11-11 もう一戦
息を切らして上階に辿り着くと、その集団とドルバス氏の周囲には、今にも衝突を起こしそうな、まさに一触即発の空気が漂っていた。それはやや一方的に向けられているものと思われたが、ドルバス氏からもあくまで引かずの姿勢が見て取れる。
「それにしても、まさか、貴様が生きているとは思わなんだな、え? ドルバスよ」
ガラが悪いというよりは、よく訓練された武闘派集団の醸し出す、危険なオーラが現場に緊張を与えている。それを引き連れている、どうも過剰に装飾された感のある服装の男が、ドルバス氏に声をかけていた。
「この老いぼれに会った程度で――大層驚いたことだな、ギナゴザ。騒ぎにしおって」
「考えたくもなかったことだ……!」
ギナゴザ。少し前に聞かされた名だ。
確か、ドルバス氏が国を追われるようにハメた疑惑のある――研究所の現所長。
人気のある遊び場とはいえ、こんなところで鉢合わせちまったのか?
「今更何をしに戻ってきた。この国へもう一度足を踏み入れて許されるなどと思っていたのか?」
「答える筋合いはない」
「ふん、聞かずともわかっておるわ。全てを失い、帰る場所すら定かではなくなった者の考えることなど――この儂に復讐する以外の生きがいが、貴様の内に残っているとは到底思えん!」
「……まあ、そのような気持ちがないと言ってしまえば、嘘になろうな」
「だろう。みっともなく叫びおって! さすがに気が付くわ! まあ、貴様自身のその抑えのきかない性格が、悪巧みの足を引っ張ったというところか」
「そんなものがあればな」
「貴様の存在に気付いてなお隙を作るような儂ではない!」
多分最悪の状況なんだろうが、微妙に互いの認識が食い違っているようだ。
ともかく向こうのおっさんは熱くなっているようだし、ドルバス氏も冷静かどうかというとわからない。ここで手が出たりして揉め事になるとその種を持ち込んだ俺達の立場が悪くなる。よほどこじれなければ大丈夫と思うが、話が変な方向に流れて国際問題へと発展するシナリオもありえなくはないのか……?
ここまで友好的に来たのにそれはもったいなさすぎる。
ひとまず割って入ろう。
「ちょっ、ちょっ、ちょっとお待ちを! ほんの少し、彼を弁護する機会をお与えくださいませんか」
軽くチョップするようなジェスチャーを交えながら、間に立つ。
ギナゴザという男も、この会場にいたのだったら俺が下で戦っていたのを見ているはず。案の定、誰何などせずこちらに注目した。
「私はセーラム王国から参りましたゼニア姫に付き従う道化、フブキと申す者です」
「――ああ、そんなような触れ込みだったな……」
「ラグナエル・ドルバス殿とはオーリンにおける交流で縁を持ちまして、この度の訪問にあたっての案内役をお願いした次第でありまして、常に我々と共に行動しておりますし、先程申し上げられたような疑いがあっても、それを実現できるような状況にはありません。まして! それを看過するような我が主でもございません。これはおそらく誤解に思われますのと――万が一、彼が凶行に走るようなことがあったとしても、当方は決してそのようなことは望んでおらず、阻止に動くでありましょうことを、どうかご理解いただきたく……」
とりあえず言えることを一気に全て喋ってしまうことで、反論を挟むタイミングを潰す。と同時に、ドルバス氏には少し悪者になってもらって、こちらに危険のないこと、危険を防止したいことをアピール。
男は俺の言葉を無感動に聞いていた。そして、こう言った。
「それにしてもよく考えたものよな、ドルバス。帰還する手段なぞ無いところを、ヒューマンに取り入るとは、予想の範疇を超えたわ。……くく、その一点だけは恐れ入ったと、素直に告白しておくとするか」
それは、まあ、そう考えることもできるだろうが……。
「ギナゴザ、その若者の言う通りだ。わたし自身がおぬしに思うところはあるが、彼らはそれとはまったくの無関係だ。こちらの厄介事に巻き込むべきではない」
「厄介事そのものの貴様が何を言うか! 貴様がこの場に存在していること自体が看過できぬ問題だということだ! 第一……」
ギナゴザが少し言い淀んだ隙に、また別の声が割って入った。
「これはどうしたことです、ギナゴザ殿。来ておられたのですか」
遅れて上がってきたラグローチェ・アイダン選手であった。
「おお、アイダンか。今宵も稼がせてもらったわ」
「恐縮です。――しかしながら、このように華やかな場で無粋な方々を動かして騒がれては、他の方の印象を悪くしますよ」
「む……まあ、その指摘尤もだが、そうも言ってられぬ状況だ」
そこでギナゴザは奇妙な間を置いた。不自然な間、としてもいい。
明らかにものを考えるために時間を消費してしまったが、そのこと自体は極力隠したい――そんな後ろめたさを感じ取らずにはいられない、落ち着きの欠けた隔たり。
何食わぬ顔を維持していても、それだけはわかった。
「そこにいる男をここから、いや――この国から直ちに追い出さねばならん!」
俺はその間が何故生まれたのかすぐにはわからなかったが、アイダン選手を睨みつけるドルバス氏の横顔を見ながら考えているうち、不意に気付いた。
まだはっきりそうだと聞いたわけではないが、対局中のあの反応からして、アイダン選手がドルバス氏にイカサマを仕掛けて全てを毟り取った仇であることはほぼ確定だ。そして、ドルバス氏と特にロードン部長は、アイダン選手とギナゴザが裏で繋がっていることを今でも疑っている――だが、それは証明されたものではない。
よって、ギナゴザとアイダンは、表向きは強い繋がりのないよう振る舞う必要があり、ボロを出さないためにどれだけの制約を守る必要があるか、思い出していたのではないだろうか?
