11-13 つまづき
当日になっても、皆には微妙な不安が残っていた。
日が暮れるまでの長い時間を、本当にルール確認と簡単なプレイのみで過ごした。一分一秒を惜しんだりすることはなく、まるで暇つぶしのように。
誰も他にやることがなかった――というより、この事件が解決しないことには、何も手につかないのだ。ナガセさんとロードン部長を拘束してしまっているので開発チームは仕事を再開することができないし、所長の立場であるギナゴザから完璧に睨まれてしまっていて、活動の存続すら危うい状況だ。施設から荷物ごと追い出されるようなことはまだないものの、呑気に出勤してみたところでモメるだけだろう。
そう考えると、采配を任される今の俺の立場はいかにも責任重大なふうに感じられてくる。今回、そこまでの取り決めこそしなかったものの、勝敗が銃器開発にまで影響を及ぼす可能性は高い。こちらが負ければドルバス氏は強制送還され、彼と結びつきのあったロードン部長の立場も悪くなってしまう。何か別の口実もくっつけられて更迭なんてことさえありえる。そうなればギナゴザはもっと聞き分けのいい人材を新たな部長に据えるだろう。兵器部のスタッフだって総入れ替えしてくるかもしれない。
計画そのものは一応姫様から女帝を通しているので握り潰すことはできないだろうが、足元から崩されると再調整は困難を極めるだろうし、ギナゴザがドルバス氏に味方していた俺達のことを許すはずがないので、他にも様々な妨害工作が予想される。そうこうしているうちに叩き台も完成しないまま春を迎えて時間切れ、企画自体が白紙へ――なんてことも考えられなくはない。
逆に、今までよく従順でもないだろうロードン部長を飼っていたな……と疑問に思う部分もあるが、そこはドルバス氏を追い出した大昔の段階である程度満足したのだろう。個々に分けられていた状態なら脅威とは見なしていなかった、ロードン部長単体なら従えられると考えていた――実際これまではその通りだった――つまり、彼らが揃っている状態がギナゴザは嫌なのである。もっと言えば、ドルバス・ロードンのラインから波及して、研究所から影響力を奪い取られるのが困るというわけだ。
一方、こちらが勝てばドルバス氏の滞在権居住権は皇帝陛下のお墨付きとなり、少なくとも存在していること自体が問題ということにはならなくなる。そこにいるのが問題ないドワーフと繋がりがあるから、という理由でロードン部長を今の仕事から降ろすのは論理的に破綻しているので難しくなるだろう。彼が兵器部の元締めをやってくれてさえいれば、こちらに好意的な体制が維持される。
現実味があるのは勝敗関係なく嫌がらせを仕掛けまくってくるというオチだが、目に余るような内容なら姫様から女帝にチクってもらうという方法も取れるはずだ。多分あの女ドワーフは賭けの勝者には寛大だろう……。
とはいえ、開発計画の邪魔をしないという条件も盛り込んでおけばよかったのは確かで、そこは明確な手落ちだ。あの状況で咄嗟に思い浮かばなかった不覚を呪う。ドルバス氏の娘の消息よりはよほどよかったはずだ。全体のために。
馬車に乗り込んでからも、皆が抱えた不安は膨れあがっていくばかりで少しも軽減される様子がない。女帝の用意した会場へと向かうにつれ、重苦しさが車内を支配していく。唯一、ナガセさんはなるようになるだろうといった態度だが、それもどこかヤケクソ気味な感じがする。
結局、具体的にどういう策でもって相手に勝利するかという、肝心な部分が知らされていないのが大きい。まあ、何が何だかわからないまま本番に臨む人はまだいい。姫様とジュンは俺の企みの半分くらいを知ったので、それに比例して半分くらい諦めているところがあった。大体、俺にしてからが必勝とも思えない作戦に頼りなさを感じているのだから無理もない。不安なのはこちらも同じだ。
他者の目を避けるが如く、市外から研究所とはまた別の方向へ離れた草原に、その天幕は設営されていた。周囲には農場も民家もなく、厚い生地から僅かに漏れる、光る石より遥かに頼りない、原初の燃える明かりだけが闇の中で不気味に輝いていた。
「雰囲気出てる」
ナガセさんが誰に言うともなしにつぶやく。
エンターテイメント性の一切ないサーカスがあるとしたらこんな感じのテントでやるだろう。広さは申し分なさそうだった。その広さが、あまり嬉しくないのだが。
