12-14 擲弾
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眼下ではいつの間にか戦況が一変していた。
ヒューマン同盟軍は不利になるどころか、崩壊と言っていいほどの大打撃を受けている。エルフ共の数が倍に膨れ上がっているせいだ。
これは一体どういうことか。どこから現れたのか――。
逆に囲まれているなら、つまり、外から?
いや、それにしたって手際が良すぎる。
俺が遂行した別任務はごく軽いものだった。何か想定外の事態が起きたとしても、こうなる前に駆けつけられるはずだったんじゃないのか……? 何故こうも簡単に?
敵は最初からこうなるよう動いていた……? 同盟軍は誘い込まれていたのか?
さらに挟み撃ち、という惨状だ、そうでもなければ……。
しかし、だとしたら、俺の手に下げられている、この布の包みは何なんだ?
隣界隊を目で探す。
ジュン達は敵の部隊を制圧できたのか? それが済んだらゼニアと合流する手筈だが、本隊がこの有様では――そうだ、ゼニアならいち早くこの状況に対応していてもおかしくない。これほどの窮地なら、まず心配されるのは司令塔の安全。元から主力とは切り離された隊が応援に向かうのは必然と言える。感情的にも余計――何しろガルデ王は、あの人の父親だから――これ以上家族は失えまい。
こうなってしまった以上、俺の方もまずはそちらに注力すべきだろう。
ジュン達には悪いが、あれからどうなったにせよ、自力で切り抜けてもらうしかない。内側からとはいえ、陣形を整えた敵が突破させてくれるかはかなり難しいところだが――今は耐える時だ。そうなってしまった。
既に何もかも手遅れなのではないか、という焦りに一時身を焦がされたが、すぐに隊ではなく、ゼニア本人を見つける。
そこでの戦闘は手出し無用とばかりに密度が薄くなっていて、そのくせ滅茶苦茶な量の魔力が渦巻いていた。ほとんどがゼニアのもので――波のように広がっていた。街を呑み込もうとしていた。無闇で、残りなど気にせず放出しているような、荒々しく拡大された魔法の行使だった。
何があって、どこからそれだけの力を取り出しているのか――困惑したが、少し引いて状況を捉えてみると、疑問はたちどころに氷解した。
ガルデ王は倒れていた。
そしてゼニアが狙っているのは、ナルミ・シン。奴が魔力の奔流から逃げている。
会えないと思ったら、こんなところで油を売っていたのか――お互い様か。
「そうか……なんとなくわかったぞ……」
ともかくこれで理解できた。俺も奴も、間抜けな立ち回りをしたってことだ。
大間抜けだ。
余計なことをしようとして……失っていく。
一帯を覆っていた輝きが溶けるように消えていく。ゼニアは魔力切れを起こしたようだ。あんな勢いで使い続けたらそうなるに決まっている。頭に血が……のぼってしまったのだろう。奴を魔力で捕まえて、どうする気だったのか不明だが、そうしなければいけないという衝動に支配されたんだ。それだけの出来事があった。
外傷は見当たらないが、おそらく王はもう……。
口笛を吹く。『ブリティッシュ・グレナディアーズ』は読んで字の如く、イギリスのグレネード投擲兵が行進する際に使用された曲である。このメロディーに限らないが、どうも昔の軍隊で生み出された曲というのは緊迫感や高揚感に欠けるような気がする。
あらゆる兵の注意が空に向けられる。この俺に。
遅すぎる登場だ。
今から敵軍を蹂躙するとしても、味方の戦力半減以下では、どこまで上手くいくかわからない。おまけに入り乱れているから、竜巻を当てようと思っても、前の時ほど避難がスムーズにこなせるか……。
それに、その状態へ持って行く前に、邪魔者を倒さなければならない。
「今までどこにいたんだ……!」
難を逃れたシンが、同じ高度まで上がってくる。
「こっちの台詞だ、ボーイ。またぞろ俺が恐くて姿をくらましたのかと思ったぜ」
「囮まで使って……!」
非難の眼差しでシンは言う。
「下を見てみろ、一方的な展開になったぞ! あんたが自分をもったいぶったせいさ。そんな中で強がっても滑稽なだけだ!」
それはその通りだ。
下手を打ったで済まされる話ではない。こちらはキングを取られた。
