12-12 生かしておけない
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「先に言っとくが、逃げようったって無駄だからな」
ボロフという都市の住民は全て出払った後だ。万の大軍がぶつかり合っているとはいえ、残された建物の多くは使われずに放置されている。静かな場所を選ぶのは、慎重になればそれほど難しくはなかった。
およそ百メートル付近で殺し合いをやっている気配が、魔法など使わなくても遠く聞こえてくるが、それはそれとして、嘘のように無人無エルフで、世界から取り残されたような空間が存在する。
ここは多分、精肉店の作業場だ。
食卓には使えそうもない巨大なテーブルを中心に、加工前の塊を吊るしたり固定したりするための設備が備え付けられている。そういう所だから、持ち出されなかったブツが腐敗して……いたりはしない。もし残されていたとしても、軍需食料として欠片も残さず徴発されたと見える。後には染みついた生の臭いだけがある。
俺はエルフ女を作業台の上に放り出し、自分は背もたれのない円い椅子に腰かけた。
女はただ黙ってこちらを睨む。
「考えていることを当ててやろうか。――私を殺さないのは何故?」
部屋にあるのは採光窓だけで、それもかなり小さい。
あまりいい職場ではないだろうと思う。
「ん、違ったかもな。まあいい。説明すると、お前がまだ死んでいないのは、まだ殺していないからというだけだ。いずれその時が来るだろう。どうしても生かしておく理由がないんだ。だが消えてもらう前に、少し気になった点を整理しておこうと思ってな」
「そんなことのために、わたしが何か喋ると思うの」
「喋るさ。何といっても生き残る確率を上げるためには、時間を稼ぐ以外方法はないだろうからな。その機会をこちらから与えることに感謝してほしいくらいだ」
もちろん、提供できるのは可能性までであって、実現そのものじゃない。
敵の魔法戦力発掘手段を取り逃すくらいなら、俺個人の興味など早々に切り上げて処断するのが吉だ。これ以上のエネミーヒューマンを増やさないための奇襲が第一義であって、これから始まる問答は、ほとんど遊びに近いから惜しくもない。
「ではまず根本的なところからいくか。そっちでも召喚したヒューマンを戦いに参加させてるわけだが、いくら戦力の層が薄いからって、恥ずかしくないのか? 反対意見も数多く出たんだろうし、よくやるよな。ヒューマンじゃなくてエルフが召喚できないか、努力してみたのかよ? エルフが駄目ならドワーフでもゴブリンでもオークでも」
女はただ首を振った。
「まあ、それはなんとなくわかってたよ。召喚魔法全体が隣の世界にしか繋がってないなら、逆立ちしたってヒューマンしか現れないってことは。しかしねえ……。実際どうなのよ。そりゃあ、シンの魔法があるから言うことは聞かせ放題だろうが、あんた、エルフとして、ヒューマンを率いる現状に何か思うところあったりしないの?」
また首を横に振られたが、そこには否定ではなく拒否の意味が含まれていた。
「言えよ。何もないってこたないだろ。それなりに時間も経ってる。あるだろ、色々、思うところってやつが。そういう部分に少し興味があるんだ」
俺は静かに――腕を水平になるまで持ち上げようとする。
ギルダという女は口を開いた。
「正直、最初の最初は……わたしも、ヒューマンの力を借りるなんてと思ってた」
「やっぱりそうだろ?」
「でも今は違う! 少しもそんなことは思わない。それどころか、ずっと……目を曇らされていたことに気付かないで、一生を終えるところだった。エルフだから、ヒューマンだから――それだけで何もかも決めつけてしまう、狂った世の中の感覚に騙され続けていたかもしれなかった。ある意味、あなたがわたしとシンを引き合わせたから……だから、少しは感謝しているのかもね」
そう言っておけば俺が腹を立てると思っての発言だろう。
「そりゃどうも。全然そんな気はなかったんだがな……。するとアレか、やはり多少は、種族の垣根が無くなってるのかね」
「まだ、一番身近なマイエルさんすら納得させられてないけど――でも、少なくとも、わたしとシンは、魔法の影響を受けないまま、わかり合えてる」
多くを語られなくても、それがどういう意味かはわかった。
表層的なものもそうだし、そこからの嬉し恥ずかし――ことによると、いやらしい部分も含むだろう。以前なら無理だが、今なら手に取るように把握できる。
「それも、なんとなく勘付いてはいたんだ」
改めて口に出されてみると、この病巣の危険さは生々しく感じた。
「あんたは、ただ自分が物好きなだけかと思うか? それとも、そういうことは普遍的に起こりうると思うか?」
「わからない。それを考えられる段階に達していないから」
「そうか……」
「でも、いつかはわかるときが来る」
この女は多分、理解していないと思う。
それこそが俺の恐れているものだということを。
「戦争が終わって平和になれば、目を向けるようになる。いや、向けさせる」
