15-3 正体
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春になった。
気温が上がるのとは対照的に、戦いの内容は冷え込んでいくばかりだ。
敵味方双方とも、ついに投入可能な兵力が底を尽き始めたのだった。
冬の間も休まず戦いに明け暮れていたせいで、補給も徴募も安全確保も、何もかもが追いついていないのだから必然だった。
まず、エルフの側では、精神に傷を受けていない個体が極端に減った。行く先全てでシンの複製体に少数遭遇することがほとんどとなってしまい、それ以外に誰か出くわしたとしても、決まって自我を取り去られていた。与えられたいくつかの命令を忠実に守るだけの、機械のような生命体に成り果てていて、そういうエルフは捕虜としての価値すら微塵も残っていないのだった。
俺の精神魔法で可能なのは解除であって、復元ではない。
稀に、シンのコピーとは連携を取らずに動いている部隊を見つけることもあった。そういう集団の戦意は、著しく損なわれているのが手に取るようにわかった。
その部隊も防衛のために配置されていたのだろうが、死守というような雰囲気ではなかった……。無論、逃がしはしなかったが、交戦を望んでいる様子ではなかった。俺と出会ったことだけが理由ではなく、他の方面でも、同様のケースが見受けられた。
どうやら、敵は領地の保持を諦めたようだった。ボロフが潰れてから、遅かれ早かれこうなることはわかっていただろうが、それでも実際に態度へ出すまでここまでの時間がかかった。
向こうにその気がないのなら、こちらは比較的楽に占領作業へ移れる。
と思いきや、こちらもこちらで、人の手が圧倒的に不足していた。相変わらずエルフの民心は激しく荒れ狂うものがあり、反乱は日常茶飯事で、時には鎮圧失敗の憂き目に遭うほど同盟軍は弱り切っていた。
生命維持だけでも、ヒューマンの肉体には相当な負担がかかる。エルフでさえ凍り付くマーレタリアの土地――冬の間、吹きすさぶ暴風雪に呑み込まれた部隊も一つや二つではなかった。俺は魔法による耐性を持っていたが、こちらの大陸全土を静かにさせるほどの制御は不可能だった。
通常の戦闘における損耗もひどいもので、シンの複製体が敵の主力になってからというもの、特に救援が間に合わなかった場合の結果は目を覆いたくなるほどの惨状か、戦闘が起こったことそのものを情報としてキャッチできないという事態を招いていた。
度重なる転写による精度の劣化があったとしても、安定してこれを倒すのは難しいものがあり、隣界隊が唯一、複製体のまともな討伐例を示し続けていた。派手でも地味でも何でもいいから、注意を引くことで強引に隙を作る――これに勝る戦術はなかった。劣化個体ならば比較的早期に魔法による読心のキャパシティをパンクさせられる、というのが理由で、結局のところ、なるべく強い魔法使いで囲んで叩く以上のものではなかった。それに、魔力射出装置による一撃は最もとどめに向くとされた。
だが、これも犠牲なくしては成立しない戦法だった。ヘイトを稼ぐデコイ役は被弾の危険を一手に引き受ける。それはターゲットが五人や十人増えた程度で薄まるような、生ぬるいものではなく……五次コピー程度の相手でも、時間と注意を稼ぐ前に包囲網が崩壊することは珍しくなかった。
ネタがとうの昔に割れている(奴等はそれを共有もする)ので、射出装置の持ち手が真っ先に狙われることも多々あった。そのせいで、一挺は既に破損して失われていた。どれだけやられても銃だけは持ち帰るように徹底して意識されているのだが、それでも起こりうるほどには、マークされている。
今や、万全のコンディションでやりあっているのは俺とシンのコピー達だけだった。
首都の攻略開始は夏に入る前、という報せを聞いた時、一瞬は驚いたものの、すぐに納得が追いかけてきた。
もうそれしかないだろうと思われた。
そこが、実利の発生するギリギリのラインであることが、冷静に分析しなくても明らかだったからだ。
「そんなすぐに始めるのか?」
こんな発言が飛び出してしまうのは、まさに平和ボケならぬ戦時ボケの成せる業で、報告を俺のテントまで持ってきたデニー・シュート少佐の呆れ顔といったら、溜め息だけで海を割りそうなほどの勢いがあった。
「それ以上時間かけたら、戦う奴が誰もいなくなっちまうぞ」
魔法戦力を持たない中では大手の一角となった彼の隊は、シンの複製を蹴散らした後の駐屯部隊として送られてくるのが常で、ついでにメッセンジャーのような働きもしてくれる。少佐直々にミーティングを持ちかけてくるのも、ここ最近ではお決まりの流れだった。
「そうか……。そりゃそうか……」
多分、シンがエルフの残機を使い切り、俺に一切の味方がいなくなっても、決着をつけること自体は可能だろう。
ただ、その場合は、俺とシンが周りを顧みず無駄に破壊的な殺し合いをするだけの、何も残らない戦いになる。