「俺は道化師だよ、この稼業は滑稽でナンボ……と言いたいところだが、さすがにこれは……な。過ちを認める。だが、自分をもったいぶったのはお互い様だろ。開幕の時点で、俺達はタイマンしておくべきだった。それとも……やはりまだ俺と戦う気にはならないか?」
「……――いいや、そんなことはない。ここでお前と戦う!」
「ほう、殊勝な心がけだ。何度もへこまされたくせに、折れちゃいないんだな。しっかり充電してきたか……まあ、そうでなきゃ、こちらとしても命取る機会がもらえないんで困るがな!」
「今日こそ決着をつけてやる……! そのためにシミュレーションしてきたんだ! このビジョンなら負けはない!」
「自信満々だねえ……ほんじゃ始めるか……。ああそうだ、これ、やるよ」
いい加減邪魔くさいので、俺は持ってきた包みをシンに向かって風付きで投げつけた。スピードは乗ったけど大した威力じゃない。ちょっと腕を振れば弾き落とせる。
奴はそうしなかったが、避けはした。
「――あれ、よかったのか?」
「何が!」
怪訝な顔をするシンに、わかりやすく教えてやる。指差して、
「何だとおもーう……?」
奴が全て察したかまではわからない。
だが、ここまですればどんな馬鹿だって気付く。
シンは急下降、地面すれすれでそれをキャッチし、転がるように着陸した。
奴は重みを感じているだろう。俺もその重量に少し驚いたほどだった。
地上へ向かって声をかける。
「ヘイ! 妙だよな、俺の心を読めるはずなのに、惑わされたような顔してさ!」
実際妙だ。
包みの中身が予めわかっていれば、敢えて拾い直しにいくこともない。
俺に言われて、確かめる気になったから、そうしたのだ。
「警戒……してるんだ。あんたの心を読むのにはリスクがある……」
「ふうん。前にも変なこと言ってたよな。長所を捨てるのは結構だが……理解できないことをされると、こちらとしても不安になるよ」
「答えろ。――これは、何を包んでる――?」
「好きにしろよ。俺の記憶を読むのが恐いなら、自分の目で見て確認すればいい」
遠くからでもわかる。奴の目の色は怯えに染まっている。
俺が何をしてきたのか、想像したはずだ。
それに、投げつけたのは、そこらへんに落ちていた布でくるんだだけの代物だ。
外側から握っただけの感触でも、かなり見当はつけられる。
「本当はわかってるんじゃないのか? ――おかしいだろ、だって。お前が俺と戦わずに、王を倒す余裕を持ってたわけでさ。俺にも何かをするだけの時間はあったんだよ。お互いに道草食ったらどうなるか、もっと考えるべきだった」
「まさか――まさか……?」
「見てみな」
シンが赤い染みのある包みを、そっと開けた。
人のものではない声を発した。
喉から絞り出されるような途切れ途切れのそれは、徐々に音量を上げていって、最後には一本の線として繋がった。
絶叫は、怒号と悲鳴を取り戻しつつあった戦場の中に、鋭く通った。
その姿を眺めていても、してやったりといった気分にはならなかった。俺があんなもの一つのためにうろついていた分、悪い方向へ物事が進み過ぎていた。
シンは放っておけばいつまでも現実を嘆いていそうで、こちらに攻めてくる気もまだないようだったので、この隙に俺もゼニアのもとへと舞い降りた。
彼女はガルデ王に寄り添っていて、ただ寄り添うしかないといった感じで……どうしていいかわかっていないように見えた。
「ゼニア、陛下は――」
彼女は黙って首を振った。
「そんな、でも、」
「肉体だけ。戻せたのは……。もう、行って、しまわれたわ」
「――俺がもっと早く戻っていれば……」
「……そういうことではないの。もっと前の段階から間違っていたのよ。どうしてこんなことに。どうしたら――どうしたらよかったの? どうしたら、よかったのかしら」
涙の痕が痛々しく、見ていられない。
しかも、問いに対する答えを、俺は持ち合わせていなかった。
ゼニアの両肩をそっと掴んでみる。力が入っていない――あまりのことに虚脱してしまったようでもある。
「ゼニア、よく聞いてくれ」
本当は、焚きつけるようなことは言いたくない。
もうゼニアにはどこかで休んでいて欲しい。耐えろと言って耐えられる精神状態だとはとても思えない。
