12-11 大物狙い
「意外と、あっさり出会えたわね……」
朝から調子は良かった。
漲っていた力を振るうには最適な場面で、その見返りが目の前にある。
これまで耳先も掴めなかったエルフの喉元に剣を当てている。
自分でも素晴らしい動きだったと思える。活躍の実感があった。
だが何か、それが却って嘘臭さを醸し出しているようにも感じられた。
「単身、俺の首を獲りに来るとは……勇敢と言うべきか、それとも考えなしなのか」
マーレタリアの全軍を統べているというには、この男は説得力に欠けた。
お世辞にも迫力が伴っているとは言えない。
ヒューマンの目から見て、エルフの歳を言い当てるのは少し難しい試みだが、ジェリー・ディーダのくたびれて、何もかも億劫そうな雰囲気は、ある種の疲れた中年に見られる特徴と思われた。そして外見から易々とそういう信号を出してしまうような男が軍を掌握するとは考えづらかった。信望が無さすぎると、兵はついてこない。
いや、だからこそ、指示だけを出すようなやり方で通そうとしてきたのか?
「――本当に本物なの?」
「そうじゃなかったらと思うぜ」
他人事のような物言いが、余計にふさわしくない感じを強めていた。
「いずれにせよ、これだけの死体を積み上げたんだ、敵ながら――ふざけるな。こんな簡単に突破されるんなら、元から置かない方がましだった。計算が狂ったな……」
どれもこれも愚痴のような響きだ。イメージと噛み合わない。
命乞いは論外だが、この惨劇を嘆くにしても、もっと言いようがあるのではないか。
ゼニアが殺気を飛ばし続けているにも関わらず、この男には切実さが無い。
死の危険に際して見られるような反応が何一つない。
しっくりこないために生殺を一時保留しているだけで、ゼニアはこの男の真贋に関わらず、殺す気でいる。できれば捕らえるべきだろうが、最上の形で拘束したという以上の高望みはよくないし、抱えて帰還できるとも思わない。
いや、それ以前の問題として――軍団が包囲されているというのに、焦りはどこへやった。
全体的に、これから敗軍の将となる者が浮かべていい相ではなかった。
「――どうした? 俺を殺すなら早くした方がいい。まだ下には同胞がいるぞ」
これも挑発に聞こえない。ただ事実を述べているだけのような気がする。
「といっても、この襲撃は早業だったからな……妙に静かでもあった。いまいち騒ぎが伝わってないかもしれないな」
「不愉快ね、死を恐れないのは」
とゼニアは言った。
「あなた達エルフは、出来る限り惨めに消え去るべき。それ以外は許したくないの」
「憎まれたもんだ。まあ、こちらにしてみれば数世代の戦いだが、そっちは十代以上の恨み辛みか。根深いのも頷ける」
「今更、先祖なんて! 家族を失うだけでも、この苦痛は……!」
「だが、戦争だからな。生存競争でもある」
「そう、だから死になさい。あなた達エルフは、この地上から絶えなさい。空からも、海からも、全ての場所から。恐れを抱きながら――。そうじゃなければ意味がない」
「ああ、そうか……」
察するように男は頷く。
「随分もったいつけると思ったら、俺のこの態度が気にくわないらしいな。不可解か」
それを認めたくはなかった。
いかにも相手のペースに乗せられているようで、屈辱だからだ。
「うん。死が恐くないということはないが、まあ、全体として見れば、俺はもうあまり重要じゃないからな。少なくとも、この戦いではな」
そう言うと、ディーダは破壊された机の破片に無理矢理腰かけた。
不意に出てきたその言葉を反芻するうち、ゼニアの頭の片隅に散らばっていた、漠然とした不安や違和感、手応えの薄さが一点に集まって、乱暴に解を弾いた。
これもあっさりとしたものだった。
何故、今になってわかったのか。答えに導かれたのか……。
「――あなた自身が、罠なの、か……?」
ジェリー・ディーダは眉一つ動かさずに言った。
「そうだ」
気付くのが遅すぎた。戦いが始まる前に検討しておくべきだった可能性。
この男は特別に動じないわけではなく、動じる必要がないだけだったのか――?
