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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第14章 遥か時空の彼方の隣
195/212

14-3 ねじれ

                   ~


 都の混乱は予想以上であった。いや、むしろ、それを通り越した後のある種の諦念が漂いつつあった。何だかわからんがこれはもう終わりだ――そんな表情が逃げ惑う民に貼り付いていた。


 駆けつけたまではいいが、この事態に隣界隊がどこまで対応できるか――ゼニアも碌な展望のないままだった。元より、シンとフブキの戦いについていけるわけではない。これまでの彼らは互いに集中しながらやり合っていたが、今回からは条件が違う。


 今、力の均衡は崩れている。

 シンとフブキの一対一でようやく痛み分けだったのが、敵はその最高戦力を、独立した個体数という形で増して挑んできた。それらは紛い物に過ぎないのかもしれなかったが、申し分のない脅威でもあった。


 フブキは、それでも切り抜けられるのかもしれない。彼の()()を信じるのなら。心身ともに負担がかかれども、潜在能力を全て引き出せるのなら、それは可能なことのように思えた。

 だがゼニア達は違う。最早、同じ地平を見て戦うことはできない。


 どれだけの活動が許されるか、という問題であった。


 頭数ではこちらの方がまだ(まさ)っているが、襲撃に踏み切った時点で、敵の中ではここをどうにかできると結論が出ているはずだった。地上を這っているゼニア達のことなど、(はな)から計算に入れていない気もするが、フブキを倒し、その上で蠢く虫けらに邪魔もさせない、というような手筈は整えていておかしくない。


 それに、ごく短時間でここまで壊滅的な被害を受けていると、皇宮の奪還に意味が残るのかという疑念もある。このまま市街が焼野原になれば、象徴としての建造物が残っていてもボロフの二の舞である。


 そもそもシンが皇宮、ひいては都の占領に価値を置いているのかさえ疑わしいものがある。同盟圏の後方にこれだけの戦力を投下するだけでこちらは困窮するので、それを実行しただけのようにも思える。切り崩せれば何でもよかったのかもしれない。


 追い出すか、追い返すかしなければ根本的な問題は解決しない。だが、果たしてゼニア達に何個体を倒すことができるのか……そしてそのために何人の犠牲が出るのか。


 考えれば考えるほど、何もままならない。


 だが、大変なことになっているからとりあえず戦え、などという命令が出せるわけもなかった。ゼニアは初めに宣言した通りに隊を動かし始めた。


 希望があるとすれば、ある隊員が複製体に銃を当てたという事実、その一点のみ。

 ゼニアはこれを、シンというヒューマンの不完全性と見ていた。あの男が謳っている完全な複製というものは、実現していないのではないか。どこかに欠陥があることを本人は気付いていないまま、出来損ないを生産し続けてしまっているのではないか。


 だが証明できない以上、ゼニアの願望でしかない。

 フブキはともかく、こちらは負けるだろうという予感があった。


 フブキを空へ上げてから、複製体の注意がほとんどそちらへ向いたのは想定した通りだ。だがやはり全てではない。シンは転移してきた隣界隊の存在に気付いているし、認識してもいる。横槍を入れられないための迎撃要員は低空に残していた。それが事実上ゼニア達の相手ということになるが、数体だけでも、厳しいものがある。


「うわ、来るぞ……!」


 誰かが呻いている。


 複製体が都市襲撃を一旦取りやめて、敵対勢力の排除に動き出すと、実力差がはっきりと現れ始めた。

 手数だけで言えばこちらの断然有利だが、一発の重さは向こうが数段上である。空への攻撃手段を持たない者もいて、真正面から撃ち合うにはあまりに圧力が足りない。火炎放射がぶつかり合ってそのまま押し負けるというような展開もしばしば起こり、サカキの障壁をもってしても脅威を受けきれない、極めて危険な状態が続く。

 何しろ応酬の余波だけでちらほらと戦闘不能者が出るような苛烈さで、そのうち何人かは死人と判定されるに至り――ゼニアは隊の活動範囲を広げるのではなく、通信魔法家の数ある限り、隊を分裂させることに決めた。


 攻撃能力の低下よりも、(まと)を分散させることの方がより重要だった。これでも優秀な魔法家を集めているはずの隣界隊の面々が、大規模戦闘の混乱にではなく、純粋な魔法の実力差で捻じ伏せられているのだから仕方がなかった。正攻法では太刀打ちできないのを誰もが悟り、これは士気にひどく関わることだった。そのため目標そのものを放棄せざるをえなかった。


