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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第14章 遥か時空の彼方の隣
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14-6 懐かしの我が家

 アピールした手前、道中は会話で埋め尽くされた。


 やはり珍妙な格好に興味を惹かれるのか――それとも俺の懐具合を信用しきれないのか、まず運転手さんは職業について訊ねてきた。結構踏み込まれたが、当然のことでもあった。この素性の怪しさでは仕方がない。多様な客を相手してきた彼でも、多分、俺のような奴を乗せたのは今回が初めてなのではないだろうか?


 マルチなパフォーマーという説明をした。

 例えば大道芸、手品……とキーワードを出せば、彼もある程度納得がいった様子で頷いた。漫談や落語もやると言ったら思いのほか食いつきがよく、普段はどこの演芸場へ出ているのかと問われたので、慌てて、今は離れ気味で近くの予定はない、と苦しい言い訳をした。昔は御徒町(おかちまち)まで行ったりしていたんですけどね……などとそれらしく付け足してみたものの、説得力が補強されたのかよくわからない。


「あー……あと、楽器はできないんですけど口笛で色々やったりしますね……」

「へえ、それは……」


 気を逸らすために言ってみる。


「――今、一曲やりましょうか」

「いいんですか? それも商売なんでしょう?」

「まあそうですけど、こうして長距離を運転してもらってるわけですからね、ささやかなチップということでどうでしょ」

「ははあ……じゃあちょっと聴いてみようかな」


 俺は軽く『とおりゃんせ』を吹いてから、短すぎるのでふと思い立って『ジムノペディ』第1番に繋げた。


 終わった時、丁度信号待ちで、運転手さんは拍手をしてくれた。


「いや、すごいな。さすがにうまいもんですね」

「やってからなんですけど、辛気臭い二本立てですねこれは」

「いやいや……しかし本職なだけありますよ、こんなにしっかりした音の口笛って聴いたことがなかったなあ」

「どうも、ありがとうございます」


 本職。それも、今となっては嘘ではない。


 俺は――、考えてみれば、就職活動などしないで、大道芸人を名乗るのがよかったのではないだろうか。そうすれば、少なくとも――もう自殺しかないとまで思い詰める時期を、遅らせることができたのではないだろうか。


 当時はそんな発想は頭になかった。

 大学も出るのだし、どこかに雇われる以外の選択肢はないと思っていた。それが普通なのだから、と。俺のような、才覚の無い者が普通を外れて生きる道があるなどと――信じることはできなかった。

 年寄りになったつもりはないが、しかし、それにしてもあの頃は若すぎた……。


 目を伏せる。


 いや、多分駄目だろう。今ある技術のほとんどは、本当の意味で追い詰められてやっと形を得たものばかりだ。下地がまったくなかったわけではないが――あの頃の俺が、何かを習得できたとは思えない。


 ただ――それはそれとして、当時の視野の狭さを、残念に思った。


 一度、こちらの世界の自分自身を見つめ直してみると、意識して捨てようとしていた記憶までもが生々しくよみがえってきた。これから会おうとしている家族のことに始まり、大学時代につるんでいた奴等はどうしているだろう、とか、あの(かよ)った中華料理屋、古びたミニシアター、修学旅行で京都に行った、銭湯で売っているアイス、ある日自転車同士で事故を起こした、教育実習生がきれいな女性だった、電車の乗り換えを間違えた、小学生の頃夏休みに得意でもないキャンプのツアー、(ふた)が外れて後から後から、もう二度と関わることがなかったはずの、この世界におけるありとあらゆる要素が、生き返って……まるで取り戻せるかのような錯覚を与えてくる。


