14-2 奪われた主導権
「自分は家で寝てりゃよかったものを……コピーに任せきれない理由があると言ってるようなもんだぜ」
自分の口が、声帯が、勝手に動き始めた。
それは間違いなく自分の考えではあったが、喋ろうという気など俺にはなかった。
「読み合いに負けただけでこうも崩されるんじゃ――人格の転写ってのは万能とは程遠いらしいな」
脳が誤作動を起こしている?
いや、それにしては鮮明だ。頭の痛みは存在感を示しつつも、一定の秩序を築き始めている。その上で、強さも増している。
思考が支離滅裂になっているのとは違う、本当にただ――首から上が、自分の意思ではないものに衝き動かされている。バグとは違う。これは故意に起こされている。
「そんなことは、ない――あんたが、あまりに……!」
「ま、確かに、想定よりは調子がいいぜ。乱暴した割に痛みが安定してるからな」
他の部分はまだ動く。試しに、手を自分の顔の前に持ってくる。
どうやっても目の焦点がそこに合わない。俺はシンだけを見据えている。
「頭蓋骨の中で鐘を鳴らされてるようなもんだが、魔法の邪魔になるほどじゃない」
すぐに後悔した。俺の口を使って喋る何者かは、いとも簡単に、俺から手の制御を奪った。やんわりと――下げさせる。そこに俺の神経伝達は介在しない。
今のところ、幸いなのは、
「てめーを殺るには問題ない」
乗っ取った奴はシンの敵らしいということだ。
同意なく戦闘が再開される。
俺自身は何もしていないはずなのに、急に気の遠くなるような量の情報が脳内へ展開され始めた。それらは泡沫のような思考の断片だったが、やがて込められた意味を読み取れるようになると、弾ける泡は瞬時に――ぼんやりと形を保った球体のホログラムへと切り替わった。触れるとさらに内容を引き出すことができる。ここに至って、俺はいつの間にか自分の視点が一歩引いた位置まで下がっていることに気付いた。
完全に身体の主導権を取られた。
昔、俳優の頭に入っていける穴の出てくる変な映画を見たことがあるが、あのような感じで、視界の縁に黒い靄がかかっている。俺は――俺を見ている状態だ。あとは周りをクラゲのように漂う思考のホログラム。それで全てだ。仕方なく、流れてくる情報の整理に集中する。
詰まっていたのはシン達の思考だった。俺のでも、俺を動かしている誰かの思考でもなかった。
俺が読んでいるのはシンの心、シンの考え、シンの感情。数が多いのは、複製されたシンの全てから情報を拾っているためだと思われた。不鮮明なものが多いが、いくつかはハッキリしすぎるほどハッキリしていた。その個体が次に何をするのか手に取るようにわかった。俺は複数の個体から向けられた多重ロックオンの全てから逃れる必要を感じた。自明だった。しかし肉体の自由が奪われている。
そこで風だが、不思議に魔法の制御は一部を除き、俺の手元へと残ったままだった。正確に言えばたった今返されたところだが、それは許可されたということでもあった。肉体の支配者は、それで構わないと考えている。むしろ新しい感覚に戸惑っている俺が、それに慣れるまで、一時集中させようとしていた節さえある。
風を使って強引に自分の動きを取り戻そうかとも考えたが、やめた。さすがに無駄だろうし、そもそも主体的な行使に割り込めるわけではない。今、俺の魔法は肉体を飛行させつつ回避行動を図っているわけだが、それをやめさせることも、別の方針に誘導することもできない。俺が魔法を使って取れる行動は、要所要所で補助するような形での行使がせいぜいで、あとは主に火器管制を担当することになっているらしかった。
気まぐれではないだろう。
どういうわけか、新支配者は役割分担を必要としているものと思われた。
正直、彼の風起こしは、なっちゃいない。
ここでこうすればもっと上手くいくのに、とやきもきさせる絶妙な経験不足がある。
頭の痛みを押し殺し、冷静になって考えてみれば――この状況、おいしいといえばおいしい。俺は喉から手が出るほど欲しかった情報アドバンテージを得ている。そして、身体強盗は魔法使いとしての俺の助力を期待している。本意ではないにしろ、これは双方にとってプラスと言えるのではないだろうか。
