13-3 不安の続く冬
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ミキア姫には、ゼニアの口から直接、王の死が伝えられた。
一般兵は死ぬか任期を全うするまで故郷に帰ることはできないが、要人や士官は割と頻繁に前線と本国とを行き来する機会がある。ガルデ王の遺体は、ボロフの後始末もつかないうちに優先第一便で国へ戻った。俺もそれに居合わせていた。
姉君は取り乱すようなことはなかったものの、いつも浮かべていた柔和な笑みを消し、立ち尽くしていた。いや、実際のところ、彼女はゼニアと俺が現れた時点で、何かを予感していたに違いなかった。
俺は、それから姉妹が何を話し込んだのか知らない。
長かったようだ。
今年は雪が降る前に、雨が続いた。
国葬は大々的に、しかし粛々と執り行われた。喪主はゼニアが務めたが、式が速やかに成立するよう各方面へ渡りをつけたのはミキア姫だった。
俺は口笛でフォーレの『夢のあとに』を吹いた。ガルデ王は一足先に夢から醒めたのだと考えた。
そうして弔いも済むと、話題は空位をどう埋めるかということに移った。
しかし、これは以前より半ば決定されていたものを再確認する以上のことにはならなかった。日を待たずして、王位はゼニアが正式に継承した。
反対する者はなかった。時期が大幅に早まってしまったために多少の混乱は避けられないだろうが、元々、王女姉妹の間でも話はついていた。仮に臣下達がどれだけ煽ったとしても、内紛になどなりようがない。彼女達は初めから、国政に関しても役割分担はするつもりでいたし、態度としても示してきた。そうしなければ国そのものが生き残れないと理解していたからだろう。
そういうわけで、少なくとも表向きは、懸念されていた権力闘争は起こらずに過ぎ去っていった。
裏側のことは、今の俺には感知できそうになかった。探ろうとしても、多分ゼニアが隠し通すだろう。下手をすれば姉君の影響力にすらぶつかる可能性があった。俺としても、余計な手間をかけさせる気はなかった。
それにおそらく、彼女達のことだから、馬鹿な奴が変な企みを抱けないように先んじて手は打っていたものと思う。泣いた人間はいたかもしれないが、あまりひどいことにはならなかったろうと信じたい。
第一、まだ戦争に勝ったとは言えないこの状況――むしろ、より深い混迷が予想される今、余計なことを画策できる輩が存在するという考え自体に嫌気がさす。
俺はその心配を破棄した。
戴冠の儀も終え、国の隅々にまで女王陛下の誕生が認知されると、ようやく、ゼニアにも人並みに悲しむ時間が訪れた。俺とジュンは代わる代わるそれに付き合い、主人を慰めるのだった。
特に帰ってきてからの夜は、彼女は一人で寝るのを嫌がった。
俺は涙を拭う機能が付いた抱き枕のような役目を果たしていた。
「今日もずっと降っていたわ」
いつの間にか雨は雪へと変わり、厚く積もりつつあった。
「雨がずっとよりはいいさ」
「寒い……」
ただの口実だった。ベッドの中で、ゼニアはよりぴったりと俺にくっついた。
彼女の頬の湿った部分を撫でる。泣き疲れて眠気がやってくるまで、落ち着かせるのが俺の仕事だ。そうしなければ、ゼニアは一日も夜を越せない。
なし崩し的に同衾は許されていたが、正式な婚儀はまだだ。
親の葬式を出して、跡目を継いで……ほとんど一遍にそれらをやったのだから、ゼニアの精神への負担は相当なものだ。この上配偶者まで迎えると、短期間で処理できる感情の許容量を超えてしまうのではないか――というのが俺の考えだった。彼女の弱い部分も知った今は、尚更そう思えた。
単純に、式典が延々と続くような生活はおそるべき疲労を招くというのもある。
激しい戦いからまたしても生還したばかりだ。休まなければ潰れてしまう。シーズンオフらしく、間を空けながら暮らすべきだった。
「私が幼児退行したと思ってる?」
「いいや……」
気を遣ってそう言ったのではなかった。
「よく昼間隠し通していられるなと思っている」
むしろ、彼女達にはもっと悲しみに暮れる権利がある。
自分が同じ立場だったとしたら、切り替えていける自信がない。
「姉君様など、痛々しいほどに気丈だ」
「お姉様も寝床に入れば泣いているわよ、きっと」
「そうでなきゃやっていられないだろう」
「私と違って、昔から絶対に隠れて泣く人なのよ」
だが、やはりいつまでもゼニア達が悲しみに暮れるわけにはいかなかった。
過酷な運命。
国内のことが片付くと、焦点は対外問題に移った。
恒例の同盟冬会議が開かれ、まずは遠征の評価が下された。
結果だけ見れば、掲げられた目標は概ね達成している。道中の苦戦を思えば、あの距離に到達できただけでも上出来と言える。
一方で、そのために払われた犠牲、そして得た物の少なさは無視できなかった。
「果たして、今の同盟軍に継戦能力と呼べるものが残されているのか。これは議論の余地があると我が国は考えます」
ルーシア共和国の新たなる元首、ローム・ヒューイック大統領はこれ以上の攻勢には消極的な姿勢を示した。
「大規模な衝突は避け、また数年の時間をかけて戦力を充実させるべきでは?」
「セーラムとしては、それは悠長な構え方のように思えます。今回ほどの準備は不可能にしろ、攻め手そのものは残しておくべきです」
対して、ゼニアはあの時、途方に暮れる将兵に聞かせたのと同じ意気込みを語った。
「その焦りがボロフにおける重大な損耗を引き起こしたのでは?」