 拠点奪還どころではない。生き残ることの方が先決である。


 隣界隊は緊急時の集合を訓練していても、散開の手順までを厳密に定めているわけではなかった。ゼニアの命令が伝わると、思い思いに拠り所となる通信員を見つけ、三々五々、戦闘域からの脱出を図った。


 ゼニアもジュンの連れてきた人員と共に、それでもひとまずは皇宮を目指した。

 最早取り返すことは叶わないだろうが、様子を見るくらいはできるはずだった。敵がこの都を奪取したいのか、焼き払いたいのか――すぐに後詰めが来るかどうか判断できるだけでも違いが出てくる。


 大通りは避けて、無事な建物(づた)いに接近しようとするが、心を読んでくる相手対しては、どこへ隠れようと意味がない。探知魔法と併用されれば容易に居所が知れる。物理的な、薄皮一枚の壁を隔てるという以上の効果ではなかった。敵に、破壊の一手間を強いるだけの気休め。


 案の定、複製体達はあちらこちらで派手に解体工事を始めた。応戦するような銃声も遠くから聞こえてきたが、どれもか細いものだった。矢継ぎ早に届く報告はどれも阿鼻叫喚をそのまま伝えるような内容で、ただの一度も反撃が成功していないどころか、刻一刻と隊員の命が消えていることを示していた。


 ゼニアとてそれを聞くのが精一杯で、具体的な指示など出せるはずもなかった。自らもまた複製体の攻撃に曝されているからだ。例外はなかった。彼等は分裂した隣界隊の全ての班を狙っていたし、それができるだけの能力を持っていた。どこに身を潜めようとも、その隠れ家ごと爆撃を加えていた。そして抵抗が弱まったと知るや、直接乗り込んで始末するといった流れであった。断片的に得られた描写を総合すると、そのような情景が浮かんだ。連れている通信魔法家は現地の音をそのまま出力できるので、生々しく伝わってくるものがあった。通信が途絶する様子さえも。


 ゼニアは居所を暴かれ、今いる建物の天井を崩壊させられる度、それを()()()無かったことにした。時間を稼いでは次へ次へと歩を進めていく。(マウジー)は置いてきて正解であった。


 敵の追撃はこの手法を不可能にするほどのものではなかった。

 ゼニアは直接人の心を読めないが、シンがゼニアの魔法を警戒していることは何となく察していた。その複製体である者達も同様に考えていることは間違いなかった。こちらの思考を読めても、ゼニアがあらゆる事象を()()()()てしまう特性そのものを破ることはできないということなのだろう。


 だから、邪魔をしても深入りまではしてこない。


 ――そう思っていた。


 ここまでがはっきりしている記憶で、意識を取り戻した時、ゼニアは浅い穴の中で土に塗れて横たわっていた。隣にはジュンがいた。……ジュンしかいなかった。


「――起きなさい!」


 揺り動かしながら、自分の身体にも損傷がないか確認する。ひとまずどちらも無事であるようだが、他がどうなったのか全くわからない。意識を失っていた時間はごく僅かであるにもかかわらず――何をされたのか、結果どうなったのか、自分がどうやって身を守ったのか……それすらもはっきりとしない。


 この冬場に、暑さを感じている。周囲の地面は溶けていた。


 遠くに散らばっている、建材だったものやよくわからない肉塊を見るに、相当強引な手を使われたのは間違いないが……不明だ。答えが見つかるとも思えない。


「……陛下ぁ」


 少し間の抜けたジュンの返事に安堵を覚える。


「ここから離れないと」

「これは……どうなってるんですか!?」

「あなたにもわからない?」

「光に包まれたところまでは、覚えてます。――他の人は?」


 ゼニアは首を振って立ち上がった。無事だと信じるのは難しかった。


 魔力が意識を失う前と比べてかなり減少しており、おそらく自分が無意識に消費したのだということが窺えた。敵の攻撃に合わせて、反射的に開放したはずだ。


 目の前に一匹のエルフが降り立った。無論それは複製体であり、困惑した様子で、シンのような――シンそのものなのだが――口調で喋った。


「あれで生きているのか……この人も大概だな」


 ゼニアは隕鉄の剣を抜いて突進した。戦え、と本能が告げていた。届くところに来てくれたのだから逃す手はない。ほぼ密着した状態で斬りかかる。


 敵は肉体を強化する類の魔法を自身にかけているようだったが、それでも容易にはゼニアの剣技から逃れることができない。但し、ゼニアも刃先を当てることができない。丁寧に回り込み、後ろまで取って、下から上から、何度も視界の外を確保して剣を突き出してみるのだが、どれも紙一枚届かない。心の内を読まれているせいだった。


