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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第11章 かつてそこに在りし日
156/212

11-18 二つの昔話

「この国へ来る前に、ソブラニ(とう)を経由してきたじゃろう」

「はい……」

(くだん)の男はな、当時の島長(しまおさ)(せがれ)じゃった」

「ああ、そういうことでしたか……」


 それで、旧知の仲にしては、どこか姫様と現当主のやりとりがぎこちなかったのだろうと思う。


 嫁入りの約束がフイになってしまったとなれば、ちょっと気まずい関係だ。


「では、もしや、そのお方はあのハーマン・ロンド氏のご兄弟?」

「左様。あれの兄で、名はヨーマンといった。本来ならば嫡男(ちゃくなん)が後を継ぐそうじゃが、まあ、そのような経緯もあって……弟に役目が回っていったというわけよ」


 言われないとわからないものだ。

 そんな事情があの島にあったとは。


「知っての通り、ゼニアもルミノア王家の女、婚姻には政治がつきまとう。ガルデ王は島嶼群(とうしょぐん)への影響力を自らの代で確実なものとしたかったのじゃろうな、ロンド家の前当主と、互いの子供を縁組みさせる盟約を古くから結んでおった」


 あまりに普通な計画。

 現在では考えられないほどの。


 そんな政略結婚のルートでも、姫様が相手を好きだったというのは、何か運命的なものを感じる。やがて関係を断ち切られることも含めてだが――。


「ロンドに生まれたのは男子だけじゃったから、最終的に長男の相手としてゼニアが選ばれた。だが実際に両者が初めて顔を合わせたのは、ゼニアが(とお)で、ヨーマンは十五かそこらの頃じゃったな……」

「それにしても、よくご存じな――」

「当たり前じゃろ、これでも一国の(みかど)ぞ。国を閉じがちであろうとも、事情通にならねばやっていけんわ。……ま、しかし、それも真相の半分にすぎん。もう半分はな、当時からわらわは妹と共に、ソブラニへよく顔を出しておったからでのう。ゼニアとヨーマンが知り()うた後は、奴も仲間に入れて遊んだものよ」


 俺はその様子を想像しようとしてみたが、上手くいかなかった。

 材料がないのだ。

 自分では長い付き合いと思っていても、知らないことがたくさんある。

 いや――知らないことの方が多い。


「時が過ぎ、またにわかにヒューマンとエルフの(いくさ)は激しさを取り戻しおった。そのような流れの中で、ゼニアは兄弟姉妹を次から次へと亡くしてのう。その頃はわらわと妹も帝位を継ぐ準備に明け暮れていたから、あまり構ってやれなんだ……。合間を縫って会う度に、ゼニアは心労に神経を擦り減らしていてな、ヨーマンが陰に日向に支えていた姿を、今でもありありと思い出せる」

「必要な支えだったのでしょう。本当に――」

「だが、それを嘲笑うかのように、ソブラニと周辺の島々にも、とうとう出兵の要請がかかった。ゼニアとヨーマンが祝言を挙げる直前のことじゃった。ゼニアは父王に取り消すよう頼んだが、その(めい)はセーラム王というよりは、ヒューマン同盟全体のものとして発令されておったし、何より当のヨーマンが従軍を望んだ。ゼニアのためにも役目を全うするなどとぬかしてな。内向きの仕事が得意なくせして、職分も何もあるまいに」

「それで、何の証も立てずに()ってしまわれたのですか」

「ゼニアは出兵前に式を挙げたがっていたが、我が身に何があるかもわからんということで、ヨーマンは無事に(えき)を終えてからの(ちぎ)りを強く進言してな。長年続いた婚約の、事実上の効力が存在したとはいえ、女心には(つら)い選択であったかもしれん」


 あるいは、その男は何かを予期していたのだろうか?


