11-10 四角対戦の行方
『皆様、今宵もお集まりいただきまして、まことにありがとうございます! 四角戦盤のお時間がやって参りました! 注目の一戦を生き残るのは誰か? 奮って賭けにご参加ください! まだまだ受け付けは続いております!』
会場周辺は薄暗く、盤の乗っているテーブルだけが際立つように照らされている。
俺は控え室からかろうじて見えるその光景を前に、少しだけ参戦を後悔していた。
あの後宿に戻ると、珍しく開発チームが帰ってきていて、聞けば、最近研究所にこもりっぱなしだったため、意識して一旦区切りを入れることになったのだという。オンとオフが繋がりっぱなしでわけのわからん状態だったのをリセットするのにはいい機会だろう。
それでイベントについて話したら、ナガセさんが皆で一緒に観戦しようと言い出した。
『本日の対戦には、なんと、彼方の国より、ヒューマンの指し手にお越しいただいております!』
風魔法で増幅された声量がここまで響いてくる。
「そろそろ出番のようね」
「絶対勝ってくださいよ!」
姫様とジュンがここまで付き添ってくれて、あとの人は客席で場所取りをしている。
「絶対って、お嬢様、まさか賭けてるんですか?」
「いいえ? わたしはビタ一文出してませんけど、姫様も、皆さんも、いっぱいフブキさんに賭けてるんですから、勝たないと!」
「……あ、そう。なんかいつの間にか責任重大ね」
昼間からナガセさんが変に焚きつけていたのは知っていたが、結局皆がその流れに乗っかったらしい。新たなデートの約束を知らされていくらか機嫌の直ったサカキさんも引っ張り込んで、何を思ったか、ドルバス氏までもが彼に連れられてここにいる。老ドワーフはあれほど賭場を忌避していたというのに、ロードン部長をも抱き込んで付き合わせることに成功していた。曰く、「トラウマ克服の手伝いですよ。あの強迫観念は逆に不健康だ」らしいが――よくやるよ、と思わざるをえない。
さすがにドルバス氏は見るだけという線引きは譲らなかったようだが、このカジノに入場させただけでも中々の手腕だ。こういうのも人徳と言うのだろうか?
『それではさっそくご紹介いたしましょう! 海の向こうからやってきた、セーラム王国、ゼニア姫の従者、道化師フブキ!』
後悔というのは、こんな、皆に見られるのだったら調子に乗って飛び入り参加などしなかったろうという後悔だ。何が楽しいのか、金まで賭けてしまって、俺は競牛の牛だ。それかベガスのボクサーか。上等なお役目だが、福の神とは限らない。通常の対戦と違って、相手が三倍いる上にそれぞれが別陣営なのでかなり運が絡むだろう。仮に手を尽くして打ったとしても(何が最善手なのか全然わからないが)、敗北する可能性はすこぶる高いと考えるべきだ。
単に損させるだけならまだいい。俺がそれで嫌なのは、結果が俺への評価に繋がるだろうということだ。顔も知らんドワーフのお貴族の誰かが俺に賭けて損しようが得しようが知ったこっちゃないが、知り合いの、しかも同じ日本出身の面々が出した金を消し飛ばすかもしれない、というのは非常に居心地が悪く感じる。俺はそんなことまでは了承していない。がっかりさせたくないのだ。さりとて、今更やめろとも言えない。
もしそういう結果になったら、俺は相当カッコ悪く見えるだろう。そんな姿を見せたくないというのもある。元からおどけて、それを笑われるのとは違う。ただただダメな姿だ。願い下げというほどでもないが、気乗りはしない。
なんというか、姫様のみがそこにいるなら、別に構わないと思っただけなのだが。
光の下に出て行った俺は、歓声よりは驚きとどよめきをもって迎えられた。
上流階級のドワーフなら珍しい見世物には慣れているような気がしなくもないが、エルフと違ってヒューマンは中々手に入らないようだ。観客達は互いに顔を見合わせたり、こちらを指して何事か呟いたりしている。
『気になる腕前の方は未知数ですが、本国での対面戦盤の経験は豊富、当カジノの対戦サービスでも既に勝利を収めているとのことです!』
両手を広げて一回転、笑顔まで振りまいてみるが反応は微妙。
参戦自体が半分は興味、もう半分は道化師になってから身に着いたサービス精神のようなものだったが、どうもこれは、ちとつらい。
このイベントには女帝カロムナも来ていて、逆光で眩しい視界からでも、近衛に囲まれる特別席がわかった。俺を誘ったカジノのオーナーも一緒だ。姫様とジュンもあそこに行くだろう。
不意に――一瞬だが、女帝と目が合った。
俺はナガセさん達がいる方の席に顔を向ける。彼らは控えめに応援してくれていた。
