15-11 それから
さらに半年ほど経つ頃には、俺達はその手にそれぞれ双子を抱けるようになった。
その数日は珍しく二人ともオフで、アディクト川のほとりに建てた別荘を訪れ、俗世から離れたような気分に浸っていた。
本格的な復興は始まったばかりで、ゼニアも公務に復帰できるようになった矢先の、気持ちとしてはまだまだとても休んでいられない状況である。しかし、これまでのこと、そしてこれからのことを思えばこそ、今は敢えて休み休みいけ――という、大臣と行政官からのお達しであった。これは乳母達と共に赤子の世話に明け暮れるジュンの願いでもあった。
「お二方のかわいい子供ですから、わたしはいつまでだってお預かりしますけど、時々自分達でお世話しないと、顔を忘れられてしまいますよ?」
そう言われた。
是非もなかった。
ゆく川の流れを望める庭に、揺れ椅子とパラソルとテーブルを立てて、俺達は何もしない時間を享受する。モーツァルトが作曲したんだかベルンハルト・フリースが作曲したんだかよくわからない子守唄を口笛で吹き終わる。子供達はとっくに寝入っていた。小一時間も二重奏で泣いていたのがウソのようだ。
俺は弟の方をゼニアに預け、自分は椅子から立って川の方へ歩いていこうとした。
「どうしたの。腕がしびれた?」
若干疲弊した様子でゼニアが言った。双子を両腕いっぱいに押し付けられて困ったようにも見えた。
「それとも唇が痛い?」
「……まあ、確かにそれはある」
「観念なさい。本来なら毎日こうしなければならないのよ。たまにはジュン達も休ませないと」
「俺達のための休暇じゃなかったのか?」
「それはそうだけれど、裏の目的も認めなければね。いいじゃない、これが新たな戦いよ。私の父だって、嫌になるくらい子供達をその手に抱えたものよ」
「ああ、貴女の父君に限っては本気で目に入れても痛がらなかったと思うね。そういうことではなくて、ただちょっと……」
「ただちょっと、何?」
俺はテーブルから、何に使うでもなかった陶のボウルを取った。
「今、間違いなく俺は幸せ者だと思って――幸せなのがよくわからなくなった」
川まで行って、少し手を洗って、ボウルに水を汲んで揺り椅子まで戻ってくる。
それをテーブルに置いた。まだ波打っている。
「おかしな人ね」
ゼニアは呆れてはいなかったが、俺が何を言いたいのか掴みかねていた。
「わからない幸せなんてあるかしら。何か疑ってる? 何か物足りない? 不満?」
俺は黙って手を組み、ゼニアを見る。
「あるなら言いなさい。解決できない私達でもないでしょう」
「俺には、呪いがかかってるんだと」
ゼニアは目を細めた。
「それって何か魔法の作用? いつそんなもの貰ってきたの」
「シンの奴がな、今わの際にそう言ってたんだよ」
「ちょっと待ちなさい、じゃあ……!」
「いや、その時はもう奴にそんな力は残ってなかった。遡ったとしても同じさ。だが、奴はこうも言った。俺の手は汚れていると。触ったものを全て穢す、愛する者も穢してしまう手だと。幸せになれるはずがないんだと――そのことについて、まだ考えてるんだ。俺達はあまりに多くの命を巻き込んで死なせた。だから奴が呪いをかけなかったにしろ、言っていることは当たってるのかもしれない」
「当たり前じゃない、そんなこと。相手がエルフだろうとヒューマンだろうと、殺生は殺生でしょう? 味方も大勢死なせたわ。私達は正しく大罪人よ。わかりきってること。それで? まさか手が汚れてたら親の資格がないなんて言い出すんじゃないでしょうね? ――そんなの許さないわ」
「わかってる。今更、何の弁解もしやしないよ。ただなゼニア、幸せを感じるのが俺達だけで、そのせいで子孫に不幸が残るとしたら、それはやりきれないなと思ったんだ」
俺は、それなりに真剣だった。
この目つきを見て、ゼニアも何かを悟ったのか、
「……馬鹿らし。何もお休みの日にそんな話始めることないでしょう?」
付き合ってくれるわけもなかった。
「尤もらしいこと言って、要は、結局あなた、この先が不安でいっぱいなだけじゃないの! どう打ち明けたら私の機嫌を損ねないか計算してたわね」