「ヨーマンは手勢を引き連れ、大陸へと渡り、前線に向かった。そしてその後は――推して知るべし、といったところじゃな……」

「しかし――腑に落ちません。第三王女の相手とはいえ、セーラムの王家と縁を結ぶ予定があるほどの要人なら、討ち死にだけは避けられるように兵の配置をするものではないですか? それまでにルミノアの世継ぎが一人と言わず倒れられていたのなら、尚のこと……」

「それが戦の悲惨なところであろうなあ。予想だにしなかったことが起こる。ヨーマンはゼニアの兄弟ほど勇猛な男ではなかったから、戦線へ投入するというよりは、場所の押さえが主な任務だったと聞く」

「しかし、偶発的に、戦闘が起きた――」

「うむ。散々愛する者の死を知らされてきたゼニアでさえ、ヨーマンの健康を案じてはいても、棺に入って帰還するとまでは考えておらんかった」

「そんな……」

「十七まで育った女といえども、突きつけるには酷な現実であったろうよ。それがとどめとなった。その後のことは、そなたも知っておるのではないかな」

「はい……」


 そして、あの女は戦う気になった。

 武を修め、時を待った。


 俺を拾った。


「とまれ、それだけといえばそれだけの話じゃ。これ以上の詳細は省く。わらわが語り尽くしていいような話ではないじゃろうしの……続きが聞きたければ、ゼニア自身に問うがよい」


 一つ、新たに疑問が浮かんだ。

 ヨーマン・ロンド氏のことは残念とするほかないが、弟(ぎみ)が健在であるのならば、そのまま婚約がスライドしていくということにはならなかったのだろうか?


 また、ロンド家ではなくとも、他の相手を見繕って婚約し直すということだって、不可能ではなかったはずだ。


「――そなた、何かよからぬことを考えておるな?」


 何故わかったのか。

 それほどまでに俺は不穏な表情をしていたというのか。

 そうなのかもしれない。


 聞いて、平静でいられるような、話では……。


「姫様は、他の誰とも、結婚なさる未来を失くしてしまったのでしょうか」

「王が新しい縁組の話を出さなかったとも思えんが――現在のゼニアの在り(よう)が全てであろうな」

「……野暮なことでした」


 そうだろうとも。それが原動力ならば。

 他のことを考える余裕など、全て奪われてしまったに違いない。

 誰に何を言われても、最後の一線に触れるものは突っぱねてきたに違いない。


 自分の手でやると決心したならば、それが成るまでは、止められないのだから。

 過去に囚われ続けるとしても。


「ふん。で――参考になったかのう?」

「参考に……」


 どうしろというのだ。


 ついに昔の男のストーリーを聞いた、この哀れな半端者が、奮起するとでも思うのか。ゼニア・ルミノアの、おそらくは最も深い古傷を知って、俺はあらためて、黒くのっぺりとした壁の前に佇んでいることに気付く。自分は、どうしたらいいのだろう。

 いや――どうしたい?


「わかりません」

「わからんか。頼りない答えじゃのう」

「私にはわからないのです。何が何にとって、どう正しいのか。あるいは正しくなかったとしても、それをどう良しとすべきなのか」


 こんな言い方でわかってもらえるとも思わなかったが、主従という安寧の基盤が揺らいできた今、俺が姫様との関係に抱いている、嘘偽りない気持ちを形にするとしたら、こうだった。


 女帝は足を投げ出すようにして、身体を沈めた。


「まーったく、そんなところまで似るか。なんとまあ煮え切らん言葉の使い方をするものよ。そなた、よくそれで――まあよいわ。言わせてもらうとするなら、そなたは考えなくてもよいところを考えておる。ゼニアが望んでおるのはな、()()ではないぞ」


 女帝は立ち上がると、衣服の端に付いたホコリを優雅な動作で払い、


「さて、そろそろ帰るでな、確かに伝えたぞ」

「――あ、いや、お待ちを。先程、開発班から知らせがあって、どうもこの研究所だけでは計画は手に余ると」


 先を続ける前に、女帝はこう返してきた。


「なら、西の力も借りればよかろう」

「西の」

「丁度よい。ジニオラにもゼニアを会わせねばな……。それでよいか?」

「ええ、それは……願ってもないことだと思われますが……」


 この国の内情についてまだまだわかっていないことも多いが、ここと同じような場所がもう一軒協力してくれると仮定すれば、それはとても心強い。


「わかった。こちらとしても、無念に終わるのは望まぬ。手配させよう。他に言いたいことがあれば、今のうちに言っておけい」


 こんなに直接ものを言う機会は、確かにもう来ないかもしれなかった。


 だが考えても考えても、出てこない。


 何か言いたそうにするが形にならない俺の様子を見て、カロムナ帝はフ、と笑うと、


「ではな」


 ゆっくりと、しかし確かな足取りで去っていった。


 俺は首を振り、もうしばらく、そのベンチに座ったままでいた。




 さて、そうと決まれば、開発チームも旅の準備をせねばならなかった。


 結局、西にもやはり同じような研究所があることを知らされた。何故わざわざ分けているんだろうというそもそもの疑問があるが、それはまあ置いておく。

 そことスムーズに連携するためには、これまでの成果を持ち出せるよう保存したり、資料をまとめたりといった作業が必要だ。それを差し引いても楽になることを考えれば、文句を言う者は誰もいなかったし、そこまで大きな手間でもない。どのみち俺の立場からでは、頑張ってくれ……! としか言えない


