13-6 心境の変化
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「ようし、撤退してくれっ! もう一度同じことができるか、わからない!」
俺はなるべくはっきりと聞こえるように、魔法を絡めて拡声した。
既にかなりの魔力を支払っていた。ここまで全速力で飛んで来た分の燃料、雪を落ち着かせるための吹きつけ、どちらも莫大な出費だ。同じ崩落を起こされたら、次は防げないだろうという予感がある。自分一人なら飛んで逃げることもできるが、生き残っている全員を守るのは難しくなる。ましてや保護しながら戦うのは無理だ。
遠目に、ナガセさん達が頷いているのを確認し、エルフに向き直る。
彼らの下山が上手くいくことを願いつつ、自分は反対に、山登りを始めた。
飛んで距離を詰める方が楽だが、魔力を少しでも節約したかったのと、相手の出方を窺う意味もあった。
直線でならそこまでの遠さはない。
むしろ、風抜きで声をかけても、余裕で届くほど近い。
「旋風の道化師、イガラシフブキ!」
そのエルフは俺を見下ろしながら、歌うように言った。
「驚いた。あの、か細い鏑矢の音だけでここを特定したのか」
「……間がよかったよ」
「フフ……」
他のエルフと違う――それは一目見てわかった。
どこが、と言うならそれは雰囲気。見た目だけならば、そこまで変わったところはない。赤と緑で上下組み合わせる服の趣味が悪いというくらいだ。耳は尖って長く、不愉快に整った顔の作りが異種族を感じさせる。どこにでもいそうな、(奴等の基準でどうかは知らんが)妙齢の雌のエルフ。
だが、どこか、不釣り合いな若さを意識させるのは何故か。
年増がはしゃいでいるというのではなく、例えて言うなら、心の芯からそうであるような違和感。自分を見た目に合わせようとしていない、その異様さを気にしていない……受け手を自然に威圧してしまうような、不自然。
「驚かされたのはこっちの方だぜ――この俺を目にして、まだそんな余裕の態度を取れるエルフがいたとはな」
「それほどでもないよ。ここであんたが登場するのは完全に計算違いだ。少しちょっかい出して帰るつもりだったんだ……藪蛇になって困惑してる。次に会うのは春かと思ったけど、意外と早く会えてしまった」
「――前にどこかで会ったか?」
「何度かね」
「……必要なら勝手に説明してくれ。俺は――例えばお前の親を殺したこととか、いちいち憶えていられないんだ」
「いや、いや、オレの両親は健在だと思うよ……多分ね」
オレ。ふむ。
「じゃあ、戦場で俺を遠くから見かけるたび、尻尾巻いて逃げ出してたのか? そういうのは会ったって言わないぜ」
「――図星と言えば図星だけど……顔はきちんと合わせていたよ。でも、そうだな、そういう意味では実のところ、あんたとは初めて会ったとも言える」
「ようわからんね」
「すぐにわかるようになるさ――それほど難しい話じゃないんだ」
「じゃあ、痛めつけて吐かせるとするか」
手を伸ばせば届く距離まで来ていた。だが、エルフが後ずさることはなく、俺が魔力を練り上げてみせても、それは同様だった。
「正直、あんたの相手をするのは恐怖でしかない」
「そうか。でも逃げようたって駄目だ」
これはちょっと強がりだが、エルフ相手に弱気を見せるのは嫌だった。
「ああ、そうなんだろう――オレも、戦おうとは思ってる」
口ではああ言ったが、俺は拷問するための時間をわざわざ取ろうなどとは思っていなかった。不気味さに屈する形になるのは癪だが――さっさとケリをつけて帰るべきだと、本能が告げていた。
急所を狙って手短に済ませる。それ以上欲張るつもりもない最小限の一手目は、しかし、完全に空振りという形で戦いをスタートさせた。