ここで注目したいのは、ギナゴザと違って一瞬で順応したアイダンのポーカーフェイスっぷり――いや、俺が思っているほど、両者はしっかりとした結びつきではないということなのだろうか?
「警備や衛兵を待つまでもないわ! 儂の護衛に引っ立てさせればそれで十分! さあ、やれ!」
ギナゴザの指令を受け、私兵達は腕を伸ばしてドルバス氏の身柄を確保しようと動く。
だがそこへさらに待ったをかける者があった。
「なーにをわめいておるか……」
姫様と共に現れた、女帝カロムナであった。
女帝の連れていた近衛はギナゴザの私兵に触れこそしなかったものの、動きを止めるには十分なほど空間を潰した。本当の強者は自分を無視させない。
「こ、これは、まさか、陛下、ご機嫌麗しゅう……先端技術研究所のギナゴザでございます」
「何度か会ったのう」
「このようなところでお目にかかれるとは……本日はお忍びで?」
「忍んどらんわ」
ギナゴザの挨拶を受け流し、女帝は機嫌悪そうに周囲を一瞥すると、
「それで? 妙な大声を張り上げたそこの爺様といい、その爺様につっかかるそなたといい、せっかくの雰囲気がぶち壊しなんじゃが、何か申し開きはあるのか?」
「あ……は、そ、それは……」
おろおろするばかりのギナゴザを見て、大きく溜め息をつく。
「厄介事なのか」
ギナゴザは息を吹き返したように喋り出す。
「は、おそれながら、その通りでございます! お聞きください陛下、そこにいるラグナエル・ドルバスという男は前任の所長でありました。この男は、賭博により返済しきれないほどの借金をこさえ、夜逃げ同然で国を捨てた、何ともだらしない男で!」
「ふーむ、言われてみれば、そんな事件が昔あったと聞いたことのあるような気もするのう。しかし確か、外のドワーフが一名、我が友ゼニアと共に入国したのではなかったか? 彼らヒューマンと共にいるのだから、それがその男なのであろう?」
「そうよ。彼はこの国の外では偽名を使っているけれど、元はそこの方の言う通りラグナエル・ドルバスと名乗っていたようね」
と姫様が補足する。
「そこにいる元部下や、その同僚が証言できるはずよ。ただ、今は私達の案内役として同行してもらっているわね。少なくとも名目上は」
「であれば、過去はどうあれ、客分ということになる。何やら一筋縄ではいかん間柄のようだがのう、私兵までけしかけるのはちと軽率に過ぎたとは思わんか?」
「それは……ご指摘の通りでございます。せめて場を弁えるべきであったと……」
「どうしてそのように熱くなる。ドルバスがいると、そなたに不都合でもあるのか?」
「それは! 国を出て行く前、この男が逆恨みを……!」
これを聞いて黙っていなかったのがロードン部長だ。
「何だと!? ラグナエルさんを陥れて、よくそのようなことが言える!」
「黙れ! 貴様もドルバスの復讐に協力しているのだろうが! ――待てよ、まさか、所内にドルバスを出入りさせていたのではないだろうな!」
「だとしたら? どうだというのだ!」
「貴様ぁ! それは重大な保安規約違反だぞ! 信じられん! 何故耳に入って来なかったのだ……!」
やばい。また話がややこしくなってきた。
カロムナ帝もそれは察したのか、ぱんぱんと手を叩いて自身に注目を向けさせる。
「おーちーつーけー。……復讐とは穏やかではないな。どういうことじゃ?」
「それは、陛下、どうかお聞きください! ギナゴザは、」
黙っていられないとばかりにロードン氏が口を開くが、
