14-1 ディーン急襲
~
皇宮が襲撃されている、との報を受け取ったのは明け方頃だった。
俺はもう前線に戻っていた。俄かに活発化したエルフの抵抗を潰すべく各地を転戦し、
どことも知れない寒村の小屋で寝起きするような生活だった。
ディーンに敵勢力が突如出現するというのは寝耳に水もいいところだったが、敵の新たな戦略に対する抜本的な対策をついに取れなかった以上は、どこかでこちらの予想もつかない手を打たれるのはわかりきったことでもあった。
都は火の海だという。
伝令の話では、複数種の魔法を使うエルフ個体が確認できただけで三十匹以上。つまり――シンの眷属と思しき個体が、ついに同時に……作戦へ従事していることを示している。これまでの牽制とは明らかに違う、確固たる攻撃の意思が存在している。
思えば、この時期に益のなさそうな戦闘を仕掛けてきたのが、そもそも敵の作戦のうちだったのかもしれない。
シンがいるいないに関わらず、俺が出て行かなければそのまま押し返されそうな勢いを、近頃のエルフ共は持っていた。そのうちいくつかの無謀な突撃は最後の花火としか思えなかったが、それはそれで、抑え込まなければならない類のものではあった。
忙しいのはもちろん俺ばかりではなかった。元から駐屯していた兵員は働き通しで、冬に休めるはずの人々も、少しづつ、かつてマーレタリアだった部分に再び呼び寄せられていった。そうしなければ自棄を起こしたエルフから、獲得した領土を守り切れそうになかった。
しかし――こうして背面への攻撃を突きつけられた今、それらは注意を逸らすための布石だったということで合点がいった。元からヒューマン圏最奥のディーン皇国に多くの防衛戦力を割けるような状況ではないが、即応可能な戦力を万が一にでも近場へ置かせないようにする、奴等の用心が窺える。
おかげで初期対応は困難を極めているようだった。
完全に奇襲されたため情報がやや錯綜しているが、ディーンの都に常駐している戦力は、近衛に至るまで全て壊滅したものと見られている。当該国の判断で援軍第一波を運搬魔法経由で送り込んだものの、その効果は観測できずに終わった。
これを受けて、半端な戦力では辿り着いた先から即座に撃破されるとの認識が強まり、耐えられるだけの戦力を急遽集積してからの投入が検討されている。
だが、大規模な兵力をスムーズに送り込むのはそれだけで難しい。しかも大陸を越えての長距離を一発で輸送可能な人材となると極端に限られてくる。結局は、隣界隊の全戦力を集結させてディーンに派遣するのが最も現実的かつ迅速な初手であるとして、各国は合意の末決定を下した。ゼニアが率先してその方向で行くと言い出せば、強く否定できる材料はどこにもなかった。
実は、このような状況に対して全く何の備えもないと言えば嘘になる。
それこそ、以前、魔力溜まりを利用して直接ディーンへ攻め込まれてからというもの、無防備なポイントへの急襲は常に懸念材料だった。
召喚装置稼働以後、通信と運搬の両魔法が充実した隣界隊では、例え部隊全体が多方面へバラけていたとしても号令一つで再集合可能なプロトコルを制定すると共に、訓練を何度となく課してきた。
無論、そんなものは望ましくない事態に対応するための消火器的仕込みに過ぎず、出来ることなら頼りたくない類の備えだったが、実際に有無を言わさず同行を求められ、百秒前後で出発準備が完了した隊の前に突き出されると、手順を組んだゼニアはやはり正しかったのだと思えた。
「行って頂戴」
「アイアイ、マム」
タマルさん以外の運搬員が全力でメンバーを拾い集めてその時タマルさんがいる場所まで送りつける。最後に美酒をあおったタマルさんがまとめて全員を飛ばすという実に単純な思想だが、誰がどこにいても目的地へ支障なく戦力を送り届けるという条件を満たすにはこれが最善である。
「目的地、ディーン皇国首都」
