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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第2章 旋風色の道化師
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2-8 くそばばあ入門

「――また、急ですね」

「今回は先方が急だったのよ」

「と、いいますと、誰かとお会いになるのですか?」

「そうなるわね」

「私も行く必要があるのですね?」

「大いにあるわ」

「……そうですか。かしこまりました。時間には遣いの方が?」


 ゼニアは頷いた。

 明日の訪問は、フブキが来なくては話にならない。

 時が満ち、フブキは基礎を得て、()()()()()もあった。連れて行かねばなるまい。

 ようやく、動き出せるのだ。


 実際、あの会合にこぎつけるまでは、ゼニアも内心焦れていた。


 タイミングは慎重に窺う必要があった。自分でもペットを飼うようなガラではないということはわかっていた。好意的でない評判も、無視できない程度にはある。だから、似つかわしくない突飛(とっぴ)な行動として見られてしまうのを織り込み済みで考える必要があった。ここに自分の都合までごり押しで加えてしまうと、あの馬鹿娘はいよいよ面倒の原因となるようなよからぬことを考え出したのではないか、と(かん)()られるのは必定(ひつじょう)だった。それは少しでも防ぎたかった。道化師を見せるために人を集めるのではなくて、人が集まったところで、おまけのように、単なる思いつきとして道化師を見せる必要があった。そのせいで、少々時間をかける破目(はめ)になった。


 だが、物事の推移というのは憎らしくも面白いもので、それが結局はいい方向に働いた。フブキが指摘した通り、これまでゼニアはわざと彼の時間を余らせていた。本当なら手紙の返事を待たず(昔からあの人はゼニアを待たせすぎる、だからフブキのことはもっと待たせるかもしれない)前倒し前倒しで計画を進める手もあった。だがゼニアは()えてそうしなかった。それはもちろん、時間はあるならあるだけ使わせた方がいいだろうという単純な理由も含まれてはいたが、()()()()()()()もらいたかったというのが、第一の理由だった。


 魔法はあくまで精神世界の産物なのだ。それが現世(うつつよ)に物理的な作用をもたらしているとしても。だからこそ明確な体系は存在しないし、個人個人の感覚が大きなウェイトを占め、それゆえに()()()ということが困難な技術と化している。全く不可能というわけではないが、結局のところ、()()()()()ことができるのは当人だけだ。


 特に、魔法は徹底して()()()()()()()として扱わなければならないという事実に、自分で辿り着くことのできる者は意外に少ない。虫のいい状態を傲慢に信じ続けるのは、誰にでもできることではない。魔法を使うことに才能があるとすれば、実は覚醒して発現するかどうかより重要なのは()()だ。


 魔法使いにとって魔法を使えることはそもそもの前提だから、気にするのは意味がない。そんなことを問題にするのは持たざる者だけだ。それよりも大事なのは、()()()()()かどうか――魔法を使える自分を、盲信できるかどうかということだった。これは実に救いのない話だった。どう考えても、自分を盲信できるヒューマンにも、エルフにも、ドワーフにも、まともな者はいない。つまり、魔法使いは、その能力が安定している場合、必然的にろくでもないということになる。例外は、ゼニアが知る限り、無い。そして、自分がいい例だった。


 誰かに教われば、その時点で盲信が盲信ではなくなる。それが難しい。自分で気付くことができるかどうかは、いわば入門試験のようなもので、決して少なくない数の魔法使いが、気付くことのないままその力を失ったり、誰かにそそのかされたりして発達の可能性を棒に振る。また、これには()の問題も付いて回る。愚か者に魔法を制御することはできないが、賢さが度を過ぎてしまえば魔法の範囲を狭める。魔法使いはそのジレンマと常に戦う必要がある。意識するにしろしないにしろ……できなければ、三流に終わるだけのことだ。


