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15-1 You copy ?

 ぐっすり寝て、そして起きた時、世界が変わって見えたと言うと大袈裟になるが、しかし確かに、何かが違っていた。


 胸のつかえが取れたように感じている自分がいた。


 エルフに対する憎しみや、シンに対する怒りがなくなったわけでは断じてない。ただ、少し、頭の重みが取れたような……そんな気がしてならなかった。


 その変化は明らかにそこに存在していたが、具体的に何が変わったのかは、自分に対して説明することすら難しかった。根拠に乏しい納得ばかりが先に立つ。もう、以前までの俺ではないという感覚ばかりがはっきりとしていて、何故そう思うのかに関してはさっぱりわからないという調子である。


 俺はこれを人に打ち明けるかどうか迷って、結局はゼニアに話してみたのだが、すると彼女は、


「何にせよ、悪くない徴候ね。そのうちもっと気分が良くなるのだと思うわ」


 などと予言者めいたことを言うのだった。何か知っているのか、とその場で問い詰めることもできたが、これもまた不可解なことに、その必要はないと俺は既に了解しているのだった。


 それに、いつまでもつまらぬ私事にこだわってもいられなかった。首都機能を潰されたディーン皇国について思案するという、とてつもない課題が待っていた。


 幸いにもアキタカ皇帝という旗印が無事であったため、ディーンそのものが壊死するほどの事態は免れたが、大組織としては深刻な麻痺状態に陥っている。この混乱を収めるのにまずどれだけかかるかさえわかっていない。


 灰燼に帰した都市の後片付け、避難に成功した人々の保護受け入れ、交通整理、頓挫した活動のやり直し、経済的な補填、対処すべき事項が山ほどあり、しかしそれらを担うべき人材を見繕うことから既に困難な有様――事実上、これは脱落だった。

 精神、物質の両面で喪失したものがあまりにも大きく、そしてその穴埋めさえままならないのでは仕方がなかった。


 彼らにできそうなことは、軍隊の維持をやめるといったような諦めの方法だけだった。


 元々が国中から吸い上げた人手をさらに寄せ集めたようなもの、この危機に還元できなければ時を待たずして滅ぶか、良くて、国の体を成さない極小の勢力に分裂するといったところがせいぜい……自分達の生活の最低限を保証できず、国難に手も打てないような政体に従う人間集団は存在しない。そういった、最後の問いが突きつけられているのだった。


 はっきり言って、もう戦うどころではない――そんな本音を押し隠し、皇帝と関白のクドウ氏はこう述べたものである。


「皇国としては、春からの攻勢は、精鋭のみをもってこれにあたるものといたしまする」


 同盟はあくまで同盟でしかなく、捨て身の協力を強要できる性質のものではない。


 俺達としても、応急処置に人を回すな、などと言えるわけがなかった。


 彼らはただ苦境に立たされ、破滅に繋がらない道を必死に考えただけだ――それで純粋に職業軍人と呼べるような者だけを残すと、あとはもう各々が地元で自警活動にあたるだけの規模となってしまった。

 そういう話だった。


「その代わり、ディーンの将兵はこれを全てセーラムとルーシアの指揮下に入れましょう」


 実情として、最早、ディーンが戦闘に関わろうとするならばこのやり方しかなかった。彼らが単独で体裁を整えられないということは誰にもわかっていたから、残るは意地と名分の問題であった。


 最後まで戦ったという事実は、それがどのような形であれ残しておくべきだ。さもないとディーンは、同盟内におけるセーラム・ルーシアとの対等な関係を戦後失うことになる可能性が高い。理由が何にせよ、最終局面へ全く関われないとなったら、その評価はどうなる?

 ただでさえ特大の貧乏くじを引いてしまったところを、さらにこの先、様々な角度から見て不利な立場へと落ちてしまうのだ。気にしないわけにはいかない。発言力は何としても維持しなければならない。


 俺達の方とて、望みもしないのに何故か、「でも貴方達は戦い抜いたわけではないですよね」などといった冷酷な趣の発言を用いて、交渉を有利に進めようとしてしまうかもしれない。正直避けたい未来だが、国際政治の場ではそれはどうしても起こりうる。


 やりすぎる可能性の芽を摘み取るためにも、他国に戦力を託すという彼らの意図は汲み取る必要があった。別にお荷物というわけでもないのだ。


「好きにして下さって構いません。ハギワラの一門などはそれを望んでもいます」


 この触れ込みの通り、大いに働いてもらうしかなかった。彼らを生かすには彼らを活かすしかない。フォッカー・ハギワラ氏の率いる部隊は、一時的にゼニア・ルミノアの直属へ置かれる。隣界隊(りんかいたい)と肩を並べて戦うのはこれまで通りなので、実務に支障も出ないだろう。