「――ばれたか」
「様子がおかしいと思ってたのよ。生まれたの双子って聞かされてからでしょう。一人なら心の準備も済んでいたけれど、二人いっぺんは荷が重かった?」
「いや、うん、まあ、正直驚きはしたな。でも俺は役割は全うするよ、それは何とか信じてくれ」
「信じますけれど、この先が思いやられるわ。十人は欲しいところなのに」
「本気か? 戦盤の大会でもやらせるつもりか」
「いいわね、それ」
「それこそ馬鹿なことを……」
出し抜けに、双子が起きて鳴き声を上げ始めた。
騒音に木陰の鳥が飛び立つほどだった。
ゼニアは慌てて二人の小さな怪物をあやそうとする。
「ねえ、あなた、この大変な時に呪いのことなんて考えていられる!? そんなのどうだっていいと思わない!?」
「いや、うん、悪かった、それは、うん」
「わかったら口笛を吹いてあげるの!」
俺はまた同じ子守唄を魔法に乗せて吹く。
「一人引き受けなさいな!」
ゼニアから姉の方を受け取って、また同じ子守唄を魔法に乗せて吹く。
~
それからのことについては、フブキやゼニアの視点を使わず記す必要がある。
王婿を迎えた君主ゼニア・ルミノアは本格的なセーラム統治を始めたが、問題は山積みであった。まずもって国政を動かす機構自体が三百年もの戦争を経た後の平和な状態にはそぐわなかったのである。常にエルフの脅威を間近に感じていたせいで、ありとあらゆるシステムが戦時に最適化されすぎていたのだった。
そのためゼニアは最も戦争で活躍した王でありながら、最も戦争から遠い改革を推し進めた王となった。ゼニアは必要ならばどのような変化も決断した。反発が予想される箇所には必ず先手を打ち、根回しを行い、布石を置くのが常であった。
それは強行と呼ぶべきものであった。
急激な世情の革新に人々は翻弄され、それまでなんだかんだと代々続けてきた職を変える、変えざるをえなくなる家は後を絶たなかった。長年の役目を不意に失ったかと思うと、見たこともないような教育機関に通わされる数奇な人生を送る者もいた。
にも関わらず反発は少なく、君主としてのゼニアの人気は高いところで一定の位置を維持していた。理由としては、やはりそれで人々の生活が末端に至るまで良くなったこと、戦時中に失われたものの補償と得られた利益の分配を誤らなかったことが大きいのだが、これは戦中どうしようもないところまで墜落していたものが戦後当たり前に復活しただけであるとも言えた。ゼニアの王権と裁量は広く大きなものであったが、ゼニア自身の内政能力が優れたものであるかは、定かではなかった。
その治世は、全体を通し容赦なかったが善政を敷いたと評価が下っている。これは貴族と平民、そして当時と後世の両面から見たものである。
そして、ゼニアの輝かしい評判の影には、(それほど隠れていたわけでもないが)常に夫フブキの献身があった。
この夫君は貴族社会どころか異界よりの来訪者という風変わりな出自を持ち、当人もそれをよく承知していたため、初期はごく控えめに最低限の公務のみをこなす態度を見せていた。後回しになっていたが、王室の一員にふさわしい教養を身に着けるよう家臣団からの要請もあり、しばらくはそれに苦心していた。
既に自らの大願を成就させたせいか、憑き物が落ちたような節もあり、戦時には活躍できたが、平時でも同じだけの成果をもたらすものか? と能力を疑問視されてもいたのだった。特に道化師としての肩書きを捨て去らなかったことがこれに拍車をかけた。
そうした経緯もあり、女王の公務に同伴するだけというのがフブキに期待されていた役割だったが、時が進み、ゼニアとの間にもうけた三男四女も手がかからなくなってくると、徐々に状況も変わっていった。過去に例を見ないほど大規模かつ複雑な社会の変革に伴い、フブキのもとにも各方面からの要請が舞い込むようになったのである。そのほとんどは親交があった学術業界や文化団体の後援者として名前を借りるような類のものであったが、官僚の重要ポストの任命、あるいはアドバイス、フブキ自身を責任者に据えるような案件や、重要スタッフとして取り組みに加えるような計画も持ち上がり始めた。