ギナゴザとアイダンは先に会場入りしたようで、今回の勝負を取り仕切る係員が既に馬車を預かっていた。意図したわけではなかったろうが、待ち伏せされたようで気に入らない。もっと出発を早めるべきだったか。
「では、中へどうぞ……陛下もお待ちです」
闇に目が慣れていた状態でも眩しくない、間接照明のように淡い、蝋燭の灯火。
「――来たか」
カロムナ帝が俺達を出迎える。
そのずっと後ろで、ギナゴザ一派も待機していた。
「誰が戦いに出るか、きちんと決めてきたかのう?」
「はい。お待たせいたしました。こちらからは私と、姫様、こちらのナガセさんとサカキさん、そしてロードン氏が」
と俺は説明した。女帝は首を傾げ、
「なんじゃ、あの連れの娘は出んのか? 姿も見えんが――」
姫様が答える。
「ジュンは今朝から寝込んでるわ。慣れない場所に来て体調が崩れたのかしらね」
嘘である。ジュンは別行動だ。
「なんと。病知らずの丈夫そうな娘に思えたんじゃがのう……」
「おかげで今日はちょっと不便よ」
「ふむ。まあでは、さっそく席について始めてもらうが、よいかの?」
「ええ、準備はできてる」
中央に円いテーブルと、それを取り囲むように椅子が並べてある。
結構ギリギリな大きさで、意識しないと肘が触れるほど身動きに困るということはないが、気を付けないと隣のプレイヤーに札が見えてしまいそうな距離ではある。今回は札の配布をディーラーに完全依存するため、そのへんに考慮したのだと思われる。
「頼みましたぞ……!」
ドルバス氏とギナゴザに見守られながら、それぞれの陣営が歩み寄っていく。
相手チームも、アイダン以外のメンバーは割とどうでもいいと思っているのか、ギナゴザの私兵に見た顔が混じっている。それを三名と、残り一名は――、
「あっ」
俺と向こうで同時に気付き、同時に驚く。
残り一名は、カジノの戦盤コーナーで対局した、あの女ドワーフだ。
「あれっ? 何でいるの?」
「そちらこそ!」
「いや、あたしは知り合いに卓が立つから来ないかって言われて、暇だったから……ええ? なーに、ちょっともう――詳しく事情聞いとけばよかった。まさかねえ」
まさか対戦相手に知り合いがいるとは思ってもみなかった。
周囲も戸惑っている。姫様はかろうじて気付いたようだが、他の人はおろか、アイダンでさえ意外そうに俺達を見ている。妙な雰囲気になってきた。
「ちょっとフブキさん、知り合いなんですか? ってか何で知り合いが向こうにいるんすか?」
とナガセさん。サカキさんも、
「どちら様なんです……?」
と疑問顔。別に何がまずいというわけでもないが、出鼻を挫かれたような間の悪さがある。俺は小声で二人に説明した。
「ええと、その……実はサカキさんの次のデート相手って彼女で……」
「はあーっ!?」
ナガセさんも小声で叫び、サカキさんは目を丸くする。
「何ですかそれ……」
「いやあ、まさかこんなところで鉢合わせるとは」
「――どうも世間は狭いようだな」
アイダンまでもが相槌をうつ。
「だからといって、彼女に手を引かせるわけにもいかない。いつまでも戸惑ってみたところで仕方がないし、これから別件で少し話し合いもしなければならない。このことについてこれ以上言うのは避けた方がいいように思うが、どうか?」
「……まあ、そういうことだから」
と彼女も肩を竦めた。
「失礼しました、少し驚いただけです。勝負は勝負――それで、別件というのは?」
「席順について取り決めていなかった」
とアイダンは言った。
「エクライズの性質上、味方同士が固まっていては上手く勝負にならないから、互い違いになるよう座っていくとして……」
「確か籤なら用意させていたぞ、使うか?」
と女帝が言う。アイダンは顎に手を当て、
「それもよいですが……一応、この勝負はフブキ選手との代表戦の性質も持ちます。運命の悪戯で最初から隣同士に配置されるのでは興醒めだ――いくらか作為的な方が、双方にとって都合がいいような気がします」
それには俺も賛成だった。確かにすぐ隣に座られたんじゃ、カードを交換するかどうかだけのゲームでは急戦もいいところ。発言してみよう。
「では、折衷案として、私とアイダン選手が向かい合わせになるよう座って、残りは籤で決めるというのは?」
アイダンはすぐに答えた。
「それでいきましょう」