 そんなはずはないのに。


 俺は、自分がどこかから微かに引っ張られているのを感じた。

 どこかに引き戻されていきそうな。


 その後もずっと、運転手さんとは話し込んでいたはずだが、内容を思い出せない。




 果たして実家は健在だった。


 姉と妹が一人づつ。母は専業主婦で父は保険会社の勤め人。東京庭付き一戸建て、ワゴン車が一台。絵に描いたような、誰もが、羨む、夢の……中流家庭。


 家があるということは、今も暮らしているはずだ。

 玄関先のガーデンノームは母が置いたもの。窓のカーテンの一つ一つにだって見覚えがある。表札は――五十嵐(イガラシ)。間違いなかった。


「えーと、じゃあ……一万二千と二百五十円ですね」


 数字の重みを受け止めるのに少し時間がかかる。

 俺は勇気を振り絞った。


「あのですね、」


 省略するが、数分後――俺は愛機に寄りかかった運転手さんに見守られながら、玄関ドアの前へ立った。


 ある意味、こちらの方が何倍も勇気が要る。

 ここを確認したら、それがどういった現実であれ、もう拒否することも誤魔化すこともできない。ここが俺の消えた世界線なのか――そしてその後の時間軸なのか……。

 下手したら自分自身に会ってしまうかもしれない。ああ、それでわけのわからん対消滅が起きるなら、初めからそこで終わる人生だったのだろう……と自分に言い聞かせるとしてもだ……その他、計り知れないショックを受けそうなケースが無数にある。

 ありえてしまう。


 でも、押すんだ。

 他に道があるか? 道と呼べるほどの道が。

 インターホンを押すんだ……。


 振り返る。

 運転手さんは実に不服そうな面持ちでこちらを見ている。


 俺は頭を掻き、素早く一瞬だけプッシュした。


 きーんこーんというお馴染みの音が鳴って、それのせいで際立った沈黙がしばし緊張を高め、やがて――、


「はあい?」


 母だった。紛れもなくそれは、記憶の奥底に沈み込んでいた母の声だった。機械越しでもはっきりとわかって、自分に驚いた。


「あ……えっと……」


 一応どう切り出すか決めていたはずなのに、全て吹き飛んでしまっている。

 ウチのインターホンはモニター付きだが、何しろ俺は変わり果てたと言っていい姿なので、見た目で何者か判断してもらえるとは思えない。


 何も思いつかないまま、しかし口が勝手に動いた。


「あの、俺! ――俺。風吹(フブキ)……」


 応答はなかった。


 俺は待った。待つしかなかった。声が出ない。母さんがこの向こうにいる、たったそれだけの事実が喉を締め付けていた。縛っていた。


 俺は帰ってきたのか? それとも、とんでもない間違いを犯したのか?

 胸騒ぎがぐるぐると肺の中を行ったり来たりしている。


 通話は切られない。母は何故(なにゆえ)か、だんまりを決め込んでいる。


 いや、切られた。脚から力が抜けるのがわかった。

 座り込んでもどうしようもない。それはわかっていた。わかってはいたが――。


 どんどんどんと廊下を小走りする気配が伝わってくる。

 俺は立ち上がり身構えたが、それは玄関に到着すると消えた。

 それからまた長い……、


 静かに、小さく、ドアがかちゃり……と開いて、人の顔が覗いた。


 やはり母さんだった。俺のお母さん。その人は俺を見ていた。


 よりおばさんになって、髪もちょっと短くなって、痩せたように見えるが、母だ。

 表情からは胸の内を読み取ることはできないけれども、俺を――俺を、わかってる。


「やっぱり、生きてた……」


 ――その言葉で全てを了解した。


 それでもここは別の世界線なのかもしれない。厳密には、全く同じ世界に着地することなどありえないのかもしれない。


 でももう、そんなことはどうでもよかった。

 もう一度会えた。


「久しぶり」


 と俺は言った。母は何度か小さく頷いた。


「うん。どしたの……」

「近くまで来たから――寄ろうと思って」

「電話すればよかったのに」

「うん、そう、あの、それなんだけどちょっとできなくて。今携帯持ってないのと――あとあの、ごめん実は財布も無くって、ここまでタクシーで来たんだけどほら払えないからさ、代わりに出して欲しいんだよね」


