13-1 マーレタリア十三賢者最後の会議
マイエルは答えを見つけられないまま、都へと戻った。
敗残の軍はボロフ近郊に置き去りにしたままの帰還だった。彼らは廃墟を隔ててヒューマンと睨み合う、不安な冬を過ごす――が、最早、エルフが不安を拭い去ることのできる瞬間は、どこにいようとも訪れないのではあるまいか。
これまでは戦をどこか遠い場所の出来事であると受け止めていた都のエルフも、一大流通拠点を失ったことによる生活水準への影響を思い知り、さすがに事態の深刻さを認識せざるをえなくなった。
新しい服、日々の仕事に使う備品、地方の特産物、その他……先週まではまだ当たり前に買えていたあれやこれやが街から消えた。
いよいよ暮らしていけなくなるという危機感は容易に暴動へ発展し、短期間で国内全土に飛び火した――いや、火種は元から各地にあったのか? それがようやく一つの炎としてまとまったのか。遅すぎるくらい? そう言うエルフもいる。
マイエルには実際のところはわからない。
ただ、森に対するヒューマンの狼藉は既に知れ渡っており、どこかで盛り返すはずだ、と戦況の上向きを信じていた同胞の忍耐が遅かれ早かれ限界点に達することはわかっていた。
次は自分の番、と恐れていられるうちはまだいい。本当に自分の番が回って来ることを許容できるわけがないのだ。
怒りの矛先は、もうどうあってもヒューマンの脅威に対処できない現行の首脳部に向けられる。十三賢者の権威に対する疑念。前例はあっただろうが、ここまで顕在化したのはおそらく初めてのことだと、内務代表は会議の場で説明した。
「憤怒に狂う民の要求は、こうだ。――妥協の道はないのか? この点に尽きる。せめて遺体だけでも家に帰して欲しいとか、都市間の接続を回復しろとか、彼らの望みは色々あるが、全てひっくるめて結論を出すと、長く続いたヒューマンとの戦いに終止符を打てないか、ということになる」
外務代表が力なく首を振る。
「馬鹿な。今戦いをやめたらどうなるか、わからないわけではないでしょう!」
「わからないのだろう。賢者でない者には」
法務代表の媼が諦めの溜め息を吐く。それに衛務代表が動揺して、
「しかしだ、そうなると、ヒューマンごときに――支配されろと?」
逆転した力関係。仮に講和が成立したとしても、エルフに不利な条件が付くのは避けられない。
「それで済めばいいがな。捕らえられた同胞の末路を思えば、望みは潰えたようなものだ。奴等、我々を生かす気など更々ないではないか。この地上から消し去られるのがオチだぞ」
生産代表が整った顔に皮肉げな笑みを浮かべた。そこにも諦念の色があった。
躊躇いがちに、教育代表が反論を試みる。
「それでも、生き残る道を模索するなら……ということなのではないでしょうか。今は無理でも、年月をかけて、ヒューマンの意識を変えていく――そういう戦い方もあるのでは? 召喚代表も、それを望まれていました」
不意にギルダについて言及され、マイエルのそばでうずくまっていたシンが顔を上げた。帰還してすぐに、マイエルは賢者の森で召喚代表の死を伝えた。本当はそれすらも投げ出したかったが、彼女の任を一部代行していた者として、最低限、しなければならないことだった。
今のこの会議は、それから何度目かの集まりだった。マイエルは正確に回数を数えていなかった。興味が持てなかった。一応出ていてほしいという要請があり、それに従っているだけで、求められた時以外は一切発言しなかった。何を発言したのかも、あまり憶えていなかった。
「ああ、融和か。そんなことも言っていたような気がするな。だがその考えが彼女を殺したとは言えないか?」
「それは……」
「え? どうなんだ、召喚代表補佐。君から見て、ギルダ・スパークルはエルフとヒューマンの共存の可能性を示したかね?」
苦痛だった。
