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15-5 首都占領

 ボロフの戦いが始まる前とは違って、今回の首都攻めに際して、決起を示す演説や儀式といったものは執り行われなかった。


 俺達はただ、事前の段取りに従って全てを集積し、野営地を出発し、粛々とマーレタリアの首都中心部へ侵入した。誰も、高揚もしていなければ、浮足立ってもいなかった。いつも通りの出撃というのがぴったりの雰囲気だった。()かんとする者は皆、麻痺しているものと思われた――麻痺した者だけが去らず、生き残ったのだと思われた。


 決着のつくはずだった戦いが失敗したことで、ケチがついたというのもある。一度、終わるはずという触れ込みで臨んだものが、通過点どころか、迷走の開始点であったのだから、今度こそ終わると言われても実感を持つことができないのだろう。

 そして、実際に果てのない状況へ叩き込まれると、淡々と戦いは続いていくというのが、誰にとっても最もリアリティのあるシナリオとなる。そういう認識の下では、どのような戦いも価値が固定化される。全て等しく、その先に希望を見出せない。


 理屈の上では、どうやってもこれ以上の継戦はありえないのだが、感情がそれを拒むとでも言おうか……また何かうんざりするような原因が持ち上がって戦いは続くだろうという予測が、誰の顔を見ても自明の、やりきれない朝であった。


 午前の空気は涼しく、澄んでいる。日差しは頂点から照りつける遥か前の、穏やかで柔らかいそれだった。夏が来る……。時折、木漏れ日に紛れて、小さな鳥の鳴き声が降り注ぎ、何の、――何の救いにもなりはしなかった。自然の素晴らしさというやつは、全て俺達の所業に対する皮肉でしかなかった。


 俺自身、何を言っても白々しくなるということがわかっていたから、初心に戻って言葉を紡ぐようなこともしなかった。

 そう、唯一、戦いの終わりを実力で保証するだけの義務を持つこの俺でさえ、決戦を決戦であると言い切ることに疑問を感じているのだから、もうどうしようもなかった。


 シンを殺して全てを終わらせる。

 言うだけなら簡単だ。


 そうしてもみせよう。

 だが、その果てに何があるのか?


 少なくとも戦争は終わらせることができる。だが戦いの全てが直ちに停止するわけではない。残党狩りや、エルフの断種にもう(ふた)仕事くらいは残るだろう。

 そうなると、やはり、戦いは続くということも真実になってしまう。

 戦いが終わった後に本当の戦いが始まると考えることもできる。


 取り繕おうとするだけ誰もが損だ。

 (おり)のように溜まった不幸せを、かき混ぜて舞い上がらせるような真似をしても仕様がない。


 そのような次第で、ゼニアも、鼓舞するようなことは何も言わずに先頭へ立った。

 この短期間に二度も国家元首を失う可能性を考えれば、セーラム国内で起きた君主安置論はかなり正論であったが、これまでやってきたことを考えれば、統治者になったからといって、ゼニアが玉座の上でおとなしくしているわけがない。どれだけ身を案じられようとも、自分の手で決着をつけたがるに決まっていた。誰も止められないし、止めようとして代わりに立てる奴もいなかった。


 彼女は志半ばで倒れた父から引き継いで侵攻軍の司令官ということになっている。しかし――今、その地位に如何(いか)ほどの価値があるのかは判然としない。絶大な権力と言えるほど、同盟軍の規模はもう保たれていなかった。それにゼニア自身も、こと兵法に関しては、効率よく他者を動かすより自分が前へ出て牽引するようなタイプであるため、旗印という以上の意味は、司令官職には残っていないように思われた。各部署の長はかなり大きな裁量を委ねられ、それは自由ではあったが、自活の宣告でもあった。生き残るための方針を自分達で立てろというのに限りなく近いものがあった。


 ゼニアは――それでいいと思っているだろう。

 正直、俺もそれで十分だと思っている。

 この最悪に最悪を重ねたような条件下で、それでも逃げ出さない奴、逃げられない奴だけが残ったんじゃないかと……思っている。そういう奴らには、もう、敢えて命令を(くだ)すような必要などないのではないか? 何をすればいいかは、各々が既にわかっていることなのではないか? そういう気がしているのだ。


 やがて、俺達は最初の障害に遭遇した。

 陣を敷いて待ち構えていたのはシンではなく、精神を上書きされていない、ただのエルフ達だった。立ち並ぶ家々を繋げ、急造の防壁として利用している。彼等はエルフらしくきちんと弓矢を装備し、こちらへ向けていた――ただ、見ているこちらが不安になるほど、その兵力は少なかった。


 方法としては合っているはずだ。俺達がようやく繋げた侵攻ルート一本――迂回がありえないこともわかっている。ならばそこを固めて叩く以外にどんな作戦があるだろうか? 彼等は正しい。正しいのだが……俺が風を起こすまでもなく、手持ちの盾で容易に防げるほどの矢に何の脅威があるだろうか? 見えている数を計算するだけで、こちらの火力をすぐに排除するだけの能力を持たないことは明らかだ。叩く前に叩かれてしまうということだ。それでもあのエルフ達はこの構えを築いた。


 両側を深い森に遮られる細い道でも、正面に配置された隣界隊が攻撃を仕掛けるのに不自由することはなかった。オーリンで使った戦術を流用し、デニー隊の騎兵に相乗りしたまま、火蓋は切って落とされた。


