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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第13章 増殖意識
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13-9 シン次第

                   ~


 何度ノックしても返事がないのに痺れを切らして、マイエルは部屋へ入った。

 中ではシンが年端もいかぬ少年相手に魔法を施しているところだった。指二本で額に触れているだけだが、莫大な量の魔力が注ぎ込まれていることは溢れ出る輝きから明白であり、その眩しさにマイエルは顔を(しか)めた。


「よほどのことがない限り入って来ないように言ったはずだ」


 目を少しも離さないまま、シンは警告してきた。指は非常に緩慢にではあるが額を一定の方向へなぞるように動いていた。椅子に座って術をかけられる少年の表情は白痴そのもので、精神的な負担を物語っていた。


 マイエルは怯まずに応じた。


「君を呼んで来るよう()に言われた、私の立場になってみろ」


 シンはまだ対象から注意を逸らさない。ややあって、


「どの()()がそう言った?」

(もと)ヘスラ・ティシャナの()だ。番号で言うと7番」

「何の用事なんだ? オレが手を離せないのはよくわかっているはずだ、同じ人格なんだから」

「手が離せないんじゃなくて離したくないんだろう」

「中途半端なところから再開することの難しさを知らないから、あなたはそう言えるんだ。これより優先する仕事なんかない」

「でも作業が全て駄目になってしまうわけではないんだろう? だからこそ7番は私を遣いに出した」

「番号でオレを呼ぶのはやめてくれ」

「自分で行けばいいものを……編集するとか何とか言って、その場を動きたがらない。君と同じく、自分の世界に入っていったままなんだよ。どいつもこいつも、心の中に埋没したいだけだ。細かな仕事を片付けてもらわないと君達のやっていることは最終的には無駄になるぞ」


 シンは手を止めた。

 エルフの少年が崩れ落ちそうになったのを支え、椅子の背もたれに押し付けるようにして安定させる。


「わかった。オレも長々と議論はしたくない。何をすればいい」

「例の目録に載っている者を全て尋問し終えた」

「尋問じゃない。記憶を読んだだけだ」

「同じことだ。作業を監督したが、容疑者は全員苦しんでいたぞ。無実の者も混じっていた。わかりきっていたことだが」

「それは……胸が痛むな」


 シンが心の底からそう思っているようにマイエルには聞こえたが、そうすると尚のこと始末が悪い。まだしも無表情に発言する方が可愛げがあるというものだ。


 内通の疑いがかかっている者の広範な目録(リスト)をディーダの部下に作らせたのはシンに他ならず、載っている名前を自分達で徹底的に洗うと決めたのも、またシンに他ならなかった。


 無論、今までも水面下でそういったことは行われてきた。

 諜報戦でもマーレタリアは圧倒的優位を築いていて、潜伏専門の間者はもちろん、ヒューマンの内通者も多数確保、維持してきた。ここ数年、戦いが激化したせいでそれらの情報網は大部分が失われてしまったものの、今更シンに口出しされるほどの体たらくではないはずだった。


 だがシンは、調査方法を見直し、身分や性別年齢による先入観も全て取り払った新基準のリストを――つまり限りなく白に近い灰色も含めて――わざわざ作成しろと()()()

 精度が低くなることは承知の上だった。


 今ではそれが(まか)り通るのだった。


 何もかもがシンの意向に沿って進むようになった。

 シンがマーレタリアの総代表であるからだ。


 マイエル達はそれを受け入れるしかなかったし、シンは受け入れられるようにした。

 シンはもう、逆らった者の精神を捻じ曲げることに抵抗がなくなっている。


 マイエルは――無事だが(無事であることを信じたいが)、既に、反発して二度と正気を取り戻せなくなった者を数多く見てきた。

 十三賢者が解体され、旧来の体制は一夜にして崩壊したが、すぐに頭を切り替えることのできた同胞は存在しなかった。ついていけるわけがない。ヒューマンが上に立つなど納得できないと、連日、良識的なエルフが抗議にやってきて、その場で服従以外の思考を剥奪され、適当な命令を与えられた上で返された。


 少しの間、そうした混乱が続き、ようやく――状況がどんどん悪くなっているのではなく、悪くなった後だということにエルフ達は気付いた。遅かった。


 この段階になると、そのヒューマンがどうやら――独裁というより我侭(わがまま)の様相を呈していたが――国政を掌握したらしいということを誰もが認めざるをえなくなっていた。認めた上で、その後納得できるかできないかにより、さらにエルフは選別されていく。