 フブキにはそんなことになって欲しくなかったし、そうなってしまえば遠からず手放さざるをえなくなる。それは考えたくない可能性だった。


 だが、フブキは間に合わせた。

 ろくでなしの階段、その一段目を踏んだ。

 そこから最低限、今ゼニアがいるところまで駆け上がってきてもらわなければ、拾った意味がない。

 それが、英雄と勇者の資格だからだ。


 伝説や評判は優れた精神を求めるが、現実には、好ましくない者だけが強大な魔法の力を得られる。まともな者は英雄にはなりえない。まともな者には、英雄として評価されるような行動を起こすことができないからだ。例えば虐殺である。まともな者がやるのなら、少しは慰められもするが、現実には、実行するのはろくでなしだ。虐殺などする時点でまともではないという意見もあるだろうが、ゼニアはそっちの論理の方が破綻していると思っている。まともな者がまともな虐殺をしてもいいはずなのだ。望まれているのはそちらのはずなのだから。

 しかし、最終的には、屑と外道と畜生だけが真の資格を得られる。ゼニアはそう信じているし、今までのところ、そういうことにしかなってこなかったのは歴史が証明している。これからもそうだろう。


 だから、ろくでもない者が物事を動かしていくのだ。

 ろくでもない者だけが、物事を動かしうるのだ。

 ろくでもない者に、ならなければならないのだ。英雄に。


 目論見が上手くいけば、これからゼニア達は山盛りで殺しをすることになるだろう。もしかすると(しかばね)が天の星にまで届いてしまうかもしれない。その大部分はもちろんエルフに対して行われるだろうが、最早問題はそれだけで済むような性質ではなくなっている。ヒューマンはおろか、ドワーフと事を構える可能性だって出てきかねない。

 しかし、最終的にゼニア達は多くの者から賞賛を得ることになるだろう。少なくとも、後ろ指を差されるのと同じくらいには、そうなるだろう。世が世なら、とても正気とは思われない実績を重ねて。


「……姫様?」


 フブキが少し心配そうに声をかけてきた。長く黙り込みすぎたらしい。

 軽く頭を振る。何にせよ――今の時点では、虐殺だなんだも夢物語にすぎない。


 フブキは今、まだ温度の残っている成功に目が(くら)んでいるかもしれないが、ゼニアとしては、本当に成功してもらわなければならないのはここからだ。まあ、明日になれば、嫌でもそれを思い出すことになるとは思うが――。


 ゼニアは椅子から立ち上がり、言った。


「あなた、時々私が帰った後も夜更かしをしていると思うけれど、今夜ばかりはすぐにベッドへ入った方がいいわ。それと、朝は食べ過ぎないこと。そうね――少し物足りないくらいで丁度いいと思うわ」


 フブキは益体(やくたい)もない予想の果てに怪訝(けげん)な顔をして、確かめるように言った。


「忠告、ですよね?」

「もちろん忠告よ。命令してもいいくらいの。あと、道化服は着て来ないこと」


                   ~


 言われた通りにした。

 朝食後に部屋で待っていると、きちんと遣いの人が来た。彼は俺を()()の方まで連れて行ってしまった。そして、広場には馬車が待機していた。豪奢ではないが、立派で丈夫そうな馬車だった。思っていたよりも本格的なお出かけということらしかった。姫様の服装はいつもの姫様だったので、そこは安心する。


 考えてみれば、表玄関を使うのは初めてだった。


 馬車が動き出してから、俺は今日の目的地について姫様に訊いてみた。街並みを眺めていた姫様は、ゆっくり俺に視線を移した後、質問を黙殺してから、流れていく風景に目を戻した。この調子だと何も答えてもらえそうにないな、と思い、俺はそれ以上の詮索をやめて姫様に倣った。


 今ではこの()()にも大分慣れつつあったが、それでもやはり現代日本の何やかやが恋しくなる。通りにコンビニやスーパーが一つも無いということは、カップラーメンが一種類も売っていないということで、最終的に、夜食には絶対それを望めないという事実だけが残る。この寂しさは筆舌に尽くし難いものがある。まあ、そもそも湯を沸かすのにも一苦労なこの世界だから、問題はもっと、ずっと、呆れるほど前の段階に存在するのだが。


 まだ着かないのか、と思っているうちに、馬車は街を出てしまった。

 俺が来た時と同じ出入口だった。今度は高い壁は背後へと過ぎ去っていき、穀倉地帯が前方に豊かな広がりを見せた。姫様も御者も軽装だから、泊りがけということにはならないだろうが、さすがに少し心配になってきた。