 どこか(ほう)けたような母の表情が、急に引き締まって、


「え?」

「いや、だからあのー、あそこのタクシーに乗ってきたんだけど、」


 俺は運転手さんを指し示す。母と彼の目が合う。


「ほら、お金がないから……ええと、あの……」

「まさかあんた一文無しなの?」


 俺は頷こうとしたが、怒られている感覚から、それを実行に移せなかった。


「――あんた、これ……ねえちょっと、本気でアテにして来たワケ?」


 母は目を見開き、首を振る。


「待ってて」


 一旦、家の中へと引き返していった。


 俺は運転手さんの方を振り返った。彼は詰め寄ろうとしかけたが、結局やめて、憮然としつつ腕を組んだ。


 母が財布を片手に玄関から出てきた。完全に出てきた。払いに行く前に俺の身体を腰のあたりから顔までベタベタと触り、額にゲンコツを入れてきた。それから一人で運転手さんのところまで行って(無論俺も行こうとしたが押し(とど)められた)、何度もペコペコと篤くお詫びをし、最後には代金と別の(さつ)を彼の懐へ押し込んだ。


 タクシーが完全に行ってしまうまで見送ってから、こちらに戻ってくる。


「一万三千てあんたバカじゃないの!?」


 バカ、の部分にはかなりの力強さがあった。


「ごめん……ごめんなさい」

「はあーもう、なんでキュウリの馬に乗って来なかったの……」

「え、何? きゅうり?」


 一瞬何のことかわからなかったが、


「あー、ああ、ああ! だってそれは、お盆じゃないからだよ」


 今がいつかわからないが、結構寒いので、夏ということはないだろう。


 母は俺の脛を蹴ってから、ちょっと困ったような顔になり、


「顔見せに来ただけ? すぐ行っちゃうの?」

「いや……」

「そうなんだ。まあいいや、入んなよ。ここ寒いよ?」

「うん」


 懐かしの我が家。ちっとも変わっていないが、靴が妙に少ない気がする。


「……もしかしてみんな出かけてんの?」

「そりゃゴロさんは仕事だもん」


 母は一貫して父をそう呼ぶ。五郎、だから。


「フウちゃんは?」


 風子(ふうこ)。姉である。


「とっくに家出てったよ」


 やはりそれだけの時間が……過ぎている。

 俺は家族との間に失われた年月を想った。


「結婚したんだよ」

「えっ」

「おめでたもきてるよ。そのうち生まれるよ」

「――ちょっと待って、待ってくれ。ついてけない」

「ついてけないのはこっちだっつーの! ……座ったら?」


 ダイニングキッチン。テレビが新しくなっている。他はほぼ昔のままだ。


 椅子に腰かけて画面を見たが、夕方のニュースであるという認識以外は何も頭に入って来ない。母は湯を沸かしつつ、ティーパックを戸棚から出した。


 ――何となく、頭に手をやる。

 姉が結婚まで持ち込んだというのはいきなり現実感がなかった。納得できない。


「えっえっ、相手の人どんな人なの?」

「ビル建てる時のおっきなクレーン動かしてる人。割と男前だけど、おとなしい感じ」

「――よく捕まえられたな」

「ほんとよね。風子のどこが気にいったんだか。挨拶来た時にさ、献身的なところに惚れたとか言われたんだけど、そんな奴育てた覚えないからね」

「賭けてもいい、旦那さんは何か弱みを握られてる」

「賭けにならないんだよ。……食べる? もらったやつ」

「あ、うん……」


 差し出されたのは、マカロンがたくさん入った箱だった。


「丁度よかったわ。二人暮らしだと持て余し気味だったから」

「あ、じゃあスズも……」


 涼風(すずか)。妹。


「デパートに入ったんだけど、今は服の仕入れの仕事やってるみたい」

「おお、すげえ……」

「うん」

「……まさかスズにも男いるとか言うんじゃ」