『フブキ選手は東の椅子に座ります! そして、南からはこの男! 盤外戦術腕のうち、三味線、恫喝お手のもの! 仕掛け巧者ブルックス・折れ鼻・チェイサー!』
紹介された通り、昔に何かやらかした結果変形したのであろう、大きな鼻を持ったドワーフが入場してくる。先程までの空気は払拭され、徐々に盛り上がり始める。
『翻って北! 氏名、経歴一切不明! わかっているのは、現在無敗というただ一点のみ! フードに隠れた顔が却ってトレードマーク、当カジノでの通り名は、ラギ!』
奇妙に小奇麗なローブに身を包んだ、得体が知れない風体のキャラクターが現れた。多分どこかの道楽者が、こういう装いでストレス発散でもしているのだろうが、ミステリアスな感じはよく出ている。ひょっとしたらドワーフですらないのではないか――とさえ思わせるその外見に、ちょっとだけ背筋が寒くなる。
評判は高いのか、拍手や賞賛の声が飛び交っていく。
『さあ、皆様お待ちかね! 西の方角からはこの男がやってくる! 戦盤では久方ぶりの対戦ですが期待大、この面々とは初めての勝負、蹴散らしてしまうのでしょうか自他共に認めるグランドレンの文句なしトップ・プレイヤー、ラグローチェ・アイダン!』
その名が呼ばれるなり、状況は一変、指笛やら喝采やらで大変にうるさくなる。
ベットの受付だけではまだ足りないのか、おひねり代わりに直接コインを投げ込んだり、ラッピングされた包みや花束まで投下されていく始末である。その、これまで登場した中では格段に普通そうなドワーフの男は、床に横たわるプレゼントを一つ一つ丁寧に拾った後、自分の隣に積み上げて、ようやく着席した。
雰囲気だけでいうなら、どこにでもいそうな壮年から中年への過渡期を味わう男に思えるが、この界隈ではスターなのだろう。まあ、確かに、先に座った男に比べれば、(折れ鼻を差し引いても)顔はまずまず……ドワーフにしては髭を薄めに整えていて、それもまた(同種族の美意識というのはわからんが)嫌味のない範囲に収まっている。
こういう何でもなさそうな手合いが強かったら、逆に威圧感が増すだろうなと俺は思った。そしてそれは現実になるだろう。
『以上、四名での対戦となります! 賭けの受け付けは間もなく終了とさせていただきますゆえ、まだ決めかねているお客様は是非お急ぎください! 試合は間もなく開始いたします! 手洗い、食事の持ち込みは今のうちに済ませておきますよう、心よりお勧め申し上げます……!』
最後に、数少ない味方にウインクでも送っておこうかと、上の方を見ると、ドルバス氏が立ち上がっていた。食い入るようにこちらを――いや、俺じゃない。対戦相手の誰かを見つめている。
盛況とはいえ、立ち見が出るほど狭い会場ではない。棒立ちの状態は周囲の注目を集めていた。ロードン部長とナガセさんが、押さえるようにしてドルバス氏を席に戻した。
何か勘付かないでもなかったが、今は目の前のことに集中したほうがいい……と思いつつ、やはり最後にもう一度、そろそろ貴賓席へ戻った姫様とジュンを見つけておく。
ウインクした。よし。
――驚いたことに、姫様が同じようにして返してきた。
少々面食らいつつも、ラギ選手が主導で振るった袋の中から、魔法使い駒を籤引く。通常の対戦とは違って、一つだけ。結果は風魔法使い駒だった。
四角戦盤でそれぞれに与えられる駒は、このランダムで使える魔法使い駒一個と、いつもの半分ほどに減った手勢、そして王だ。魔法使い駒を初期位置にセットして、配置は完了。
『今、魔法使い駒が行き渡りました。続いて先手を決定しています……』
また別の袋から、チップを引く。当たりは赤、それ以外は青だ。
当たりを引いたのは、ラグローチェ・アイダン選手。
ここで注意するのは、当たりで得られるのはあくまでスタートプレイヤーを決める権利であるということだ。もちろん自分から始めてもいいが、何らかの意図によって、対戦相手を先手に指名してもよい。
もう勝負しか眼中にないのか、ドワーフの指し手達は俺を前にしても動揺が見られない。アイダン選手はしばらく赤いチップを見つめた後、落ち着き払って言った。
「そうだな……異国の方、あなたから初めていただきましょう」
チップを指で弾いてこちらに渡す。俺はそれをキャッチし、見えるよう脇に置いた。
『決まりました。フブキ選手が一番手です! アイダン選手、先手権を行使してフブキ選手を指名!』
準備は全て整った。
『それでは――試合を開始いたします!』
景気よくハンドベルが鳴らされる。