 が、その心配も長くは続かなかった。間もなく馬車はある集落の中に入り込み、その中では一番でかい家の前で停車した。でかいといっても、建物自体がでかいのではなく、建物の周辺を含めた土地がでかい、という意味だが。


 そこが目的地だった。

 姫様が馬車を降りたので、俺も降りることにした。姫様はずんずんと歩いていく。いつ戻るのかも知らされない御者がちょっと不憫に思えたが、彼は彼ですぐに馬の相手を始めて、それほど気にしてはいないようにも見えた。そういう性格の人じゃないとなれない職業なのかもしれなかった。


 邸宅は随分と遠くにあった。玄関から実にわざとらしくクネクネ曲がった砂利道が、俺達のいるところまで延びてきていた。姫様は道には全く従わず真っ直ぐに歩いていく。俺は彼女ほど割り切れなかったので、小走りに道をなぞりながら後についていった。


「なあ! そろそろここに誰が住んでるのか教えてくれてもいいんじゃないかい?」


 姫様は一旦足を止め、振り返って、


「私の師匠よ。そして、今日からあなたの師匠でもある。機嫌が悪くなければね」

「なるほど。納得しました」

 

 ――そういうことだったのか。やっと()()()()()というわけだ。


 俺達は再び歩き出した。

 建物も立派だったが、周りの庭はもっと立派だった。半分は庭というよりも林で、残った半分のさらに半分は畑だった。遠くで、老婆がその畑をいじっているのが見えた。気配のせいか、こちらに気付いた彼女は一瞬だけ俺と目を合わせたが、またすぐに作業へと戻った。これだけ広いと、維持するのに人を雇わなければならないのだろう。


 玄関の前まで来ると、姫様は扉をノックし、そして待った。ふと、本当なら誰か従者がこういうこともするのだろうな、と思った。今一番それに近い立場なのが俺だった。やっぱり姫様は、お姫様らしくない。まあ、今日の相手にはお姫様らしさは必要ないのだろうが……。


 すぐに端女(メイド)が出てきた。彼女の反応は、明らかに今日訪問者が来ることを想定していなかった。姫様は言った。


「先生はいらっしゃる?」

「失礼ですが、どちら様で……」

「手紙で今日の訪問は伝えておいたはずだけれど。ゼニア・ルミノアよ」


 その名前を聞いて、端女はギョッとした。姫様がお姫様らしい格好をしていた方が、驚きはむしろ少なかったかもしれないな、と俺は思った。


「奥様は今、畑の方へお出でになっておりまして……」


 嫌な予感がした。




 予感は的中した。

 応接間に通された俺達は、畑をいじっていた老婆と円形のテーブルを挟んで対面していた。


 少しごちゃっとしたお(うち)だった。棚が多いのはまあわかるとしても、床にまで配置というよりは放置されている壺の数々は明らかに観賞用としても持て余しているように見えたし、種類はわからないが大型の四足歩行生物の骨格標本やら、鎧や彫像、絵画、食器、その他の骨董品が、えらくスペースを占有していた。ここに至るまでの廊下も大体似たような有様だった。この(ごろ)の俺は特に簡素な場所に慣れていたから、あまり落ち着かない。


 逆に、老婆は、老いているにもかかわらずスッキリとしたものだった。遠くで屈んでいた時はわからなかったが、近くに寄った今は、椅子に座っていてもわかるほどの長身に圧倒される。背筋もしゃんと伸び、巻き気味の混じりっ気ない白髪が肩まで垂れている。もちろん歳はとっているのだが、老いているという印象までは受けない。

 しかし、それよりも一際目を引くのは生身ではない右腕だった。まるまる全部義手である。俺はその腕が実になめらかに椅子を引いたのを見た。普通の腕と遜色ない。そして、模様細工が入っただけの欠片を繋げた鋼鉄に、動力源は見当たらない。

