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15-10 同盟解消

                   ~


 マイエルの奴を捕まえてから、さらに半年ほどの時が過ぎた。


 俺はルーシアのローム・ヒューイック大統領、ディーンのアキタカ皇帝と共に、小さな議場の卓へとついていた。

 互いに、補佐する者を連れていない。警護もここまでは入れていなかった。


「本日は、女王はどうされました?」


 柔和な笑みを浮かべて皇帝が訊ねてくる。


 初めて出会った時はまだ二次性徴すら迎えていなかった彼も、肉体的には、立派な青年へと成長を遂げている。現在ではこうした会合の場に、関白クドウ氏の同伴を必要とすることもなくなった。


「妻は、まあその、知っての通り身重なもので。最近は少し目立つようになってきましたから、それで、代わって私がここに。どうかご理解のほどを」


 皇帝は感心したように頷く。


「ああ……。しかし、もうそんな時期になりますか。ん、いや、婚儀の時期を思えば、少し遅すぎたぐらいかもしれませんね」


 シンを始末して、間違いなく三百年戦争の決着はついたが、すぐ楽になったわけではなかった。どうしてもピタッと終わるものではない――占領を確固たるものとするには、まだいくらかの手間を必要とした。戦闘にしろ、政務にしろ、そうした後処理を行っているうちは、とても落ち着いて縁を結ぶというわけにはいかなかった。


 それらが沈静化し、ようやく諸々の指揮を人々に任せっきりにしてもいいと思えるようになると、ゼニアはセーラムへ戻って俺を婿に迎えた。復興ムードの進む世界に配慮し、式と祭りは新元首の婚儀としてはやや控えめなものとなった。


 一応、籍を入れる以前にもやることはやっていたので、俺は自分の種無しを心配していたのだが、ある時期に集中して励むようにしたところ、無事に努力が実を結び、ほっと胸を撫で下ろすに至ったのだった。


 以降、俺達の関心事は新たな命の誕生に移っている。


「このところは、どこかへ出向くとなれば大体私を代理に立てるので困ります。私は確かに女王の夫となりはしました、道化として多少顔も売れています。しかし、エルフとの戦いが終わった今は、実際、凡夫もいいところ。本来ならばこのような大役、とても務められるものではありません。それがまた大きな椅子に座らされてしまって……」


 実は、ゼニアは腹部の膨らみがはっきりわかるようになった今でも余裕で歩き回れている。だが、常人に当て嵌められない身体能力を持つ(ゆえ)、逆にそのままにさせておくとまずいだろうということで、医師とジュンの監視下に置いた状態で、外出を控えさせている。


「このようなつもりではなかったのですが……大臣達も結託しているから始末に負えない。他国へ対し失礼になるとわかっていながら、私に押し付けようとするんです」

「はは、まあ我々は構いませんが。今更貴方のことを軽んじるようなヒューマンが、この同盟の世におりますか……? ねえ、そうではありませんか大統領?」


 ローム・ヒューイックは静かに首肯だけをした。


「それに、本日の集まりは、会議といっても、意志の最終確認だけですから。代理というならば、(あるじ)の意向をしっかりと提示していただければ、それで十分に済むこと。何を気負う必要もありはしません」


 まあ、今回に限っては、わざわざゼニアを出席させるほどの内容ではないのも確かだ。

 アキタカ皇帝も、ヒューイック大統領も、けじめとしてここにいる意味合いが大きい。


 あまり時間を無駄にしたくないのか、ヒューイック大統領が先を急かしてくる。


「挨拶はここまでにして、早速、始めたいと思うのですが」

「ああ、すみません。それじゃあ……」

「まず、潜伏したエルフの調査と摘発について、今後も継続して行っていくかどうか。それに付随して、労働力としてのエルフの使用を、段階的にでも禁止していくかどうか。つまり、本当にエルフを断種し、絶滅させるかどうか。ルーシア共和国はこれを肯定します。全ての国土から全てのエルフを根絶します。この方針に変わりありません」


 目につく場所に残っているエルフの掃討を完了すると、同盟軍は戦勝を宣言し、軍隊の緊張を解いた。だが残党が表立った活動をやめただけで、地下に潜ったエルフ(文字通りの意味も含む)は未だ相当数がいるものと考えられている。これらをさらに駆除するとなれば、心構えがまた違ってくる。


 何もかもが疲弊した現実を真摯に受け止め終わりなき戦いを一旦放棄するのか、それとも一度始めたことはコストを度外視してでも成し遂げるのか、恨み骨髄の歴史が背景にあっても意見の分かれるところだった。