性質上、魔法を行使する際には泥酔していることの多いタマルさんだったが、今日ばかりはジョークもなく緊張した面持ちを保っていた。読めなかった奇襲にいきなり対処しろと言われれば、陽気も身を潜めるというものだ。それでも彼女は緊急時に求められるこの役割を完遂しようとしていた。視界が揺らいでいく。
あるいは発案者であるゼニア自身、このプロトコルが全うされるとは考えていなかったかもしれない。だがざっと見た限りでは、正式に隣界隊として登録されている客人に欠けはないように思われた。中には(俺と同じように)着の身着のままやってきたような人もいたが、とにかく、駆けつけることは可能だった。
最初に目に入ったのは朱に染まる空だった。それは朝日の仕業ではなく、街が燃えているからだった。確かに、パッと見るだけで、その焼けた天に何匹かエルフが浮かんでいるのがわかった。
転移したのは皇宮より少し離れた大通りで、まだ避難の済んでいない市民が官警と思われる老人に誘導されていた。そこ目がけて氷の塊が降ってきて、荷車ごと人々を押し潰した。叫ぶ間も無かった。
「展開!」
対地攻撃を防ぐべく、サカキさんがバリアを張った。張ったそばから少なくとも四方向の攻撃がそれぞれ氷、種、刃物、光線で飛んでくる。
「対空放て! 敵勢力を速やかに探知、短射程の戦闘員はこれを援護防衛しつつ範囲を広げさせろ。最終目標として皇宮の奪還に向かう!」
矢継ぎ早に支持を出したゼニアは、バリアが取りこぼしそうな攻撃を先んじて巻き戻している。俺は魔力を練りつつ訊ねた。
「ゼニア、皇帝は無事なのか?」
「避難に成功しているわ。もうここにはいない。でも、この都を落とされて橋頭保が確保されたら大変なことになる」
「だな……」
今更同盟軍が二正面作戦に耐えられるわけがない。それだけではなく、首都機能を麻痺させられたディーンが戦力を維持できなくなる可能性も出てくる。最悪、同盟関係を支えてきた三つの柱のうちの一つが崩れる……。
「あなたは、言うまでもないことだけど――あの男を探して、そして致命傷を与えるのよ」
「わかってる」
「本当にわかってる?」
わかっていたつもりだったが、一刻を争うこの状況で、何故押さなくてもよさそうな念を押されたのかまではわからなかった。俺は自分の思考回路が十全に働いていないのではないかと疑った。
それが引き金になったのか定かではないが、不意に――こめかみの辺りに違和感を覚える。斜めに俯いて、気のせいであることを願ったが、次に確固たる痛みがやってきて俺の心に不安を抱かせた。
「――ちょっと待って、顔色が悪く見えるわ」
「いや、問題ない。……と思う。少し頭痛がある、寝不足のせいだろう」
言いながら、これが尋常の頭痛でないことを俺は悟っていた。明らかに、時間経過で和らぐような類の不調ではなかった。意識すると余計、はっきりとした不快感が全身を伝っていく。
何かおかしい。
が――この土壇場で、気分が悪いからまともに働けないなどと言ってみたところで通るわけがない。俺自身を含めて休息の許可が下りることはないし、何も始まらない。
動けないほどではないのだ、でも――これはまずい。
久しぶりに、自分の間の悪さを本気で呪う。
「行ってくる」
ゼニアがこれ以上言ってくる前に離陸した。
俺が昔と違うのは、振り切ってしまえるようになったことだ。立ち止まらないことを覚えた。これしきのことで――また自分の情けなさを肯定するわけにはいかない。
まだうっすらと星が見える。憎らしいほどの輝き。
一瞬後にはもう思考回路を戦闘へ叩き込まねばならないというのに、俺は現世に想いを残すかのように、夜の朝の境目に見とれている。
飛んでいた二体の奴とヘッドオン、それぞれに向かって一発づつ、螺旋状の風を撃つ。すれ違う時に、奴等の軌道がブレたのがわかった。返り血を吹き飛ばす。
いきなりダメージが入るなど信じられない、という表情だった。それが二つ分。
「俺もナメられたもんだぜ。頭数揃えて押し潰せるとでも思ったのか、カスがよ――」
ちょっとのずらし撃ちだったが、面白いように吸い込まれていった。