 魔法だろう。


「お久しぶりです、先生」

「そうかしら? アナタを送り出したのが一月(ひとつき)くらい前のことのように、ワタシには思えるけれど……駄目ね、歳を取るとどうしてもボケてしまって」

「冗談はよしてください。あなたがボケるだなんて、想像しただけでおそろしくなるような話は、私は聞きたくありません」

「そうは言うけれどね、ゼニア。ワタシも色々と自分の機能を使わなくなっているのよ。あの娘も雇ったしね。錆びつくのも仕方がないと思わない? ねえ」


 姫様はそれには答えず、長く息を吐き出すばかりだった。そして早くも本題に入った。


「私が言いたいことは私の手紙に書いた通りで、本日こうして参ったのもあなたの手紙に書かれていた通りにしたからです。どうか、今一度あなたのお力をお借りしたいのです、アデナ先生」

「それで、あのお城までこの老体を持って行けと言うの? あんまりね」

「もちろん、相応の待遇と報酬は用意します」

「当たり前でしょう? それに、今回はアナタの個人的なお願いだっていうじゃない、ゼニア」


 意外にも柔らかな声をしていた。

 言っていることは何かにつけて否定的なのだが、声色には不思議に包み込むような雰囲気があった。そのせいで温厚な老婆が穏やかな会話をしているような錯覚に陥る。


「そうです。正直に言って、国も、家も、あまり関係がありません。でも、上手くいけば両方のためになります」

「ふうん、そうなの……それで、面倒を見て欲しいというのが、この子?」

「はい」

「それなりなんでしょうね?」


 アデナ女史は品定めするように俺を見た。

 何と言っていいかわからない俺の代わりに、姫様が答えた。


「わかりません」


 おいおい。


「わかりません、じゃ困るのよ。ワタシは暇人だけれど、無闇にそれを誰かに割いてあげるほどお人好しではないわ。それを知らないアナタじゃないでしょう? 当然、ワタシを納得させられるだけの理由を、追加で持ってきたのよね?」


 姫様は即答した。


ナチュラル・タイプ(自然型)ディザスター・クラス(天災級)である可能性があります」


 老婆は目を見開き、そして細めた。

 なちゅ……――なんだって? と俺は思った。


「確かなんでしょうね?」

「あなたに、確かめていただきたいのです」

「……フン、アナタが自分でやればいいのではない? ――とも言えないか。いいわ、来てもらったばかりで悪いけれど、また少し外へ出ましょう」


 俺が一言も発しないまま、そういうことになってしまった。




 庭の一画は芝生になっており、俺と姫様は老婆に命じられて、既に出ていたテーブルと椅子を脇へ片付けることから始めなければならなかった。文句一つ言わず従う姫様は新鮮だった。同時に、とんでもねえ人のトコに連れて来られちまった、と思った。


 その用が済んで、姫様は少し下がり、老婆は俺の目の前に立った。


「さて――……そういえば、アナタ、名前は?」

「フブキと申します」


 やっと喋ることができた。


「そう。フブキ、魔法は何ができるの?」

「……風が」


 彼女の義手が、上から吊るための糸を切られたようにだらりと下がった。

 あんまり急だったので、俺の視線は自然とそこへ移った。


「ふうん、そうなの」


 アデナ女史がそう言うが早いか、俺の両足は地上から離れた。猛烈な勢いだった。

 ――よくわからない。事象の繋がりに、脈絡がなさすぎた。


 空を飛んでいた。


 飛ばされていた。地面に対して垂直に。射出の方が正確かもしれなかった。


 景色がよく見えた。遠くにお城があるのがわかる。大学に入ったばかりの頃やったグライダーの体験講習を思い出したが、浮遊感はその比ではなかった。老婆の仕業に違いないのだが、文句を言おうにも到底声が届きそうな距離ではなかった。


 突然、上昇しなくなって、俺は落下を始めた。遊園地のフリーフォールが子供騙しに思えるようなスリルだ。掴むところも腰かけるところもない。何にも頼れない。


「あ――……あああぁあああア嗚呼ぁあああ亜アァ阿ーッ唖あっあああッアぁ――!」


 こういう時は、叫びたくないと思っていても叫んでしまうもんだ。不思議だね。

 自由落下だが、俺はこんな状況で自由になどさせて欲しくはないんだ、わかるか?