結果、俺から時計回りに見て、私兵B(便宜上こう呼称する)、サカキさん、私兵A、ロードン部長、アイダン、ナガセさん、ドワーフの婦女、姫様、私兵Cという並びになった。
ついでに最初の親も籤で決まった。私兵Aからである。
「では取り決めを再確認しよう。ラウンドの始めに参加料を出すのは通常のルールと同じだが、今回のエクライズでは、持ち札を確認した後に、チップを上乗せするタイミングを設ける。もちろん一番手、親からだ。ここで最終的に示されたのと同じ量のチップを出さなければラウンドに参加することはできず、オリになる。――それだけだ。後は普段のエクライズと何ら変わりのない進行をする。手持ちのチップが全て無くなれば退席していただく。最後の一名になったプレイヤーの陣営が勝利だ。よろしいだろうか」
全員が頷いた。ここにはルールが覚束ないプレイヤーはいないだろう。
「では、始めてもらおう」
脇に控えていたディーラーが進み出て、カルカの札をシャッフルし始めた。事前に予告されていた通り、ディーラー・チームが組まれてラウンド毎に交代する手筈となっている。プレイヤーと同じく十名だ。それぞれのプレイヤーに一枚だけ、札を配っていく。トランプのポーカーと違って頼りない武装だが、全員がその頼りなさで戦う。
もう後戻りはできない。
無言でハンドを確認し、誰からともなく初期参加料を前へ出していく。ここで既にドワーフの婦女などは周囲の様子をさりげなく観察している。簡単に言うと、強気な行動を取っている奴がいないか探しているのである。その逆の、弱気な態度もまた同様に情報源となりうる。初期参加料は全員から強制で徴収するため、悩んでもしょうがないのだが、それでもハンドの良い悪いで身体の動きに特徴が出るということはある――例えば今、サカキさんはおずおずとチップを差し出した。本人の性格もあるが、あれは多分4とか5とかの弱めな札を渡されて困ったなあという感じだ。また別の例を示すと、ロードン部長は自信満々にずずいっとチップを押し出したが、あれはブラフのように思われる。手の伸ばし方の割には、身が乗り出ていない。もらった札が微妙だったので、敢えて強気に振る舞いたいという雰囲気ありあり――とまあ、そんな目線で見ていって、プレイヤーの特徴を掴んでいくわけだ。これに対抗するために、姫様なんかはごく自然な所作で、最初から最後まで機械的に振る舞って、そもそも読ませづらくしたりする。
これがベットの段階になると、特徴はより顕著に現れる。親番の私兵Aは、最初の勝負だからか、一番手の利――ゲームをリードするチャンス――を生かそうとはせず、とりあえず上乗せはしないまま手番を回した。一番手はその行動を残りの全てのプレイヤーから注目されるのでいきなり目立つのを避けたか、あるいは、自分をアイダンのサポート役と割り切っているのかもしれない。ロードン部長はチップの山に手をかけたものの、結局は自分も乗せずに流す。これもいかにもなわざとらしさがある。そしてアイダンは、きっかり一秒計測したかのような間を作ってから、三枚、上乗せした。
カルカのエクライズにおけるジレンマは、自分の手札が常に狙われているというところにある。強いハンドだからとチップを大量に積んでみたところで、上流のプレイヤーからクズ札を押し付けられたら意味がない。裏を返せば自分も常に相手の手札を狙うことができるので、そのクズ札をさらに下流へと押し付けることは可能だが、必ず成功するとも限らない。絵札の存在があるからだ。そう、能力付きの絵札なら交換を防ぐこともある。そういう札を握っていれば、比較的安全にチップを上乗せに行ける。だからこの上乗せはアイダンが強い絵札を握っている証拠――のように思えるが、逆に自分の弱い札を上流と交換させるために誘っているようにも取れる。
いや、しかしそもそも、エクライズではチップを得るにはそのラウンドで最後のひとりになるまで生き残らなければならない。相手を降ろすにしても、まだ誰かは乗ってきそうな局面だ。ラウンドの途中まで好きなようにチップの額を操作したところで、死んでしまえば元も子もない。投資は無駄になる。だからチップ枚数の大きな変動があるとしたらこんな序盤ではなく、プレイヤーが減って、生き残りの見通しがある程度立てられるようになる(あるいは相手を降ろす算段が立てられる)ラウンド後半のはずなのに、初手からの、この上乗せはなんだ?