 賢明な者は精神を汚染される前に従うことで難を逃れ、愚かな者は抵抗の意思もろとも打ち砕かれてもの考えぬゴーレムへと生まれ変わった。そしてとりわけ不運な者は、()()()()()の素体となった。


 この断圧、暴虐をシンは隠そうとはしなかったし、取り繕う素振りも見せなかった。これまではどれだけ勝手な真似をしようと、自分は良識的であるという立場を崩さなかったのが、ついにそれさえ不確かなものと成り果てていた。


 曲がりなりにも同意を得る、あるいは許される範囲で活動する――認めてもらっているという建前は、シンにはもうどうでもよいことらしかった。


 不服従に対する交渉の余地は微塵もなかった。


 マイエルとて、未だ反論が許されているのは、付き合いが長いからでしかなかった。

 シンの抱える事情を概ね理解しており、面倒な折衝や管理を投げつけられる利便性が、今、マイエルの正気を保証していた。誓ってそうした仕事が専門ではなく、自信を持てないとしても、マイエルを生かしていた。


「それで?」


 結果はどうだったかと、こともなげにシンは訊ねてくる。


「私は具体的なことは聞かされていない。本当にただの遣いなんだ。報告書を提出すれば済みそうなものだが、調査の仕上げとして、君に記憶を共有して欲しいと7……君は言うんだよ」

「ふうん……」


 シンは釈然としない様子のままであったが、ともかくも部屋からは出て行った。

 マイエルはその後をついていくまえに、一度、精神の崩壊した少年の方を振り返ったが、してやれることは何もなかった。シンにしか手の届かない領域へ連れ去られたと思うしかなかった。




「しばらく」


 片手を挙げてマイエル達を出迎えた(もと)ヘスラ・ティシャナは、本体のシンが初期に手がけた十二の複製体のうちの一つだ。女のエルフだった何か――今はそう捉えるしかない。


「調子は悪くないみたいだな」


 シンはあれほどマイエルの前でぐずっておきながら、原因である自分自身には文句をつける様子がなかった。


「思ったより早くリストが消化できたよ。それで、一応、今後の対応に関わるから、すぐに伝えてもいいかってね……。抽出した記憶を編集しておいた。直接見てくれ」


 (もと)ヘスラ・ティシャナのシンは手をさし出し、


「わかった」


 本体のシンはそれを握った。

 彼らの間に魔力が通う。それで記憶のやりとりができるのだった。


 シンが得られた情報を吟味している間、マイエルは傍らに控えていたジェリー・ディーダに軽く挨拶をして、隣に座った。


「貴方も余計な仕事が増えて、災難でしたね。間諜の摘発は意義のあることだとは思うが、今更、洗い直したところで……」

「念には念を入れたいのだろう。向こうが我々の動きに合わせてきたり、普通なら知りそうにないことを知っていたり……そういうことが続いたからな。道化師自身の強さに気を取られていたが、活躍の裏に奇妙な巡り会わせがあったことは否定できない。優位を取ったつもりでいたが――どうもな。ヒューマンに情報収集能力そのものを隠蔽するだけの知恵があって、俺がそれを長年見落とし続けてきたのだとしたら、省みるにはいい機会だ。腹は立たん。彼らの技能に期待している」


 ディーダもどこまでが本気なのか、マイエルは未だ量りかねている。

 十三賢者であったにも関わらずシンの精神改変から逃れた貴重な同胞だが、どうも共感性に欠けていけない。


 やがてシン同士の情報共有が終わった。

 マイエルは形式的な確認をした。


「それで、何がわかった?」

「わかったといえばわかったけど……わからないといえばわからないままだ。少なくとも、皆を満足させるような証拠はどこにもなかった」

「結局、裏切者はいたのか?」

「新しい内通者は見つかったよ。たくさんね。記憶にはヒューマンの工作員と接触した形跡が残っていた。びっくりするよな、魔導院の中にまで侵入していたんだ」

「何……!?」

「でも――あれを辿るのは難しいだろうな。徹底して尻尾を掴ませないようにしてる。同盟の工作員がエルフの協力者と会うのは、ほんの短い間だけみたいだ。だから、奴隷待遇や捕虜待遇の人達じゃないんだよ。ずっとこっちにいる人はいつか捕まるってことがわかっているんだ。いちいち遠い距離をやってきて、誰にもバレずに目当ての情報だけを持ち帰る。すごく手間と……お金をかけてる。そのくせ、物資の援助や潜伏先の手配は要求していないみたいだ。全部持ち込むか、内通者を頼らずに調達してる。脅す割には顔も見せないし、探らせる隙を与えない。謎の存在が不定期に税を回収に来る――そんな感じだ」