一番手の俺は、サイコロの入った小さなカゴを掴んだ。
四名で卓を囲む戦盤、基本ルールもかなり違っている。
各プレイヤーは、それぞれ自分の手番に、二回駒を動かす権利が与えられる。一回は何を動かしてもよく、もう一回は、サイコロの出目に左右される。六面体のそれぞれの面には、駒に対応した模様が彫られていて、出た目の駒を動かすことができる。
例えば、今振ったサイコロからは歩兵の目が出たので、俺はとりあえず他の駒の道を空けるべく、歩兵を一つづつ前進させることにした。
これらの権利は、放棄することもできる。
駒を一個だけ動かしてもいいし、全く動かさないということも可能だ。
とはいえ序盤は、行く手を塞がれている駒以外は積極的に動かしていって、陣地――利き筋を増やした方がいいため、仕方のない場合を除いては、権利は放棄されずに進んでいく。悩むことも少なく、手慣れている俺以外の三名はほぼ即決で動かしていく。
歩兵は前方移動の他に、横移動が追加されている。相変わらず後ろに下がることはできない。この横移動もまた、四角対戦にする際必要となったルールなのだろう。
持ち時間に関しては、これはイベントの強みで、専属のタイムキーパーがこのために作られたのであろうカラクリ道具を使って管理してくれている。手番が終わったのを確認すると、選手に対応している砂時計を横方向へ水平になるまで倒して、それ以上の粒の落下を防ぐ仕組みだ。この試合形式では砂が一方通行であるため、多量の粒を保持した状態で水平にしても零れてしまわないように、管の両端はかなり余裕を持って大きめに作られている。なんとも大がかりな装置だが、おかげさまでいちいち砂時計をひっくり返す手間が省けて助かる。
「よお、旦那。まずはヨソモンを片付けちまわねえか?」
ナワバリを引き終わり、そろそろ開戦、という段になって、折れ鼻のチェイサーがそんなことを言いながら、俺の歩兵がいるマスに侵入した。
この対戦初の戦闘行動であった。
フードのラギ選手に向けて放った言葉ではないだろうし、彼は何も話そうとする気配がないから、消去法で談合の相手はアイダン選手ということになる。
「――検討だけはしておこうかな」
しかし、素っ気ない言葉とは裏腹に、アイダンの駒もまた、徐々に俺の陣地へと寄せられていく。これは――まずい。
さて、二人用ルールと比べて、最も大きく違う点は、取った敵の駒を利用できることである。ただし、将棋のように無限に持ち駒として再利用されていくのではなく、誰が何を取ろうとも、寝返らせて送り出すのは一度だけというルールがある。
では、どうやってその一度だけを判別するのか? 味方に付けたかどうかは駒の向く方角で把握できるとしても、ゲームが進んでいくうちに盤面は混迷を深めていき、その駒が一度死んだかどうかなど忘れてしまいそうである。
その問題を解決するために、駒自体に簡単なギミックが仕込んである。
四角対戦に使われる駒は、頭部、あるいは上部にある部品を取り外すことができるようになっており、つまり、誰かが駒を取ったら、その部品を外した状態で持ち駒置き場に一時保管するのである。そうして、再度出撃した後に、その変化した駒がやられれば、ゲームからわかりやすく取り除くことができる。一種のマーカーだ。
外せる部品はただ首を取るような味気ないものではなく、きちんと兜や冠といったかぶり物が指定され、脱げた後の頭部も手を抜かず造形してあり、実によくできている。特注品だろうが、こうした催しがこのカジノだけで行われているわけではないことを考えると――ふーむ、並列管理砂時計といい、このへん職工魂というよりは、ドワーフという民族の、ギャンブルに対する執念を感じる。
とまあ、そういうわけで俺の大事な歩兵はチェイサーに奪われてしまった。
もう一匹も深く侵入してきたアイダン氏に攫われていく。しかし、彼は俺への攻撃はその一手で済ませてしまい、次の手番が来るなり早々に引き返していった。ただ、未だ睨みはきかされており、心理的に俺はアイダンの縄張りに侵入することができない。
そうした流れの中で、ラギ選手がチェイサーに向けて刺客を放ち、同じく歩兵を倒すことに成功。チェイサーは舌打ちをすると、俺から取った、兜の外れた歩兵を戦場へと繰り出した。だがおそらく、あれは捨て駒として扱われるだろう……。
このように、駒を取ったり交換していくことによる攻め手が永遠に続くわけではないが、短期的には間違いなく戦力が増えるので、攻勢で明らかな損をすることはまずないといっていい。