だからこそ、こんなに無警戒に危険な可能性を喋りやがる。
「馬鹿な。それこそ戦争が終われば、あいつらお払い箱だろ? お前等の社会がどんな出自であれヒューマンをマシな形で許容するようになるとは思えないね」
「そんなことはさせない」
「させないったってお前……きっと殺し合いより厄介な戦いになるぞ」
「望むところ。それでエルフとヒューマンが手を取り合えるようになるのなら」
思い過ごしであってほしかったが、エルフ陣営におけるヒューマンの戦力という例外は、最悪の形で影響を及ぼし、結実したようだ。
こいつらは融和の可能性を模索している。
それをシン一人が言っているのならいいが、エルフの方にまで言い出す奴がいるとなると、これはもう看過できそうにない。
「その道は選ぶべきじゃないと思うね。果てがない、苦難の道だ」
「ええ、すぐには無理でしょうね。でも、何世代か先に、この意識が広く芽吹いていないとは誰にも言い切れない。わたし達はそのために、できることをしたい。それはまず第一に戦争を終えること。そして第二に、勝利を得てもヒューマンを滅ぼさないこと。そして第三に、種族間で対話をさせること」
「邪魔が入るに決まってる。俺達のことじゃねえぞ――お前の言っていることを、他のエルフが受け入れることはない。受け入れようとはしないだろう。仮にいたとしても、それは絶望的なまでに少ないはずだ。そして少ないと、説得力にも繋がらない」
「多くなるまで続ける」
「わかってない。……具体的な歳に興味はないが、あんたエルフとしてはかなり若いだろう。どんな生き物だって年寄りは当たり前に老獪だ。気に入らんと見るや必ず潰しにかかる。そういう連中を相手にしなきゃならないのが想像できてないだろう」
「どうして――あなたは、忠告するようなことを言うの?」
これで希望の光を見出しているとかだったら、話のまとまりようもあったかもしれないが、現実には真逆だ。
エルフとヒューマンが和解する可能性など、俺には悪夢でしかない。
奴等を根絶やしにする邪魔にしかならない。
広めてもらっては困る。
「――前に会った時、俺のことをこう言っていたよな。そんなやり方でしか関わろうとしない輩、だったかな。じゃあ、どういうやり方でお前等エルフに接したらよかったんだろうと……少し考えてもみたが、どうしても接し方の問題じゃなくて、ファーストコンタクトが悪かったという結論にしかならんのよ。俺が最初に出会ったのはレギウスとマイエルで、シンが最初に出会ったのはマイエルとあんた。そしてそのせいで永遠に接し方が決まってしまったんだな。そんな単純な話なのに、どこか複雑にかき回されているような気がしてそこが――引っかかった」
どこか遠くで、構造物の崩れた音がしている。
「はっきり言ってな、俺はお前等エルフのことが嫌いだ。男も女も、老いも若きも関係ねえ。わかってると思うが」
「……そうなのでしょうね」
「そしてそれを理由に戦ってきた。何だろうな、そのために戦ってきたんだよ。ほとんどのエルフだってそうだろう。生存圏を広げるためもあったろうが、逆にここまで追い詰められても、ヒューマン憎しで抵抗してる。そういうのでいいんだ。それに比べるとあんたらが持ち込もうとしている理由は、嘘っぱちとは言わないが、いかにもお題目って感じがしてよくない。具体的すぎる。わかるか、具体的すぎる理由っていうのは、どちらかが滅びるような戦いの前では、ふさわしくないんだよ」
「何を言っているの、ふさわしいとか、ふさわしくないとか――そんなこと、」
「俺はな、俺はただ――そんな陳腐な思想を敵に回したくないだけだ。もっと身も蓋もない、エゴ剥き出しの理由じゃなきゃ、闘争の相手たりえない」
よくよく考えてみると、実際馬鹿馬鹿しい話だ。
俺とゼニアは復讐のために戦っていて、平和になった後のことなんか見据える余裕がない。しかし、相手の方はボロ負けを続けているくせに、戦後どういう思想を広めるかの算段までしている。
どうも吊り合わん。
「で、いいことを思いついたんだが……シンは最近ずっと腑抜けた感じだったからな、ここらで、こっちの方から気合いを入れてやるのも一興じゃないか?」
「必要ない! あなたに言われなくたって、シンはもう立ち直っているから!」
「本当に? なーんかあやしいな。それはお前が勝手に思ってるだけじゃないのか?」
「違う! 次も勝てると思わないで!」
「まあ、勝敗は常にその時にならないとわからないからな……」
「シンが来れば、あなたなんか……!」
「それよ。この大事な時に、お前の隣にいないんだから、間が悪いというか」
察したのか、女はテーブルから下りて逃げ出そうとした。
風でうつぶせに押さえつける。
「喜んでいいぜ。シンが一皮むけるのに貢献できるんだから」
「助けて……! 助けて、シン……!」
「こんだけ無駄話をしたんだからよお――本当に俺が、倒されるべきなら、絶対にここで割り込まれるはずなんだよなあ」
だが、いつまでもそうならない。




