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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第13章 増殖意識
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13-7 再び二杯目

 俺が、――いや、俺達が戦いに身を投じてからというもの、冬は貴重な休戦期間だった。そのような取り決めがあったわけではないが、どれだけ激しい戦いのあった後でも、少なくともマーレタリアとは事を構えずに済んでいた。寒い季節の間は、何か別のことをしていられる。次の戦いまでに時間を置くことができる。


 そうして一旦気分がリセットされ、また春になれば元気に従軍する……このサイクルがここにきて崩れ、同盟は精神的な余裕を取り戻せないまま、対応を迫られていた。


「まず最初に遭遇したのが……ここです」


 議場(ぎじょう)にはボロフ付近の広範な地図が持ち込まれ、シンによって精神を改変されたエルフ個体の目撃例が小さな(ポーン)となって示されていた。


「それから、ここ、ここ……そしてここ。確実な目撃例はこの六つ」

「残りの地点は? 駒の色が違う……」


 各所から上がってきた報告、また自分が交戦した際の経験も含め、俺は再び集まったトップに対し、改めて解説を加える役目を任されていた。


 若きローム・ヒューイック大統領の質問に、俺は答える。


「関与を疑っていますが、断定まではできない実例を分けています。目撃者にあたる人物が全員行方不明になっていたり、直接、姿を現したりはしなかった場合ですね」

「決定的な証拠はなくとも、状況がほぼその男の仕業(しわざ)であることを示している?」

「ええ、まあ。そうじゃないと説明のつかないことが多すぎるんです。前からこういうことができるなら、奴等、とっくにやっていたはずだ」

「それはそうでしょうね……」


 比較的クールな印象の彼には珍しく、深い憂慮の念が見られた。

 どこの国の人間もひどい目に遭っていたが、冬季占領任務の大部分を買って出ていたルーシアの出身の兵は、とりわけ危険に晒されていた。


 俺は話を続ける。


「厄介なのは、性質上、他のエルフとすぐに見分けがつかないという点です。私から見ても、それは例外ではありません」

「精神が、言うなれば――汚染されていてもか。他者の精神を自分と同じものに造り変えるなど、矛盾に満ちた(じゅつ)だ、挙動にあやしげな特徴など、生まれぬものだろうか?」


 ディーンのクドウ氏が唸った。


「奴は――魔法をかける際に、考えうる限り最高の仕上げを施しているのでしょう。面倒は起こらないようになっているのです。どの個体も()()()、奴そのものだと考えるべきです。だから内面において矛盾も生じない。少なくとも奴の中では」


 これは既に各国の将官達にも説明したことの繰り返しだった。


「敵がその正体を隠す気があるかないかに関わらず、実際のところ、間近に相対してみないとわからないものです。注意して見れば雰囲気に違いを感じ取ることもあるでしょうが、必ずしもそれが可能な状況とは限らない……。大抵、三種類、四種類と魔法を使われて初めて、これはおかしいと気付く。そしてわけのわからないうちにやられてしまう」

「さらに、神出鬼没と聞きます」

「左様です。アキタカ皇帝陛下が指摘された通り、単独での移動なら、奴の運搬魔法にはほとんど制限がないようです。それほど上質なものではないですが治癒魔法も使える。何度か戦ったからわかりますが、攻撃は全般的に手を替え品を替え繰り出される。心も読んでくるし、改めて、これほど厄介で強力な相手は他にいないでしょう。誰も勝つことができません」

「あなたは違うのですか?」


 と、ローム・ヒューイックが言った。


「勝ちにも様々ありますが、私が未だ、あの男の命を奪うに至っていないのは、ご存知の通り――そして、これが一番の問題点ですが、」


 こうなると、俺はほとんど悪い意味での予言者と成り果てていた。


「まだこれから、あの男の個体数が増加するだろう……ということです」


 一時、沈黙が場を支配する。


「――それだが……本当に起こりうることなのか?」


 クドウ氏は疑っているというより、信じたくないという意味でそう言っていた。

 この場では、最も顔と態度に出して事態を危ぶんでいるのは彼だった。


 おかげでそれを見る我々は、却ってなけなしの落ち着きを装うことが簡単になりつつあったが、焦らなければ対面を保てるというような次元はとっくに過ぎ去っていた。


 俺も結局は、苦々しく答えざるをえない。


「――奴が、奴自身の精神を完全な状態で転写できるという前提に立てば、複製した精神が同じように精神を複製できるというのは道理なんです。そう納得させるだけの魔法の力が奴にはある」