わからない。
少し風が吹いたのか、天井の生地がパタパタとたわんだ。気になって上を見上げる。
その間にナガセさんが降りを宣言する。
ドワーフの婦女も同じく降り、姫様は同じだけチップを積んで乗り、つまりコール。
私兵Cもコール、俺は……コール。以下全員がコールした。
その後、親である私兵Aはロードン氏と札を交換。ロードン氏は絵札を警戒してか交換なし、残りの交換は私兵Cから俺に、俺から私兵Bに、のみだった。
手札を開けてみると、アイダンはただの6で、事実上のブラフ。狙いとしては全体のチップ量を増やすためのレイザーか。それでもまだアイダンがチップを取れる保証はない。一番弱かった数字はマイナス2で、サカキさんだった。そんな札でコールまでいったのに交換は消極的という、よくわからないプレイングだが、その意味不明さが却って敵に不気味な印象を与えたかもしれない。
これでこのラウンドの脱落者は三名。残った七名でプレイを続ける。
アイダンはさらにもう一度レイズし、それによりサカキさんと私兵Aが降りた。
ゲームは進んでいって俺とアイダンだけが残り、そこで奴はまたレイズした。これはわかる。俺より強い札を握れるという自信があるのだろう。さすがにここでも勝負に付いていくのは馬鹿だ。馬鹿だが、俺の中ではアイダンの手札を公開させ続けたいという気持ちと、一泡吹かせてやりたいという気持ちがせめぎ合った。
気がつくと、俺は奴よりもさらに多くチップを積んでいた。レイズに対する、さらにレイズ。アイダンはここで長考(俺の体感で)し、でもコール。
結果として、そのラウンドで最後に立っていたのは、やはりアイダンだった。通しで見ると、奴は決して強い札ばかりを引き込んでいたわけではなかったのだが、最後の最後で、俺の『猫』より高い数字の『馬』を持っていた。
度重なるレイズで、いきなりアイダンは優位を得た。逆に勝負に付き合い続けた俺は、一番のへこみとなる。最初のチップ自体が多いので決着はまだまだ先、長い夜になりそうだが、まずは一敗か。
次のラウンドへ移り、札が配られている間、俺は考えた。
何故、アイダンは初手からチップを上乗せしたのか――いや、上乗せできたのか?
思い当たる節がないわけではない。例えば――あくまでも例えばだが、何らかの方法で、自分に配られる札の質をラウンドの最後まで見通せていればどうか? いや、全てではなくても、部分部分、できればその中に最後の勝負が入っていれば、どうか?
駄目だ、何らかの方法、などという回りくどい言い方をしてみたところで意味はない。要は配られるカードがわかっていれば――さらにそれによる自分の生き残りが見込めれば――チップが場に出て困るようなことはない。勝ちさえすれば何倍にもなって返ってくるのだから、むしろ多く出回るほどいい。
「敢えて最初のラウンドから大きな勝負を演出してみたが――自分で取れるとは、ツイていたと言わざるをえないな」
とりあえず味方の誰かにチップが多く行けばそれでよかった、ってか?
嘘だね。
つまり、こういうことだ――女帝が気をつけていたのに、ディーラーがアイダンとグルであるとしたら?