 だから今は、待つことであった。


 そういえばサカキさんのデートはやっぱりダメだった。

 計画といえばこっちの計画もタイムリミットが迫っている。仮にいい相手が見つかったとして、じゃあ明日からウチ来てねと連れ去るわけにはいかないし、その気であればあるほどこちらに滞在しているうちの準備が必要そうな案件であるからして、そういう諸々を差し引くと実はもうあまり余裕がない。

 どうすっかなあと思うが、冴えた考えが浮かぶわけでもなし……当面は、向こうのジニオラ帝の知り合いでも紹介してもらうことになるだろうか。


 ホテルの部屋でごろごろしながら物思いに耽っていると、ドアがノックされる。

 出て行くと、すっかり顔馴染みになってしまったこのフロアを担当するボーイと、何故かドルバス氏だけが、立っていた。


 いや、よく考えれば今日は、俺と彼だけがホテルに残っていたのだ。

 ほとぼりも冷めたので、姫様はジュンと共に宮殿へ出かけていたし、サカキさんでさえ、この地を離れる直前の今なら旅の恥はかき捨てられると、ついに、ナンパへと繰り出していた。


「下にお客様が参られています」


 とボーイは言った。ドルバス氏は少し疑うような顔つきで、


「それが、共通の客だと……」

「共通の客? 誰でしょう」

「名乗られませんでした。ですので、このままお引き取り願うことも可能です。如何いたしましょうか?」

「ふーむ……どんな方でしたか?」

「男性です、中年の。しかしどうも、こう言ってはなんですが、あまり目立つような特徴のない方で……」

「アイダンだ。間違いない」


 それが逆に特徴だった。


「何と……」

「単独でいらっしゃっていますか?」

「ええ。お連れの方は誰も……お会いになりますか?」

「どうしますか、ドルバス殿? あまり安全とも言えないと思うのですが」

「……受け入れましょう。こちらに通せますかな?」

「かしこまりました。このお部屋で?」

「構いませんよ」


 と俺も頷く。


「少々お待ちください……」


 ドルバス氏と共に部屋で待っていると、しばらくして、再びドアがノックされた。


「どうぞ」


 ドアが開け放たれる。

 アイダンの後ろで、ボーイが少し心配そうにこちらを見ていた。


「失礼する」

「こちらへおかけになってください」


 と、俺は座ったまま手で椅子を指し示した。


 賭場にいない時のアイダンは、全くオーラがなかった。そこらへんを歩いているフツーのオッサンが、間違ってこのホテルに迷い込んできたように見えた。


 剣呑な雰囲気もない。

 帽子を取り、当たり前のように座る。


「あー、ようこそ……というのも変か……。ご用件は?」

「まだ約束を履行していない」


 とアイダンは言った。


「その件で来た」

「約束……ああ!」


 俺としちゃ他人事(他ドワーフ事)であるのでほとんど忘れかけていたが、ドルバス氏の滞在を認めてもらうのとは別に、アイダン自身が――今思えばそれはどちらかといえば余計なことで、多分好意からだったのだという気もするが――娘さんの消息を教えてもいいと提案したのだった。


「本当に来るとは思わなかった。意外に律儀なのだな」


 とドルバス氏が言う。


「心外ですな……それにしても、他の面々は、今日はここには?」

「出かけています。暇なのは私とドルバス殿だけで」

「そちらの方が気楽だ。これも日柄がよいというのか……本当は研究所に出向こうかとも思ったが、仕事の邪魔にはなりたくなかった」

「ならこちらで正解でしょう。それで……」

「早く……早く本題に入ってはくれまいか……!」


 彼にとっては、喉から手が出るほど欲しい情報。


「……そういうことですので」

「焦らずとも、語れることは全て語って帰るつもりだ。そう長くはないがな。ラグナエル・ドルバス、あなたの言いつけ通り、ご息女は遠方に住まう親族を頼り、そして無事に辿り着いた」


