11-20 花の戴冠
「くれぐれもお気を付けくださいましね」
宿の馬を借り、門を出るところまでジュンはついてきた。
「フブキさん、どうか姫様をよろしく頼みますよ」
「ま、下見はしておりませんが――」
と、俺はわざと彼女の不安を煽るようなことを言った。
「猛獣が出ると評判の荒れ地へ向かうわけでもなし。心配ご無用です、お嬢様」
「本当に本当に頼みますよ」
まったく……長いこと接しているうちに、好き好き! になってしまって。
「しっかり半日休暇を楽しんでください。難しいかもしれませんが」
姫様が馬に飛び乗る。
「それじゃあ、行ってくるわね」
俺達は出発した。
都市部を出ると、姫様は馬を飛ばした。しばらくは道なりに進むだけだった。
途中の休憩で、大まかな道順と方角を伝えようすると、
「あなたが持ってきた話よ、先導して頂戴」
「……わかりました」
ヒューマン圏にいた時と違うのは、どこの空も真っ暗なので、案内なしに街を出て進むのは異様に心細いというところだった。幹線道路にはライト石がしっかり並べられているが、それらはあまり頼りがいのあるものではない。
足りない分は、自分達自身に光源を付けることで補う。
あちこちにジャラジャラとくっつければ、多少街道からルートを外れても活動可能な範囲が保証される。
ボーイの言うことには、目的地はその特殊な性質があるにも関わらず、観光地化されていないらしかった。もちろん日帰りできる距離なので、秘境というほど奥地でもないのだが、どうもここで長く暮らしてきた彼らドワーフにとっては、それほどありがたみのある存在ではないらしい。
似たような場所が(都から遠く離れているそうだが)実は東にもあったというし、それを除いても、どちらの大陸にも意外とポコポコ穴が空いているものらしい。
また、これは感情というか、意識的な面の話だが、必ずしもドワーフは天からの光差し込む光景を好ましく思っているわけでもないという。
――特に都市生まれのドワーフはそうですが、山外の要素を嫌いますのでね。
生まれ、育ち、そして没するのも暗闇の中という生き物が何代も続けば、そういう意識が芽生えるのも不思議なことではないのかもしれなかった。
ボーイがはっきりと言うことはなかったが、太陽の光を浴びにわざわざ遠出などしてしまうと、田舎者に見られるような風潮があるようだ。
「――ま、そういうわけですので、あまり両陛下などにはお話にならないほうがよろしいかと」
「そうね。私にも話さなかったところを見ると、ドワーフの上流階級にとって愉快な話というわけではなさそうね」
常に馬にスプリントさせるわけにもいかないから、俺達は時々歩かせるような速度に戻した。その間は会話がしやすく、雰囲気も落ち着いた。
「あるいは、話せないことだったのかもしれないわ。彼女達は、私が初めて会った時にはもう守秘義務を理解していたから」
「山の構造を紐解くきっかけになるということでしょうか」
ずっとこのような真面目な話を続けていたわけではない。
大抵は他愛のない内容に終始した。人並みにセーラムでの噂話やら、それぞれの仕事の愚痴、あとは俺の過去についてなどをやんわりと。
大きな道を外れ、野に分け入っていく。
光る石が照らし出す陰影さえ薄まると、いよいよ判断材料に乏しくなった。
空がなければ、北極星のような目印もないのだ。
これも、借りてきた方位磁石だけが頼りだった。
俺は歩き速度の間、馬上で地図を睨みつけた。
「道化師さん、大丈夫なのかしら?」
「合ってるよ。合ってる……はず」
だが、行く手には闇が広がっているばかりで、それらしき陽光の帯などを見つけることは不可能なように思えた。
「あとはこの方角へまっすぐ行ってから、壁に沿って進むだけだ」
「信じましょう?」
ほどなくして、俺の不安は杞憂だったことが証明された。
その壁――太古の空洞創造時代の名残――が、例の場所を隠していたのだ。
ぐねぐねと曲がる谷底の切れ目、その先に、忘れかけていた本物の光があった。
そこには確かに陽が射していた。
