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15-4 霞衆の沿革

 意外な人物から、まったく予期していなかった単語が飛び出してきたために、俺はその意味を解するのにかなりの時間を要した。


 何しろ霞衆などという気取った呼称はゼニアとの間でしか使っていなかったものだから、こうして他の人間の口から聞かされると、その違和感は尋常なものではなかった。

 なんて? と聞き返しそうになったくらいだ。だが文脈がかろうじてそれを引き止めていた。唐突でありながらも、確かに、デニー・シュートは自らの正体を明かしたように思われた。


 しかし、そもそも霞衆という名前自体が、ゼニアが便宜上付けたものであって(だからつまりカッコつけなのはゼニアなんだが)、(くだん)の隠密団体には明確な呼び名など存在していないはずである。


 そういう意味で、デニーが()()を知りえるはずはない――のだが、彼は迷いなくはっきりとその呼称を使った。それだけで一種の裏付けになりえてしまう。彼はそれほど限定的な情報にアクセスできるほどの権限を持った人間、少なくとも俺とゼニアのプライベートなチャンネルそのものをキャッチできる知性の関係者である。

 つまり霞衆の構成員そのもの。


 それか、霞衆を騙れるほど事情通の何か。

 ――とはいえ、こちらの方は案外可能性が低そうに思える。その理由は、霞衆が真実彼らの役割を全うしているならば、おそらくそれにゼニア周辺の防諜が含まれるからである。

 自分達が何と呼ばれているのか、彼らが俺達の会話を(多少腹立たしいが)盗み聞きすることで把握していてもおかしくはない。彼らの役割と職務を思えば、それは十分ありえることだ(最初にゼニアとコンタクトをとった時も、そのような糸口からゼニアの人柄を分析して判断したのだろう)。しかし、彼らがそんな情報を他に漏らすということ、これはありえない(はずだ)。


 彼らはまず、ゼニアと接触していること自体を秘匿しておきたいからだ。


 そしてその彼らが向こうから正体を明かしにきたということは――。


「オーケー、確かにあんたは……悪くない距離感だったな。節目節目じゃ俺達とつるんでたが、それ以外だとベッタリというほどじゃなかった……。ふうむ、なるほどね、情報部員だったとしても……驚きはするが、否定まではすまいよ。それで? 深刻そうじゃないか。要は、もう隠れてる意味もなくなってきたってことなんだろ?」


 なんとか平静を保とうとするが、あまり上手くはいかないようだ。

 相手が諜報畑の人間だとわかった途端、例え無駄だとわかっていても、隙を見せてはならないという心理が働く。だが、どうしても、大物ぶりたい奴が見え見えの強がりを言っているような感じになってしまう。


 デニーは呆れたように目を細めた。


「――その様子だと、本当にわかってなかったらしいな。おまえはもっと察しのいいやつかと思ってたが……その上で敢えて黙っていてくれているもんだと……」

「悪かったな鈍くて。でもゼニアだって多分気付いちゃいないぜ?」

「いーや陛下ならとっくにご存知だろうぜ、おれのことくらいはな。……直接訊ねたことも訊ねられたこともないがな」

「ほれみろ裏取ってない」

「うるせーな、あっちの方くらい知ってたことにしねえと、ここで正体明かしたおれがバカみたいじゃねえかよ!」

「馬鹿なんだよ今この時は間違いなくな! 黙っときゃ(なん)にもわからなかったものを」

「ケッ、おまえにゃ失望したぜ、どーりで通じねえわけだ……」


 俺が悪いみたいな雰囲気になりかけている。反撃を試みる。


「……しかし、霞衆というのは、俺とゼニアの間だけで使える秘密の合言葉のつもりだったんだがな。あんた、男女のそういう小さな遊びを邪魔するほど野暮じゃないはずだが」

「気を悪くするなよ、この方が通りがいいと思ったから、ちょっと呼び名を拝借してるだけだ。ゼニア女王の名誉のために言っておくが、彼女がおまえ以外に霞衆という名前を漏らしたことは一度もない」