フブキは初め自分では責任を果たせないとしてこれらを全て辞退していたものの、断る数が多くなるにつれ、女王の夫ともあろう者が情けない――と批判的な論調が目立つようになった。
フブキはこの悪評が家族や関係者に影響を及ぼすことを恐れ、仕方なく仕事を選んで公務の範囲を広げていくことになるのだが、中年期にさしかかる頃には、持ち込まれた話はほとんど何もかも引き受けるようになっていた。
そしてフブキは、(若かりし頃を思えば信じられないことだが)少なからずその期待に応えていった。とかく人手の足らない時代である――あの男はやれるぞ、という評判が立つと、雪だるま式にその裁量や人事権は増大していき、最終的に、女王の秘書を務めるばかりか、実質的な共同統治者として周囲からは扱われるようになっていた。
彼自身はあくまで女王の心を射止めただけの伴侶という立場を崩さず、常に君主としての妻を立て続けたものの、女王は難しい問題を扱う際はまず誰よりも先に夫へ相談する姿勢を隠そうとはしなかったし、本来真っ先に意見を参考にされるはずの大臣やお抱えの専門家達からして、何を話すにも必ず女王と道化師を同席させるのであった。
フブキはそうした状況を本意でないとする発言をしばしば行っており、多くは記録にも残されている。しかしながら、彼の思いとは裏腹に、この夫婦共同統治体制はルミノア王家代々の慣習となっていく。
結果、戦争に勝利し、広大な領土のみならずその復興まで完遂したルミノア王家はセーラム王国において絶大な権力を手にし、新たなる強固な社会基盤を築いた。長らくその時代は続き、外海勢力との初めての接触が起こるまで約三百七十年もの間保たれた。
その他のことについては、隣界隊は戦後間もなくして自然に規模が縮小されたが、どうしても兵力として身を立てるほかない客人のために、召喚装置が停止された後も制度だけは残された。
彼らはしばらくマーレタリアの残党狩りに精を出し、それが沈静化すると王家の親衛隊、あるいは道化師フブキの私兵として働いた。教官職を務める者もいた。
この頃、セーラム、ディーン、ルーシアの三国は同時に根絶宣言を発した。
これはマイエル・アーデベスを除いた全てのエルフを殺害したとみなしたものである。多種族圏との外交を含めた、広範に渡る念入りな調査の結果、もう新たなエルフの発見はありえないという結論が出たのであった。実際に、今に至るまで、エルフの生存は長命種であったにも関わらず確認されていない。根絶宣言を疑った過去三回の再調査は、どれも当時のヒューマンの考えを覆すには至らなかった。
マイエルは、その飼育が形骸化した以降も軟禁が続けられ、ついにその寿命が尽き果てるまで生を全うした。享年、五百六十五歳と伝えられる。
デニー・シュートが当主になって以降のシュート家は繁栄したが、王家との強い繋がりがあったにも関わらず、国政とは微妙な距離を保ち続けた。
霞衆がどうなったのかは判然としない。
ジュンは生まれてくるゼニアとフブキの全ての子供達を世話し、ねえやと呼ばれ親しまれた。
だがそれもいつまでもというわけではなく、成長した三男と結婚して侍従の職からは退いた。これは少し問題となったが、両親と兄弟姉妹が認めてしまえば他の誰が異論を挟めるものでもなかった。
フブキは、客人の数人と共に、細々と隣の世界に戻る術を模索していた。しかし、最大の研究材料である召喚装置を停止させたまま一度も再稼働させなかったこともあってか、ついに望むような成果は得られず終わった。
ゼニア・ルミノアはきっかり六十歳で引退を決意し、王位を譲る準備を整えたが、双子であった長男長女がどちらもこれを辞退したため、次男が王位を継承することとなった。退位後は新王の嫁選びに口を出した他は目立った活動をすることもなく、同じく引退を宣言した夫と城を出て、別宅で慎ましやかに暮らした。七十二歳で病没。
フブキは滞りなくゼニアの葬儀を終わらせた後、再び自ら命を絶ったという。
主人の後を追ったためだとも、故郷へ帰るためだったとも伝えられる。