「あくまでも、シンという男の発言に根拠が置かれているのであれば、」


 ヒューイック大統領が言った。


「それがハッタリという可能性は?」

「ええ、まったくありえない話ではないでしょう。ただ、我々が現在突きつけられている事実が――それを強く否定しているものと信じます。これら、数多の目撃例となって」


 俺は地図の上を指し示す。

 奴の言ったことを真に受けるのも癪だが、俺が出会った、雪山の一件から数えて三つの別個体は、どれも年齢や性別からして異なるエルフだった。それでいてどれもがシンのように――いや、シンそのものとして振る舞った。


 大統領は尚も食い下がる。


(くだん)の男が、種々雑多な魔法を習得しているのなら、姿を変えるというような種類の魔法も身に着けている可能性がある。それで、現れる度に別のエルフに扮しているということはないだろうか? 今のところ、複数体が同時に現れたという報告はされていない。これに理由をつけることはできないか?」

「それもありえます。なんだかんだと言ってみたところで、大陸にまで攻め込まれているのは向こうだ。それが戦略の一環だったとしても……どこかで、巻き返しのための空白が必要なはずです。少しでも時間を稼ぎたいところに、欺瞞作戦は効果的でしょう。一芝居打ってでもやる価値がある。いかにも――我々を出し抜いた、敵の司令官の入れ知恵しそうな話だ」

「――それでも、やはり、ブラフではない、と?」


 俺は頷いた。


「まあ、私も考えました。いくら奴の実力でも、他の生き物を自分に造り変えるというのは、あまりに荒唐無稽なんじゃないかと……。思いついてもやらない、やろうとしても誰かが止める、そういう類の発想です。――だからこそ脅しにもなる、とね。今でも、エルフ共が何故あれを許しているのかよくわかりません。形振り構っていられない、キレているということを表現するに十分な暴挙だ」


 ローム・ヒューイックの言うことも、もっともではある。

 敵の策に翻弄され、何か大事なことを見落としたり、自ら身動きに制限をかけてしまうことの愚かさ、危険さ――それを狙われているという恐怖。


 だが、俺には、目にしたこと、感じたことが虚構であるとは、どうしても思えなかった。


 どう言えば伝わるか。それを考えた。


「私は、奴が実際に怒りで動いていると考えます。私と同じように、です」


 大統領はもう口を挟まなかった。


「増殖が始まるとしたら、それは鼠のように増えるでしょう。いや、鼠というより――鼠の運ぶ病のように増えるはずです。私が怒りによって竜巻という名の災害を引き起こせるなら、奴もまた怒りによって災害を引き起こす境地に達することは想像に難くない。流行り病も災いの一つではありませんか?」

「……その通りだ」

「結論が出たようですね」


 アキタカ皇帝が頷いた。


「件の彼が持つ強さそのものより、彼が増えるということが、今、我々に突きつけられた難題ということですか。これまでは撃退できていたものが、明日にはできなくなる、そういうことですね?」


 ヒューイック大統領も頷いた。


「いつか徒党を組んで現れるようになったら、我々は終わる」

「……悪い予感ほど当たるものだ……」


 ふと漏れた、その皇帝のつぶやきに、素が出ているような気がした。


「肝心なことはまだ何も決まってはおりませんぞ。何か策がおありか?」


 苛立つクドウ氏を宥められる者は誰もいない。


 ゼニアも、先程からずっと、黙って俺達のやりとりを見ているばかりだ。暗に発言を求められた今も、そのスタンスは崩れなかった。


 仕方なく、俺が矛先を逸らすことにする。


「策はありませんが……その代わり一つ吉報が」

「それは本当に吉報なのでしょうな?」

「そう言われると、まあ自信があるわけではないのですが――うちの隊の中に、銃で奴を撃った人がいます」

「ふむ。――ふむ、いや待たれよ、それは……弾を当てたという、そういう意味でお間違えないか?」

「左様です。あるいは既に聞き及んでいるかもしれませんが」

「――いや! 何故それを先に申してくれなかったのか……! 撃ったのか、その男を!」

「無論、本体の方ではありませんよ、奴の名を名乗るエルフのことです。ヒューマンとしての奴はボロフの戦いからこっち、直接姿を見せていませんからね……。ま、この場合、当たったということの意味を考えれば同じですね」