「――私には……わかりません。私自身は反対を唱える立場でしたが、彼女はどこか、確信めいたものを持っていました。彼女の行く末のことを思うと……あるいは……わかりません」
「教授は、どうですかな。魔導代表は……?」
生産代表はバーフェイズ学長の方を見たが、老翁はじっと虚空の一点を見つめ、反応がない。
マイエルほどではないが、レギウスの拒絶を知った学長の落胆ぶりは激しかった。ギルダの死と合わせ、老境に差し掛かってこの凶報の重なりは相当に堪えたようだ。彼の思う可能性の芽が、悉く潰れたも同然の惨状……積極的な協力者ではなかったが、それでも残念に思う気持ちが強いのだろう。
「とにかく――降伏して何かいいことがあるとは思えん」
「降伏ではない、講和だ」
「講和でもだ」
「いいことならある、生産代表。あなたの成果が軍隊に浪費されずに済む」
「穀潰しがヒューマンに変わるだけだろうが! 御免だそんなのは。軍に食われるより耐えられん」
「――だが、現実問題として、これ以上の継戦は果たして可能なのか?」
と、言い争いに財務代表が一石を投じた。
「限界だ。経済活動は止まるぞ。戦いどころではなくなる」
「そこを何とか、ならないのですか? 事を構えるかどうかは別としても、戦力を揃えなければ……交渉自体が成立しなくなる。足元を見られます」
外務代表の指摘に、衛務代表も頷く。
「外だけの問題ではない。治安維持の面から見ても、弱体化は危険だ。言い方は悪くなるが、不満を押さえつけられなくなる。春までに何とかできなければ……」
内務代表も追従する。
「冬を越せなきゃ、どのみち同胞は実力行使に出るだろうよ。統治能力が無いと思われて内乱だよ。そんな綺麗ごとで戦えればまだいいが、せめて腹だけでも満たせないと、もう略奪に次ぐ略奪だ。どうなってしまうかわからん。カネを動かすのが難しいのはもう仕方ないとしてだ、何とか……モノの流れだけでも強制的に管理できないのか?」
流通代表の回答はこうだった。
「ふざけないでよ。こんな状況下で何を管理しろってのよ。モノはない、経路もないんじゃ、仕事もねえのよ。ボロフはもうない。再建できない。あたし達、もう心臓潰されてんの。わかる? 血が止まったら生き物はどうなる?」
彼女は立ち上がった。
「あたし、今日は……お別れを言いに来たのよ。賢者辞めて、それでどうしようかなんて、決めてないけど……もうここに居場所がないから。あたしにしかできないことはなくなった。残ったのは面倒な尻拭いと後始末だけ。やってられない。誰か、代わりを立てればやってくれるでしょ。そういうわけだから」
「……いや、ちょっと……待ってくださいよ……」
だが引き止める声も聞かず、流通代表は広場から出て行ってしまった。
外務代表は途方に暮れ、背中を丸めている。
「――総代表がいてくれれば、違ったのでしょうか」
環境代表がぽつりと、そんなことを言った。
最も無力感を覚えているのは彼女ではないだろうか。エルフの愛する森を焼かれて、何も手を打てない。環境を整えるには、まずその場所を手に入れなければならない、守らなければならない。現在のマーレタリアは、そのどちらもできていない。
「総代表が、出てきてくれていれば……」
誰ともなしに、その空席へ目を向ける。
その日も十三賢者は揃わなかった。
総代表だけが欠けていた。
「いない者のことを、どうこう論じても仕方があるまい」
急に、バーフェイズ学長がそう言った。
「存在しない者のことを」
これはマイエルも賢者の森へ出入りするようになってから知ったことだった。十三賢者の長たる総代表は存在しない。
総代表は会議の中で賢者達の意見をまとめ、最終的な意思決定を下すための役職として認知されているが、それが機能したことは、知られている限りでは、無い。
事実上、そういう習わしなのである。
従って総代表の席は空席なのではなく――見たままの切り株なのである。
