13-2 総代表の座
「複製……。可能なのか? そんなことが」
マイエルはシンの発言には懐疑的だった。
それがどういう状態なのか、ぼんやりと想像してみたが、ろくでもないということだけはなんとなくわかった。生理的な嫌悪を催すも、具体的に何が気に入らないのか特定できない。苦し紛れにマイエルは否定の言葉を口にした。
「君は多分、自分で何を言っているのかよくわかっていないな」
これはこれで間違っていないはずだった。
ギルダを失ったシンが心の均衡を保っているようには見えなかった。聞き取れる言葉を喋っただけでもマイエルは驚いているくらいだった。今、こうして突拍子もない提案をぶつけられるまで、まともに会話できる状態ではなかったのだ。
時折、ぶつぶつと何かを喋っていたが、意味の通る言葉を吐いてはいなかったし、こちらが何か声をかけても満足な応答を得られていなかった。マイエルがこうして会議に出席することを伝えれば後をついてくる等、行動では多少返してくるものの、意思の疎通自体は困難だった。放っておけばいつまでも動こうとしないように思えた。食事は出せば受け取るが、出さなければ二日空けても催促しないような覇気のなさだ。
多分狂いかけていて、そうでなければとっくに破綻しているはずだ。
94番との戦いで心のどこかが破壊された可能性も十分にあり、マイエルはもうほとんどシンをあてになどしていなかった。ギルダのことが整理されていないから、まだ捨てていないだけだった。
「余計なことは、もういい。もういいんだ」
偽らざるマイエルの気持ちだった。
だがシンは首を横に振った。
「いいや、よく考えたよ。その上でやろうと思った。聞いてくれ、オレの心をたくさん増やすことができれば、つまり、オレの能力を持った魔法使いがたくさん用意できるってことだろ? 一対一じゃ無理でも、多数で戦えば、」
「それは……分身と何が違うんだ?」
「違う、違う。本当はわかってるだろ? 分身を用意するんじゃなくて、オレと全く同じ精神を持った魔法使いを新しく造り出すんだよ! 初期投資だけで、維持するのに魔力はいらない。いちいち制御しなくても独立して動いてくれる。やれることの幅だって違う!」
「分離、分裂ではなく……増殖ということか?」
「そう。コピー&ペースト……複製して貼り付ける。新しく! 俺だけで部隊を作れる。俺だけで魔法戦力を賄える! 魔法を使えない精神でも、それを上書きできるんです。召喚魔法に――もう、頼れない今、新しい戦略の軸を用意するならこれしかない」
マイエルは――考えたが、次々と湧いてくる疑問に押し潰されそうになる。
「わかった、仮に君の言う通り、大きな利点があるとして――なら、何故、もっと早く言わなかった」
「オレが想定している実現方法だと問題がある」
「……それはどんな?」
「まず、できるといっても、時間がかかる。自分自身のこととはいえ、人間一人の精神を丸々新たに造り出すんだから、莫大な情報量を扱うことになる。いくらオレでも一日二日で終わるような仕事じゃない――ただ、これは新しく生まれるオレの第一号も同じ作業を行えるから、効率は倍々で膨れ上がっていく。春には多分、それなりの数が揃えられるはずだ」
「まあ、どうせ冬の間は向こうも動けないだろうから、それはいいが……」
賢者達はしばらく、マイエルとシンのやりとりを静観していたが、荒唐無稽ながらもいくらか興味が出てきたのか、生産代表から質問があった。
「新たに増えた精神を定着させるための依代が必要だな。そうでなければ意味がない。手を増やすことが一番の目的なのだろう? 何を使う。ゴーレムか?」
「エルフを使います」
立てた片膝に腕を置き、シンはそう言った。
――事もなげに言ってのけた。
「どういうことだ、それは。よくわからない……ああ――まさか死体を使うのか?」
「いいえ。さすがにそれはできません」
「そうか、それは……そうだろうな。しかし、だとするとどうなる」
「一から創造することはできないんです。材料が必要だ。写本にも、書き込むための新しい紙は必要でしょう? それと同じで、複製したオレの精神の材料になる精神が必要なんです。だから処置を行う対象は生きていなければ意味がありません。もっと言えば意識も健康にはっきりとしていて欲しい。料理の食材が腐っていると困るのと一緒です。オレの言っていることがわかりますか?」
そう問われて、マイエル達は少しの間、必死に理解のための努力をした。
そうして大体の概念を掴んだような気がしたが、誰も口には出さなかった。
出せなかった。
そのため、シンが結んだ。
「元々ある精神を造り変えることで、オレと同一の人格になってもらう。これが問題なんです」
「ちょっと待て――」
比較的、受け入れようとしていた生産代表が顔色を変えて叫んだ。
「つまり、お前は、同胞をヒューマンにするつもりか!?」
「そうとも言えます。オレがヒューマンである以上は」
「――粘土細工のように造り変えるのか……?」
「そうすれば再び戦力を揃えられます。しかも、オレがオレとして増殖し続けるシステムですから、確立できれば、そのうち召喚装置の効率をも上回る」
見た目はエルフでも、心がシン。
それはどういう存在か?