「自分を餌に……」
「誤解しないでもらいたいが、それでも食われる気はなかった。ただこちらの真意から注意を逸らそうとしただけでな。ここまで入り込まれるのは完全に想定外だった。おそらく大勢には影響しないだろうが……どうかな」
「何を企んでいるの」
「別に。何の捻りも無い。伏兵を置いただけだ。お前達の外側に」
「そのくらいは、するでしょう。そちらも必死なのは当たり前」
「そうだな。しかし、囲みの外側からさらに囲まれるというのは、どうかな」
「――そ……んなことが……!」
外側とは、ゼニア達の外側――同盟軍の外側に、軍勢がその通りに配置されているというのか。
では、この男は、わざとボロフを包囲させたのか……。
「やったさ。そのためにここまで延々と引き込み、兵が少ないと思わせ、俺がいると捕虜に言わせるよう仕向けた。囲ませるように誘導でもしなきゃ、もう勝てそうになかった。俺達の逆転は不可能だと、ヒューマンには思ってもらうしかなかった。一度の戦いで主力を撃滅できるような体勢を整えるには、そこに付け込むしか……」
実際、ディーダの言うことが本当だとしたら、同盟軍はまんまと狙い通りの動きをしていることになる。
「本当は内側からも圧力をかけていくつもりだったが、まあ、そうならなくても十分なはずだ。何しろ、今、そちらの兵はこちらを囲むために一丸とならず――結果的に分散しているだろうからな」
その通りだ。そんな状態で挟み撃ちにされれば、それこそひとたまりもない。
「――どうやら、作戦ではそちらに軍配が上がったようね。それは認めましょう。でも、勝負に勝ったからといって、戦にも勝てるとは限らない。あなたがここで死ねば、大仕掛けはどうなるかしら」
「いや、仮に俺が消えたとしても問題は残るまいよ。それはお前だってわかっているんだろう? 最後にお前達の思考を惹きつけるという役割は果たしたし、そもそも俺は、昔から指示しか出してこなかったエルフだ。だから俺が死んでも、予め出しておいた指示だけは残るんだよ。戦力さえ残れば、誰がやってもエルフヘイムが負けるとは思わない。戦とは、そういうものではないのか? そうあるべきではないのか? 俺の生き死になんてどうでもいい」
言い聞かせるでもなく、確認するでもなく、本当にただ疑問が口を衝いて出たように、その男は言った。
「そちらの主戦力が壊滅し、こちらの主戦力が残る。そうすれば逆転の目も残る。それ以外に、この状況で望ましい結果なんてあるか? マーレタリア軍が残ればそれでいいんだ。何がそれを構成しているか、そんなことも、もうどうでもいい。兵も将も戦って消耗するためにいる。誰がそこにいるかというのは重要じゃない。なら、どうして俺まで生き延びられるように立ち回る必要がある? ここで俺を殺せるのは、確かにお前の冴えている技の結果だ。それはそちらの勝ち点だ。だが、それで全部の勝敗をつけられてもらっちゃ困る」
「――何故執着しないの? 何のためにエルフヘイムで戦ったの?」
「別に……俺は元から、言われてやっているだけだ。エメリカから頼まれたんじゃなければ、軍に残る気もなかった。今思い返しても、あんまり向いてなかったような気がするしな。現にこのザマだ。こんなところでいきなり殺されるというのがお似合いなんだろう。やれよ」
もうこの男から聞けることは何もないだろう、とゼニアは思った。
それに敵の企みを知った今、急いで知らせに戻らなければならない。
一太刀で終わらせようと少し腕を引いた、その時だった。
轟音と共に、床が、壁が――そして天井でさえもひっくり返る。
亀裂が入り、引き裂かれ、一瞬にして崩壊が始まる。
何かが庁舎に衝突したのはわかった――それしかわからなかった。その時点では。
