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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第12章 引き裂かれる魂
166/212

12-4 エンカウント

 シンという第一の実力者がそのような調子では、それを柱としている他の客人(まれびと)達も十全に力を発揮することは難しかった。

 隊としての密な連携を要点とする集団ではなかったし、実質的な引率者はギルダが担っているが、文字通り精神的支柱としてのシンを欠いた状態では、外部に評価されるまでもなく、自分達自身で役割遂行能力を疑っているのだった。

 ハナビ・アキタニなどは力を振るう機会が設けられないことによる退屈さを表明していたが、それとて普段の彼女からすれば弱々しい語勢にとどまった。客人の総意として、シン抜きでの大規模な作戦行動は望まれていないと言えた。


 自然、今年の防衛では隣界隊が無理なくこなせる任務は隠密行動や裏方仕事に限られてきて、敵戦力と直接ぶつかる事態は極力避けるような方針で固まった。交戦があったとしても、孤立した敵を安全に処理するような作業か、退却支援の際に遠距離攻撃を仕掛けるといったものに限られた。


 彼等にはシンを責めようという考えはないようだった。

 例外なく精神を調整されているため、シンを悪く見ないようにする傾向があるのかもしれないが、撤退を余儀なくされる敗北がこれほど続いてもなお、彼ら客人は皆、シンと共に出陣できないことが理由の心細さを感じているようだった。


 彼が94番の圧力に屈し、敗走する姿を幾度となく見せられていても、である。


 いや、負け続けているからこそ――シンが不在の戦場ではさらにどれほどの苦境へ立たされることになってしまうのか、という悪い方向への想像が働くのかもしれない。


 そういった意味では、シンは94番を抑えるという役割を常に果たそうと奮闘してきたわけである。彼以外にその任が務まらなかったのも事実で、食い止めるという観点から見れば、一定の戦果を挙げていたと評価するのは間違いではない。


 自分がいなくても戦えるように、とシンが各員へ暗示をかけて回ること自体は可能である。だがその方法は選択されなかった。シンは魔法を成長させた今でも(彼基準で)過度な精神への干渉を嫌っているし、ただでさえ隊が偽りで塗り固めたようなバランスで成り立っているところを、無理に戦いに駆り立てることで崩したくないというのが理由だった。

 戦わなければ戦力を消耗することもない。小競り合いで仲間が死ぬのはつまらない。

 いいじゃないか。結局、まだ()()()じゃないんだから――。


 無論、マイエルはその悠長な姿勢に対して再三の警告を加えたが、それらはとうとう聞き入れられずじまいであった。最早、隊の実際の運用に対しての影響力はほとんど残っていなかった。


 シンが考え、ギルダが面倒を見て、マイエルが方々(ほうぼう)へ頭を下げる――という嫌な構図が完成していた。


 ジェリー・ディーダ元帥直々の影響力があるから何とかなっているものの……軍内や魔導院での視線どころか、マーレタリア全体からの印象も最悪としか表現のしようがなかった。


 そういったわけで、シンが自分の精神世界に閉じこもっている間、ギルダとマイエルは隣界隊を率いて、都から逃げ出すように戦場の舞台裏へ繰り出すのがお決まりの習慣となっていた。


 本来の指揮系統からは完全に離れ、独立した戦力である。移動も運搬魔法家メリー・メランドとサポートの隊員がいれば全て事足りた。気ままといえば気まま、疎外されているといえば疎外されている。

 戦線の間を飛び交っている情報を集め、手助けのできそうな現場に参上して活動する、それか敵陣の極端に脆い部分をものすごく手短に攻略する――今の隣界隊には、それくらいしかできることがなかった。


 語るまでもないことだが、マイエルが最も重視したのは94番の目撃情報である。

 どんな些細な噂でも拾い、活用した。一定の方向へ進んでいるとわかれば必ず反対側へ向かったし、哨戒が考えられる場合は、想定範囲から三倍以上は距離を取った。


 逃げ隠れ続けた結果、概ね判明したのは、マイエル達の抱える事情とは逆に、94番はヒューマンの軍隊が立てる計画に付き従っているということだった。この印象を払い除けるのは難しかった。