 奴を相手にする場合、攻撃は相当仕上がっていないと全て事前に回避されて、当てられるものじゃない。


 事実、これが俺以外で初めて奴への攻撃に成功した実例となっていた。


 それを踏まえれば、銃の有効性が示されたとも言えるし、読心術を掻い潜るヒントを見つけたとも考えられる。


「最後の報告の内容だから、詳細が判明したのも最近で」


 ヒューイックも少し驚いていた。


「こちらの方では把握しています。ただ、俄かには信じ難くもあった。状況が状況なら誤報もあるだろうと思ったからだが……真実で間違いないのですね?」

「私が事情聴取した限りでは、信憑性があるものと思われましたが」

「それで、一体誰がやったのですか?」


 急かす皇帝に、俺は答えた。


「ほら、最初の雪山の件があるでしょう。あれの発見者ですよ。弓使いの」

「おお、あの……しかし、持っている弓ではなく、銃で、ですか?」

「そうなんです。思えば運のない人ですよ、この短い間に二回奴と出くわしたんだから。その時、持っていた弓を破壊されて、仕方なく、やられた味方の銃を拾って使ったというんです。やぶれかぶれになって。どうせ当たらなくても牽制になるだろうとは考えたみたいですが……期待できるような状況じゃなかった。でも初弾が当たった」

「何故……」

「さて、それが誰にもわからない。撃った当人にわからず、そしてナルミ・シン自身にもわかっていない節があったのでは、聞いただけの我々にも、もちろんわからないというわけです。とにかく、奴はまったく隙を突かれたような驚きのまま、運搬魔法で転移していったとのことです」

「では、そのまま隙を突かれたということではないのですか? 滅多にあることではないにせよ……」

「違うようなんです。確かに、その時奴は、射手の方を見てはいなかったそうですが、他のことに気を取られているわけではなかった。そもそも居合わせた部隊は壊滅状態だったんです、弓使いが仕方なく銃を拾い上げるくらいには。その時奴を攻撃しようとしたのは、射手だけだった。魔力の光も見えていたというから、一人の心を読むくらいわけのない話です。捨て鉢になっていたとはいえ、射手はしっかり狙いをつけていたのですから、その意識を取りこぼすということは考え難い」

「では、その方が特別なのでは? 丁度あなたのように」

「それが最も望ましいのですが……」


 大統領が、尻切れトンボになった俺の言葉の後を継いだ。


「最も可能性が低いようにも思えますね。当たるはずのない状況下で、しかし当たった、というところが焦点なのではないでしょうか。当てた、のではなく、あくまでも当たったということ――」

「なるほど。しかしそれでは……不思議だということしかわかりませんね……」

「ともかく、むしろ、謎なんです。逆に謎が残った。この一件が、奴にも隙が確かに存在することを証明するのかどうか、意見の分かれるところでしてね」




 そちらの方については、結論の出ないまま終わった。何も解決の糸口が見つからないまま事実を確認して、その反応の重々しさを受け止めると、どっと疲れた気分だった。


 シンになんとか対抗可能な俺でさえこれほど忌まわしく思っているのに、こんな俺に当面の対応を任せるしか他に手のない人々の心労たるや、察して余りある。


 夜、ゼニアの私室で、テーブルにもたれかかって俺は言った。


「ゼニア、酒をくれ。俺に酒を飲ませてくれ」

「あなたの方から言うなんて、珍しい」

「そういう気分なんだ」

「いいけれど、溺れないことね」

「貴女が気をつけてくれれば大丈夫……」


 ゼニアは長く息を吐くと、戸棚の奥に入っていた瓶を取り出し、コップと共に運んで来てくれた。注いでもくれたし、それから、こちらの方に押しやってもくれた。


 俺はそれを手に取り、掲げた。


「女王に酒を注いでもらう贅沢に乾杯」


 丁度、自分の分を注ぎ終えたゼニアと、杯をぶつける。


 俺は一息に、半分ほどを飲み込んだ。


「そんな、一気に飲んで……!」

「今日は何かいける気がしたんだ」

「よしなさい。安酒ではないのよ」

「高すぎるわけでもないんだろう?」

「――困らせるのね」

「いいんだ、昼間はもうちょっと援護してくれてもよかったろう? そのお返しさ」

「もう……」


 ゼニアは議場では黙りこくっていたが、心身ともに、体調は整っていた。


 一時期気の塞いでいた彼女は、この頃は父の死を振り切る内面の術を見つけ出したようで、結果的に快方へ向かっていた……というより、新しく首をもたげた、到底無視できかねる驚異を前に、いつまでも自分の感傷を引き摺ることはふさわしい振る舞いではないと認識したらしかった。