 そこを各国で相談して、最終的な答えを出す時間が必要とされていた。回答期限が今日だ。


「ディーンも同じです。エルフの手も借りたい昨今ですので、これが失われるのは産業の観点から言えば厳しいですが――はっきり申し上げて、差し引いて考えてみても、エルフを生かしておく理由はない……むしろ頼るような状況が続けば続くほど、無用な火種にしかならないでしょう。戦争は終わりました。最後の帳尻を合わせるために彼らを保有しておく時期も過ぎたということです。復興は自分達の手で成さねば意味がない」


 両者の決定に満足する一方で、少し後ろめたさを感じつつ俺は言った。


「ええ、セーラムも同じですとも。ただ一匹の例外を除けば」

「――貴方がご執心の、あのエルフですか?」


 大統領は、はっきりと咎めるような口調でそう言った。

 俺は穏やかに受け止める。


「あれだけは殺さずに飼うことはできませんか」

「矛盾ですな。おそらくこの世で最もエルフを絶滅させたがっている貴方とゼニア女王が、一匹のエルフの助命を願う。あまり安全な試みとは思えません」

「批判は覚悟の上です。無論、既に去勢はしてありますよ。少なくとも奴の子孫が残ることはもうない」

「魔法の力まで奪ったわけでもなし――」

「いざという時に利用できなくもない」

「それでも、小指の一片でもエルフの要素というものを存在させておきたくないのが我々の見解です」

「そこなのです。念入りに消すのは大賛成ですが、滅ぼすにしても工夫しないと、私達は数世代も重ねればこの時代のことを忘れてしまうようになるでしょう。私は少し、それを恐れているのです。自分達のしたことが風化するのが恐いし、かつてこのような危機があったということを忘れ去られるのも恐い。未来永劫記憶してもらう必要まではありませんが、そうですね――三百年以上も戦いが続いたんです、それと同じくらいは平和が続いてもらわないと困りますよ。そのためには戒めが必要です。マイエルには、生きた警告として寿命を捧げてもらいたい」

「そうして目こぼししたものが、後々災いにならないと保証できますか? 貴方が生きている間は監視できても、ヒューマンは、普通は不死身にはなれません。後の世代のことを考えるなら、責任も引き継げるようにするべきです」

「そうですね、それは私達の子孫に言い含めるつもりではありますが――あまり信用がないというのが痛いところですね。大統領閣下の懸念はよくわかります。真に責任を全うする(すべ)を、私単独で提供することはできませんから。しかしその上で提案しているということで……意図を汲んでもらいたいとは思っております」

「皇帝陛下は、どうお考えになりますか。既に、こちらとしては票決を取られると不利なように感じますが」

「そうですね……フブキ殿に賛成、というほどではないですが、強いて反対するほどでもないというのが正直なところです。どちらの言い分も筋は通っておりますし。ただ、負けるはずだった戦争を逆転に導いた功労者に、それぐらいのわがままは許されるような世の中であってほしいとも、少し思います」

「やはりそうなってしまいますか。いいでしょう、これ以上の対立はそれこそ無用な火種というものです。気に入りませんが、お好きになさるのがよろしい。それより、もっと重要な議題がまだ残っています――最終的な国土の分割案で、我々は満足すべきかどうか決めなければなりません」


 それも今日決めなければならないことの一つだった。


「いやに野心的な発言のようにも聞こえますが……」

「他意はありません。既に調整は済ませたものですから、余計なことを考えなければ合意だけで終わる話です。本当は全ての議題がそうだったはずですが?」


 言いながらこちらを睨みつけるでもなく見てくる大統領である。

 俺は視線を受け流しつつ、


「まあ、セーラムとしては失地が回復された以上、何も言うことはありません。後は二国間が、この分割でよいのなら、もちろん受け入れましょう」


 この分割、というのは、失われた首都機能をマーレタリアの旧都に移したディーンが、そこからボロフ周辺にかけてを支配する案のことである。残りは全てルーシア。早い話が、北海道の形をしたエルフヘイムを、ほぼ縦にディーンとルーシアで二分するのである。今日もこの会場も、エルフヘイム旧都に建てられた、ディーン新都だ。


 どちらも海を隔てた遠い飛び地になってしまうので申し訳ないが、元あった国土を取り返しただけで満足したとセーラムが言うのだから、向こう二国としてもそこまで強く出られない。