「それは――それは複製とは言えないだろう!」
「まあそうかもしれない。でも結果的には同じことだ。ちょっと語弊があったかもしれないけど……複製には違いないでしょう? 出来上がるのはオレと同じ心を持った生き物であることには違いない。肉体は違っても、オレの複製です」
それを量産する。
材料が必要ということは、見合っただけの分量を、
「どこから……調達する」
気が付くと、マイエルはそう訊ねていた。
「え?」
「どこから、そのための頭数を、揃えるんだ。どこから、いや、どこに――」
その試みに応じられるエルフが、
「――どこに、いるっていうんだ?」
シンは言った。
「いるじゃないですか。そこらじゅうに」
空気は凍っていた。
そういう意味ではない――とマイエルは言いたかったが、言えないまま、圧倒されていた。
シンはマイエル達の恐怖を煽ろうとはしていなかった。脅すのでもなかった。
厭味ったらしく言うでもなく、声を張り上げて演説するでもなく――。
ただ、告げただけだった。
「今いるヒューマンの捕虜を片っ端から加工してもいいですが、そのうち足りなくなると思いますよ。だからゆくゆくはエルフにも協力してもらわなければならないんです」
協力……?
青ざめた中から、遅れて、ようやく、首を振りつつ外務代表が言った。
「何とか……対象を狭めることはできないものなのか……。例えば、戦い方を変えて、捕虜を取ることを意識して行動すれば、その、複製という処置を施す相手には困らなくなるのでは……?」
「敵を大量に生け捕るんならそれで間に合うかもしれませんけど、本気でやるつもりなら、数の上限なんか設定しちゃダメだ。もう本当に、加減していられるような段階は通り越しているんですよ。そうでなきゃ……道化師は倒せない。圧殺するくらいの気概で行かないと、到底足りるような相手じゃない。同盟軍の、他の戦力のこともある」
シンはまったく譲歩する気はないらしかった。
「それに、撤退できないとなれば死ぬまで戦う覚悟の兵だって、両軍大勢いるわけでしょう。獲得優先で動いたとしても、考えているよりは揃わないと思いますよ。第一、そんな戦い方を軍が認められるかどうか――どうです、ジェリー・ディーダ元帥!」
ディーダはこの耐え難い冷え込みに喘ぐことなく反応を示したが、それでもやはり、少々眉根を動かしていた。ただ、それが同胞を想う故のことか、俄かにあらぬ方向へ導かれた話の奇妙さに対する身構えの故か、マイエルにはわかりかねた。
「俺は……あまり現場に寄った考えのエルフではないが、それでも、現実的でないと言い切れる。誰もそんな方針は聞き入れないだろうし、俺としても将兵に伝えるわけにはいかない。ひとたび戦闘が始まれば、敵勢力を無力化する方法にはこだわっていられないものだ。そういった事情を無視することは誰にもできない」
「そ、そうですか……。しかし、だとしても、やはり同胞の精神をその、全く別のものに変質させてしまうというのは、前例がないながらも、認めるわけにはいかないと、外務代表としてではなく、マーレタリアに住むエルフの一員としては強く思うものですがね……」
「そりゃそうだ……」
嘆息して内務代表が追従した。
「誰がそんな計画を支持するっていうんだ。いかにも簡単そうに言いやがったが、馬鹿げてるどころか……冒涜だ。アーデベス卿の言う通り、何もわかっていないんだろう」
微々、認識に差はあれど、他の賢者達の表情を読むに、それが総意といって差し支えないのではないか。
とかく、許容できない。シンの言ったことは、呑めない。
それがはっきりすると、黙りこくっていた面々にもいくらか余裕が生まれた。
その中でも、気圧されるというよりは様子見に徹していたと思われる財務代表が、厳しく言い放つ。
「アーデベス卿、駄目だ、そのヒューマンは……おかしくなっているぞ。もう使い物にならない。処分した方がいい」
軽々しくそのようなことを言うな、とマイエルは本能的に思った。
決してシンの肩を持ったからではない。言われたシンが、何を考えるか――それを想像して危機感を抱いたのだった。
「ちょ、ちょっと待っていただきたい。確かにこの男は今、看過できないような発言をしたかもしれませんが、彼もまた、召喚代表を失って混乱しているのです! 言わば、ええと、そう――一生仕えられる主を失ったのと同じです! この先のことを見失うのも無理からぬことで、そうじゃないですか、」
「しかし、話にならんだろう、これでは……」
「ですから……決して本意では」
「マイエルさん、いいよ。庇ってくれなくて」
「君は――君は黙っていろォ!」
シンは肩をすくめた。不満を押し出さない代わりに、マイエルを尊重してもいない。そんな態度だった。
次に法務代表が口を開いた。