あるいは俺が力みすぎていたせいかもしれないが、喉首狙いの一撃は予期していたかの如く避けられてしまったらしい。相手の後退時の動きに風魔法の気配があったものの――エルフは空へ上がろうとはせず、雪上を滑り、割れた氷の塊の巨大なやつの手頃そうな一つを選んで、裏へ回って身を隠した。
あまり意味のない行動に感じた。俺は――魔力を浪費するという点に目を瞑れば――簡単にその氷塊を壊すことができる。事実そうした。
と同時に、奴は火炎放射で返礼してきた。まさに俺が壊した氷塊の破片を溶かしながら。
腹が立った。
おそらく、奴はほとんど脅かすためだけにわざと隠れたのだろうと思った。攻撃のタイミングが物語っていた。俺が仕掛けたのに合わせて仕掛け返すという……複数の魔法が扱えるアドバンテージを生かして札を切ったようにも見えるが、その実、もっと確実に当てられる機会を捨てている。これはまだ牽制だ。
俺は――飛んだ。反射的だった。ここまでとは予想していなかった。
ビームのように、炎が俺の後を追ってきて空を焦がした。熱が首筋にまで迫り、この寒いのに逆に冷や汗をかかせる。
ふと、天地に傾きが生じ、上昇しているはずが山肌に沿うような軌道へと変わった。
この感じにはさすがに覚えがあった。
重力が乱れた時特有の、方向感覚の狂い。
心なしか、炎もその影響を受けて歪曲しているように見えるが、その認識が真実なのかまではわからない。
出所不明の、腹に響くような不吉な音も聞こえ、これらに関連があるのかどうか余計なことを考えているうちに、重力の変調は急激にその度合いを強くし、俺はついに誤って雪の中へと墜落した。
直後、視界が白く染まった。
遅れて――雪崩の中に入り、俺はその中を泳いでいるのだと理解した。無意識に展開できるほどには上達した風の防壁が、かろうじて俺を生かしていることも。
重力をいじられる以上に上下がわからなくなる。――が、その頃には重力異変は解けていた。俺は強引に風を拡大して、周囲の雪を全て吹き飛ばそうとした。一瞬だけ空が見え、その方向が上だと確認する。
這い出てきたところに、エルフの担いだ槌の一撃が振り下ろされる。
「ぐ」
俺はまだ防壁を維持していたが、衝撃を止めるには至らず、弾き飛ばされて再び雪に埋もれた。沈まないようにもがいて、なんとか顔だけは出すことに成功する。流れに身を任せ、止まるのを待つ。
エルフはその様子をただ見つめていた。追撃する気はないようだった。
ようやく自由になり、埋まっていた身体を掘り起こす。
「地形が悪い。時期も悪いか……」
「彼は有望な魔法使いだった!」
上から声をかけられ、渋々、俺は空を見上げた。エルフは続けた。
「この、振動を起こす魔法は、成長すればこんなくだらないことよりも――ずっと役に立つ使い方を開発できたはずだ」
ここまでやられたら、さすがの俺でも気付く。
「だが、あんた達に殺された。オレは、彼の魔法を保存することしかできない。残念で、ならないよ」
間違いない。
このレパートリーは、通常ではありえない。
「お前――シンなのか」
「遅いな、気付くのが」
こいつは、最初っから、隠そうとすらしていなかったというわけだ。
俺がその可能性に思い至るまで、遊んでいた。
「どうなってやがる――!」
まず、思いついたとして、そんなことが実現できるのかという疑問が浮かぶ。
自分の精神を他者に乗り移らせたのか? それとも、
「後者だよ」
自分の複製を、造り出したというのか。
未だに精神魔法の範囲というものがよくわかっていないが、しかし、だとして、何か素体となるものに複製を転写したのか、それとも、素体を編集した結果複製になったのか……。
「それも後者」
「読むな、俺を……」
「強いて言えば、上書きさせてもらったんだ」
――いずれにしろ最悪だ。
「最悪だね。それは同意するよ。こうでもしなきゃ、もう戦いようがない」
「お前は……」
「オレは複数になった」
一人だけでもあれだけ手を焼いてきたというのに、増えやがった?