 一方で、散々に荒れ果てた土地を再び開拓しなければならないのはどこも同じ。


「再検討しましたが、仮にこれ以上を望んだところで、開墾の目途が立たずに困窮するのが関の山でしょう。ここは手分けして土地をものにするのが、どの面から見ても最上ということになります。ルーシアは素直に半分をもらい受け、そしてディーンにもそれを期待するものです」

「まったく異論ありませんね。両国の発展を願います」

「結構です。残りは、召喚装置の停止ですか」

「ふむ……」


 複雑な空気が渦巻く。


「少々、もったいないような気が、未だにしてしまうのは私が未熟だからでしょうね」


 アキタカ皇帝は敢えてこう言ってみたのだろうが、この考えはおそらく全員の胸に等しく存在するものと思う。


 それほどまでにあのオブジェクトには利用価値がある。半永久的に富を生み続ける、戦争の趨勢を決定づけた驚異の遺物。


 だが、それ故に、この世そのものを壊しかねないという恐怖が(まさ)ったのだった。


 あれが三国間で奪い合いにあった場合のことが特に危険視された。それは容易に起こりうる。どうにか上手く運用したとしても、またシンのような制御不能の使い手が現れるとも限らない。優秀な魔法使いの無軌道な流入が、却って社会のバランスを破壊するという予測も立てられている。メリットは計り知れないほど大きいが、リスクもまた、同じ大きさのものを抱え込まなくてはならないのだ。


 ならば勇気を持ってこれに封を施すというのが、賢くはないにしろ人類の自壊を防ぐ唯一の手段と思われた。


「背に腹はかえられません。それに元々、装置の復活は短期的に国力と兵士の増強を図ったものです。使えば使うほど、異界から人々をわけのわからぬまま連れて来ますし、その欠点に敢えて目をつぶってきたところもあります。劇薬なのです。今はよくても、摩擦が将来どのように作用するかわからない。生身で召喚魔法を扱う者も死に絶えた今、逆に価値が高まりすぎているのもよくない。エルフとの戦争が終わった今、召喚装置は、動かせるようになっているだけで危険を吐き出しているも同義。――全て、一度確認したことです。我々はこの事実を飲み込むしかありません。三国立ち合いの下、停止させるより生き延びる道はありません」

「しかし……」


 アキタカ皇帝が俺の方を見ている。


「あの装置が、世界同士の繋がりを確かめる有力な手掛かりということでもあります。こちらの都合で人々を喚び出してしまったのなら、帰還の手段も模索するべきなのではないでしょうか」


 俺は言った。


「――いいんです、陛下。そういうことは、気にするべきではありません。私が言うのも何ですが、元の世界に嫌気がさしたり、行き詰まっているような人達ばかりを選んで召喚したようなものなんですから」


 皇帝の精神に宿っている日本人の男も、その中の一人だ。


「元に戻す方法を探すにしても、ゆっくりで構わないでしょう。装置は停止します」


 思いがけず帰ったことで、俺の中に燻っている里心――ごまかしたりはできない。

 だが、急ぎではない。

 今は他に山ほど、やらなければならないことがある。俺はそれを大事にしたい。


「わかりました。その方が、いいのでしょう……きっと、誰にとっても」


 これで、決めるべきことは決め終えた。


 議題が尽きたところで、皇帝は続けて呟くように、


「では、最後に、同盟も解消と……」


 俺達はそれぞれが、確かめ合うように頷いた。


 共通の敵が消えた以上、続ける意味は薄い。長いこと破綻せずやってきた同盟だが、そこまで文化が融合したわけでもなく、発展して一つの国になろうという意志があるわけでもない。それぞれの国が、それぞれに生き残ろうとして手を取り合っていただけなのである。


「ヒューマンの国が真の姿に戻る時が来たのです。でも、これは決して、いがみ合う国同士に戻るということではない。少なくとも私は、そんなふうに思いたくはありません。フブキ殿が言ったように、戦った分と同じ長さの平和を、せめて維持できるよう人々に伝える義務を私達は持ちます。それぞれの国が、それぞれの生き方で、共に競い、発展し、付き合っていく。同盟などなくとも、それができるようになるべきなのです」

「陛下、それは理想論です。しかし、ルーシアもその理想を望みます」

「ええ、我が(あるじ)、ゼニアも同じ気持ちでしょう。――とにかく、殺し合いはもう飽きました。これからのヒューマンは、もうちょっと生産性がなければね……」


 そういうわけで、一つ、歴史に区切りがついたのである。

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