俺はゆっくりと、いくつかのホログラムを手繰り寄せた。そして魔力を送り込む。この状態にあっては、魔法もいつもとは違うインターフェースを通して発現するもののようだ。そのホログラムから提供される思考を持った相手に、追尾機能を持たせた空気弾が自動で発射される。速度は良好、さらに――読心の機能までが付与されているように思われる。対象までの軌道をリアルタイムで先読みして修正し続けている。
狙われたシンの眷属は、命中するまで、いつかは逃げ切れると信じていた。その考えすらも俺の中に流れ込んできて途絶えた。
「そうそう、協力しようぜ……」
どの口で言うのか。強引に従わせておいて。
心の中で毒づき、次弾の狙いをつける。
「避けるな、防ぐんだ!」
本体のシンが号令をかけると、各員は何らかの防壁を展開したりするなどして対応を図った。だが、空気弾は非常に鋭利な角度で構成されたコースをも描くことができる。咄嗟に数枚のシールドしか用意できなかった個体が三つ、回り込まれて血煙を吹き出した。しまった、という感情を読む。
――妙ではある。
俺との戦闘経験も複製されていて然るべきだ。こんな不手際ありえるだろうか?
「フン、ポンコツを量産しやがって」
空気弾に何かを当てて消したり、全方位を膜で包むような判断をした個体は生き残った。これだ――そも、対応がバラけるというのが最初からおかしい。有効な一手があれば、全員それをすれば済む。いくら手札が多いからといって、生み出された後に個体差が現れるからといって、この統一感のなさは何だ?
「くそ! くそどうして! どうしてこんなことも……」
余裕を作らせるな、動きを制限するんだ――そんな意識がシン達の間で共有される。すぐさま俺の周囲に重力異常が発生した。それもまた、情報として伝わってくる。
俺の身体の自由を奪ったのは、精神魔法を使える何者か。それは最早疑いようもない。あれほど苦しめられた重力魔法の干渉が、容易く避けられるだけの読みを提供してくれる。歪んだゾーンが視覚的にもわかる仕組みだ。至れり尽くせりもいいところで、なるほど俺の風魔法と組み合わせれば、手足を潰されることなく切り抜けることは可能か。
だが、シン達も躍起になって移動可能な範囲を狭めてくる。読まれてもさらにその先の空間を潰すようなやり方だ。その辺は心得たもので、かなり撃ち落としたといっても、奴等は最初から数頼みで来ているわけだから、そうそう楽に逃がしてはくれない。
約三十という初期の見立ては、あくまでも奇襲で混乱した中での一報にすぎず、ともすれば錯覚とさえ言えるほどの曖昧な目安だ。奴等はそれぞれやろうと思えば分身もできるのだし、実際、俺が相手をしているだけでも思念の数は五十を超えている。
嫌な鬼ごっこが続く。
俺は奴等を振り切れないし、奴等も俺を捉え切れない。
その間わかったことで、一つ収穫がある。こいつは俺と同じくらい口笛を吹ける。だが選曲は最低だ。ベートーヴェンの『英雄』――まるで、俺がそう呼ばれるのを嫌っていることが、筒抜けであるかのような。偶然とは思えなかった。
このままじゃ埒が明かねえぞ――独り言のように思念を送る。
いい加減頭痛にもうんざりしていた。
杭を額に撃ち込まれるような感覚が毎秒ある。操縦できないのに体の重さだけは常にのしかかってきて、そして最悪なことに、今は冬だ。無論、防寒着は着用しているものの、いつまでも冷え切った空に耐えられるわけではない。これが延々と続くことを想像しただけで気が狂いそうになる。
使える魔力量のことを考えても有利なのは間違いなく向こうだ。ただでさえヤバい奴が何匹も何匹も、
「高度を上げろ」
何? ――何だよ急に。
「高度を上げろ、できるだけ」
真っ直ぐに、地面に対して垂直に、舵がきられる。
俺は言われた通りにブーストをかけた。
一転して直線的な動きを始めたこちらを不可解に思いながらも、シン達はその後を追ってくる。重力操作といえどその有効範囲には限りがある。
「もっとだ」
既に結構な投資をしている。これ以上は費用対効果が、
「もっとだ!」
やっている!