「じゃあ、何でお前らは知ってる? もちろん、俺達がベッドに入っている時の会話をこっそり聞いてたんだよな?」

「謝るが、別におれが天井裏へ忍び込んでいたわけじゃないぜ。おまえたちの周りには特に人員が割かれてんだ」

「こっちの動きは全部掴んでるみたいだから、そうなんだろうとは思っていたが……」

「ちなみに天井裏ってのはもののたとえだからな。後で調べたりするなよ」

「わかるっとるわそんくらい!」

「――実際、霞衆は悪くない名だよ。面白いってんで組織内でも使うバカが現れるくらいにはな。正式には、俺達には名前はない。持っちゃいけないんだ、名前なんぞ。どうしても自分達のことを呼びたい時は、組織だとか網だとか、そういうもんで済ませるべきだ……。とはいえ、陛下が名付け親になったからこそ、組織も最後まで彼女を後押しするように決めたのかもしれないけどな」


 この男が実際に何であれ、疑うのはかなり難しかった。


 俺達を監視するという理由で近付いてきたのだとしても、その目的を果たすためには、デニーは何度も死線をくぐり抜ける必要があった。俺達と共にだ。


 正体を隠していたからといって、悪意があるとは限らない。


「ま、とりあえず――ここまでやってきた仲だ、デニー・シュート少佐……あるいは霞衆を名乗る男。あんたのことを信じようじゃないか。あんたは霞衆。それで?」


 彼が俺の信じたい嘘をついていたのだとしても、それが今更、何もかもをひっくり返すことはないように思える。


「……繰り返しになるが、本当に何もひっかからなかったってのか? おれを見ていて」

「いやあもう、出世願望があるただの貴族の若手のあんちゃんとしか……。一体、いつからだ? 裏の仕事を始めたのは」

「最初からだよ。当時、ゼニア姫が道化師を飼うなんて(ガラ)じゃないこと始めたもんだから、組織はその調査に乗り出していた。それでおれはおまえの住んでいた宿舎を訪ねていった。その時の感触で、おれがおまえたちの()()()になることが決まった」

「へえ……。――待てよ、そうか、考えてみると……その(あと)、ゼニアが父王に幽閉されて、どうしようもなくなった俺があんたに助けを求めたのは……!」

「頭が回ってきたじゃねえか。もちろん、王の怒りをおれたちが仕組んだわけじゃないが、その状況を受けて、困ったおまえがおれのところへ駆け込んでくるよう調整はしてみたわけだ。そしてそれはうまくいった。どっちみち姫を閉じ込められっぱなしじゃ、こちらとしても都合が悪かったんだ。それにあの時点じゃ、おまえの魔法の力がどれほどのもんかっていうのも未知数で、見極める必要があった。組織は大した期待なんかしちゃいなかったと思うぜ――担当としてのおれの二番目の仕事は、危ないと思ったらメイヘムへの殴り込みを止めて、おまえたちを連れて帰ることだったよ。だがおまえたちは――やばい結果を出した」


 デニーは、素直に嬉しそうな表情を見せた。


「それで組織はおまえたちが本物だと考え、全乗っかりすることに決めたのさ」

「なるほどね。しかし、振り返ってみるとあんたらはホント有能だったな……こっちの知りたいことをドンピシャで投げつけてきた。普通にやったら到底手に入らないような情報ばかりだ。どういうカラクリなんだ?」

「おれも下っ端だから全容は知らないが、特別なことは何もやってないと思うぞ。組織はただ、優秀な奴を探して、表で活躍する前に(かこ)うってことを繰り返してきただけだ。百年以上もずっとな……」

「そんなに昔からか?」

「そうだ。組織は、国も同盟も関係なく、独立してやってきた」


 デニーは次に、はっきりと言った。


「任せておけないからだ」


 それで当たり前という口調だった。


「国や同盟を背負っているやつらが失敗してきたのを、誰かが何度も見てきた。きっと何世代にも渡って目の当たりにしてきたんだろう。そうした、名前のない誰かは、ある時、失敗ばかりしているやつらに頼らないで活動する集団を立ち上げた。性質上、規模としても幅としても大きな活動はできないから、やることは絞られた。集団は()()だけをすることにした。とにかく探るだけ探っておいて、いつか、それを武器として使ってくれるやつが表の世界に出現するのを集団は待った。待っているうちに集団は組織化されて、何年にも渡って安定して情報を手に入れるための網と技術を構築した」