だが、俺は本当はそんなものを期待して姫様を誘ったのではなかった。
「――素敵」
一面の花畑。
目当てはそれだった。
一種類などとケチくさいことは言わない。パッと見ただけで十はバリエーションがある。カラーリングだって洒落ている、シアン、マゼンタ、シャモア、カスティールゴールド、ピアニー、他色々……それら全てが日の光を浴び、輝いているように見えた。
あと、蝶が飛んでた。
「評判以上だな」
と俺は言った。
「もしかして、知っていたの?」
「驚かせたかったんだ。冬なのに花が咲いてると、最初に言っちゃあ面白くないだろ?」
「そうね……それに――」
馬を牽きながら、姫様は天然の花園に足を踏み入れた。
「ここは暖かい。どうしてかしら」
「それも花のせいなんだそうだ。太陽からやってきた熱を蓄えるか、あるいは増幅するかして、春の気温にしてしまうんだな」
「不思議ね」
「不思議さ。俺達ヒューマンにとっては」
馬を適当な場所に休ませて、しばらく歩いてみる。見渡す限り、だ。
セーラムの城の庭園など比べものにならない。
「やっぱり、暖炉やら火鉢よりは自然の暖かさだな。こればっかりは敵わない」
「空気も都市部より澄んでる」
「気に入ってもらえるといいんだが……」
ふと、先を行く姫様が立ち止まって振り返り、俺の顔をじっと見た。
「……何?」
そしてするすると俺に近付いてくると、とん、と両手で俺の胸を押した。
「何だよ」
もう一度とん、そして次に、どん。
「んだよぉ……」
さすがによろける。しかも意図が読めなかった。何でそんなことするの?
それは最終的に――どんっ、になった。
「ウ――」
ちょっと吹っ飛び、息が詰まった。
花でふわふわとした地面に倒れ込む。
「ええ……?」
それを確認すると、姫様は脱兎の如く逃げ出した。
そしてちょっと振り返っては――笑いかけてくるのだ。
何なんだ。
俺は少し考えを巡らせて、
「にゃろう……」
難しいが、多分この解釈で間違えてないと思う。
悔しかったら捕まえてごらん、と――そんなとこだろう。
こんなファンシーで、メルヘンな環境の中?
あまりに我々らしくない光景だ。
俺は軽い頭痛のようなものを覚えたが、それはすぐに消えた。
「――待てコノ!」
本気で追いかけっこしたら俺が姫様に勝てるわけがない。
だからこれは本当に――戯れなのだろう。
でも、そのために来たと思う。
俺も駆け出した。かなり本気で走った。むしろ昔よりよく走れている気がする。
それでも、前を行く姫様が、軽く流しているような程度の走りに加減しているのがわかった。あんまり俺が情けないので、そこからも徐々に落としていった。
ようやく捕まえられる、というところで、俺は最後の力を振り絞って距離を詰め、腕を伸ばした。力いっぱいタックルしても、姫様は俺をやさしく包み込んで受け身を取るだろうと思った。
だが――やはりさすがというほかないが――姫様は霊体のようにそれをすり抜けてしまうのだった。
あきらめて、転ぶように尻から座り込む。
俺が観念したのを確認すると姫さまは戻ってきて、勝ち誇った顔で――そんなん当たり前だろうが!――手を差し伸べてくる。
自然、俺も笑みがこぼれた。
で、手を取るのだが、姫様は引き上げかけてから、離しやがった。
完全に起き上がる気が失せた。
「も、も、だめだ……休ませてくれ」
「私も少し疲れたわ」
と姫様は上着を脱いだ。考えてみれば、二人共、冬服のまま走っていたのだ。
俺はその姿に、中学生の頃のようにドキドキしている自分を見つけた。
別に姫様が特別煽情的な衣服を下に着ていたというわけではない。しかし、なんとなく、彼女が健康的な生き物だというだけで、いい感じがしたのだった。
「ずりいよな……」
「ずるくないわ。実力の差よ」
「そういう意味じゃねーよ……」
脱力していると、やはり昔よりも早く、息切れから回復してきた。
成長のピークを過ぎて、あとは歳を取るだけだというのに、衰えず若い頃より気力がみなぎっているとは、皮肉なものだ。もし自殺を思い止まる運命があったとしたら、こうはならず老け込んでいくだけだったのではないだろうか。