いや、待てよ――もしこれが、シン自身が増えているという意味だったら……。
「察しがいい。オレはオレ自身を増やせるオレを増やせる」
――そういうことになる。でも頭が混乱してきた。
「本当はもっと後でネタばらしするつもりだったが、成り行きというのは恐いな」
「く……」
「やめておいた方がいい。お互い、今日はそれほど乗り気じゃないだろう。どうだ、ここで手仕舞いにして、二人とも帰ることにするっていうのは」
「ボケが! こんな話聞かされて、見逃すとでも思ってんのか?」
「妥協だよ、フブキ。ここでやめておけば、あんたは残りの魔力を気にせずに済むし、先に下山させた仲間が三度雪崩に襲われることもなくなる。果たして彼らは、さっきのでも無事かな?」
もうこの周辺からは離れていると信じたいが、何しろこの短時間でのことだから、どうなったかは――わからない。
「そして、オレはオレで……」
「大事な試作品を、一人でも無事で帰還させたいか?」
「――やはり、あんたも人の心を読むのに長けてる。そういうわけだから、ここは互いに手を引いておこうじゃないか」
「ナメんな! てめえらを殺せるなら、魔力なんざいくらだって湧いてくる! ワープの発動と俺の風、どっちが速いか――試してみようじゃねえか」
「参ったな――」
シンは少し考え、
「では、こういうのはどうだ」
俺の後ろから声がする。
振り返って撃ち抜いたそれが、分身であることはわかっていたが、攻撃される可能性を考えると処理せずにはいられなかった。すぐに向き直って本体を叩いたが、それも俺が本体だと思っていただけで分身だった。
最後に、視界の端の雪の中から、二体同時に這い出てきた。
やはり同時に処理して、どちらも分身だった。
ふと横を見て、おそらくそれが本体だったのだろうが、俺はその時点での早撃ちの全力は出し尽くしていた。狙い終えるまでに、奴は小さく手を振る余裕があった。
運搬魔法が奴を転移させた後の虚空を撃ち抜くと、静寂が切り抜かれて残った。
どこかの段階で――今となっては特定できないが――仕込んでいたのだろうと思う。
奴が実際に何をやらかしたのか思い知るのに、そう時間はかからなかった。
同じような個体の出現報告が、相次いで届けられた。
ほとんどはこちらの行動を妨害する形で乱入してきていた。
俺が居合わせたり、救援に間に合った場合は向こうから退いたが、そうじゃない場合は、確実に――その地点での敗北を意味した。
新たな頭痛の種では済まない。
損害は、最早ただの損害として片付けられないほどに深刻化していた。
予期せぬ喪失があって、時には何も判然としないのである。
ある日、消極的哨戒という、事実上の散歩にすぎないはずの外出をしていた部隊が消息を断った。二度と姿を見ることはなかった。またある日、外れの村に出向していた通信魔法家からの定期連絡が途絶え、様子を見に行った伝令は、あったはずの場所に新しくできた何もないを見つけた。
そうした、唖然とするほかない証言の中の、数少ない生き残りからもたらされたものはどれも、シンの複製がエルフに貼り付けられていることを示唆していた。
エルフヘイムがそれをよしとした経緯は全く不明だが、例え追い詰められたにせよ、容易に認められる選択ではないはずだった。何か、とてつもなく――向こうにとってもよくない変化が起きたのではないかと俺は推測した。いや、同盟の誰も彼もが、そう思い至らずにはいられなかった。
だが、具体的に何が起きたのかということまでは、上手く思い描けないままだった。
そのままの意味で心境の変化だという仮定はあったが、それは細部を補完しようとすればするだけ、あまりに――恐ろしすぎた。