「法にも、種族を著しく脅かす存在に対し無為無策であることは罪とする条文がある。その男子をこころよく思うかどうかの問題ではないのだ。召喚代表を失い、制御のきかぬ異物を抱えていられるほど――マーレタリアは強くなくなってしまった」
「ですから――ええい、わからない方々だ! 目の前でこのような話をして、反感からこのシンが強硬手段に出ては危険だと言っているのです! そのようなこともわからないのですか!」
思い切って、マイエルは警鐘を鳴らしたが、誰も動揺などしなかった。
「わかっておる。なにも、危険だから即座に命を取ろうとまでは申しておらぬ。だが、野放しにもできぬ。話は既に終わっていたのだ、その男子が戦後処理の障害になるのでは困る。しばらくの間は拘禁、あるいは、模範的態度が維持できるのなら収容という形で措置を取ることになろう。時が移れば、また日の光を浴びることもできる……。我らが譲歩できるのは、ここまでであろうな。そして結局は、それが互いのためになろう」
「なるほど、」
シンは頷いた。
「抗戦の意志が無いのは、もうどうしようもない、と……」
「残念だが、やれるとしても、何か条件を引き出すためのごく小規模な交戦になるだろう。君が想定するような戦いを仕掛けることは不可能だろうな。どちらを倒す倒さないという問題ではなくなる」
ディーダが改めて、念を押した。
「わかりました――」
シンは立ち上がった。
「では、もうあなた達の指示は受けません。オレは勝手にやらせてもらいます」
「シン、話を聞いていなかったのか! そうさせられないんだ、理解しろ!」
「できないね」
「受け入れることができないんだ、例え、君がいじくった相手の精神を保存して、いつか元通りにするとしてもだ――結局は一度殺すようなものだ」
「生き返るだけ上等でしょう。ギルダにはそれすらしてやれなかったんだ」
もう手遅れであることはわかっていた。
「あなた達はわかってない。ギルダが死んだんだ」
だがマイエルには、この先に起こるであろう惨劇こそが受け入れられなかった。
数瞬でも先延ばしにしたかった。そうは――ならないようだが。
「オレはかなり絶望してる」
あまりに静かすぎるのでわからなかったのだが、それは敵意だった。
「あなた達の国だからって、あなた達に任せたのは失敗だった」
やはり――敵意なのだった。
「邪魔をするなら、もう誰であろうと容赦できない」
内務代表が鼻で笑う。
「……聞いたかアーデベス卿、所詮ヒューマンなど、このようなものよ。よかろう、法務代表の言い草じゃないが、こうした手合いを野放しにするわけにはいかないな。今、正式に要求を無効とする。わざわざ却下するだけ有難いと思え」
「違います。これは宣言で、拒否されたから引き下がるというようなものではありません。申し訳ないですが、オレの方法を押し付けさせてもらいます」
「――誰か衛兵を呼んでくれ。間に合わないかもしれないが」
「間に合うわけないでしょう。許可なしでは一人もここから出しませんよ」
目配せを受けて、生産代表が共に席から立った。
「誤算があるのだ、お前には。我々十三賢者を、力を捻じ伏せることができると思っている。聞いているぞ、心が読めても――対応できるかどうかは別問題だとな」
「後方で仕事をしているからといって、戦闘の心得がないとでも思っていたのか?」
財務代表も、法務代表も次々に席から離れる。
シンが魔力を練り始めた。
「安心してください、殺しはしない。言いなりにはなってもらいますが」
「ほざけッ」
目で追うことができなかった。
すぐ近くで起こる閃光と破壊に怯えているうちに、決着はついた。後には焼け焦げと地形変化が残り――しかし、それだけで済んでしまったとも言えた。
最後まで座ったままだったのは、マイエルとディーダ元帥、そしてバーフェイズ学長だけであった。敵対の意思を見せなかった三名だということは明らかだった。いや、それが既にマイエルの願望を反映したものに過ぎないのかもしれない。
最初から、シンはこの三名を残すつもりだったのか……攻防を読み取れなかったマイエルには、温厚に見えた教育代表や環境代表までが抵抗したのか判然としなかった。
マイエル達以外は――一目見てそうとわかるほど、自由意志が奪い去られていた。
賢者と呼ばれたエルフの集団が、今はまるで白痴そのものだった。
誰も同じ方向を見ていない。誰もが虚空の一点を見つめている。
「それは、ただ者じゃないとは思っていたけど――あの人に比べたらな」
シンは些かも疲労していない様子で、空いていた切り株に座った。
それは誰の椅子でもなかった。誰も座ろうとはしていない椅子だった。
彼は言った。
「今日からオレが、マーレタリアの総代表をやります」