 都の内部にまでヒューマンの密偵が入り込んでいると聞いても、ディーダは別段驚いていない様子だった。


「おそらく、この時点で――奴等はもう店じまいしているだろうな」

「これ以上の漏洩は防げるでしょうが、肝心の部分は、掴めないままか……」

「残念だ」


 マイエルだけが、背筋に冷たいものを流している。


「何を暢気に……!」

「仕方がない。もう全部終わった後だ。オレ達にできたのは、確かめることだけだったんだよ。多分だけど、今回判明したスパイっていうのは、非公式な存在なんじゃないか? いや、諜報に携わるのってみんなそうだろうけど、なんていうのか、同盟のブレイン達に認められて設置された機関じゃなくて、独自に、というか、勝手に動いているような――そんな感じがした」

「ヒューマンの中でも一部の者しか、持ち帰られた情報を知らなかったのかもしれない。確実に伝わるように、そして歪まないようにな」

「彼らは――きっと、待っていたんだと思う。ずっと。何かが来るのを。自分達の情報網を有効活用してくれる誰かが出てくるのをね。――隠れていたんだ。隠れるのが任務だったんだ。どれくらいの間それを続けてきたのか、見当もつかない」


 何が何やらわからなかった。唯一はっきりしているのは、マイエルにはもうどうしようもないということだけだ。


 シンは自分の写し身に向き直った。


「他は、今、どうしてる?」

「決めた通り、半数が増殖作業、五人ばかりがゲリラ、あとはオレ達が雑用を続けてるよ。手が空いたのとはミーティングしてるけど、特に変わった様子は聞かない」

「雪解け前の攻勢に反対してたのは誰がいたかな」

「年長を素体に使ったのが二人。もう少し頭数を増やしてから臨みたいって」

「しかし悠長だろうな、おそらく」

「ああ。それはみんなわかってる。最後には気付くさ。同じだから。プロセスが違うだけだ」


 もう一度手を握り合うだけで、彼らは子細に意思を伝え合うことができるのだが、今はそうしていなかった。理由の一つは、僅かばかりでも魔力の節約をするため、もう一つは、形ばかりでも、居合わせているマイエルやディーダをないがしろにしないためである。


 少なくともそういう説明であった。特に、後者は心の内に一瞬たりとも触れられたくないマイエルの気持ちを汲んだものとされている。また、シン自身も、未だにマイエルに精神魔法はかけたくないという考えを維持していた。言いなりにしたくないのはもちろん、ほんの少しでも影響を与えたくないのだそうである。

 シンはほとんどマイエルの言うことを聞こうとしないが、一方で、自分に都合の良くない知性からの意見は貴重だとも考えている節がある。従いこそしないが、参考にはしているというのである。


「決まりだな。今担当してる仕事はすぐに切り上げさせてくれ。次は足並みを揃えて戦う」


 シンの宣言に、ディーダが立ち上がって応える。


「ついにやるのか」

「ええ。ディーダ元帥には陽動を担当してもらいます」

「ではボロフ周辺での新たな工作を計画する」


 そう言って、足早に出ていく。


 まるで前々から作戦が練られていたかのような雰囲気だったが、マイエルにしてみれば、いきなり出兵が決定されたのと変わりはない。


「いいのか? そんな……思いつきのように決めて」

「そうでもないさ。どこかで一度、集団で仕掛けた時の相手の対応は調べなきゃならなかったんだ」

「94番だって警戒はしているだろう。奴との本格的なぶつかり合いは避けていたのに、急にそんな……突破する自信はあるのか? もし反撃されたら、防ぎ切れるのか?」

「いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。やってみないとわからない」


 本体のシンがそう言い、エルフの形をしたシンが付け加えた。


「やらなくてもわかるより全然マシさ」

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