 釘付けにしておくのがせいぜい――だがそれにも意味はある。この一匹だけでも釘付けにしておく意味が。それしかもうゼニアにできそうなことはなかった。いなくなった味方はおそらく蒸発しただろう。ゼニアが把握できなかったのと同じく、何が起こったのかわからないまま死んでいっただろう。

 いくら気取ってみたところで、これが限界だった。


 ジュンが(ほこ)を刺し入れてきた。その一閃が複製体の衣服と、下にある肉を共に裂いて、証拠として血が広がった。ゼニアと複製体は驚愕に目を細め、ジュンはそれも気に留めず、手の中で()を滑らせて、それこそ魔法のように距離を詰めた。空いた方の手を交差させて、複製体の方を掴もうとしたが、それは避けられる。代わりに前蹴りを当てた。ゼニアは複製体の呼吸が詰まったのを見た。


「直感的だ。苦手だな」


 ――確かに、ジュンは直感的な戦い方をすると以前から思っていたが、つまり、読めるだけの思考を持たないということなのだろうか? それほどまでに物を考えず戦っていると……そういうことなのであろうか?


 最早油断はすまいと、複製体は精緻な風の動きを追加して、一度間合いを測り直そうとする。ゼニアは隣で膨大な魔力のうねりが軋むような音を発しているのに気付いた。


 ジュンはすぐに底をつくのではないかと思うほど目一杯魔力を練った後、全て、単純に水を生成するのに使った。溢れ出るのではなく、瞬時に空間が沈んだ。ジュンはゼニアに許可を取るなどということはしなかったし、ゼニアも予告なしにこのようなことをされても許容できないので、自分を魔法でコーティングせざるをえなかった。ゼニアの周囲だけが水を押し留めている。


 水の高さは、普通の家なら沈めてしまうほどのものだった。複製体は飛ぶのが間に合っておらず、完全に水没した状態から立て直そうともがいていた。おそらくジュンの起こした水流がそれを邪魔しており、自分は魚のような泳ぎを見せて複製体を捕まえようとしている。


 これに介入するのは少し難しかった。ゼニアは自分がどうするべきか迷い、結果として、荒れ狂う小さな海原を傍観するだけになってしまっていた。ゼニアの周りだけが凪いでいた。


 頭の中で組み立てすぎると、読まれる。だが組み立てないで戦えるほど、ゼニアは器用ではない――対してジュンは、この体積の水を手足のように操っているように見えて、全く出鱈目にばたつかせているだけだった。水中の攻防に集中するなら、水面に立った高波は無駄である。


 ゼニアはふと思い立って、魔法を使うのをやめた。水に呑まれ、それは水流にも呑まれることを意味していた。自信はなかった。最終的にそれがどうなるのかもわからないままに。だがそれを必要としていた。


 ジュンは複製体に心を読まれつつあった。ごく短距離の攻防は捌かれ、複製体は上手く水面へと近付いていった。そして顔を出した。彼自身も水魔法を使えるためか、まるで固体かのように水に手をついて、身体を持ち上げ、最終的には立った。


 その時、唐突に、渦のように逆立つ波が起こった。そしてそれはゼニアを()()()いた――予期せぬ形で持ち上げられ、そして空中に放り出される。


 目の前に複製体の首があった。


 切り落とした。そのまま頭蓋を十字に割る。即死でなければ治癒すると思ったからだが、その懸念をもう読まれないことを祈る――残った身体が再び沈み、次いで別れた頭部が水の中に音を立てて落ちた。赤く染まっていく。


 形を保たれていた水が、緊張を解いたように引いていく。

 ずぶ濡れのジュンが駆け寄ってきて、自分より先にゼニアの服を(しぼ)ろうとした。


「いいわ、自分でやる」


 ゼニアは髪をかき上げた。


「隙があったのかしら」

「いいえ。ただ、あのコピーが()()()()だけだと思います」


 それが真実なのかはまだわからない。


「見て下さい! あれ!」


 ジュンが指差した先の空では、フブキと何十匹もの複製体、そしてシン本体が交戦していた。フブキは何体かを、ゼニア達の目の前で撃墜してみせた。調子はいいようだった。


 しかし、途中から狂ったように上昇を始める。垂直だった。


 ゼニア達は目を離さないようにしながら、皇宮へと走った。その間もフブキはぐんぐん高度を上げていき、シン達はそれを追った。遠くで実感は薄かったが、おそるべき速さが出ているに違いなかった。


 気付けば、辺りは静かになっていた。通信魔法家を失ったために状況はよくわからないが、隊が戦闘を継続しているとは思えなかった。全てやられてしまったか、あのフブキを追うのに、複製体が全員駆り出されたかのどちらではないか?