 他はルーシアの預かるところとなった。こちらは独立させず、どこかの隊へきちんと組み込む形で割り振られるようだ。扱いに少し差というか、違いが出ることになるが、この場合はそれぞれに都合のいい形で適応させた方が、一律で対応するより無理が出ずよかろうということで決着がついた。


 一方で、そもそもの原因であるシンの奇襲に関しては、危惧されていた再発がいつまでも起こらないまま終わろうとしていた。

 前線での動きも含め、敵勢力の活動が何らかの要因により抑制されているのではないか、と同盟内では推測されているようだった。


 障害である俺を一度は消し去ったことだし、あのままの流れで橋頭保の構築にかかってもおかしくないところを、敢えて一兵も駐留させず退却させた敵の思惑は何か? シンは一体どういうつもりで好機を見逃したのか?


 俺の中には仮説がある。

 だが根拠が俺の中にしかない。


 あの時、奴にもダメージは入っていたと思う。内面世界へのダメージだ。そのせいで立て直すしかなくなったということなのか。

 今一歩確信が持てない。

 奴を追い詰めたのは俺ではないからだ。やったのは俺の中にいた誰かで、俺はその目撃者だった。あの時はそうだった。


 奴がどんな精神的被害を被ったにせよ、楽観視はできないのが現状だ。これから集団を引き連れて好き勝手に出没されるのでは、到底対処が追いつかない。あの場で退()いたからといって、いつまでも奴がおとなしくしているはずもない。


 一応、運搬魔法が、訪れたことのある場所への移動を基本とするならば、次の狙いを絞り込めないことはなかった。ディーンでの一件は予行演習のようなもので、本命の目標は召喚装置のあるオーリンだろう。

 しかしその読みやすさから裏をかいてくることも十分ありえるし、極端な想定をすれば、奴等がおとなしいのは時間をかけてヒューマン圏へ潜入し、丁寧な()()()()()に精を出しているからだと言うこともできる。そうなると途端にどこを守るべきなのか、出すべき答えが遠のいてしまう。


 やはり、望ましいのは、対応することではなく対応()()()こと――相手を守りに入らせること。防御に専念させ続けることで、少しの攻勢も反撃も選択できないようにするしかない。


 となると、やるべきは報復だった。


 今、全ての要素がこれ以上の戦闘長期化を否定しにかかっている。雪解け後の進軍より先の計画を立てることは不可能だ。シン達が耐えた末に取り返しのつかないほど増殖するか、これを上回る速度で殲滅するか、未来はどちらかに収束する。来年はもう無い。


 当然、俺達は後者の未来に繋げたいので――攻撃を行うしかないのだった。


 王手をかけ続けることが目標になる。

 具体的には、この冬の段階からマーレタリアの首都を射程に収めたい。留守にした瞬間落とせるようにだ。最低でも、敵に警戒してもらう必要がある。こちらにちょっかいを出すより、行き違って致命傷をもらうことの方がリスクだとわからせる。

 ディーンが首都を失って戦い続けられないように、マーレタリアも中枢を失えば崩壊していくだろう。シンがどれだけ強がろうとも、結局、奴を食わせているのはマーレタリアという国――譲歩しても、勢力だ。個々の協力ではなく勢力が奴を支えている。まず俺達がそうであるように、奴が勝手をするためには果てしなく便宜が図られている。お膳立てをされてこそ戦いの場が生まれる。奴が理解していようがいまいが、基盤が消えたら(いくさ)は終わる。後ろ盾が無いままやっていけるほどの才覚と経験は、奴にはない。

 誰にもない。


 方針だけが決まった時点で、俺は会議から抜けた。まだ多くの人々は細かな点に不安を抱いているだろうが、その相談も含めて、後のことはゼニアが調整するだろう。


 一足先に前線へ転送してもらう。舞い戻ったその足で、俺は最初の出撃を書記官に記録させた。帯同者なし――完全な単独だった。


 おそらく帰ってくる頃には、俺の突撃は暴走か乱心かと騒ぎになるだろうが、迷っている暇も準備をしている暇もない。次の瞬間にはシンがセーラムに直接転移してくるかもしれない。俺は一秒でも早く、奴に考えを変えてもらわなければならない。人々が納得するのはその後でいい。


 意識を保ったまま異世界間のトンネルを通るというしんどい体験があった割には、魔力のエンジンに不調は見られない。一度、魔法の存在しない世界に戻された分のブランクも感じさせない。フルにブン回してもゴキゲンな、いつもの俺の風だった。


 確かに、ゼニアの言った通り、気分は良くなってきていた。これから大変な作業が待ち構えているというのに、俺はある種のやりがいさえ見出そうとしていた。


 足を踏み入れた拠点には三匹のシンがいて、驚きを隠してはいなかった。俺が戻ってきたことに驚いているのか、一人でやってきたことに驚いているのか、いきなり来たことに驚いているのか、それとも――やはり、俺の心が読めないことに驚いているのか。