「貴様、所長に対して敬称を付けんか!」
「えーい! そなたらは少し口を噤んでおれ! 恨み言はドルバスから聞く!」
カロムナ帝はドルバス氏を見据えて、
「といって、あまり話す気もなさそうじゃのう」
ドルバス氏は黙ったまま、カロムナ帝の視線を受け止めている。
「どうしてこのようなことになったかわかっておるのか? そなたもそなたじゃ、あれは野次にしてはみっともなかったのう。できれば遠慮して欲しいところじゃったわ」
「申し訳も……」
「まあよい。では、そなたがギナゴザに対し害意を持っているとしたら、それはいかなる理由によるものか、聞かせてもらうとするかのう」
ドルバス氏は少し考え、こう説明した。
「ギナゴザに対し直接の恨みはありません。わたしが借金をこさえたのは、そこにいるアイダン選手との対決に敗れたためです。国を捨てたのもそれが原因。アイダン選手は……彼は、かつてわたしと勝負した時は無名の若者だったと記憶しております。今や博徒としてこれほどの評判を得ているなどとは知らず、思いもよらぬこの場で憎きその顔を見て、自分を抑えることができませなんだ。それが全てです」
「では、ギナゴザはどういう理由でそなたをおそれるか?」
「わたしが所長の椅子を奪われたと考え、復讐に走ると妄想しているだけのこと」
「そなたの認識は、そうである、か」
「はい」
「――それでは足りません、ラグナエルさん! ギナゴザがアイダンを雇ったんだ! まだ注目されていなかった、奴を使った! 報酬はどうだか知らないが、その後も何かにつけてギナゴザがアイダンを支援してきたのは、調べがついてる! この賭場に出入りしている者だって、噂くらいは聞いたことあるだろう! それにイカサマはどうなる、イカサマは……!」
「ロードン! 何を言うか! 確かにアイダンとは親しくさせてもらうようになったが、それで言いがかりをつけられても困る! こちらはただ無実の罪で恨まれ、襲われるような事態を避けたいと申しておるだけだ!」
「あーうるっさいわ! たわけ者共! 関係が複雑すぎる、整理して話せ!」
そうして、ドルバス氏とロードン部長が、ギナゴザとアイダンが、それぞれ細かいところを踏まえてもう一度女帝に説明した。だが、ギナゴザ側は、あくまでもアイダンを雇ったことなどないと主張し、アイダン自身も、ドルバス氏と対決した夜のことは憶えているが、ギナゴザと知り合ったのはそのずっと後だと話した。
「ふむ。ふーむふむ。これで双方の言い分は大体わかったのう……なんと面倒なことよ……。しかしこうなった以上は、この場はわらわが預かるべきであろう。放っておいたら、そなた達はいつまでもここで騒ぐじゃろうからの……。そうじゃな、支配役?」
騒ぎに駆けつけたオーナー兼支配役は、同意するように何度も頷いた。
「さて、ギナゴザはドルバスをおそれ、遠ざけたい。できうるならば、再びこの地から去って欲しいと願っておる。アイダンとしてもこのような面倒事で評判に傷が付くことは避けたい」
「その通りでございます」
「大方、違いありません」
「ドルバスは折角掴んだこの帰郷の機会をフイにしたくない。できうるならば、ゼニアの保護を受けながら滞在を続けたい。ロードンとしてはかつての勝負を取り巻く事実関係を明らかにしたい」
「叶うことならば」
「彼らは裁かれるべきだ」
「そしてわらわは、今宵のよき勝負に水の差されたことを残念に思うておる」
ん?