 それはそれで、痛ましいことではあった。


「霞衆から連絡があったわ」


 俺がもう一度コップに口をつけた後、出し抜けに、ゼニアがそう言った。


 俺は少し面食らったが、すぐに関心はその内容へと移った。


「――何! どんな知らせだった」

「もうこの情報網はあてにするな、と……」


 ゼニアの乏しい表情から、あまりいいニュースではないかもしれないという予測は立てていた。だが、これほどひどいとまでは思っていなかった。


(なん)――、嘘だろ……?」

「文面そのままよ。書かれていたのは、それだけ」


 これまで、予告が無いながらも散々助けられてきた勢力であるだけに、また、決定的な情報をもたらしてきたチャンネルでもあっただけに、急に助力を望めなくなったのは痛恨の極みとしか言いようがなかった。


「……事情が変わったのかな……」

「わからないわ」


 失望と共に――どうして今なのだろう、と思った。


「――ゼニア、今言わなくてもよかったんじゃないかな」

「いいえ、今言った方がいいと思って」


 俺はまたぐびり、と酒を飲む。


「おかしいぞ、悪い知らせ過ぎるだろう! ただでさえ、昼に楽しくもないことばかり話し合ったのに、このひとときぐらい、伏せておいてくれたって……!」

「ごめんなさい。でも、今言っておいた方がいいと思ったのよ」

「――妙に頑なだな。何か考えてるのか」


 ゼニアは答えず、俺は間を()たせるようにして杯を引き寄せた。


「まあ――後になって、実は、なんて聞かされるよりはいいのか……」


 そうは言ってみても、やはり変なタイミングでやられた感じが拭えなかった。

 アルコールの回りを認識していながら、俺はこの違和感を誤魔化すために、さらなる酒を求めた。自分でもまずいペースだと思ったが、手だけは自然に動く。何と言っていいのかわからず閉じがちな口も、それを手伝った。


 さすがに悪いと思ったのか、向かいに座っていたゼニアは、俺の隣に――というか俺の座っている椅子に無理矢理移動してきた。ほとんど俺に座った。身体も寄せてきた。

 何も言わなかったが、埋め合わせをしようとしているのだろうと思えた。事実、俺はそれで早くもいい気分になりかけていた。ゼニアは妙に肌の出る部屋着に着替えていて、この至近距離では――あちこち見えそうだった。


「どうする気なんだよ……」


 ゼニアは答えず、そのまま静かに飲酒を再開した。

 それで、俺も飲むしかなくなった。


 少し冷静になってちびりちびりとやったが、元からあまり残っていなかったので、すぐ空になった。喋らないでいられるのもそろそろ限界だった。


 すると、ゼニアの方から先に、


「空いたわね。()ぎましょうか?」


 ごく当たり前のように言われたが、とんでもないことだった。


「いやいや、もういいよ! 前にディーンで二杯目いった時記憶飛んだの、まだちょっと恐いんだからさ……」

「そう?」

「そうだよ」

「そう……」


 俺は嫌な予感がして、テーブルに放り出したコップを、さらに遠ざけた。


 すると、膝の上で大人しくしていたゼニアが、俺の方に身体ごと向き直って、跨るような形になった。


「ねえ、フブキ……」


 彼女は俺の太ももを撫で、次いで臍の周りを撫で、脇腹から心臓にかけて撫で――どれも服の上からだったが十分に官能的で――鎖骨から喉も撫でた後、


 おもむろに、俺の両頬を片手で掴み上げた。


 驚いて声を出したが、意味を成さない間抜けな音が漏れるばかりで、何も伝わりそうにない。


「グラスが空いてるのよ、フブキ。()いであげるわ」


 ゼニアは後ろ手に酒を(そそ)いでいる。器用な女だと改めて思う。

 思っている場合ではない。


 俺は首を振って意思表示するという方法を思いついたが、それも首から上をがっちり握られた状態では叶わぬ夢だった。


「も゛、む゛ぅ」

「飲ませてもあげましょう」

「む゛ぅも゛ほ」


 必死にやめさせようとするが、ゼニアはそのつもりはないらしく、徐々にコップを口元に近付けてくる。


 悪かった。俺らしくない飲み方だったが、決して許容量は一杯までというルールを破るほどの逸脱ではなかったはずだ。


「どうして? 酒を飲ませてくれと言ったでしょう?」


 そういう意味ではなかった。誓って、そんなつもりでは。


「はい、あーん……」


 ゼニアの握力は既に万力の如く俺の口をこじ開けていた。


 全力で抵抗すれば、あるいはどうにか抜け出せる目もあるかもしれない。

 だがこれ以上何をされるかわかったものではなかった。


 匂いの強い液体が、再び喉を流れ始める。

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