 ここで安心はできない。まだ序章だ。


「だが暮らしているうち、折り合いが悪くなったようだ」


 そらきた。


「彼女は早くにその家を出て行った」

「――馬鹿な! どこへ行くというのだ!」

「行くあてはなかったようだ。しばらく放浪が続く。様々な日雇いの仕事で糊口(ここう)をしのいでは、この東部を転々としていたらしい。すまないが、この時期の詳しい足取りについては、こちらでもよくわかっていない。山の外にもいたようだがな」

「なんということだ……」


 様々な日雇いの仕事――悪い方向にしか想像力が働かない。


「それで……どうなった」

「次に落ち着くのは、ある曲芸団で猛獣使いの称号を得るところからだ」


 ――笑っていいところなのか判断しかねる。


「根無し草なのは変わらんではないか!」


 そこにツッコんでも……。


「この興行は中々好評で、比較的長く続いた。しかし実入りはよくなかったようで、最終的には、解散することとなった」

「ではまた不安定なお立場に?」

「いや、少ない中からいくらか貯め込むことには成功していたらしい。解散地の近くの町に部屋を借り、役場の事務仕事に潜り込んだ」

「まともな職だ……」

「だが、汚職事件に巻き込まれ、容疑者の一人として数えられた」


 うわあ。


「そんな……そんなことをする子ではない!」

「何年経っていると思っているのだ。娘がどう育ったかなどもう誰にもわからん……。ともかく、事の真相は不明だが、結果的に、無罪で釈放された。だが、職に復帰することは叶わなかった」

「何という不条理……!」

「それで次に見つけた働き口が、牧場の下働き」

「ぐっ……、いや、カタギならもうそれで……」

「その牧場は、牛とドワーフを戦わせる闇賭博で有名だった。娘は、そこで闘士としての才を見出される」

「――な……」

「五十年に一度の牛殺しとして評判を得ると、懐も潤ったのか、胴元側に移った。この賭場の経営は成功していたようだ。だが間もなく牧場は当局に摘発され、元締めの一人であった彼女は重責を問われ、投獄されている」

「……あ――あぁあああぁぁ……!」


 ついにドルバス氏は泣き崩れてしまった。


「なぜ……あぁ、うぅうう――」


 気の毒だが、かけてやれる言葉もない。何しろ……、


「終わりではないぞ。当然、続きがある」


 まだあるのか、と俺は思った。波乱万丈の人生だ。


「投獄期間は数年だったが、それでもまだ彼女は界隈では有名なままだった。胴元時代に敵を作りすぎたのか、釈放後も身の危険を感じ続けていたようだ」


 どんどん黒い方向へ身を堕としている。

 そのような状況に陥るのも頷けた。


「最早東部に自分の居場所はないと判断したのか、彼女は有り金をはたいて西大陸へ向かった。そこで子守り女中の仕事を見つけたが、やはり、長続きしなかった。その後、スレンザという中規模の町に移住した。これを」


 と、アイダンはテーブルに折り畳まれた紙切れを差し出した。

 ドルバス氏が涙を拭い、受け取る。


「住居周辺の情報と地図をまとめてある。あまり詳細なものではないが」

「ということは」

「ここで探るのをやめた。理由は、娘がこちらの手の者に勘付いたのと、こちらの興味がその頃に薄れたせいだ。正直言って、あなたが現れるまでは忘れかけていた」


 語り終えると、アイダンは俺の方を見た。

 苦々しい色をその瞳から読み取れるかと思ったが、ただ見ているということ以外は、わからなかった。


「これで情報は全てだ。そちらが納得すれば、帰ろう。納得できなくとも、もう出せるものはないが……」


 ドルバス氏は紙切れを展開し、そこに目を落とした。しばらくの後に、


「――結構だ。確かに支払ってもらった」


 アイダンは頷く。


「そうか。では――これで失礼する」


 立ち上がって帽子をかぶる。


 出て行くアイダンを、俺は扉まで見送って、さらに廊下の角を曲がるところまで確認した。


 恨み言の一つなく去った。そしてそれが、不思議と不気味にも思われない。

 その時のことはあくまでその時のこと、なのだろうか。


 戻ると、ドルバス氏は紙切れを元通りに折り畳み、握りしめるように掴んでいた。


「西、か……」

「まあ、丁度よかったんじゃないですか。我々も西へ移るのですし。その紙を頼りに、消息をまた辿ってみましょう」

「……そうですな……」


 心ここにあらずといった様子で、ドルバス氏はいつまでも紙切れを見つめている。

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