「本来なら、疑惑や不明な事柄ははっきりさせるべきと思うが、もう随分昔の話、事実関係を再び証明するのは不可能、試みるのは不毛であろう。かといって、ドルバスにはドルバスの、外で得た縁がある。今から急に放逐せよと申してみても、ゼニアはそれを受け入れまい。問題の性質として、どちらも納得のいくような収め方は現実的とは言えぬ……何らかの形で、どちらかが得するようなことになるじゃろう。となれば、ふふ、残った手段は一つしかなかろうが?」
嫌な予感がしてきた。
「こうするがよかろう。双方代表を立て、博打で勝負せよ。勝った方が要求を通せ」
「な……」
「何ですと?」
驚きの声が上がると、女帝は鼻を鳴らし、
「皇帝の預かる勝負が不服か」
「い、いえ……そのようなことは……。しかし……」
「ギナゴザが勝てば、ゼニアには申し訳ないが、ドルバスを国の外へ送り返すことになる。元より後ろ暗い逐電、借金も満足に返せていないのであろう? 新たな揉め事を呼ぶ前に退去させるのは、それはそれで一理あるということじゃ。よいかなゼニア?」
「構わないわ」
ひ、姫様よ……。
「疑惑についてもこれ以上の追及は許さぬ。その代わり、ドルバスが勝てば、好きなだけこの国に滞在してよいぞ。望むなら、ゼニア達が帰った後で再び住めるように手配するのもよかろう。どうじゃ、異論ないかのう?」
色々言いたいことはあるが、問題はもうこの国の物へとスライドしつつあるし、何より、ノリと勢いで話が進んでしまっていて、付け入る隙がない。
滅茶苦茶な理論だが、君主の権力が反論を封じ込めてもいる。
「ないか。では代表者と、種目さえ決まれば今日はもう帰るがよかろう。どうする?」
早いのはギナゴザだった。
「――これ以上の疑惑をかけられようとも! こちらはアイダンを代打ちに立てたい。博打にかけては当代一との呼び名も高いこの男だ、頼もしさを取る! 罵るなら罵れ、いいか、この男を雇うぞ!」
周囲のギャラリーへ向けて、そう高らかに宣言した。
すると、待て、ドルバス側の打ち手は、
「では、こちらは、フブキ殿を立てる」
「いやっ、ちょ、ちょっと待った、私さっき負けたばかりですよ」
「他に頼れる方がおりません」
「しかし……」
ここで姫様に助けを求めたところで、やりなさい、と言われるのがオチだ。
誰か別の人に助けを――そう思って、ジュンや仲間達の顔を見ていくが、
「フブキさん! やったれやったれ!」
ナガセさんを筆頭に押し付ける気マンマンといった雰囲気である。
「まあ、妥当なところじゃろう。雪辱戦になるな」
アイダンは顎に手を当て、
「しかし、また戦盤というのも芸がない。種目は違うものにしたいところだ」
「見る側としてもその方がいいのう」
「カルカは? エクライズならどうです、陛下」
「そなたと道化だけでは成立せんぞ」
「ならば、双方あと四名ずつ引き連れて十名卓にして戦えばいい。チップを賭ける時も、上乗せできるタイミングを増やしましょう」
「ほう。それは駆け引きに深みが出るな。採用するか!」
「どうかなそれで。受けるだろうか?」
俺は大声でふざけんなと言いたかった。
ドルバス氏がこの男を相手に、カルカで負けたのを知っているからだ。
採用する陛下も陛下だ。
だが結局のところ、このふざけた流れに乗っていち早くルールを引き出した向こうの立ち回りの方が、正しいかどうかは別として賢いのであり、手をこまねいていた俺が責められはしないにせよ、褒められる点は何もない。
ここで、そんなそっちに有利そうな勝負受けられるか! と却下することはできる。
だが、それをした時点で七割は負けたようなものだ。
めまいがしそうだ。
俺は見られているのを承知で、姫様に近寄って耳打ちした。
「陛下が向こうのグルじゃないって保証をあんたがしてくれ」
彼女は一旦俺を引き離すと、こう耳打ちし返した。
「こちらに抱き込むわ」
そんなら、まあ……。
「――気は進みませんが、やりましょう」
「受けてくれるか。――陛下!」
アイダンはその場で姿勢を正し、
「こちらの提示した条件を呑んだ彼の勇気に敬意を表し、さらにもう一つ条件を付け加えたいのですが、お許しをいただけますでしょうか?」
「それは聞いてから決めることじゃな」
「勝利報酬についてです。こちらがドルバス氏を追い出し、疑惑の追及を避ける二点であるのに対して、向こう側が勝利しても得られるものは滞在権のみ。内心、不公平に思っておりました。つまり、彼らが勝った場合、もう一つ戦果を受け取れるようにしたいのです」
「何を得る?」
彼はドルバス氏を見て、こう言った。
「あなたの娘がどこへ行ったか知っている。負けたら、それを教えよう」




