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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第11章 かつてそこに在りし日
154/212

11-16 寝るというだけのことについて

 帰り道では、誰も何も言葉を発しなかった。

 行きにも増して沈黙の支配する馬車の中では、まだ少し緊張が残っている。


 無論、勝ちは勝ち、喜ぶべきことであると――わかっているが、未だ信じられない。

 皆の本音はそんなところだろうと俺は思った。


 あれで本当に成立していたのか、適正なゲーム処理だったのか、最終的に採用されるべき判定だったのか――つまるところ、ここからまた状況がひっくり返るようなことがあるまいかと警戒しているような節がある。元から勝算の薄い戦いだった(と思われていた)ために、せっかく掴んだ勝ちの輪郭すらぼやけているように感じられてしまう。


 しかし念には念を押して、結果は覆らないという確認はどの方面からもしていたわけだし――こちらがちょっとズルした程度で反故にされるのだったら、そもそも徹底的に全体を検証してみやがれという話だし、そうなれば向こうのディーラー抱き込みはどうなんだということにもなるし、互いに出血してまでなんとか再び状況を動かすだけの気概があるか、気力が向こうに残っているかという点を考えると、果たしてどうか。


 とはいえまあ、概ね作戦通りに相手をハメた俺自身も、少し出来すぎだと思わなくはなかった。あそこに至る過程まできっちり想定していたわけではないにせよ、最後のまとめに関しては大体思惑の中に……いや、面白いくらい向こうが乗ってくれた。

 後戻りのできないところまでだ。


 アイダン自身が敗北を認めるところまで行ってしまい、女帝もそれに呑まれた。

 だから俺の勝利ということで確定させてくれ。

 それ以上は疲れすぎる。


 少なくともこの夜は、もう既に、きっちり、終わらせたものだ。




 ホテルの部屋のベッドに倒れ込む。

 もう朝と認識してもいい時刻だったが、この都市では夜が明けても日は昇らない。頭は眠いのにもう外が明るくて眩しくて寝入るのに苦労する、というようなことはない。


 せめて昼食頃まで使いすぎた頭を休めておこうと思うのだが、何故か、俺の部屋に俺以外の人間がもう一人いる。さっき、解散を宣言したはずなのに。


「ふー……まだ、何か?」


 姫様が扉へ寄りかかり、腕を組んでこちらを見ている。


「あの、本当に悪いんだけど、正直もう寝てえな。神経使いすぎたよ」

「――まず、ご苦労様」

「どうも。……あれでよかったよな? 陛下はお認めにならないだろうか」

「いいえ。好みの決着ではないでしょうけれど……あれはあれで、通すことになると思うわ。どうあれ、結果がはっきりと出てしまった以上は、カロムナがそれを軽んじるようなことは考えられない」

「よかった。あんたがそう言ってくれるなら少し安心したよ。それで、労いの言葉をかけるためだけに来て下さったのですか?」

「腑に落ちない点がいくつか」


 なるほど。確かめなきゃ眠れないか。


「お答えいたしましょう。今なら」

「……まず、前提として――向こうが裏でディーラーと繋がるだろうというところまでは読んでいたのよね?」

「そうだな。ああいう稼業だとどんな手を使ってでも勝つっていうのが普通の考えだろうし、昔にドルバス氏とアイダンが勝負した時も疑わしかった、なんて情報が入ってきてるわけだしね。会場を第三者に用意させるって条件をすんなり呑んだ時点で、何かしら影響を及ぼせる自信があったと見た。向こうにしてみれば、あの条件がこっちの思惑の発露と簡単に見通せるわけでね。対抗しなきゃならない。どういう形であれ、奴らが戦いやすくなるギミックを用意されるところまでは織り込み済みだった」


 話している途中で、姫様はこちらへやってきてベッドに座った。


「むしろ、それが無い方が困った?」

「うん――向こうには自分達が有利な立場であるということを念頭に置いていて欲しかったし、実際の状況もそうあって欲しかった。余計なところへ意識を回さないように、上手くいっていると思い込んでもらって、しかもそれが一応真実である必要があった」

「そこまではいいとして――最後の状況へ持って行くまでの、人数の調整に関しては何か展望があったの? 結果的に一対一になったからよかったけれど、違った展開も十分にありえた」

「そこが一番のギャンブルだった。そこだけはね、皆の頑張りに期待するしかなかったな。大負けにならないようにっていっても、こっちは素人集団、向こうは明らかなプロ二名入りだったから」