「出し惜しみすんな! 全部いけ!」
加速の限界点まで魔力をぶち込む。雲を突き抜けた。
俺の肉体は耐えられるのか? 口は動かなくなったが、頭の中には高度を上げろ、という声が反響し続けている。足りないのだ。いつかはわからないが、十分な高度に達すれば言わなくなるはずだ。
周囲を取り巻く思念は狼狽の嵐である。重力魔法は最早有効ではないと判断され、遠距離射撃がそれぞれの判断により検討の後、実行されていくようだ。始まった。ホログラムがアラートを伝える。俺の身体は後ろを振り返らない。進行方向は天頂へ保ったまま、揺れ動くようにして回避軌道を取る。俺はホログラムの情報を頼りにそこへ微調整を加える。
朝日により照らされるばかりだった空が暗くなりつつある。
やはりおかしなことに、シン側には脱落者が出始めた。ついていけないと、誰かが思念を送った。それに追従する者が次から次へと現れる。
速度を感じなくなる。
確か人類は成層圏からのスカイダイブを実現したが、それには分厚い装備を必要としたはずだ。少し着込んだだけの俺が生存できるのはどこまでなのだろうか。
シン達が何を考えているのか解読できるだけの意識の確かさがない。
生きている実感としての苦しみが薄れゆく。
腕の付け根まで感覚がない。
――ここまでだ、反転する。
思うが早いか、俺の肉体は翻ると今度は地面に向けて突き刺ささるべく再度の加速を始めた。驚くべきことに、シンは俺を見失わず追尾してきていた。ただしそれができているのは本体のシンだけだった。眷属は皆、遥か下でまごついている。こうなるまで気が付かなかったのか――いや、ごく短時間で到達できたのが俺達だけだったのか、あるいは他を犠牲にして一人を打ち上げたのか……どちらにせよ、律儀に付き合った奴は馬鹿を見る。
昇ってきたのと同じだけのパフォーマンスを発揮できるのはこちらだけだ。
俺は片手を広げ、奴の頭目がけて落ちていった。本体のシンはひとたまりもなくそれを受け止めた。がっしりと掴む――どこか既視感があった――何をやっているのか、と思う間もなく、体感時間が引き延ばされ始める。極限まで外界の流れが遅くなる。
精神世界に引きずり込まれていく。ホログラムは消え、代わりに俺と――おそらくシンの記憶が、交互にプラネタリウムのように映し出される。未来の映像を見ているというのに何の感慨も湧かない。俺がいた時代より、良くなっているのか悪くなっているのかもわからない。同じ世界線だったのかすら。
役目は終わった。俺はここでは無力だ。精神魔法のぶつけ合いなど想像もしなかった。何が行われているのか観測できないだろう。どこかの待合室でボーッとテレビを眺めているのと何ら変わりない。
頭痛が嘘のように引いていくのがわかった。
予感もないままに、自分というものが肉体へ押し戻された。視点は元に戻っていた。
空に投げ出されてもいた。しかも低空で、俺は風を纏っていなかった。
慌てて魔力を練ったのが、そのまま軟着陸となった。
どこをどう飛んだやら、皇宮まで辿り着いていたようだ。アキタカ皇帝と初めて会った庭だった。空爆により荒らされ放題だが、僅かに原型を留めた東屋には見覚えがあった。
残りの魔力がもう無い。