取った駒それぞれに得点が付いているポイント制もあるそうだが、今回はサバイバルである。手駒は多いに越したことはない――逆に、少なくなれば死に近づく。
歩兵の取り合いを皮切りに、勝負は中盤へと雪崩れ込んでいく。
そろそろ、ダイスの目にいちいち文句をつけたくなってくる頃だ。
やっていくうちに思い知らされるのは、このゲームは本当に本当に難しいということだ。単に頭が良ければ勝てるという類の競技ではない。賭けの対象になるだけはある――対戦相手が三方向にいるというのが非常に厄介で、誰かを抑え込むためには、往々にして誰かの力を利用したりアテにしなければならない。そういった思考はまったくジレンマの塊で、次の手番で相手がこちらを殴ってくるなら動けないが、見逃してくれるなら是非とも動きたい、というような局面をどんどん突きつけられる。展開はあまりに揺蕩っていて、判断が裏目に出ることも多々ある。姫様だってこの卓に座らされたら頭を抱えるに違いない。
それでも、俺は八方手を尽くして、少しづつ、少しづつ……対戦相手が没落していくのを待った。具体的には、折れ鼻のチェイサーが食い物になるよう仕向けていった。あくまで間接的に。というのも、一度奴の陣地に大攻勢を仕掛けようとした時、
「おい、ヒューマン野郎! 痛い目遭いたくなきゃ妙な気は起こすんじゃねえぞ」
こんなものチープな脅しだと誰もが思う。俺も思った。
だから無視して駒を動かそうとしたら、アイダンが待ったをかけてきた。
「ちょっといいかな、そこの君……彼は一応、友達に頼んで君を痛い目に合わせる準備は済ませているはずだよ。近所の酒場で待機しているだろうな。本当にそれを頼むかは別としてね……」
そんなもん、今となっては恐くもなんともない。
どうせ襲うったって帰り道かどこかだ、それなら……味方が何とかしてくれる。
ただ、そんなくだらない理由で面倒をかけるというのは癪だ。ただでさえ損させるかわからないところに申し訳なさ上乗せでは、どう埋め合わせするか考えるだけで嫌になる。
それならば、と直接対決は避ける戦略にシフトしていくことになった。
といっても、余所者で異種族の俺が口に出してあいつ潰そうぜなんて言ってみたところで、そんないかにもな態度で快く了承してくれるわけはないだろうし、しかも片方は未だ喋らずにいるから没交渉だからどうにも成立しそうにない。
となれば、メッセージは無言で送ることになる。
行動放棄ルールがミソで、俺はそれを利用してみることにした。超単純に言うと、例えば、取れば絶対有利というところで見逃したりすることで、口に出さなくても協調路線を打診することは可能だ。知らねえよそんなのと攻め込まれたら駄目なのである程度綱渡りだが、2回、3回と続けば、少なくとも打診した相手には、俺が事を構えたくないという意志は伝わる――無い裏を読まれて攻め込まれたらやはり駄目だけど――今回は話のわかる知性体が同席していて助かった。
アイダン選手は少々の貢物でこれに乗ってくれたし、物言わぬラギ選手も、俺のこの意図を理解はしているようだった。そうして中盤は進んでいき、チェイサーが気付いた時には、包囲網が完成していた。奴はなんとか俺を孤立させて逆襲しようと、それこそ口八丁手八丁で卓を攻め立てたが、既に方針の定まった勢力を止められるはずがない。おそらく、いつも奴が相手しているのとは違った雰囲気の面子が揃ったために、本領を発揮できなかったのだと思う。水魔法使いをラギ選手に取られ、王を俺に取られ、敗北条件を満たすこととなった。
『ああーっと、最初の脱落者は折れ鼻のチェイサーとなってしまったあ! 過度な野次はご遠慮ください! 硬いものは投げ込まないでください!』
王を捕らえられた場合、その時点で盤面に残っていた敗北プレイヤーの駒はゲームから取り除かれる。既に奪っていた駒だけは引き続き持ち駒として保管できる。
そしてこうなると、魔法使いを二体保有しているラギ選手は驚異だ。アイダンも同じ考えだと思う。協力してここを倒して、その後の勝算が、どちらの視点でも残ってはいる。どうあれ、決勝戦に駒を進める以外に道はない。
結局オッズはどうなったのだろう、などと思いながら手を指していく。
ラギ選手はよく抵抗したが、連合軍にはやがて膝を屈することとなる。もう二つ、駒を多く調達していたら、泥沼に持ち込まれてわからなかったかもしれない。不気味だが、不気味なままよくわからない感じで負けていった。
『ラギ選手初めての敗北ぅ! 心なしか取り乱したようにも見えるが……!?』
ラギ選手の王が倒れた時、俺とアイダンが使える駒の数には差があった。
――俺の方が多い!