「それでよく本格的な練習はしない、なんて言えたものね」

「地頭に期待さ」

「最後の札は? 何が来ても同じことになった? もし『天地』がアイダンに入っていても、ジュンへ合図を出すのは間に合うとわかっていたの?」

「それは、そうだよ。『天地』の効果を使う時は、宣言をして一旦流れを落ち着かせてから公開するわけだから。ジュンが仕掛けるまでの時間は十分稼げたはずだ」


 俺が手を叩いた時が消灯の合図。何の問題もない。


「可能性は低いと思うけれど、あなたの札の方が強かったら……」

「ないね。結局引かされたの『道化師』だぜ? そんな意志はなかったよ」

「でも、直前の勝負で既にあなたは全額賭けてみせた。警戒されてもおかしくない」

「ディーラーが気の利く奴だったら、判断に困る札を渡してきたのかもしれん。そういう展開になったら確かに困ったろうけど、でも、ゲーム全体を通して見て、彼らは結局、向こうのプレイヤーに良い札を渡すってことしかやってなかった。それが命令だったから、やっぱり踏み切れなかったんだろうな」

「そうね……そうなのかもしれない」


 姫様もゆっくりと身体を倒し、ベッドの上に寝転がる。


「ほんで? そんだけ?」

「待って、あとこれだけ――もし、相手がレイズの上限撤廃を承諾しなかったら、どうするつもりだったのかしら?」

「いえ、それもないです」

「どうしてそう言い切れるの? 根拠は何?」

「根拠――いや、そういうのは特に……。作戦上、何が何でも口車に乗せようということだけは決めていて、それが崩れると成り立たない。だから、なんというか……それこそ、どんな手を使ってでも言いくるめる所存だった」

「じゃあ何……? 結局は、あなたがアイダンをまるめこむかどうかの勝負だったということ?」

「彼が割と素直な男で助かった」

「私達はそれに付き合っただけ?」

「んなこたないさ。皆が粘ってくれて初めて交渉のテーブルに座る準備が整ったわけだし、あんたが上手に退いてくれたから大きいのを直接ぶちかますことができた」

「自信はあったの?」

「え?」


 手が伸びてくる。顎を少しくすぐられた。


「どこまで、勝つ自信が持てたのか」

「……全体としての作戦の印象は不安だったよ。相手の手の内が読めていたわけじゃないし、専門家との戦いじゃ実力が違いすぎる。でもまあ、強いて言えば、口での勝負なら、多少は分があると思った。軸をずらして戦うっていうのかな、期待に応えるなら、どうにかしてそこに持ち込むしかないというのはわかってた。だからそうした」

「そう」


 姫様はどこか満足そうに頷き、


「フブキ」

「ん?」

「あなた、良くなったわ」

「それは……どういう意味で?」

「良くなったわ。とても」


 褒めているのだということはわかる。


「なんだか照れる」

「良くなった」

「……寝てもいいかな」

「おやすみなさい……」


 あなたもこの部屋で寝るのか? とは言えなかった。

 そうしたいから来たのだろう、と考えるしかなかった。


 少し迷って、目を閉じることにした。




 しばらく経ち、姫様の呼吸が規則的なものに変わっていくのがわかった。

 俺はさらに待ってから、瞼を開いた。


 本当は眠くなどなかった。

 まだギャンブルの熱が身体に残っていた。そう簡単には抜けてくれそうもない。外で軽く運動でもして、それからまたベッドに潜り込もうかと考える。いや、いっそどこかの噴水へと飛び込もうか。冬だけど、効率よくこの火照りを冷ましてくれるなら。


 それに――それにだ、この状況下で俺まで眠り込んでしまってよいものだろうか?

 俺は彼女が、姫様が、本気でこのベッドで就寝してしまうなどとは思いもよらなかった。どういうつもりなのか。熱い夜にあてられて、彼女までおかしくなってしまったのだろうか。


 起き上がってみて、観察し、狸寝入りではないことを確認する。


 俺があまりに秘密っぽく振る舞ったために、心労をかけたかな?

