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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第12章 引き裂かれる魂
165/212

12-3 自己実現をするには

                   ~


 五年前の自分にこの終末的感覚を説明するとしたら、どのように言葉を尽くせばいいだろうか――とマイエルは思った。


 ディーダ元帥は、言った通りに戦線を下げた。

 それは、かつてヒューマンから精力的に切り取った土地も全て手放すことを意味していた。


 エルフにとっても短くはない、三百年という歳月で獲得してきたものが、たった数年で失われたというこの事実――マイエルは、マーレタリアが未だ分裂していないことを不思議に思いつつ、納得してもいる。


 十三賢者のほとんどは、ディーダの方針が妥当とは考えていない。

 にも関わらず、結局は彼の案を支え、軍はそれに従い、敵主力をそのまま上陸させてエルフ民族にとっての原風景である森を主戦場に選んでいる。


 誰も、どうしたらいいかわからないのだろうと思われた。

 これよりましなやり方を実現できないために、この状況に陥っていると言ってよい。


 毎日のようにどこそこの集落が占領されたという報が入る。

 だがヒューマンの軍勢に打撃を与えたという報も同じように届くのだ。


 それで、何となく成果が上がっているようにも感じられるのである。


 しかし、それと引き換えに、ヒューマンが略奪と虐殺を目と鼻の先で行う。

 それどころか、森を焼いてさえいる。


 種族的に親和性の低いヒューマンにとっては、ただの障害としか映らないのだろう。

 あまりに広大であるためその作業が(はかど)っておらず、結果として見合わない労力を強いる形になっているのは、なるほど地の利。とはいえ……。


 マイエルは深い森林の出身ではないが、やはり木々とそれが構成する環境には親愛を感じる。それは祖先の記憶がもたらす安心感なのである。


 こちらの大陸でさえそれを失うということは、まさに住処(すみか)を、逃げ場を失くされることと同義だった。


 そのような惨状でも敵の戦力を削っているなら撃退に、勝利に繋がると、最早説明されるまでもなく、兵も民も信じ込むしかなかった。


 森の隙間から努めて散発的な攻撃を仕掛け続ける――有効に機能しているらしい。

 良く言えば洗練された奇襲だが、悪く言えばただの嫌がらせである。


 94番をはじめ、実力のあるヒューマン側魔法戦力は、奇襲要員の隠れ家を躍起になって探しているようだが、そう簡単には潰されない。

 それこそ、あの道化となるべく戦わないか、戦うことになっても被害を最小限に抑えるための、苦肉の策なのだから。


 できる限りヒューマンが戦力を分けるようにし、深入りしてくるよう、誘う。

 それこそが肝要なのだと元帥は言う。


根競(こんくら)べだよ、アーデベス卿。相手も海を渡ってきたからには、手ぶらで帰りたくなどない。こちらの意図がわかっていても多少は乗ってくる。我々を滅ぼさんとする勢いもあるわけだしな。そこが付け目だ。そこを狙って稼ぐ」

「時間と、戦果を?」

「そうとも。そして戦線が伸び切ったところで一気に叩く。そのためなら森でも山でも、奴らに持たせてやればいい。だがその対価として、ヒューマン最大の武器である道化師だけは置いていってもらう。あの少年が奴を狩る。狩れるな? 何度でも言うが、狩ってもらう以外に活路はないぞ」

「承知しています」


 ディーダは静かに、盛られた肉を齧った。パンも口に押し込んでいる。

 多忙な元帥に非公式で面会を求めれば、食事の時間を提供されるのは自然なことだった。葡萄酒で流し込むような乱暴な食事だ。あまり味わう気がないように見えた。


「未だ彼の自信は回復できないままか?」

「――……」

「黙っていてはわからない」

「いい方向には進んでいます」

「それはそうだろう。新たに召喚された客人(まれびと)からもさらに魔法を得て、実力は増すばかりと聞く」

「しかし所詮は、読み取った記憶を頼りにした模倣の域を出ない。どれだけ多芸になっても、94番が見せる大技に敵うことがない。それこそ、吹けば飛ぶという程度の手管(てくだ)です」

