14-9 統合
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ゼニアが案外冷静に迎え入れたので、フブキは拍子抜けしたのか、
「泣き腫らした目を想像してたんだがな……」
などと憎まれ口を叩いた。
「きっと戻ってくれると信じていたわ」
というのも、一足先にジュンが戻ってきていたのである。
フブキとジュンがディーンの都で消失した後……シンはすぐに撤退した。チャンスとは思わなかったらしい。後詰めが来ることもなく、そこで戦いは終わった。畳みかけられるほどの状態になかったからだとゼニアは考えた。もう一人のフブキがきっちり仕事をしたものと思えた。だが、そのまま消えてしまうのは誤算だった。
ゼニアもまた、隊員を集合させてディーンの都から退却した。まったくそれは、放心の中からかろうじて義務感により選択された、最低限これだけはしておかなければならないという、受動的な対応だった。セーラムへ戻ってからはそれ以上何の行動も起こせずにいたが、間を置かずして、どこからか借りてきた馬に乗ったジュンが現れた。
驚くと同時に、死を確認したわけではないのだから、という事実がゼニアの安堵をかなり後押しした。さらに、ジュンが体験してきたタイムスリップの内容を聞き、フブキもまた何らかの転移現象に巻き込まれた予感を受け取った――。
「実際そりゃ当たってたわけだが、しかし、ジュンの件に関しちゃ、肝心の俺がそのことを憶えてない。どうも納得いかないな」
「まあ、見た目にも随分弱ってましたから……記憶にないのも無理ないです」
「私はむしろ、これで腑に落ちたけれどね――メイヘムの奪還後に、少し検証してみた限りでは、飛び込んでからアディクト川でフブキを見つけた地点まではあまりに遠すぎたもの。自力で岸に上がる体力が残っているのと、誰かが引き揚げているのとでは、後者の方がより自然」
「確かに、それはな……俺も聞かされて、自分があそこから這い上がったって信じられなかったからな。だがまさかジュンに助けられてたとは、わからないもんだ」
今は落ち着き、煩雑な処理からも解放され、フブキの新しい部屋で、ささやかに帰還を祝っている。
フブキはもう寝床に入って身体を横たえていた。ゼニアとジュンでそれを見守っている状況である。彼は何も言わなかったが、普段なら気を遣ってくれるところをこれであるから、相当疲れを残しているのが見て取れた。
「俺も俺で、実家に帰るなんて一大イベントが用意されてるしよ……悪かったんだか良かったんだか……」
「――ご家族は、元気だった?」
ゼニアは実に眠たげなフブキに、何気なくそう訊ねた。
それに対しフブキも何気なく、
「ああ」
とだけ返事をした。
元いた世界に一度帰ってみてどうだったか、何も語りたくないという感じではなかった。逆に、語りたいことが多すぎて、敢えてそれを伏せたような節があった。
ゼニアは、その束の間の再会がフブキの里心を呼び覚まし、却って彼を苛んでいないか、気掛かりだった。
二人の証言に共通しているのは、持ち時間を切らして、自分の意思とは関係なく戻ってきたという点だ。どちらも、すべきことはしたように感じているけれども、強制的に飛ばされ、強制的に引き戻された。直前に置かれていた状況、実際に起こった現象からして、ゼニアの魔法の性質が強く関与していることは明白――責任の一端がある。
しかしその一方で、
「あの……素朴な疑問なんですけど、わたしが、川からその……引き揚げることができていなかったら、やっぱり影響あったんでしょう……か? いや、もう済んでることですから、気にしなくてもいいんでしょうけど」
必然とまでは言えないまでも、必要な手順だったのではないかと思う気持ちもある。
「――私がジュンを送り込んだから、フブキと私が出会うようになったのか。それとも、フブキと私が出会うから、私がジュンを送り込むようになっているのか――?」
「こういう話題には付きものだな。矛盾が出ないのは後者だが……」
最初から、決まっていたことになる。ジュンが溺れるフブキを見つけることも、あそこでゼニアとシンの魔法がぶつかり合うことも、その前――ずっと前の段階から、何もかもが運命の通りに決まっていて、あらゆる労苦が予定されていて、怒りも悲しみも、
「まあ、俺はそんな単純な話で片付けられるもんじゃないと思ってるよ」
フブキは、馬鹿らしい、といった調子で続けた。