マーレタリアの政治は、残された各賢者の、ある意味では勝手な行為、独断の集合体ということになる。
何故そういう形態になったのか、理由は定かではないが、想像することはできる――おそらく、その方がいい結果を生んできたせいだ。最高指導者を置くよりも、それぞれの分野の専門家がばらばらに動いて決定を下した方が、結果的に国が上手く回った。
賢者達はどこかの時点でそれに気付いたのだろう。
他方で、いい加減にも思えるこの統治形態を忌避されないための方便を必要とした。それで、便宜上、十三名の中に総代表を据えた。傀儡ですらない、幻想として。
ほとんどの同胞は、総代表がいないということを知らない。偉い長老が賢者を束ねているのだと思っている。だが、エルフ民族の行く末を握っているのは、自分勝手な十一名前後の意思。それがずっと国を支えてきた。危うくも。
世のエルフはどう思うだろう、とマイエルは考えたことがある。
そんなことだからヒューマン相手に負けるのだ、と嘆くだろうか。
しかし、94番が出てくる前なら、簡単に受け入れられたのではないだろうか。
「総代表がいれば、何かを間違えなかったかもしれぬ。ただ――その座に就かせられるだけのエルフが現れなかったこともまた事実ではないだろうかな」
「そういった意味でも、存在しない、か――」
軍務代表、ジェリー・ディーダ元帥が言った。
「元帥から見ても、次の春の侵攻を食い止めることは不可能ですか?」
「無論だ。件の道化は、もうそこの少年に後れを取ることはないだろう。最大の問題が、解決しないまま終わる。召喚代表もこの世を離れ、ヒューマン側の客人に対抗できるだけの魔法戦力を整える術が失われている。正直、俺もそろそろ、賢者という肩書きは辞そうかと考えていたところだ」
「そんな……」
「確かにまだ、いくらかは戦力を残している。だがヒューマンの軍団が用意し続けるそれと比べれば微々たるものだな。これからの戦いは――それが起こるとすればだが――通常戦力の出番が極端に減るだろう。お互いに数が減りすぎた。補充にも限界がある。いくらヒューマンの増え方でも、数年単位では赤子が武器を握るまではいかない。より魔法戦力の価値が際立ち、そして俺達は、その数でも質でも負けるようになる。未来はない。手が無い」
敗北宣言だった。
今度は、誰もディーダを更迭して代わりを立てるとは言わなかった。それをしても、無意味だということがわかっているからだ。根本原因があり、それを取り除くことができない。だから戦争に負ける。当たり前の話だった。
「そういうわけで戦争は終わった。俺の役目もじき終わるだろう。確かに、戦後の身の振り方を考えるのが建設的だろうな。ヒューマンがどう思っているかは知らないが」
「まだ負けてない」
うずくまっていたシンが言った。
「まだ負けてない!」
戻ってきてからの会議では初の発言だったが、駄々をこねる子供のような響きがそこにはあった。
当然、賢者達のほとんどは呆れかえっていた。ディーダとバーフェイズ学長だけが、無表情にシンを見つめた。
マイエルは諭すように言った。
「シン、よすんだ」
「……全く手が無いわけじゃない」
「よすんだ」
「ありますよ、一応……魔法を使って戦える人を用意できればいいんでしょう、要は」
「しかし、君はギルダの召喚魔法を覚えなかったし……彼女の精神を保存することにも失敗したと、そう言っていたじゃないか。どこから魔法使いを引っ張ってくる?」
会話を遮ろうとする者はいなかった。
不毛なやりとりを許容するだけの空気があった。
「ずっと考えてた。本当に終わりなのかって。オレの魔法はあの人には通用しなくなったけど、別のアプローチで、まだ対抗することはできるんじゃないかって。それで、閃いた。賛同を得られるかはわからないけど、それは重要じゃない。聞いてください」
シンは言った。
「オレの精神を複製します」