「全て持ち腐れか? 世が世なら……いや、ヒューマンの身ではそれも難しいか」

「むしろ今の方が注目されているのかもしれません。どちらにせよ、問題はそういった方向の進歩では94番の力には及ばないということです。それで今の彼が取り組んでいるのは、他者からの魔法を持ち主以上に使いこなすという課題です」

「その話は前にも聞いたな。彼を縛る枠組みをどうにか取り払うことで、能力の向上を目指す――」

「いくつかは成功しています」

「それも報告を受けた。いつまでも彼自身から仕上がったと聞けない以上、戦いの準備は芳しくないようだな」

「冬の間、(ぎょう)を積ませたのですが……」

「気を散らせてしまっているか? やはり、召喚代表と共に隣界隊の運営もさせていると……」

「それが言い訳にしかならないことは、シンもギルダもよくわかっています」

「ああ」

「彼の中では一つの矛盾があって――魔法の力を生み出す原動力に恐怖を用いていることが、94番からの逃避にも繋がってしまうというのです」

「恐怖するから排除のために立ち向かう、恐怖するから離れるために逃げる。どちらも理屈は通る。逃げ腰の方になってしまっているのか」

「そうです。それを克服するために、シンは――これはごく最近の話ですが、自分の精神に手を加えようともしています」

「それは何とも……不可思議な試みに感じるが、いざ言われてみると、なるほど……」

「これが成功すれば、シンは94番に()()()()()()()()を獲得します」

「恐怖心の中から、選択的に逃走の念のみ削除するということか」

「彼は自発的にその結論へ辿り着きました。しかし、私には……それが良いことなのか判断がつきかねます」

「その改造は無論、簡単に成し遂げられるようなことではないのだろう?」

「ええ。他者の心を操作するより自分の精神を操作する方が難しいというのは、なんとも皮肉な話ですが」

「あまりに大きすぎる危険を孕んでいるのなら、確かにやめさせるべきと言えるかもしれんな」

「それを相談しに参ったのです」

「続けさせろ。いや――やめさせるな」


 予想していた答えではあった。


「少し時間の話をするか」


 ディーダはその前にパンの残りを食べようとしたが、思い直してやめた。


「敵は冬を待たずしてボロフに到達する見込みだ」

「――何ですって?」

「このままの調子で戦線が推移すればな」


 ボロフは首都に次ぐマーレタリアの要所として知られる。

 国土の中には珍しく少々の平野部が存在するため、特別な密集地として発展した。


「……その情報は確かなのですか?」

「敵が損害を気にしない分だけ、的中の可能性が上がると考えろ。残念だがこれまでのところ、奴らは損耗を嘆いてはいるが積極的に防ごうともしていない。故に進軍速度は落とさないと考えるべきだ」

「補給線を! 切れば……」

「それはやる。やった上で、いつかは復旧される。それも踏まえた上での計算だ。雪が降る前に来る」

「早すぎる……」


 地図で言えば二つある大湖(たいこ)の手前がせいぜいと考えていた。

 それをどちらも今年のうちに過ぎ去ろうというのか。


(けい)のことだ、こちらの言いたいことはわかるだろう? 他はまだ取り返せるが、ボロフを確保されると俺は奪還できる自信がない」

「そんな……」

「情けない話だが本当だ。あの都市があるから、こちらの大陸での物流は機能しているんだ。それが失くなれば、二度と軍は軍の体を成すことはないだろう」

「では、その前に……94番と戦うしかないと……」

「こちらの()()()()を残すためには、そうしてもらうしかなくなりそうでな。悪いが、俺にはそこまでしか時間が稼げそうにない」

「となれば……」

「いくらでも彼には危険なことをやってもらいたい。そう伝えてくれ」




 その通りに伝えたが、それに対するシンの反応は一言、


「わかった」


 すぐに瞑想へ戻っていく。


 これを始めてから、少年の活動の場は(もっぱ)ら外であった。建物の中では、広がりすぎた魔力の光があらゆる部屋に干渉しようとするためである。


 それはほとんど排斥であった。シンは魔力場を自分の領域として設定し、何者の進入も拒んだ。初めから入る気のないマイエルはともかくとしても、ギルダでさえこの瞑想を行っている時は寄せ付けようとしなかった。