 あっけなくそこでの戦闘は収束した。

 焼け落ちるどころか、倒壊した建物を踏みつけるようにして、兵は前進を続ける。


 ボロフでの逆包囲を演出した男がもし健在であるならば、このようなことを許すはずがなかった。やる以上は、何が何でも、兵の数を揃えたはずだ。とすれば、この脆い防衛線は、また何かの策の一環ではないのか――しかし、現実が追いつかなかったというのも、それはそれで十分ありえる話だった。


 シンが好き放題やっている体制の下では、誰もが失脚したも同然の状態にあっておかしくなかった。作戦を立てることができても、それを実行できるだけの手が足りない、あるいは奪われるといった憂き目に遭えば、プランは容易に瓦解する。


 シンは恐ろしい勢いでエルフを複製体として使い潰している。俺もまたそうなるように奴を狩り続けた。その結果、今のが――もしや、エルフの最後に残った軍事組織という可能性は……(くだん)の男は、もう潰れた要塞の下敷きになったのか?

 まさか――。


 それを確かめる暇はなかった。


 以降の占領は、驚くほど簡単に進んだ。簡単過ぎた。図書館、役所、学校施設、穀物庫、市場、馬車の駅、どこへ行っても、どこを攻めても、もう、抵抗と言えるだけの活動は行われていなかった。()()がないのだ。誰も残っていない場所の方が多く、珍しくエルフの生存者を発見しても、ケチな盗賊か浮浪者がせいぜい……市民と呼べるような、まともなエルフの姿はなかった。


 都市は死んでいた。


 認めざるをえなかった。気がつくと、同盟軍は、首都の占領を達成したと言うしかない状況に陥っていた。たったの一つを残して、押さえるべき施設は全て押さえ終わっていた。兵を分散させる過程で伏兵に襲われるものと警戒もしていたが、杞憂だった。


 最後に、賢者の森という場所だけを確認する。


 いるとしたらそこだった。

 おそらく、それはもう()()()の話なのだろうが――マーレタリアの政治を仕切っている連中が、会合に使う場所らしい。他の場所は全て探した。シンがいるとしたら、そこ以外にない。


 俺はゼニア達に別れを告げ、一人でその森に入っていった。


 都市エリアとしては端の方にある、その一画だけが、全く手つかずのまま残されているようだった。何だかんだとエルフが住みやすいよう手を加えられた街並みに、いきなり原生の森が横たわっているので、逆に不自然な佇まいだった。


 一応、長きに渡って踏み固められてきたであろう道は存在しているので、それを辿って中に入った。急がずに行くと、思ったより距離があった。広場へ出て、そこにシンがいた。


 円形に十三の切り株が配置された、いかにも意味ありげな場所だった。


 オリジナルのシンは、その中の一つに無造作に座っている。疲れ果てて、そこに腰かけるしかなくなったように見えた。


「ここで行方をくらますほど馬鹿じゃなかったか……」


 俺も(なに)か、どっと疲れたような気がして、丁度対面にある切り株へ座った。


「で? こいつは一体、どういうつもりなんだ?」


 シンは首を傾げた。


「どう、とは……?」

「この(みやこ)の様子だよ。ゴーストタウンじゃねえか。いやゴーストシティか……何でもいいけど、ここが陥落したら終わりなんだぜ? 守ろうって感じがないな。いくら俺達でエルフを磨り潰したっても、ここまでひどくはないはずだ――残りをどこへ隠した?」


 シンは首を振る。


「どこにも」

「嘘をつけ」

「ウソじゃない。隠してなんかないさ――彼らは出ていったんだ。ディーダ元帥が引き連れていった。だからここにはいない」

「ああ、そうか……無駄なことを」

「そうでもないさ。これはこれで都合がいいんだ。仮にここでオレがやられても、彼らがいれば再起の可能性はあるよ」

「ないよ」

「希望は残る。すぐには無理だろうけど、いつか、どこかで彼らの子孫が成し遂げる」

「俺達がそれを許すと思うのか?」

「いいや? 正直言うと、オレも彼らが出ていくのには反対したしね……。ただ、どうせ残ったのは依代(よりしろ)になれない人達だったし、その人達には種を保存してもらう必要があったから、役割が変わることはない。それなら別に、放っておいても同じことだ」

「とすると――」


 早く終わらせたかった。


「結局、俺とお前の生き死ににかかってるってわけか」

「そうだ。あんたが死ねば希望は残る。倒せなければ希望も(つい)える」

「それだけのことのはずだったんだがな――どうしてここまでこじれちまったのか」

「もう誰にもわからないだろう、それは」


 やっと幕を引ける――その喜びと共に、手こずらせてくれた苛立ちが、俺の内面を支配していく。


 幸福な怒りだった。


「散々余計なことしてくれやがって」

「あんたを殺す」


 魔力を放つ。


 瞬時に高度が稼がれる。

 今はもう、座っていた広場は遠く眼下に小さな点となって表示されていた。

 シンは遅れて飛翔し、それに続くように森に潜んでいた複製体達が一斉に浮き上がってきた。簡単に数えて、九十かそこら――百にはどう考えても満たない。

 半数が上昇を続け、もう半数はゼニア達を攻撃するべく市街地へ向かった。


「――いいのか、全員じゃなくて!」


 問いかけにシンは答えない。


「……だからやられんだぜ」


 俺は下へ向け、螺旋を描く風を五つほど、弓のように引き絞って放った。

 今日は天候が崩れそうにない。だから俺が血の雨を降らせてやる。

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