「いるよ」

「あーあーもう……」

「まだボーイフレンドだけどね。何してるか知らないけど、どっかの研究所とは言ってたから一応学生なの、かな……?」

「えー給料もらってんじゃないのそのレベルだったら」

「よくわかんない」

「じゃあどんな奴かもわからないか」

「いや、新宿行った時に一瞬だけ会ったんだよね。偶然でさ。デートの邪魔しちゃったよ」

「お……、それで?」

「うーん、何だろ……弱そうだった」

「ひっで……!」

「まあ頭は良さそうだったよ」

「そりゃそうだろうけども」

「あ、お湯沸いた」


 愛用のマグカップで紅茶が出てきた。

 この家では、誰もが甘ったるいミルクティーなのが流儀だ。気分とか関係なく常にそうだった。


 一口飲み、ほう、と息をつく。

 帰ってきたという実感が湧いた。


「もうわかってると思うけど――俺死んでないんだよ」


 少し気取った調子で言ってみた。


 母は冷ややかな目で俺を見る。


「ちょっとあんたそこ座んなさい」

「あ、はい……」


 母がこういう言い方をした時は正座だ。俺はいそいそと床に膝をつけた。


「それで――何? 結局拉致だったの?」

「近いかな……ほぼそうかもしれない。でも違うと言えば違う」

「強制労働?」

「最初の頃、ちょっとね。でもすぐに逃げ出せて、運良く、今はましなところで暮らしてるんだ」

「――あのさ、サーカスか何かで働いてるの?」

「ああ、まあそんなところ、なのかな……? でも最近は別の部署でも仕事があって、色々やってるなあ」

刺青(いれずみ)!」

「もらった身体に悪いことしたとは思ってるよ。でも、あの時は覚悟を示す必要があったんだよ……自分のためにね」

「金ないって言ってたけど、あんた今晩泊まってくの?」

「できれば……」


 母はそれ以上の追及はやめて、電話の子機を取りに席を立った。


「――あ、もしもしゴロさん? 今いい? うん。あのね今日って遅い? うん、うん、あーそうなんだ……じゃあでも今日定時で帰ってきて欲しいんだよね。うん。そう、だから仕事は誰かに投げて。……いや投げてよ。普段あんた何のために社内の人間関係構築してんの? ていうかできればもう早退して欲しいんだよね。うん。いや、だから、ムリなら明日に回すなりなんなり、どうとでもできるでしょ。大変かもしれないけど。うん、うんだからやれって。はい。はいオッケー、じゃあね。え? ごめん聞こえな、ああそうだった! あのね風吹(フブキ)が帰ってきてて。……………………うん、わかるけど、でも私狂ってないよ。ハハハッ、まあそうかそりゃ信じらんないよねえ……ちょっと待って代わるから。――はい」


 母は俺の胸に子機を押し付けた。受け取る。


「も、もしもし? ……父さん? 風吹(フブキ)だけど」


 通話状態は続いているようだが、応答がない。


 困っていると、母がクイックイッとジェスチャーを……子機を返す。


「もしもしゴロさん? どう? これ作り物とかじゃ、……切れた」


 スタンドに子機が戻される。俺は心配になって言った。


「――伝わったかな?」

「伝わったでしょ。今日晩御飯たくさん作らなきゃなー、買い出し失敗したな。まあ、あるものでいいでしょ?」

「そりゃ構わないけど……」

「よっしよっし。あ、その前に」


 母は……こちらに来ると、椅子に座ったままの俺と抱擁した。

 全身で、覆い被さるようにして。


「まだ山ほど訊きたいことあるけど、とりあえず、おかえり」

「――ただいま」


 母はその後、姉と妹にもそれぞれ電話をかけた。

 二人ともこちらに来るという。

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