 フブキが小さな点となり、そのまま空と一体化するように見えたその時、不意に反転して――いとも容易くシンと接触した。少なくともそのように見えた。今度は逆に、猛烈な勢いで地面に向かって墜落を、いや、()()を再開した。叩きつけるつもりではないかとゼニアは思った。


 だが……雲が浮かんでいる辺りの高さで、フブキはシンを解放した。

 シンは気を失ったように落下を続けるが、フブキはそこで高度を保っている。


 フブキは片手を天に突き出し、そして、指を鳴らした。


 それがゼニア達のいるところまで聞こえたのは錯覚か、それともわざわざ風魔法を使って音を響かせたのか、何か意味があるのか――わからないまま、それは始まった。


 複製体も高度を維持できなくなった。羽虫が香に(いぶ)されて落ちるような具合だった。同時にではなく、連鎖的なものだった。この影響から逃れることができた者はいなかった。例外なく、頭を殴りつけられたように墜落していった。


 首尾よくやったのだ、とゼニアは思った。もう一人のフブキが、これをやった。


 だがそこまでだった。最後には、フブキ自身も力尽きた。

 落ちていく。


「そんな!」


 ゼニアは、自分がその真下にいることに気付いたが、正確な墜落地点までは割り出せない。皇宮には辿り着いていた。かなりの部分が倒壊していて、建物としての用は成していないと思われたがそれはもうどうでもよかった。


 空を見つめながら走る。受け止めなくてはならない。


 追いかけるうち、あの庭園の辺りに落ちるものと気付いたが、間に合いそうにない。

 ゼニアは人生で最も速く走ったつもりだが――このような時ほど間が悪い。あまりに遠すぎる。そして落下速度は無慈悲なほど待たない。


 フブキが、地面に激突する――直前で、息を吹き返した。素晴らしい魔力制御で衝撃を逃がし、滑っていく。


 杞憂だった。しかしとにかく迎えに行かなくては。

 それから、状況を正確に把握する必要がある。


 ゼニアは庭に出て行った。東屋が壊れているのが見えた。もう駆け寄るだけの元気がなく、声を投げかける。


「生きているでしょうね……?」


 返事の代わりに影が蠢き、それをみてゼニアは――凍った。


 影が二つあったからだ。片方は紛れもなくフブキだったが、もう片方はシンだった。


 先にここへ落ちてきたのだ。

 起き上がったシンは、フブキの姿を認め、魔力の塊を放った。


 素早かった。複製体など比較にならない。

 フブキは呆けたようにそれを見ている。何もしようとしない――魔力の輝きがない。


 それこそ直感的に、ゼニアはここで自分が何とかしなければフブキが死ぬということに気付いた。


 こちらも全力で魔力を放った。何としても抑える――その一念だけだった。


 ゼニアの魔力の伸びも速い。だが、シンのそれを追い越すほどではない。

 同時――と思えた。シンの魔力とゼニアの魔力が、同時にフブキへ到達する。


 そしてフブキに接近するものがもう一つだけある――ジュンである。

 何を思ったか、走って、届こうとしている。


 どうしてこうなったか、おそらく誰にもわからなかったし、誰にも考えられるだけの時間は残されていなかった。


 結果として――ゼニアとシンとジュンの思惑は、本当に同時にぶつかり合った。


 どうなるか。ゼニアは知る由もなかったが、まずシンが意図したのは重力の魔法だった。それはその通りに作用し、フブキを押し潰すはずだった。しかしながら同程度の出力で、ゼニアの魔法がそこに干渉を始める。空間が歪曲するほどの重力の変化を、押し戻そうとしている。だが両者の力は完璧に拮抗しており、何かが起ころうとする手前の状態を維持しているように、一見して思えるが、いつまでもそのような緊張状態を認めていられるほど、世界の(ことわり)は頑強ではなかった。


 魔法が混ざっていく。

 少なくとも、誰の目にも、交点で解き放たれた魔力とその顕現が溶け合っていくように見えた。


 ジュンは、今なら明らかだが、純粋にその場からフブキを持ち去ろうとしていた。腕力と脚力に何の邪魔も入らなければ、あるいはそれは実現したのかもしれないが、魔法を振り切ることは不可能だった。フブキと共に、魔法に包まれた状態で、身体の自由もきかず閉じ込められている。


 溶け合った状態の魔法が、二人に作用する形で発動した。

 時空間が歪曲されたまま巻き戻った。


 穏やかではなかった。最終的に、二つの魔法は球体に膨張した(あと)、弾かれ合い、また弾けて停止し、しかしその頃にはフブキとジュンは跡形もなく消えていた。


 ゼニアとシンがまともに観測できたのはその部分だけだった。

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