蝶を指に止まらせると、姫様はこう言った。
「何か口笛を吹いて。あなたの好きなものを」
俺は黙ってレパートリーを検索し、大の字になったまま、『マイ・フェイバリット・シングス』を吹くことにした。直球でこれが私のお気に入り、というわけだ。
初めて知ったのはテレビCMで、その後高校の音楽の授業で映画の『サウンド・オブ・ミュージック』を観て、コルトレーンへ行き着いた。
吹き終わると、姫様は俺の頭に腕を乗せて、髪を撫でた。
「いい曲ね。どういう背景があるのかしら」
詳しく説明するのは面倒だった。俺は煙に巻くことにした。
「終わってない課題の提出日の朝にな、諦めて、現実逃避しようと思って、映画のディスクをパソコンに入れる。そういう時に流れてくると、おそろしく沁みる曲なんだ」
「他には何があるの? もっとやって」
それでまあ、口笛曲の代表であるクワイ河のマーチこと『ボギー大佐』を演ったりした。その頃には俺は起き上がって、悪いと思いつつも、周囲の花を摘んで冠を編む気になっていた。
「器用なものね」
「作りませんでしたか? 昔に」
「あなたほど上手ではなかったわね。子供だから。むしろ男のあなたがそんなに慣れた手つきで作れる事の方が不思議なことだと思うけれど」
「別に男が作っちゃいかんという決まりはあるまい? それに、他の女の話になるぞ」
かなりギリギリを攻めた。ギリギリすぎてアウトコースかもしれない。
姫様は、どういうつもりで俺がこれを言ったのかわかりかねている様子だった。
俺は彼女の承諾を得ずに先を続けた。
「ちっちゃい頃は近所に女の子の友達ばっかり住んでてな、作ってやるとえらいウケがいいわけよ。これも昔取った杵柄だなあ」
「ああ――そういうこと」
「はい完成。……プレゼント」
片手で冠を姫様の頭に差し出す。
彼女は乗せやすいように、少し頭を下げた。
俺は直前でやめた。
「――何なの?」
彼女は明らかに不満げだった。
「いや、本当にこの、冠というものを――あんたの頭に乗せていいもんかと思ってね」
またもや、姫様は俺の言っていることの意味を掴みかねている。
「わからないわね、あなたが……何を言っているのか」
「最近色々、思うところがあって、俺なりに先のことってやつを考えてみてるんだ。姫様、まず貴女の従者としてね」
「どのようなことを?」
「だが疑問というか、はっきりしないというか、不明な点が多くて……まとまらないでいる」
「私にそれを答えろと?」
「そうだ」
「――いいわ。どれも、いずれは話すことでしょうしね」
「ありがとう。じゃあ遠慮なく、話づらいことを聞くからな」
「あなた今日強気ね」
「そうでなきゃやってられない。で、何を聞きたいかっていうとだな、セーラム王国はこの先どうすんのかってことだよ」
「セーラムが?」
「そう。回りくどく言っても仕方ないからもう詰めてくけどさ……王様は健康体だが、もう若々しいとは言えないよな? 少なくとも俺達ほどには。というか多分、あの性格ならとっくに……後継者問題を考えてると思うわけよ。ほんでまあ、俺がわからんのはさ、姉君様はそこんとこどう思ってんのかなって。姫様、そういう話したことない?」
「ないわ」
即答だった。
「でも、臣下が分かれて争うってわけでもないんだろ? まだエルフの脅威でそれどころじゃないし、肝心のあんたらが仲……いいのかはわからないけど、姉妹同士、宮廷闘争で殺し合ったり追放したりは全く想定していないように見えるが」
「そうね、大体あなたの言う通り。でも、それでも……姉さ、姉上が世継ぎについてどう考えているかは、重要な事項ではないのよ」
違和感があった。姫様の言っていることは筋が通らない。
「そんなわけないだろう。それは……兄君様達のことは残念だったが、血脈を残すって意味では、まず年長から考えるようになってる。大体、既に決められた相手が、」
「姉上には自分が決めた相手がいるわ」
「ならどうして!」
「姉上は子供を作る気がないのよ」
――なんで?