その指摘はかなり痛いところを突いていた。
敵指揮官にしてやられたことは紛れもない事実であり、ゼニア一人の責任ではもちろんないが、大きな失点とされていた。
「エルフに大打撃を与えたのなら、恐れていた反転攻勢を考慮しなくてもよくなった、と見ることもできます。防衛に回ることの利点というよりも、防衛に回ることの安全性に、今後しばらくは価値を見出せませんか?」
「無論それはその通りです。しかし、戦力の多くを失ったのはエルフも同じこと。未だかつて、三百年の戦いの歴史の中で、エルフをこれほどまでに追い詰めた時期はありませんでした。終着点が目前に迫っているのです。そしてそこへの到達は、早ければ早いほどいい。この機を逃すことの損失もまた、計り知れないものになりましょう」
「その終着点を追い求めるあまり、無理攻めにこだわって隙を見せるということにもなりかねないのでは? 最終的に到達する場所は変わらないのです。ここで一度、念入りに計画を見直すべきです。強力な基地となりうる拠点を得られなかったのなら、別の形で占領地に代わりの橋頭保を構築する必要があります」
こちらが不利だった。
明らかにローム・ヒューイックの意見の方が理性的に聞こえた。
こうなると、真っ二つに割れた意見のどちらをディーン皇国が支持するかにかかっている。
だがアキタカ皇帝は小さく首を振り、
「正直なところ、ディーンとしてもすぐに判断できかねる状況ですね……」
「何よりもまず、結論を急ぎすぎないことが肝要ですか?」
「難しい。報告では、敵の召喚魔法家を取り除くことに成功したとありましたが、一方で――人の心を操るという、エルフ側の客人がまだ生き残っている」
「再三の交戦にも関わらず、とどめをさすには至っていない」
「その男が追い詰められて何かしでかすかもしれないということは、危惧しています」
「具体的な予想はありますか?」
「これといって形になりそうなものは何も。ただ――話を聞くに、相当応用のきく魔法でしょうから、我々では考えつかないような方向性を獲得することもあるでしょう」
アキタカ皇帝には、シンという男の設定について、それとなく伝えてある。
考えていることは同じだろう。
奴から女を奪ったことで、却ってバランスを崩したかもしれない。
「ふむ……しかしそれは、検討しようとして扱える種類の問題ではないでしょう。他には、マーレタリア軍の司令官が健在なのも気になるところです」
「ある意味、そちらの方がより厄介な存在と言ってもいいのかもしれません。あのエルフは――自分を餌に包囲を構築した節があります。加えて、度重なる奴等の敗走が、こちらをおびき寄せるための作戦だった可能性が、振り返ってみると生まれます。おそろしい相手です。国力と、数に任せただけの将ではなかったということです」
「考えてみれば、今までそれを確かめるだけの機会すら、我々は得られていなかったのですね……」
「だからこそ、逆転の機会を虎視眈々と狙っているのにも気付けなかった」
「どう攻めるにせよ、慎重でありたいというのは、その通りです。願わくば、知恵比べそのものを避けたいところ……」
一応、頭の出来を評価されているゼニアに言わせるのだから、敵将はちょっとヤバい相手だ。
「であるなら、尚更、戦力を整えてから侵攻に臨むべきではないですか?」
やはり、理はローム・ヒューイックの方にある。
「ともかく、この冬だけでは、傷を癒すことさえ叶わぬかもしれません。次回の遠征までにどういった方針が固まるにせよ、開始時期を遅らせることだけは確約していただかなければ、ルーシアとしては見通しの立たぬ状況であることを理解されたい。せめて、来春すぐの出兵は取り下げていただきたい」
ゼニアとしても、あまりあからさまな対立は避ける所存だろう。
「わかりました。セーラムとしても、時期をずらした方がいいとは考えていたのです」
「その方がよいでしょう。ディーンもその考えを受け入れます」
そのようにして、最初の探り合いは終わった。
解散した後、アキタカ皇帝とは別の場所ですれ違った。
俺とゼニアは一緒で、皇帝の方も関白クドウ氏と共に歩いていた。
「やあ、これは。慌ただしくて言う機会がありませんでしたが、先王のこと、改めてお悔やみを申し上げます」
「お気遣い痛み入ります」
「その後、何か変わったことは……」
「いえ。人々の支えあって、軸足を見失わずに過ごしています」
「左様ですか、それならよかった。時に――先程はああ言いましたが、実は私としては、急ぎで遠征に出発することをそこまで危険とは思っていないのです」
「そう……なのですか?」
わずかに訝しんだゼニアに、アキタカ皇帝は続けた。
「私がおそれているのは、急ぐことではなく、何かそうせざるをえない要因が生まれて、急ぐしかなくなることですね」
「――例えば?」
「そう、例えば――わかりません。私は戦場に立たぬまま、見届けることになりそうです。おそらくそういったことは、長く戦ってきたお二人の方が、よく気付けるのではないかと思います。何と言いますか、私には、このまま終わるような気がしないのです」
「一悶着あるように、思われますか」
「あるいは。あくまで予感でしかありませんが……。それだけです。では」
関白クドウ氏の了解を得なくてもこれだけ言えるようになったことを頼もしく思うべきか、それとも不吉で無責任な予言に腹を立てるべきか、その時の俺は、そんな程度のことしか考えていなかった。
もっと考えるべきだった。