 それほど魔力を支払う気はなかった。いくつか確認できればそれで十分だった。コピー相手なら複雑な手順を踏まなくとも接近できるというのがまず一つ、そしてもう一つもすぐにわかるだろう。俺は捕まえた一匹の額に触れ、魔法を流し込んだ。


 風ではない。

 込められている命令は、シンが先に施している魔法へ対抗してこれを解除するというもの。


 紛れもなく精神魔法だった。

 目が覚めた時、俺は二種(ダブル)の魔法使いだった。

 それを確認したかった。


 俺の中に住んでいた誰かの魔法だ。

 おそらく――それにしても信じ難いことだが――そいつは俺と同化したのだと思う。何故か俺に吸収されるような形で……。


 この精神体の起源は不明だ。どういう経緯、タイミングで魔法を習得したのか、またその力を利用して俺を宿主(やどぬし)のように頼ったのか、今となってはわからず終い……何故その事実を伏せていたのかも。


 俺はただ唐突に、引き継いだのを知らされただけだ。説明書だけが頭の中に置かれていたが、内容からしてシンを倒すための武器であることは明白だった。


 この魔法は調整版で、十分な開発を既に終えており、限定的な機能に特化している。読心からの防御、精神の複製と称した不可逆歪曲の解呪、そしてネットワークの破壊。


 俺の中にいた無名の研究家はシンとの接触を試みていた。そしてそれは成り、必要なデータが揃ったというところなのだろう。


 ネットワーク。

 なるほど……奴が無敵ではないということの裏付けを得られただけでも、研究には価値があった。結局は本体を殺さなければならないが、その後の手間がかなり省けるとわかっているのといないのでは大違いだ。


 三匹全員を無力化するのに体感で二分ほどかかった。


 回収した複製解除後のサンプルは役に立たなかった。セミの抜け殻の方がまだ生き生きしているというくらいのことしかわからなかった。


 その日から俺はひたすらに、シン自身が造り出したシンの模造物を狩り続けた。からくりさえわかってしまえばこれほど粗末な作品群もなかったが、数だけはいるから手を抜くようなことにはならなかった。奴等は奴等なりに、補充のシンを用意していた。


 憑かれたように出撃を繰り返す俺を同盟の上層部は心配したが、何度か狩りの様子を実演して見せると、大喜びで賛辞の言葉を並べ立てた。より効率的にこの作戦が回るよう知恵も絞られたが、俺にもっといい弁当を持たせる以上の案はなかった。


 俺は――少なくとも、俺個人のスタンスとしては、歩調を揃えたり、救いの手を差し伸べたりするのをやめた。元々、心がけているわけでもなかったが、意識して一切を断つようになった。


 俺はコピーを消すのに徹した。

 消すことだけに、徹した。


 他は全て俺以外の人達の仕事だった。

 索敵も掃討も、占領も駐留も……時には現地までの移動すら任せることがあった。


 どうやって行動範囲を広げるか、補給線を繋げるか、戦線を維持するか。これら全て、俺の知ったことではなかった、極論、途中でどこがどう分断されても構わなかった。俺が俺の活動に必要なら、俺はすぐに接続を取り戻した。不要ならば無視した。誰かに任せたと言い換えてもいいが――いや、俺は無視した。


 狩り以外は全て休養に充てた。出番がなければ丸一週間、俺は動かなかった。その代わりお呼びがかかれば三日三晩戦った。


 コンディションは常に万全に保っていたかった。いつ本体と会ってもいいように。

 奴は姿を見せなかった。


 俺は機械的に戦った。

 機械的であることをシンに伝えるにはそれしかなかった。印象を与えたかった。奴を恐怖させるのも俺の役目だった。奴が外に出たくなくなることが作戦の成功を意味する。そしてそれは結果でしか確認できない。


 俺は、その結果が、後から付いてくることを信じ続けた。


 根競べだ。


 奴は明らかに、次回の戦闘では前回より多くのコピーを投入できるよう算盤(ソロバン)を弾いていた。どれだけ俺に消されようとも、次回の襲撃に備えられる分の、言うなれば生産係のコピーは温存し、また増員してもいるようだった。戦力の逐次投入は愚かかもしれないが、常に増加した戦力を投入できるなら話は変わってくるのかもしれなかった。


 だが俺はその答えにも、もう興味がなかった。

 奴が複製を仕上げるより遥かに効率的に、俺は解体するだけだ。


 最後にはセピア色にまで劣化したコピーと、奴だけが残る。


 無論、そうなる前に、戦局は次の段階へ進む。

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