「今回、ジュンが俺とゼニアを引き合わせるのに一役買ったのは確かなんだろうが、何だかな……世界に敷いてある法則ってのは、もっと複雑だと思うんだよな。それかそもそも、法則なんてものに当て嵌めるのが間違ってるのかもしれない。人間の自由意志ってもんが疑われるからこんなこと言ってんじゃないぜ。その線で行けば、俺の方の転移なんか無駄撃ちもいいところなんだからな……。ジュン、黒いトンネル通ったの憶えてるだろ。あんなのが――かっちりかっちり、歯車や、真っ直ぐ引かれた線路みたいに動くと思うか? ゼニアには悪いが、こればっかりは体験しなきゃわからない感覚だろうよ。人間がどうやっても説明をつけられないくらいに、複雑なんだよきっと」
彼は首を振った。大欠伸をし、毛布に潜り込む。
そろそろ会話も打ち切りたいという意思表示か。
「……ジュン、あなたも、もう戻って先にお休みなさい」
ジュンも目を擦りながら、
「陛下は残るのですか?」
「フブキの寝顔を飽きるまで眺めたら行くわ」
「わかりました。それではここはお任せします」
「……そういうのは完全に寝てから言ってくれないか……?」
ジュンが去った後、フブキは気の散るような素振りもなく、ゼニアの見つめる中で眠りに落ちた。ゼニアは宣言通りその寝顔を堪能する。
またつまらないことで愛する人物を失うところだった。思えば、この男だけが絶対にどんな状況からも戻ってくる(ジュンもそうではあるのだが)。
ゼニアは本当は、失うのではなく、離れていってしまうことこそを怖れているのかもしれなかった。もし、今回の転移――フブキに選択権があったとしたら、彼はゼニアのところへ戻ってきただろうか。家族と再び触れ合えたことで、元の生活に帰ろうと考えるのではないだろうか。
一方で、家族がいなくなることの悲しさを、ゼニアは嫌というほど知っている。フブキの胸中を想像すればするほど、申し訳なさがこみあげてくる。もしかすると、取り戻せるかもしれないという淡い希望を見つけてしまったフブキは、より残酷な悲しみを受け入れることになるのではないだろうか。
無闇につらくなった。
これ以上考えるべきではないのかもしれなかった。
ゼニアは寝床の傍らから離れ、部屋の蝋燭の明かりを落として回った。
最後の一本に息を吹きかけようとしたその時、
「さっきの話の続きだけどよ」
横になったまま、フブキがそう言った。
「創作上の決定論は好きだが、現実に適用しようと思えるほど楽観的にはなれねえな、俺は」
「……全てが、予め決まっていると考えることができるなら、諦めがつくから?」
「そうだ。そんなもんは逃避だ。運命のせいにできりゃ楽に決まってる。それで片付けられないから、みんな困ってんじゃねえか。なあ……」
もう一人の男――。
ゼニアは、そのままもう一度フブキの傍らに座った。
「ジュンのこと。――あなたは知っていたのね」
「まあな。召喚されてきた時は、裸なことよりツラで驚いたよ。あんときの! ってな……。でも、そこからどう繋がるかなんてことは、俺にも何もわからなかったから、今回のことでやっとからくりが見えて、すっきりしたよ」
少し間を置いて、
「結果が聞きたいんだろう」
ゼニアは頷いた。
シンとの交戦で、対策を立てるための新しい材料を仕入れるという約束だった。
「ええ。収穫はあったの?」
「実は、今日はあんたにお別れを言いに来たんだ」
藪から棒に言われ、ゼニアは思わず、
「何の関係が――」
「ある。あるんだ。残念だけど、ある」
ふざけているわけではないのがわかった。むしろ、こちらのフブキにしては調子外れなほど――真面目な言い方だった。こちらの方を向いて、
「統合しようと思ってる」
それは、フブキの中では熟慮の末に結論が出ていることなのだろうが、ゼニアにとっては何を意味しているのか、どういった理由でそうなるのか、正確に掴むことができない。
一つ一つ解決していく必要があった。
「統合って……どういうことなの? 何を、統合するの」
「俺自身とあいつ自身だよ。あんたも聞いたことぐらいはあるんじゃないか。こういうのが治る時はな、結局、どれか一つにまとめないといけない」
「――あなたは、自分を捨てるの?」
「別に死ぬわけじゃねえ。元々は一つだったんだ。あいつが主体なんだし、まあ、戻るだけだよ。今後、俺が俺だけで出てくるようなことはなくなる」
「お酒の量が限界を超えても?」
「そうだ。潰れるか、胃の中身を戻して潰れるかのどちらかだ」
「それで、お別れということなのね……」
「そういうことだな」
「急ね」
「そうだな。でも決めたことだ」
「ちゃんと二人で話し合ったのかしら?」
「まさか。でも、あいつが望んだことだ。本人に自覚はないだろうがな。そして俺自身も望んでる。やらない手はない」
意志は固いようだ。
「でも、元は、心が壊れないためにあなたが分けられたのでしょう? それを戻すことに危険はないのかしら」