しかし、この、目も当てられないような状況を打破するためには、誰かがやらなくてはいけないことがある。
「陛下が……、陛下が、――陛下がお隠れに、なったのなら、あなたがその責務を継ぐのです」
「私が……」
「そうです。あなたが残った兵を再びまとめ上げ、この包囲を突破するのです。できないかもしれないけどやるしかない。俺も活路を開くから」
直系の息女だ、戦場での実績もある。誰も文句は言うまい。
むしろ、求められている。
頭が潰された、なら、代わりがなければどうにもならないのは誰にだってわかる。
「細かいことは考えるな。とにかくこの場だけでも! 一時的にでいい! あんたにはそうできる権利があるしそうすべきだ! じゃなきゃマジで全員やられる!」
正直言って、こんな説得で動いてくれる自信はなかった。
傷ついた彼女にかけてやるべき言葉は慰めであって、生き残るための方針などではないはずなのだ。特に、ゼニアの頭なら、わざわざ俺に言われなくたってとうに承知しているような内容だ。それでも動けないほどの衝撃に囚われているのだから、活を入れてどうこうという問題ではない。
「負けが形になるぞ」
俺にも精神魔法が使えたらと思う。
「ジュンも、隊のみんなも、デニーだってフォッカーさんだって、誰も彼も死ぬぞ!」
ゼニアの、あの精一杯の強さが、まだ残っていることを祈るしかなかった。
「わかるよな。頼む、行けると言ってくれ」
瞳を見つめるが、やはりどこか虚ろなままだ。
周囲では戦いが勢いを取り戻していた。
ゼニアとシン、双方の絶望が、それに埋もれていくように思えた。
駄目かと思ったその時、出し抜けに、ゼニアの目に光が戻る。
どういうきっかけなのか――ふらつきながらも、彼女は立ち上がった。
「ゼニア……」
「よく考えたら、あなたジュンを置いてきたのね」
「あ、ああ……そういうことになる、な」
「まったく。ゆっくり悲劇にも浸れやしない」
ゼニアは街の外ではなく、内を――見据えていた。
「まずは皆を迎えに行くわ。あなたは彼と決着を」
「そうするが……。そっちは少しでも味方を見つけてからの方が……」
「大丈夫、来た……」
その言葉の通りに、ゼニアが率いていた隣界隊の生き残りが、敵を突破して現れた。
ここに辿り着くまでに置いていかれたのが、今になって追いついたのか。
「どうやら、ご無事なようで!」
先頭のワタナベ・ソウイチ氏が進み出る。
「落馬された時は驚きましたが」
「――そうよ、マウジーは……!」
「ご安心ください、治療は他の人が済ませてくれました。戦闘も続行できます。後ろに連れてきていますので、乗るのならお早く」
「わかりました、ありがとう」
「礼は治癒魔法使いに」
「すぐに行くわ。戦いはまだ終わっていないけれど、こちらが敗北したも同然。我々は……再起のために動きます。まずジュン達と合流して、その後に反転、分断された各隊を集め、この包囲からの突破を図ります」
「――まさかガルデ王陛下は……」
「お隠れになりました。それで、誰かにお体を保護してもらわなければなりません」
「わかり……ました。人員を見繕います。その上で行動を共にするのは難しいですが」
「フブキが戻りました。要所で導いてもらうしかないでしょう。――いいわね?」
もう声の調子も元に戻っている。
頼もしいが、ここまでの回復を見せられると、却って妙な気もしてしまう。
だが今は、これでいいのだと思うしかない。
「ああ。奴と戦いながらになると思うが、やってみるよ」
ゼニアは俺の頬に手を添える。
再び力に満ち溢れた眼差しでこちらを見ているのだが、それでいて、俺自身ではない何か別のものを透かして捉えているような感覚がある。これは何故かはっきりと、気のせいではないということがわかる。むしろ――ゼニアは明言こそしないが、俺にそれを気付かせようとしている節さえある。
不可解なのは、それが俺を不安にさせないということだ。
こんな奇妙な感覚は初めてだった。
手が離れる。
「もう行くわ」
ゼニアは振り返らずに、隊へ戻っていった。
――まあ、いい。
「さあ……」
シンの方へ向き直る。
「こちらは、立ち直れるかな」