「なんで?」
純然たる疑問だった。
答えはすぐに送り込まれた。
「姉上は、女性を好むの」
それが耳の穴から入って頭蓋骨の中をカンコンと跳ね回り、いつまで経っても落ち着こうとしない。
遠くで馬が座って寝ているのが見える。
いや、まさか、そんな、だって、
「……あんたは、そんな嘘はつかない……」
「そう、私はそんな嘘はつかない」
ようやくその結論に達すると、事実は、妙な生々しさを持って人物相関図の中に付与された。
「兄上達が、弟が、生きていれば……それも大した問題にならなかったでしょうけれどね」
「だからといって、そんな――なんとかならなかったのか。無礼を承知で外野から言わせてもらうが、務めってもんがあるだろう! 無理矢理にでも、」
「父上がそんなことをすると思う? させると思うかしら?」
「思わねえ! なるほど謎が解けたぜ。はー……じゃあ、そうなると、消去法じゃないか」
「私か、私の夫になる者が王座を継ぐわ」
「わかった、次の質問に移ろうか。それで、あなたはどうするつもりなんだ」
「真面目に検討しようと思えない時期もあったわ。親族にくれてしまおうと考えたこともある。でも、今は違う」
姫様は俺の手から花で出来た輪を取り、そっと、頭に乗せた。
「私はそのつもりよ」
――なら、いい。
貴女の中で決まっているのなら。
俺もそれに従うし、心構えができるというものだ。
「そうか。じゃあ、俺もそのつもりでいるよ」
そう言うと、姫様は満足そうに頷いた。
「ちなみにその……姉君様のお相手は……」
「血筋は確か、とだけ言っておきましょうか」
「評判とか、色々……大変じゃないのか」
「そうね。でも、知らないなら知らないで、疎すぎるという種類の話だから。騒ぎ立てるような段階はとっくに過ぎ去ったわ」
「ああ、そう……」
それにしても、見る目が変わってしまうだろうな。
「――しかしあれだな、国の頂点に君臨するとなると、継承とはいえ準備しなきゃならないことが山積みだな」
「あなたには黙っていたけど、少しづつ片付け始めてるの」
「非常によい傾向です。すると、旦那様に関しても……?」
「候補がいないこともないわ」
「おお、それは――」
別によかあないが、……――かなりよかあないが、
「よかった。焦ってはいけないと思いますが、なるべく早めがよろしいでしょう」
「私もそう思うわ」
「して、有力なのはどこのどなたなんです?」
「聞きたいかしら?」
「それはもう是非。私が将来、並行してお仕えするかもしれない相手ですから」
俺がそう言うと、姫様の顔が能面に戻った。
「――変ね」
「何がです」
「食い違いがあるような気がするわ」
「食い違い、と申しますと」
「あなたは、例えばでいいけれど、どのような男が私の夫になると考えるの?」
「それは、例えば……セーラムの根幹を支えるような爵位のお方ですとか、あるいはそうですね、あまり近すぎるといけませんが、親族の中からもお探しになったりするものかと」
姫様は長いこと黙った。で……、
「それは、何か、冗談の類になるのかしらね」
俺は、非常に、間違っているような感じを覚えながら、
「いいえ、全然」
「そう」
そして、姫様は、長く長く、本っ当に長々長と、息を吐いた。
そのまま消え去ってしまいそうでさえあった。
しかしもちろんそんなことはなく、急激に存在感を取り戻すと、
「あなた、自分が外野だと言ったわね」
――怒っている。
「え、あ……」
「私には務めがあるのよね」
間違いなく怒っている。
「姫様?」
「強硬手段を認めるのよね? 付き合ってもらうわよ」
「おい、それは曲解だぞ、ん――」
姫様は俺を強く抱きしめると、唇に唇を押し当てた。