「お、よく知ってるじゃねえか――でも安心しな。焦ったり、変にこだわったりしなけりゃ、穏便に事は運ぶ。俺とあいつの両方が納得してれば、いけるよ」
「……ということは、今までは、そうではなかったのね」
「ああ。俺はまあ、別に、それほど気にしちゃいなかったんだが、やっぱりあいつがな。ただ――多分、一度家に帰れたことで、あいつは心の整理がついたんだと思う。棚上げにしてた問題に答えを出すことができたんだろうな。あれでいいのかわからんけども。俺にしても青天の霹靂ってなもんで……でもまあ、これからのことを考えれば好都合ってのもあって、統合へ踏み切ることにしたわけさ」
そこまで聞いて、ゼニアはようやく得心する。
「これからのこと――そうか、魔法も統合できる……!」
「そうなる。今までは魔法も効率悪く使ってたが、心が統合されることでそのへんの問題は解消できるようになる」
「風魔法と精神魔法を同時に?」
「おう。ついでに新しい武器も用意した」
「――シンを倒す武器!?」
「あ、でも、そんなに期待はするなよ。武器とは言ったが、そもそも、俺は野郎みたいに何でもかんでもやるのは無理だし、同じ魔法でも得意なことが違う。俺は――必要に迫られたからかもしれないが、防御や対応の方に長けてるらしい。だからもちろんその強みを生かした手段になる。今回の接触で奴の手口を調べ上げることができたわけだが、それを材料に完成したこいつは、簡単に言うと――ワクチンだ」
「わくちん……風邪薬のようなものね」
「そうだ。こいつを走らせると、奴が施した精神のねじれを解消できる。結果的に、奴の精神の複製体は、その特徴を失う」
「元に戻るのね」
「戻らない。あれは不可逆だ。破壊された精神だけが残る」
「そう……。とにかく、敵の頭数は減らせるということね。期待以上よ!」
「まだある。奴は、自分で言うほどには完璧に魔法を扱ってるわけじゃない。俺のワクチンとは関係なく、精神の複製には大きな弱点が二つある。これも教えとく」
「聞きましょう」
「まず、複製された情報は……劣化してる。一次コピーの時点で性能が落ちてるんだ。そのコピーが二次コピーを作ったら、さらに劣化だ。銃で撃つことができたのは、多分そいつだと思う。何故か当たったんじゃなくて、普通に当たるんだよ」
「それが本当なら嬉しい知らせだけれど、よくそんなことがわかったわね」
「そりゃそうさ、奴自身の心から拾って来た情報だ。奴は寸分違わず自分を転写したと思い込んでるらしいが、その思い込みからして、奴が奴自身にかけた暗示だ。自分を騙してる」
「……どうしてそんなことを」
「そうでもしなきゃやってられないんだろう。現実を直視したら戦えない。そして、奴は自分にもう一つ嘘をついている。複製体は、それぞれが全て本体と糸で繋がってる。これが二つ目の弱点」
「具体的にどういうこと?」
「複製体は全て本体からの補助に依存していて、全て本体からの影響を受ける。複製体を個々に相手するから面倒なんであって、早い話が、本体を叩けば、複製体の能力も著しく落ちる。シン自身に直接ワクチンを流し込んでやれば終わりだよ。むしろ、ワクチンを複製体に伝達するための媒介になってくれるだろうな」
「それは、でも……本体を叩くのには苦労するでしょうね」
「だから俺が苦労する。不可能じゃない」
フブキは不敵な笑みを作る。
「おかしいと思ってたんだ……自分のコピーなんて、何のリスクもなしにポンポン生み出せるようなものじゃない。どこかに綻びがあるはずだと蓋を開けてみりゃ、奴自身が最大の欠陥なんだから恐れ入る。まあ、言われなければ、俺達だってずっとあの魔法は完璧なものだと思い込んでただろうけどな……報告は以上だ。他に質問は?」
一度にたくさんのことを知らされ、ゼニアは見合うだけの質問を投げかけなければいけないような焦燥に駆られたが、最終的に一番知りたいことだけが集約されて、
「……勝てるの?」
「任せろ」
――であれば、いい。
ゼニアにも手の届かない領域のことだ。やはり任せるほかない。
「じゃあ、また明日な。明日にはもう俺じゃないんだが、でも俺はそこにいる。大したこっちゃないが、どうか忘れてくれるな」
フブキはもう一度毛布に潜り込む。
「あんたと秘密を共有するのは楽しかったぜ。さようなら、ゼニア」
ふと、この別れに際してもっと言葉を尽くすべきなのか、と思う。
だが、無用の引き止めはせず、このまま静かに寝かせてやった方が、より労わりに繋がるような気もした。突然現れ、突然消える。その方が彼らしいか。
「――さようなら、フブキ」
ゼニアはそれだけ言って、最後の蝋燭を吹き消した。