 おそらく、重用されるがあまり要請もひどく具体的なものとなり、外側からでもある程度の傾向を掴めるまでに縛られているものと思われた。


 そう解釈したマイエルの気は少し楽になった。

 94番がヒューマン軍の意向を聞き入れているうちは、無茶な移動は行わない。

 これまでと同じように警戒していればいい。


 しかし、本日に至り――大変都合の悪い状況へ遭遇してしまった。


 94番を発見したのだった。


 見つかったのではなく、こちらが見つけたわけであるが、即時退却とするにはあまりに――緊迫した光景が展開されていた。


 情報では、その強襲部隊収容拠点は安全に隠されており、ヒューマンが攻め落とした集落からも、哨戒領域からも、補給線からですら、未だ遠い位置にあった。


 軽い気持ちで寄ろうとしただけなのだ。


 しかしそこに、何故かあの道化が立っていて、屍の山を背負っている。

 異様に欠損が多い。制圧された、後だ。


 マイエル達は何重もの深い茂みに隔てられながら様子を窺っていたが、94番の禍々しく凝縮された魔力の輝きがはっきりと見て取れた。それだけで、下手に動けば即座に勘付かれるという恐れを抱かずにはいられなかった。94番自身が意識していないだろうにも関わらず、圧倒的な魔力の気配が睨みをきかせてくるのだった。


 ごく僅かの生き残りが、捕らえられた状態で地面に転がされていた。中には年端もいかない子供までいた。施設に住み込みで働いていた協力市民の家族だろうか?

 少数の手勢がそれを扱っていた。乱暴ではなかったが、丁寧でもなかった。


 あるとすれば――この地点だけを絞り込んで狙った攻撃だ。

 支配領域との繋がりは無視して、ただここだけを。


 航空部隊の迎撃や各種対空射撃を掻い潜って強行着陸した上に、駐屯していた兵まで瞬く間に殲滅したというのだろうか。周辺の戦力が間に合っていないということは、その隙をまだ与えていないということ―――それとも、こちらの掲げる戦術に痺れを切らして、ただ向こう見ずに突っ込んできたのだろうか。


 94番と手勢は何事か相談し、捕虜の中から壮年の男を選び出して膝立たせた。

 身なりからして、かなり高位の士官と思われた。


 目的は、この施設に詰めていた有力者か?

 マイエル達のような()け者には、極秘の配置までは知らされない。それはディーダとの繋がりがあってもそうだった。常に戦局全体の概要を掴んでおく必要があるというのはわかるが、細部までを本職の参謀でもないこちら側が進んで取得する必要があるとも思わなかった。


 現実には、何か94番が妙な気を起こし――どこからか()()を仕入れたのだろうか――こうして予想だにしなかった行動を起こしている。


 運が悪かったのだろうか?


 94番は壮年の男の前に立つと、言った。


「お前にだけ重い責任を負わせるつもりはない」


 マイエルは必死にそれを聞き取る。


「このような不快な隠れ家が無数に存在する中で――二つ、たった二つだけでいい。同じような拠点がどこにあるか、吐いてしまえば命は助けてやろうじゃないか。取引だ。譲歩もしている。断るとは言わせ――」

「断る! ヒューマンに話すことなど何もない!」

「ふむ」


 風が吹いた。


 それは緩やかに男の髪を撫でて、それからついでのように右耳だけを切り落とした。


 真に迫った苦痛の叫びが森を震わせた。

 マイエル達のいる場所でも背筋を凍らせるに十分な声量であった。


 94番はじっくりと男の流血を待ってから、わざわざ残った左耳側に回って、


「考えて話せ、脳味噌を使え! だからお前等エルフはこんなになるまで気が付かないというんだ……。ボケが、()たれる程度だとでも思ったのか? 俺の後ろを見ろ、これだけ派手に同胞がやられていても、自分は地位があって有益な情報も握っているから助かるという考えをしてしまうのか? 俺が誰だか知ってるだろう――エルフに命の値段を付けるとでも? ……そうとも、付けるさ、多少はな。でもそれはお前にじゃない……」


 話している間、男は強い態度を必死に取り戻そうとしていた。

 その反発がまとまり、94番を鋭く睨みつけるという形で現れた。


 すぐに男の意志が固いと見るや、94番は自ら縛られた子供を――少女を、担いで男の前まで運んだ。


「特別に匿ってたよな、このガキを。そうするだけの理由があんだろ」


 頭を鷲掴みにして、同じように向かい合わせで膝立たせる。


「お前は今こう思っている。この子が生き残っていてラッキー……! ――逆だ、こんな不運な奴はいない。居合わせたばっかりに……」


 まるでその言葉が自身に向けられたように思えて、マイエルは戦慄した。

 居合わせているのだ。


「ヒントをやる、大ヒントだ。俺は今からこいつに何かする。わかるよな? 何かするぞ。それが嫌なら泥を吐け。待たない、いいか? どうだ」


 男は揺れていた。

 急展開に思考の速度が付いていっていないように見えた。


 本当にやるのか? 本当にその子を?


