにはあるんだ。それでいいのさ。
だもんで、俺が本性を現し始めるわけだな。
「陛下、このような物言いになってしまうことをお許しください――いや、許されなくても言わせてもらいますがね、そんなだから滅びるんだぜ、この国は」
さあ、こっからがヤバいところだぜ。
姫様の狙い通りになりゃいいが――。
「こやつ、無礼な!」
「陛下、最早発言を許す必要を感じませぬ! 後は我らに任せ、お戻りください!」
すまんなあ、お二人。仕事を増やしてしまって……。
「よせ」
意外にも先に彼らを抑えたのは王様だった。こうなると姫様が遅れた格好になる。
「父上、できればここから内密の話にしたいのですが」
「……貴官らは呼び戻されるまで下がってよし」
うお、マジで姫様の言いなりじゃねーかよ。そんなにかわいいもんかね?
「ですが陛下……!」
「二度言わせるな。行け」
彼らも引かざるをえなかった。謁見の間には俺、姫様、王様の三人が残された。
「さて――続きを聞こう」
今や王様は俺へ対する敵意を抑えず、電撃のように浴びせてくる。
だが、俺の立場からでなくては言えないこともあるのだ。そのための道化師。
「言っちゃ悪いが、エルフが勝って当たり前なんだよな。結局のところ、あんたら戦略で負けてんだ。しかも負け続けだ。取り返せるわけねえだろうが? 聞けばエルフは人間よりも頑健で長生きに育つそうじゃないか。となりゃあ戦術でだって向こうの方が有利に決まってる。詰んでんだよ、とっくの昔に。講和しようにも、三百年かけて種族間の感情を修復不可能なほど悪化させてるときたもんだ。これがヒューマン民族だっていうんなら、滅びちまった方がよっぽどマシってもんさ。違うか?」
「だからといって、おとなしくエルフ共にこの世を明け渡せると思うのか!」
全く、大した男だ。ここまでボロクソに言われて俺を斬り捨てないのだから。
まあ、それも姫様のご加護あったればこそだが。
「できない。もちろんできない。陛下、そんなことはできないよ。俺も人間だ。ヒューマンではないかもしれないが――人間だ。そんな結末は見たくない。特に姫様が絡むとあっちゃあな。自分で体験するのも願い下げだ。陛下、あんたもそうだろう? かわいい娘がひどいことになるのは見たくないはずだ」
「言われるまでもない――!」
「だから、この俺がいりゃあエルフはなんとかしてやるって言ってんだ。とりあえずメイヘムまでは取り返す手伝いができるって言ってんだよ、王様。それが前提なんだ。盛り返せなきゃ、やはりそれまでだよ」
「それができれば苦労などせぬわ! そもそも貴様の言うことなど」
「父上」
「余はこれっぽっちも信用できぬ! 何故犬死にの助けなどしてやらねばならんのだ、貴様は道化らしくこれまで通りゼニアに飼われておればよいのだ!」
「父上」
「余計なことを考えるな! よかろう、そこまでエルフ共に一矢報いたいのならメイヘムへ向かうがよい、貴様の言った通り、五十人一小隊扱いの懲罰部隊でな! これ以上の文句は聞き入れん!」
「父上!」
やっと姫様の声量の方が勝った。王様は我に返ったかのように娘を見つめた。
そして、姫様はこう言った。
「フブキはただの道化です。道化の言うことをそこまで真に受けるのですか?」
それを言っちゃあおしまいなんだが、ヒートアップしたこの場には効く。
「――ぐ……」
クールダウンの後に続く言葉は、「いや、お前の言う通りだ、」だろうか?
だが、姫様が出したのは助け舟じゃない。
「と、言うべきなのでしょうね。本来は。しかし、今度のことは私も賛成なのです」
「な、――? ゼニア、お前、何を言って――」
「私も大軍を動かすべきだと考えているのです、父上――いや、陛下」
俺をダシにして自らの出兵にこぎつけようとするのだから、全く、嫌な女だ。
ついてきた甲斐があったというものだぜ――。
「本当に五十人の懲罰隊でメイヘムの奪還が務まると思いますか? もしも父上が本気でそのような贈り物をするとしたら、はっきり申し上げて幻滅いたしますし、それが現実となるのであれば私にも考えがあります」
今や姫様は表情を崩し、憮然としていた。それを見るや、王様は目に見えて狼狽し始めた。俺がまだこの場に存在しているにも関わらず――いや、これだともう消えてるかもわからんか。
「ペットの責任は飼い主が取る。これは当然のことです。もし陛下が私の飼っているこの道化師によってご気分を害され、申した通りに遇するのであれば、やむをえません、私がその絶望的な行軍の指揮を取りましょう」
ちょっとわかりづらいかもしれないが、いい歳した娘のゼニアは子離れできないガルデパパに「サイテー!」と言い放ったわけだ。おまけにペットのオイタに対する罰を自分もひっかぶるなんて言い出した。めちゃくちゃだ。だが、既に王様は冷静ではない。俺の煽りと姫様のイヤイヤですっかり焚きつけられちまった。ここまで来ればもう俺の出番は終わりだ。後は姫様に任せるとしよう。
「――お前、この愚か者をそこまで気に入っていたのか!」
「そうです」
そうです、じゃないよまったくもう。
「お前は聡いのが長所だと私はずっと信じていたのだぞ!? 今でも!」
「フブキも利口なのですよ、父上」
「どこが!」
「それに、彼がいなくなれば姉上もきっと悲しみます……もしかすると飼い主の私よりも深く悲しむかもしれません」
「――ええい、ならず者共との同行などこの私が許すと思うのか、ゼニア!」
「さて、そこです、父上。いえ……お父様」
姫様は突然、不気味になった――顔は優しげに、声は十も若くなったように思えた。
これもまた俺の初めて見る姫様であり、そして、信じたくない姫様だった。
「お父様、私のことを大事に思っていてくれるのは、娘として本当に嬉しいの」
それから、姫様は声のトーンを落とし、いつもの無表情に戻った。
「――ですが、もはやエルフという現実はその愛をも崩そうとしているのです。仮に今回の件を無かったこととしても、遠からずエルフ達が我々を引き裂くのは必定……どこかで逆撃を加えなければ、明日はありません。どうか、私を娘としてだけでなく、一人前の立派な軍人としてもお使いください。兄上達や、ネイヴにそうしたのと同じく。私はとうの昔に、その準備ができているのですから……。さあ、冷静になって考えて。私をどうしても使わなければならなくなった時、五十人からなる懲罰隊の頭に据えるか、一万からなる大軍の象徴として据えるか――」
俺はいよいよ怖ろしくなってきた。
王様の痛々しい追い詰められようといったら――とてもじゃないが見ちゃおれん。
姫様はやっとそんな俺の様子に気付いたのか、ちらりとこちらを見て、
「もう行っていいわ。後は私とお父様だけで話します」
俺は喜んで謁見の間を後にした。
そして翌日にはもう、出兵が正式に決まっていた。