「本当は同盟の力になれるかもしれなかった人々を(たら)し込んでか?」

「ああ、そういう見方もできるだろうな。組織の存在は、却ってヒューマンの力を削いでしまったのかもしれねえ。ただ、結果的には、組織はエルフヘイムに忍び込んでも無事に帰って来られる人材を作れるようになったんだよ」

「しかも、エルフにそれを悟られないようにか?」

「そうだ。組織は諜報戦で圧倒的な優位を築いたが、築くだけだった。ほとんど静観するのが仕事だった。長い間そうだった。いつの時代のヒューマンも、てんでなっちゃいなかったからだ。とても協力することはできなかった。組織が本格的に力を使えばすぐにでも効果は現れるが、そうなると敵は自分達が工作面で劣っていることを知る。自分達を陥れている何者かの存在に気付く。正体はわからないにしろ、邪魔されていることだけは察するわけだ。その時点で組織の効力は無くなる。対策が始まったらさすがに敵わないからな。組織は、じっと待った」

「姫様と俺が出てくるまで。デニーさんよ……今更そんなこと語られても、困るよ俺は。だって、これからはその組織の素晴らしい後押しを受けられなくなるってことなんだろ?」

「ああ、そうだ。言った通り、組織が構築した諜報網は潰されている。おまえとゼニア姫の力があれば、こうなる前にケリがつくはずだった。少なくとも組織はそう考えていたようだし、おれもそう思っていたんだが、姫が女王になるまで戦いはもつれ込んだ。だから見通しが甘かったという話なんだ。シン・ナルミが勘付いた。手段を選ばなくなったあの野郎に、内通者をあらかた狩られたのが痛すぎた……」

「そして、同盟を頼っていないが寄生はしている霞衆が、その宿主ごと死にかけている、というわけか?」

「皮肉ならおれがいくらでも聞く。だが、現実として、おれたちは役目を終えてしまったんだ。それだけは、もう、なんとしてもわかっていてもらうしかねえんだ。だからおれが知らせに来た。あんな紙切れ一枚じゃなくてな。――本当に、申し訳ない」


 深々と頭を下げるデニーに、顔を上げろとは俺は言わなかった。


「いいじゃねえか、要は互いに散々助け合ったってことなんだろう? あんたらがいなきゃそもそもゼニアの台頭もなかったんだろうし、そうなりゃ俺も自動的に野垂れ死に、感謝こそすれ、責める気持ちなんざこれっぽっちもない。……にしても、組織の上の方の奴らはひでえじゃねえかよ。いくら面が割れてるからって、そんなことをさせるためにお前を寄越したのかい、デニー?」

「いや……おれが勝手に謝ってんのさ。おまえと陛下を割と近くで見てきたからよ、後ろめたいんだ。組織の成り立ちも語りはしたが、おれは末端で……途方もない計画に、おまえたちを巻き込んだような気がずっとしていた。任を解かれた今、話すべきだと思ったんだ」

「一つ教えてくれ。お前の背景情報は全部偽装なのか?」


 彼は首を振った。


「おれはこれから、ただの木っ端貴族に戻るよ」

「その階級まで出世したのにまだ木っ端扱いか?」

「増えるのは権限ばかりでね……色々片付いたら、おれの領地に来てみろよ。小さすぎて驚くぜ、犬小屋も置けねえんだ。――さて……」


 気が済んだのか、デニーは天幕の出入口を(めく)った。


「話は終わりだ。おれも(みやこ)攻めには加わるが、顔を合わせることはもうないだろう。最後の戦い、頑張れよ」

「おい、このことはゼニアには話してしまっていいのか」

「だから陛下はとっくにご存知のはずだって……」


 だが、ゼニアは、デニー・シュートが霞衆の一員だったなどとは、想像もしたことがなかったのだった。


 話を聞いた彼女は、戦後に「犬を三百匹は飼えるだけの新しい土地」をシュートの一族へ贈る気でいる。

 俺はその(たと)えを広大なようにも狭小なようにも感じた。

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