 あと何秒もしないうちに落下が激突になっちまうぞ、おい。冗談じゃない。


 あ、あ、そうだ、そういえば魔法があったんだった、しかもこんな状況にうってつけのやつが。――よく考えたら、文句は風で届けりゃあよかったじゃないか。まあもうそれはこの際どうでもいいとしても、()()()()()は、無事でいられるほど上手くやれるのか? 川に落ちた時とは違うんだぞ、あの時だって死ぬかと思ったんだ、今度はマジで、

 眼下に見える二人がとても、

 近い、


 すぐ目の前にあった芝生が砂利になり、やがて土へと目まぐるしく変わった。

 死んでおらず、出血も骨折もしておらず、激突もしていない。

 横だ。

 今度は横に動かされている。直前で俺を動かす力が横に、

 上だ、

 しかも今度は回転がかかっている。軸は胃の辺りに設定されている。強烈な縦回転だ。どちらが上か下もわからなくなった。すぐに、右も左も。

 すれ違った御者には、俺がどう見えただろう?




 たっぷり十五分はフライトを堪能した。

 何度かの()()()()()のうち、俺は一度だけ真剣に自分で自分を救おうと試みたが、後は全部諦めた。集中力が乱れていて、とても魔法どころではなかった。最終的には老婆が俺を射出したのと逆に、スレスレのところで受け止めたのだった。


 朝食の栄養を大地へ盛大に譲渡しながら、映画の『アルマゲドン』で似たようなシーンあったな、と俺は思った。あれには耐G訓練という名目があったが、これは……これは、何だ? 屈辱的な状況なのだろうが、実感が湧かなかった。震えが止まらない、胃を遥か彼方遠くへ剥き出しで置いてけぼりにしてしまった感じがあって、全く動きたくないのでどんなに小刻みな震えでも止めたいが、止まらない。自分の血流さえも現実っぽく感じられなかった。まったく、この世界は定期的に死ぬんじゃないかと本気で信じ込ませてくれる。退屈しないね。

 

 そんな、廃人とあまり変わらない俺の様子を見て、アデナ女史は一言、


「あらあら、これよりヤワだったらどうしようかと思ったわ」


 なるほど、くそばばあだ。

 不意打ちのくせに言われっぱなしというのも癪だったので、唇と喉が比較的正常に動きそうなのを確認してから、見当はついていたが、俺は一応訊ねてみた。


「これ、こ、これこれは……どどう、い、う、魔法――……ぅ……――なのですか?」


 アデナ先生は答えた。


「ただ、上手くものを動かせるのよ。それだけの魔法よ」


 それだけの念動力だった。




 俺がダウンしている間、二人で細かいことは詰めてしまったらしい。


 昼食を勧められたが、俺は断った。姫様はお構いなしに食べやがった。

 意地で、同席だけはした。一言も喋れなかった。水も飲む気にならなかった。


「よかったわ。承諾してもらえて」


 馬車の上で目を閉じたまま横になりながら、俺は言った。


「あんた、知ってたな」


 御者も聞いているだろうが、構うもんか。

 この女は知ってたんだ。そうでなきゃ朝食は少なめにしろなんて言うもんか。


「どうして教えてくれなかったんだ」


 飯の量なんて関係ないじゃないか。とんだ洗礼だった。事前に知らされて心構えができていれば、いくらかは――変わらなかったかもしれないが。


「だってあなた、どういう目に遭うかわかっていたら、逃げたかもしれないでしょう?」

「そんなことは、あ、いや……そうかもしれません」

「まあ、それは冗談としても、私としてはあれこれと理屈を並べ立てられるのが、面倒に感じたものだから……ごめんなさいね」


 結局、俺はこの、全く謝る気がなさそうな謝り方は嫌いではなかった。姫様が美人だからというのももちろんあるが、いっそ清々しい感じが、この人にはよく似合った。


「私も昔、似たようなことをやられたわ。彼女の趣味なのね」


 そうだろうな、と思う。絶対姫様にも容赦しなかっただろう。


「懐かしい。――彼女に師事できることを、幸運に思うことね。しっかり学びなさい」

「……了解」


 地獄の一ヶ月が始まった。

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