だが、それは全てを合計した数の話だ。
盤面それ自体では――負けている。アイダンの火魔法使いと土魔法使いが、重厚な戦線を構築していた。この大量の捕虜達を主力だけでも全て戦場へと投入し終えるまでに、王の首を取られる公算が高い。
自分では上手くやったつもりでも、やはり細かなところでアドバンテージを取られていたのだ。流石――評判のプレイヤーはこれほどの実力を備えているというわけか。
アイダンは、俺にだけ聞こえるか聞こえないかといった声量で言う。
「続けるかね?」
俺は一応、願いを背負って戦っている立場だ。
だが、だからといって、敗色濃厚な戦いを続けることに意味があるとは考えない。
それほどの、重い願いまでは――、
「――フブキ殿、やってくだされ!」
空気を震わせるようなドルバス氏の叫びが、会場を静まり返らせた。
「その男を、倒してくだされ!」
――仇を取れ、と。
最後まで言ってしまうことはなかったが、そのニュアンスは十二分に伝わった。
やはりか。巡り会わせというのは不思議なものだ。
俺はアイダンに返事をした。
「やりましょう。きっとあと少しだ」
金やチップよりはやり甲斐のあるベットだ。
「もちろん。喜んで受けて立つ」
まだ確定したわけではないパズルの、答え合わせ――望みとあらば、お見せするほかあるまい。
そして、俺は最終的に、自分の手で王を盤に横たえた。
『…………決着がつきました、生き残ったのは――ラグローチェ・アイダン!』
想像していたよりも歓声は小さかった。
だがそんなことはどうでもよかった。身を包む充実感に酔うことに比べれば――。
「異国のヒューマン、君はいい打ち手だと思う。風使いを操るのが上手いな。きっと対面の戦盤ではうんざりするような類の強さだろう。経験で勝たせてもらったよ」
「いや――どうせ、最初にやられていたかもしれなかった命です」
「フ、そこは――この遊戯の性質上、言いっこなしとすべきところだ」
互いに笑みを浮かべるが、俺の方に爽やかさはないだろう。
「敢えて深くは言うまいが、まあ……恨まないでくれ」
「……私が憂鬱に思うのは、負けたことよりも、負けたことで知り合いを損させてしまうことです」
「博徒の宿命だよ。ここの配当では二着に賭けていれば少しは金が戻ってくる。それを慰めにするしかない」
俺は席を立った。
「そろそろ行きます。興味深い体験でした」
「こちらこそ。セーラムのフブキ」
戻ったら何と謝ろうか……考えながら振り返る。
その時、ようやく俺は、会場の雰囲気に違和感を覚えた。
それは、もっとずっと前――ドルバス氏が叫んだあの瞬間から始まっていたのかもしれない。
彼らが座っていた客席の周辺が、明らかに散在目的ではない、ある種招かれざる客に取り囲まれている。
「おや……」
別れかけていたアイダン氏も立ち止まり、その方向に注目した。
そしてすぐにうんうん頷くと、南側の控え室に向けて声を張り上げた。
「チェイサー! まだそこにいるんだろう! 出てくるんだ」
果たして折れ鼻は姿を現した。
だが、離れていてもはっきりとわかるほど、心外、といった様子だった。
奴は俺達の前に立つなり、
「おれじゃねえよ、よくあいつらの格好を見てみろ! どうだ、天下のアイダンにはあれでもゴロツキっぽく見えるか? あんな上等なの、雇えるわけねえだろうが」
「――これはすまなかった。詫びよう。ふむ、しかしすると、さて……?」
嫌な予感がして、俺の脚はひとりでに駆けていく。
あれは一体どこの――?