エルフが焦土作戦を取り、ボロフも廃墟になって、当初予想されていたより、豊かさを取り戻すことはできなくなっている。少なくとも短期的には無理だ。この上首都機能まで死ぬとなったら、もう何のために陣取りをしているのかわからなくなってくる。取れるはずのものが何も手に入らないまま、処理の面倒な問題を作り出しているだけだ。
兵も死ぬ一方――今度こそはきちんとした征服を企てる同盟軍にとって、置くのに十分な戦力すら整わなくなりつつある現状を、もう認めることはできないということなのだろう。俺としても、これから使うであろう場所を根こそぎ吹き飛ばしてしまう失態は二度演じたいものではない。討ち入りには細心の注意を払いたいところだ。
「あっちのクソ野郎が自分の手足を自分で食ってる以上、もっとすごいことを考えつかないとも限らないしな……。とにかく、その時期に始めることで上の方は固まった。早まることがあっても、遅くなることはない」
「じゃあ、使うのは強行ルートか……見通しが立つだけいいが」
「そうさ」
試算は既に行われていた。
このペースでは、マーレタリア首都中心部に到達できたとしても、侵入経路を一つ構築するまでが限界。理想は包囲だったが、攻勢の体裁も整うかあやしい状況では望むべくもない。
強行ルートというのは、その、かろうじて開拓できる、か細い糸のような道を指した。何しろマーレタリアという国は、首都の市街地付近も森まみれで暮らしているのだから堪らない。かといって、侵入経路の限定を嫌い、道なき道を征くのでは、重要施設に到達する前に兵が疲れ果ててしまうだろう。
「まあ、なに、どうせ突破口はおまえさんが切り拓いてくれるから、いけるだろ」
そうだな、などと相槌を打つ気にはなれなかった。
俺は不機嫌さを装いつつ座っていた寝床から立ち、軽く伸びをした。暗に話を切り上げようと持ちかけたのだった。
だが、デニーは、貸し与えた椅子に、逆に深く座り直した。
「ところで、今日はもう少し、言っておかなきゃならないことがあってだな。ちょっと真面目な話なんだが、いいか?」
今までのは真面目な話じゃなかったのか……と茶化す気でデニーの顔を見ると、存外に真剣な顔つきとなっていたので、俺の方も再び腰を下ろすしかなかった。
「何だよ、急に改まって」
「正直、悪いと思ってる。まさかおれたちまで息切れするようなことになるとは思ってなくてよ……読みが甘かったんだろうな。ここでまたバシッとおまえたちに援護してやれれば、もう少し上手くいったんだろうが……何しろあの野郎は手当たり次第自分の人形にしちまうって話だろ? 尻尾は当然掴まれないにしろ、ああも耳を潰されると、簡単な内容すらなかなか手に入らないもんだからどうしようもねえ。すまんが、やっぱりそっちの方は自分たちでなんとかしてくれとしか返事ができねえ! 引き続き内部工作だけはやってくからよ……何とか凌いでくれや。な? この通り!」
デニーは拝むように手を合わせ、実にすまなそうにこちらへ頭を下げた。
俺はというと、この男が何を言い出したのか、さっぱりわからなかった。どうも、話が事前に通っているふうな調子だが、途中から何のことを指しているのか意味不明だし、何について悪いと思われているのかも心当たりがない。
「わかりそうでわからないんだが、ええと、つまり、どういう……?」
「だからよ、おれたちをアテにするのは、やっぱりもう無理なんだよ。前にちゃんと手紙を送ったろ?」
「まずそれを忘れてるかもしれない。手紙って俺にか?」
「いや、陛下に……新しい陛下にだけど、ともかくあれから、頑張ってはみたらしいんだが何も好転してはないからよ、無いとは思うんだが、まだちろっとでも期待されてたら本当に悪いからよ、一応おれの方から念を押しておいた方がいいんじゃないかって話が来て、まあそれで今だよ。これまでいい関係だったからよお……すまねえなあ」
謎は深まるばかりだった。
どうしてデニーはいきなりこんなわけのわからないことをまくしたて始めたのか、何故、ゼニアの名前も出たのに俺が謝られているのか……俺は、この短い時間で十分に困り果ててしまった。
「わかった! 俺が悪かった! あのー……ちょっと、何言ってるか全然わかんねーんだ、デニー少佐。順を追えとは言わないけど、何について話してるかだけもうちょっと詳しくやってくれないか。主語をくれ主語を」
俺がそう言うと、デニーは少しフリーズし、ややあって苦笑し始めたが、俺が何にも面白くないという顔をしたままでいるのに気付いて、態度を変えた。
彼は焦っていた。
「――え?」
俺は何度か頷き、冗談でないことを示した。
「おい、おいちょっと待てよ……ウソだろ? おれはとっくにおまえが気付いてるもんだとばかり……だから話したってのに」
「だからその話が見えてこないっつってんだよ、俺は何もわかってないの! 何なんだよ何が言いたいんだよ?」
今度はデニーが困り果てる番だった。
俺にどう説明したものか、彼は悩んだ。それから、
「あのな、」
と一拍挟んで、
「おれが霞衆だよ」
と言った。