 こっちはどうすれば勝つかわかっていたが、それを知らされない側にとっては、オールインやら仕掛けが失敗したフリやらはまさに狂気の沙汰でしかない。ギナゴザの私兵に取り押さえられた俺の姿は、姫様にとっても破滅の体現者として映ったのではないか。そんなものを見守るストレスはごく短時間であっても相当なものと思われた。


 ただ――俺はそんな理由で姫様が睡魔に負けるとは考えられなかった。彼女はこの細さでタフな女だ。その気になれば十日眠らなくたって目の下にクマを作るだけで済ませるだろう。だから多分、この隙だらけな状態は、少なからずやろうと思って引き起こしたものに違いない。彼女はここで寝たいと思って寝たのだ。


 何故か。

 わからなかった。


 ともかく、反対に、俺は眠りたくあるが眠れないだろう状態なので、姫様のことはそっとしておくとして――まだ一応確かめておかなければならないこともあるので、静かに部屋を出た。


 すると、目当てはすぐそこにいた。


「あ、ただ今戻りました……」


 ジュンは壁に貼りついている。


「ただ今ァ? ずっと聞き耳立ててたろ」

「わかります? でもさっき帰ってきたのは本当ですよ。それでお二人を探していたらここに」

「ふーん……まあその様子だと無事かな、とりあえずよかった。追手がかかったと思うが……」

「首尾よく撒きましたとも」

「流石だ。よくやってくれた」


 誰も見ていないのをいいことに、ジュンは床へ直に座った。俺もそれに倣う。


「――せいこうしました?」


 反射的に、してないよ、と言いそうになって、自分のアホさ加減に呆れる。

 字が違う。


「ああ、上手くいったよ。出来すぎなぐらいで。まったく――他の皆にゃ悪いが、一番の功労者が誰かっつったらお嬢様ですよ」


 ゲームが始まってから、ずっと天幕の上で息をひそめていたのだ。やっと中を覗ける程度の穴を通して、機を窺っていた。そして俺の合図に応えて火を消し、素早く撤収した。しんどい役割だ。


「言われたことを言われた通りにやっただけですけど?」

「それでもだよ。そもそも、お前がいてくれなきゃ立てられなかった作戦だ」

「そうですか。本当にそう思ってくれているなら、頭の一つも撫でてもらいたいものですけど」

「もうそんな歳でもないだろ?」

「……まあ、そうなんですが……」


 少し間があり、


「姫様は中に?」

「ああ。どういうつもりなんだか……人のベッド奪って眠りこけてやがる。珍しいよ。普段の姫様なら、お前が帰ってくるまでは起きてたろうに」

「ついにそれだけの信頼を勝ち得たんでしょう。わたしは絶対に戻ってくるものと思われて、あなたは一緒に寝てもいい相手と思われてる。そういうことです」

「ちょっと待て、納得いかないな。お前への評価はわかるよ、正直言うと俺もあまり心配はしてなかったもの。けど俺への評価は――何なんだ、それは? 一緒に眠るっていうのは……」

「――さっきの言葉、おかえしします。わからない歳じゃないでしょ?」


 急に退路を断たれたような気がした。


「いや……だって、それは……」

「だってもなにもありますか。人は何も考えず無防備になったりしませんよ」

「……寝るだけなら、これまでも行軍で野宿とかはあったろう」


 ジュンは、はあーっ、とわざとらしく溜め息をつくと、


「それ、自分で言ってておかしいと思わないんですか?」


 思う。思うが、そうとでも言い訳をつけないことには、だって、どうなる? 真面目にこのようなことが何故起こるか考え始めたら、大変なことになってしまわないか?


「どうしてあなたが今、部屋の外にいるのか……理解できません」

「それは、まずお前がちゃんと帰って来れたかどうか、姫様の代わりに確認する必要があったわけで、」

「はい解決。部屋に戻る」

「――二人きりで寝るわけにはいかんだろ!」

「今更誰も咎めませんよ。本当に寝るだけなら、ですけど……。それにおかしいじゃないですか、昔は旅先で姫様が寝込みを襲われたらコトだとか言って、無理矢理寝室に居着こうとしてたくらいなのに」

「あの頃はお前の経験値も少なかったし任せきりにできないと思ったんだよ! それに交代で見張り立てようって時の話だろ? 条件が違う」


 今のジュンなら、姫様の近くで寝ていれば異変が起きても即座に対応できるだろう。


「もうさ、俺は寝椅子か何か探してそこで寝るから、代わりに部屋入ってくれよ」

「大体それがおかしいんですよ、何普通に寝かしつけてるんです! 悪いことは言いませんから、すぐに戻ってですねえ――もしかしたら姫様、まだ寝たふりしてるかもしれませんから、ほら」