 遠くから声をかけて、その時シンの機嫌がよければ――そうとしか思えないほど反応にムラがある――返答を得られる。


「わかった、じゃない。期限を切られたんだぞ! 物思いにずっと耽っていた君は気が付かなかったのかもしれないが、もう夏になっている! 時間は残されてないも同然だ! 少しは焦るようにしろ! ――ギルダ、君からも何か言ってやってくれ!」

「少し休憩を入れたら?」


 彼女の助けを借りれば多少は成功率が高いが、それとて確実ではなかった。


「今、いいところなんだよ……」


 今日はまだ早い方だ。


「もうちょっとで倒せるから……」


 シンは94番と戦っていた。記憶の中で。


 曰く、逃避傾向を改めるには、これまでの戦績を徹底検証して、恐れるに足らないことを自分自身に証明するしかない。今までは、ずっとそれすらも避けていた。

 だが、次の負けがもう許されなくなった以上、苦い記憶と向き合う時が来た。


 それで、来る日も来る日も、94番との戦闘の記憶を反芻し細部を確かめては――細かく造り変えているらしい。


 一体それが役に立つのかとマイエルは(いぶか)しんだが、そうすることによって自分に勝ちのイメージを信じ込ませるのだという。


 やがてシンは自分の世界から帰ってきた。

 気温のせいではなく、汗だくになりながら。


 ギルダはそんな彼に汗拭き布を手渡し、


「倒したの?」

「倒したよ」


 シンは面白くもないといった調子でそう言うのだった。

 マイエルはどうも納得がいかない。


「でも、それは夢の中でだろう?」

「記憶の中でだよ」

「結構だが、それはちゃんと意識の改革に繋がるんだろうな?」

「説明したじゃないか。オレは記憶を描き換えてるんだ。自分の記憶を」


 突如迫った期日のことを抜きにしても、マイエルはかなりの辛抱をしていた。


「再三言ってきたことだが、我々には君の精神世界は感知できないんだよ。だから君がどのくらいそれを上手くやっているのか、きちんと言ってもらわないとわからない」

「コツを掴んでからは連戦連勝さ」

「では仮に今、奴と戦ったとして倒せるか?」

「ムリだね」

「それでは意味がないんだ……! 君は妄想の中で奴を倒していい気になっているだけじゃないか!」

「だから、それが大事なんだよ……。もちろんオリジナルの記憶は残しておくけど、そのうち、オレはあの人に勝ったとしか思わなくなるよ。自分が負けたなんて考えなくなる。あの人から逃げているオレは嘘で、あの人を叩きのめしたオレが真実になる。これまでと同じく恐怖に支配されつつ、臆病なオレはいなくなる。そうすれば戦える」


 シンは真顔でそう言うのだった。


「君、自分の発言がかなり整合性を欠いているのに気付いてるか?」

「そう? ならいい傾向だね。ギルダもそう思うだろ?」

「応援してる。してるけど……あまり戻ってくるのが大変そうなことはやめて」

「そうだぞ。君、自分を壊すのはいいが、原型は留めておけよ」

「大丈夫。戦いが終われば、いつものオレに戻すよ。師匠みたいになったら元も子もないんだから……最低限、不可逆なことにはならないよう気を付けてる。そのせいで、どうしても時間がかかっちゃうけど、それは許してもらうしかないだろ?」

「まあ、ディーダ元帥は危険なことでも何でもいいから、体調を仕上げろと言っていたが……」

「仕上げるさ。あの人のことは本当に恐いけど、いつも最後には打ち負かしてきた――求められる自分像はそれだ。作るんだ、自分の手で」


 目の焦点は合っている。それがより一層マイエルを困惑させる。

 一体シンはどこへ向かっているのか――。

 彼自身にも、よくわかっていないのではないかと思えるのだ。

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