 マイエルは声を出さずに呼びかけた。

 言ってしまえ、そいつはやる。


 あの道化の難解なところは――一見しただけでは、これほどの凶悪さを素直に読み取らせないところにある。

 今、改めて見てもマイエルは思うのだが、何故か、腕一本でどうとでも御し切れるように感じさせるのだ。あのヒューマンは。魔力の燐光さえ無ければ。


 これはヒューマンという種が弱く見える話とはまた別で、その中でも更に、94番は格別な劣等の印象を与えてくる。どうせお前には出来やしないだろうと思わされてしまうのだ。


 子供の両耳が接着の取れたように落ちた。


 治癒魔法家として数々の怪我に対処してきたマイエルでさえ、子供が――そんな種類の声を上げて泣いたのを聞いたことがなかった。


 隣にいたギルダが、両手で力いっぱい口元を押さえていた。


 子供は身をよじるが、そこまでで、のたうち回ることさえ許されない。


「次は鼻を落とす」


 94番は男の目を覗き込もうとしている。


「目は最後だ」


 決然とした様子であった。


 マイエルは初め、94番に余裕がないためにそのような表情を見せていると解釈していた。だが観察しているうちに、事実はどうもそうではないように感じられてきた。


 早く終わらせたがっているのではないか、とマイエルは思った。


 嗜虐の悦びもあるにはあるだろう。しかしそれを第一の目的として子供の耳を取るには、些か94番の纏う雰囲気は事務的に過ぎた。


 男の口を割るのに、どういったやり方が最も効果を示すのか。それが道化の唯一の関心事のように見えるのだ。男自身ではなく代わりに子供を痛めつけることが効率的だからそうしているまで、という――しかしこれはマイエルが少し離れた距離から見ているためにそう思われるのであって、被害を受ける当事者達にはそのような発想を浮かべることは不可能だろう。意識は痛みを受け止めるだけで使い切られる。


 あまりに凄惨な事態を見かねた残りの捕虜の中から、力づくで腕の戒めを破る者があった。憤怒の形相に染まった若者であった。そのまま94番に徒手で襲いかかるべく走る。ヒューマンの兵が遅れ気味の反応で阻止しようとするが、


「よせ」


 という道化の言葉に断念した。


 94番は迎え撃とうとするでもなく、近付いてくる若者を眺めていたが、やがて握り拳から小指と薬指以外を開いて突きつけると――襲撃者はその場に血飛沫となって降り注ぐのだった。その事象が完了するまでには多少の時間を要したが、肉体を完全に分解してしまうほどの風、あるいは空気の動きは、認識できるような速度を超えていた。


「大した奴だ。あれほど固く縛った(つる)を引き千切るとは。よほどの怒りだったらしい。憎い俺にかかってくるだけの資格がある。――そして俺もお前等エルフが憎い」


 子供の耳を拾い上げ、指の間に挟んでいる。


「いいか、このガキは今みたいに楽な死に方はできねえぞ。答えは決まりきっているはずだが、どうやら考える時間が必要らしいから、次の切り落としまで十、数えてやる。その間ガキはずっと苦しむ。お前が悩めば悩むほど、この耳をくっつけてあげられるまでの時間が伸びる。では、ひとォつ!」


 94番は発声に使ったのと同じくらいの間を置いた。


「ふたァ」

「わかった! わかった話す聞いてくれお前達が先日攻め落とした、」


 その続きを遮る者があった。


「駄目! 屈してはいけない!」


 いつの間にか隣からギルダが消えていた。


「そんなやり方でしか関わろうとしない輩に!」


 茂みから出て行ったと気付いた時には、マイエルも叫んでいた。


「ッ――全員で守れ! ハナビ!」


 この時点で、隣界隊も全員が交戦は避けられないと悟った。


 ハナビが94番に炎の槍を投げつけたのを皮切りに、広場のような地形へ次々と踊り出ていく。

 先制攻撃となった。


 流石の道化もこの伏兵には驚いたのか、研ぎ澄まされていたはずの魔力が大幅に翳り、難儀そうに風圧で炎の向きを変更させると、回避が優先とばかりに浮遊し始めた。

 その間に敵兵一人が集中攻撃を受けて討ち取られる。


 94番は分解された若者にしたのと同じようにこちらへ指を向けたが……照準代わりのそれはすぐに標的を定められず、やがて諦めていった。


「イレギュラーだ――退却する! 総員退却だ、離陸! 各自最高速度離脱!」


 風魔法で拡声された指令を送りながらも、狙いを付けない射撃が隣界隊へ向けて繰り出される。うち三発ほどが命中していたが――明らかな即死とわかるような威力のものはなかった。


 ハナビが追撃を阻止するべく蛇のような炎を操る。94番は三匹に噛みつかれかけ、咄嗟にそれぞれを吹き消そうとしたが、満足な結果は得られなかった。代わりに高度を上げるための推進に風は消費されていった。


「半端な風じゃ炎は強まるんだよ!」


 煽ったハナビがいるのとは別の方向を94番は見つめていた。

 しかも――マイエルを見ているのですらなかった。


 その視線は最後まで、少女の耳を治すギルダに注がれていたようだった。

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