「聞きたくねえ。今する話じゃない。寝たいなら寝かせとけ! 何でこんなことするのかわからねえよ。わからねえし、わかりたくない。じゃ、あとよろしく」


 立ち去ろうとするも、ジュンはがっちりと俺の腕を掴んでいた。

 強引に床へ引き戻される。


「おい……」

「嘘だ」


 とジュンは言った。


「何が」

「本当は全部気付いてるくせに」

「何のことだよ……」

「わかってるくせに!」

「わからねえっつったろ」

「ばかーっ!」

「ちょ、おい、声でかいって……」

「何がいけないんですか!」

「いけないだろ借り宿だぞ」

「そうじゃないです、あなたは、受け止めることを、いけないと思ってます」


 受け止める、って……。


「――そ」

「思ってます」

「そんなことない」

「そんなことないことない!」


 なんなんだこれは。


 大勝負を終えて、その生々しい印象も褪せないうちに、何でこんな全然関係ないことで説教されなきゃならん? こういうイベントは、普通は日を改めてからだろう。


「あのな、ジュン……多分何か誤解が起きてるよ」

「なら、説明してください。わたしが納得するまで。姫様との関係をあなたが本音ではどう思っているのかについて、包み隠さず」

「説明……」


 大変に面倒くさいことになった。


 なんだかよくわからんが、ジュンは俺にキレてる。


「なあ、ジュン、今のお前を納得させるのはかなり難しいよ。自分で何言ってるかわかってないだろ? 皆疲れてる。俺もお前も疲れてる。姫様でさえ、俺の部屋でつい眠り込むくらい疲れてる。そういう夜だったんだよ。もう休んだ方がいい。ちょっとリフレッシュして、それでもまだこの話題を続けたかったら、聞くよ。それじゃだめか?」

「だめです」

「だめか……」

「でも、今からあなたが部屋に戻って、姫様と並んで眠るなら許します」

「どうしてそうなる」

「だってそうでしょう! 姫様もあなたも、お互いのことを何とも思ってないなら、同じベッドで眠ったって平気でいればいいじゃないですか!」

「だから、そういうわけにはいかないんだよ」

「それは、意識してるからですよ……」


 そういうことになってしまう。


「なんで、ここまできて避けるんですか……? 姫様の思う通りにしてあげればいいじゃないですか……」

「姫様がどう思ってるかなんて……わからないだろ」

「本当に?」


 こういう時ばかり、俺は人の顔をきちんと見てしまう。

 ジュンは悲しそうな顔をしていた。


 その顔が不意にぐっと近くなり、気がつくと、俺は床に組み伏せられていた。

 喉には短剣が当てられている。


「本当にそうですか? 姫様の気持ちがわかりませんか? ずっと、わかっていなかったんですか? ――誰の気持ちも? それでいいんですか? それなら、死んだ方がいいとは思わないんですか?」


 喋ろうと喉を動かすだけで皮膚が裂けそうだった。


「あなたはばかです。姫様は、あんな勝負にあなたが勝ったことで喜んだかもしれないけど、そんなのちっとも……いいことのうちに入らない。あなたはばかなんです」

「……――わ、かってる、よ……」


 まだしばらくジュンからは殺気が放たれていたが、それもやがて消える。


「わかってるならいいです」


 俺の上から退いて、得物もしまう。


「失礼しました。わたしは……自分の部屋に戻ります。フブキさんはお好きに」

「ああ……」


 ジュン自身が、自分のしたことを馬鹿らしく思っているに違いなかった。


 足早に去ろうとする彼女を呼び止める。


「待った」

「何か……?」

「すぐには無理だ。無理だけど、やっていくよ……少しづつ。だから、目が覚めて顔を合わせたら、もう普通の感じで頼む。何というか、このままギクシャクしたくない」


 ジュンは、少しの間、俺を見下ろしていた。


「できないか?」

「いいえ。わかりました。わたしだって、ケンカっぽいのは嫌ですから」

「よかった」

「では」


 廊下に一人取り残されて、俺は行き場を失った。

 壁に背をくっつけたまま、やっと睡魔が現れるのを感じる。強烈なやつが。

 こんなところで――。


 疲れた身体に床は厳しかったが、今は、それでもいいという気分だった。

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