助かる位置に存在し続けるのは苦労した。衝撃は階下にも及び、空間を繋げた。
やっと落ち着いた時、ジェリー・ディーダからは離れてしまっていた。
代わりに、ゼニアではない人物が、あの男のそばに立っていた。
それはナルミ・シンであった。
邪魔が入った――ゼニアは歯噛みした。時間をかけすぎた。フブキの分身がもう効力を喪失してしまったのだろう。そして折り悪く、割って入る形になったか。
今度は、彼らはのんびり会話してくれることはなかった。状況を了解していたと見えるシンは、ディーダを軽く抱えるようにすると、風魔法でそこから飛び立つ。
咄嗟に魔力を伸ばし、引き戻そうとしたが――すぐに届く距離ではなくなった。さすがのゼニアも、それ以上追う術はなかった。
下が騒がしくなった。
確認すると、建物内に残っていたエルフがゼニアを見上げていた。
ゼニアは跳躍してその場を離れた。隊と合流しなくてはならない。
そして、一刻も早く父に知らせる必要がある。仕損じたこともそうだが、同盟軍こそが不利な陣形に追い込まれつつあること――手遅れになる前に。
~
「全て偽者だったか。なるほど」
空中で、シンはディーダに報告をした。
浮かべられたダミーの中に、本物のイガラシ・フブキはいなかったこと、手短に確認するため、殺害よりも追い散らす方を優先したこと、また、偽者達も時間稼ぎや逃げに徹していたこと――。
「それはすぐに全軍へ通達しなければならないな。……しかしいいところに来た。できればもっと別のところでツイていたかったが……贅沢も言っていられまい」
「すいません。本当はもっとスマートに追い払えればよかったんですが、ちょっとあの人とは相性がよくない……」
ある意味、ゼニア・ルミノアの魔法は、竜巻よりもシンにとって厄介なものだった。
思考を読むだけなら触れずとも可能だが、それ以外の手段は裏をかいたとしてもかなり防がれてしまうだろう。驚異的な身体能力が報告されているし、得体の知れない鋭さも持ち合わせる。どの角度から攻めるとしても一筋縄ではいかない。
支払う魔力と手間のことを考えると、あの場からはやはり去った方が賢明なはずだ。
「まあ、戦う相手を間違ってはいかんな」
「わかってます。オレはあの人と対決しなくちゃならない」
「その通りだ。しかし、まだ奴を探す必要があるのなら、ついでにもう一つ頼まれてはくれないか?」
「何をです? 隊に戻る前にですか?」
「ああ。本物の道化師がまだ出張って来ないのなら、それはそれでこちらの動きが制限されずに済むわけだからな。君、適当なところで俺を降ろしたら、ちょっとひとっ飛びして、敵の大将を狙ってみてくれないか」
「えっ……」
「俺がセーラムの王女に殺られかけた、その意趣返しというわけでもないが……まあ、敵の足が乱れるに越したことはないからな。敵を内外両側から囲み、君が道化師を釘付けにするという前提があったとしてもだ。頼めないか?」
「でも、オレは早くギルダと合流したくて……」
「そうか、無理強いはしない。――ただ、今行けば、丁度敵を包囲し終えたところで君が襲いかかれると思ってな。成功率が高いように思えた。上手くいけば、隣界隊も、もっと戦いやすくなるいい案だと思ったんだが……しかし、下手なことはしない方が無難か? 君の意見を尊重したい、どう思う」
シンは少し考えた。
確かに、司令官を失えば敵は浮足立ち、勝手に瓦解していくだろう。
それは結果的に、皆の命を守ることに繋がるのではないか。
どうせ、この戦場を飛び回って、フブキを探さねばならないのだ。
「本当に、ついでなら――やってみても、いいですか?」
シンは、そうすることに決めた。