頭の痛みが強くなっている。調子は今や、ハッキリと悪い。軽い吐き気。
なのに、この出だしの冴えは何か。
高度を上げる。振り返ると、奴等が追ってくるのがわかった――一匹増えている。適当にバレルロールして一体がオーバーシュート、試しに両手で撃ちまくってみたら蜂の巣にできた。後ろから何か攻撃を受けているようだが今のところ通っていない。
一旦距離を稼ぐ。
振り返って――今のところ俺に注意を向けているのが、計六体というところ。早くも一匹落とされたのが癇に障ったか、二体追加されて八。
あれ全部がコピーで、つまりはシンと遜色ないスペックを持った魔法使い。
絶望して然るべきだが、あまりに数が多すぎて現実感が薄い。
限界加速。
とにかく、少しづつでいいから数を減らすこと。撃退の糸口など初めから存在しない。であればベターな結果を求めるしかない。
八のうちの一に狙いを定め、それ以外は無視する。
胸から頭の二連撃ち、命中。治癒される前に倒すならこれでも十分……離脱。離脱できる。誰も追跡できていない。俺自身も、飛行が速く感じられる。但し、結果を客観的に見ることができない。身体の調子の悪さと、現実での魔法の出力が結びつかない。シンの妙な手応えのなさも、それが本当のことだと思えない。
さらに悪いことに、今、俺はこれらの問題を突き詰められるほど脳の余裕がない――。
思うがままに魔法の力を振るうのが精一杯で、細かいことに構いたいのに構っていられない。どうして攻撃を外さないのか。どうして、奴等の攻撃の軌跡がわかるのか。
どうして――既に5キル取れているのか。頭が割れるように痛い。
一際強い魔力の輝きが、朝日と共に顔を覗かせる。目の焦点が合わない。
そいつはヒューマンだった。
「よお……いるんじゃねえか」
ヒューマンのシンだ。
「何なんだあんたは。本当なら、ここでオレは息も絶え絶えなあんたに辛辣な言葉をかけるところなんだ。囲まれて、ちょっと小突いてやれば死ぬようなあんたに……!」
続々と奴等が集まってくる。増えていく火点を全て意識するのは全く不可能だ。
回避行動にもうかなりの当てずっぽうが混じってしまっている。会話できているのが奇跡としか思えない。
「囲まれて息も絶え絶え、合ってるじゃねえか……! 深夜に寝付いたとこを叩き起こされてキツいぜ……全部テメーらの作戦通りなんだよ!」
「ふざけるな! あんたの力に、ここまでやって追いつけないことがあるのか……?」
「イヤミだな、おい。こんな不気味な芸当しておいて――」
「いい加減に死ねッ」
殺意が俺を包み込んでくる。刺さってしまいそうなほどの明確な意思。
俺はそれを辿るように風を繰り出す。当たる。当たる。視認の必要が無い。弾体のある攻撃なら撃ち落とすことだって出来る。指先にまで鉛を詰め込まれているように感じる。旋回すればするだけギシギシと鳴る。
ほとんど乱れ撃ちになってきた。一匹づつ確殺するという目標が崩れ去っている。
世界が色を失いつつある。
「うぐァっ――」
最初、それは当然自分の呻き声だと思った。
だが違った。一瞬前の記憶を努力して反芻してみれば、それがシンから発せられたものだと判明した。しかも本体のシンで、俺は――片目から血を流す奴の姿を確認した。すぐに治癒の手で隠されてしまったが、風の一発が、どんな因果か……即死はさせなかったものの奴の頭部を撃ち抜いたと見えた。
「どうなって――」
いるんだ。流石におかしい。
いくらなんでも、ここまで素晴らしい展開になるものか?
本来なら一太刀も浴びせないままくたばるような条件ではないのか?
俺はどうなっているんだ? 俺は何を認識しているんだ? 俺はどう戦っている?
俺はどうやって身体を動かしてる?
今、どうなってる?
頭に、ずっと何か流れ込んできている。俺はそれを止めることが出来ない。
止める気もない。
何故って、そうしなければシンに対抗することができないからだ。
俺はそれをよく弁えてる。




