11-8 カジノへ
朝食を済ませ、部屋でベッドに寝転がりながら、今日は何をして暇を潰そうか考えていると、サカキさんがやってきた。そして遠慮がちにこう言うのだ。
「あのう……戦盤、やりませんか」
「――いいですよ」
俺は欠伸を一つしてから、ベッド脇に置いてある荷物の中に刺さっていた盤を拾い上げた。テーブルにそれを広げ、二人して駒を並べていく。
「すいません、なんか……昨日も一昨日も。本当はこんなことやってる場合じゃないってわかってるんですけど……」
「しょうがない。他にやることないんだから。女探しったって外でナンパしてくるわけにもいかないだろう?」
「でも、そういうやり方をしてこなかったから、自分が今困ってるんだなあと思うと……」
「よくわかってるじゃない。とはいえだな、サカキさんの場合は、戦場で立てた手柄に対する特別な報酬として奥さんが欲しいということでね、まあそりゃ多少はマッチングのために協力してもらいたいことはあるけど、基本的にはこちらの手落ちなわけ。要は姫様と女帝がもっとバンバン年頃の娘を探して来てくれりゃあいいんだ。あんたは悪くないよ」
「うーん、そうなのかもしれませんが……」
「大体、あの人達の方が毎日毎日何話し込んでんだか……。積もる話ったって積もりすぎなんだよ。友達に会って嬉しいというのはわかるんだけどさ」
実際には、女帝は公務を抱えているので、姫様も完全にべったりというわけではないらしいのだが、やはり何だかんだと理由をつけて時間を作っては、会っている。
「おかげでこっちは……、……始めよう。えーと前はどっちが先手だったっけ?」
戦績を記したメモ書きを探し出す前に、サカキさんが答える。
「フブキさんが」
「じゃあ次はそっちだ」
「はい。……うーん……」
「初手で腕組んでまで迷うの?」
「だって、どの定石を使うか考えたら……教えてもらったやつを色々試したいです」
「それはここ来る前に決めておいてよ」
自分が次の先手だってことまで憶えてるんなら、なおさらそうしてくれ。
「まあいいけど……」
伸びをしつつ、もう一度欠伸をかましていると、部屋のドアがノックされた。
「何だ? ――サカキさん、戻るまでには駒動かしといてよ」
「はい」
そう返事はされたが、彼の視線は既にドアの方へと向かっている。やれやれ。
「どちら様?」
「私よ」
驚いてドアを開けると、そこに姫様が、一人で立っていた。
「――とっくに出かけたもんかと……」
「いいかしら? まさか朝から飲んでるんじゃないでしょうね?」
「さすがにそこまでは。どうぞお入りください」
姫様は入るとすぐに、歩兵に手をかけていたサカキさんに目を止めた。
「あら、先客がいたのね」
「どうも……」
椅子に座ってすぐに、
「ごめんなさい、待たせてばかりいるわね」
「い、いえ……」
「もうすぐ次の話がまとまりそうだから、それまでもう少し、辛抱させてしまうわ」
「わかりました。動いていてくださっているのであれば、こちらから言うことは……」
「あー、それで……あれ? ジュンお嬢様はどうしたんです」
「それなのだけど、実は今日は……賭場に行ってみようと思っていたのよ」
「また競牛? でもこの国の休日にしかやってないんじゃ」
「そう。だから、カロムナから教えてもらった、盤上遊戯を扱っている所に」
「はあ。それとお嬢様がいないのと何の関係が?」
「それが、結局、賭け事は見るのも嫌になったって言うのよ」
「なんだあそりゃあ? 本物のお嬢様っぽいこと言ってんなよ……だから自分は行きたくないって?」
あいつらしくないような気がする。
別に、お供したら強制的に金出すよう言われるわけでもなし――。
「やけにわがままじゃないか」
「私もそう思って、無理矢理連れて行こうとしたら、部屋を追い出されてしまったの」
「何だって?」
「仕方なくここに来たのよ」
「何やってんだあいつ……」
「だから、今日はあなたがついてくるのよ――と、言おうと思ったのだけれど、どうやらお邪魔だったみたいね」
姫様がそう言うと、サカキさんは首をぶんぶんと振って、
「いやいや、そんな、とんでもない! ただちょっと暇を潰そうと思っただけで……まだ始めてもなかったですし。お邪魔なのはこちらです。出かけるのでしたら、どうぞお二人で楽しんできてください」
「でも、悪いわ」
「いいんです。フブキさんの本分は殿下に尽くすことだと理解していますから。それでは失礼します」
サカキさんはそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「……すると、じゃあ、俺がお供だな」
姫様は頷く。
俺達が訪ねたのは、ホテルからそう遠くない住所にある上流階級向けのカジノだった。聞いて想像するイメージにかなり近い。ルーレット、カードゲーム、そして凝ったからくりによる原始的なスロットマシンまである。またダイスを使った種目も遊ばれているようである。競牛もそうだったが、このへん俺がいた世界とギャンブルの感覚というか、間合いは全く同じだ。
未だに街中で市民達からじろじろ見られる状況下、入場を許されるのかという不安はあったが、姫様は女帝からしっかり紹介状をもらっていた。入口の係員がドレスコードの判定に微妙に困っていたことを除けば、問題は起こらなかった(俺の道化服は柄とデザインは奇抜だが、仕立て自体はかなりいいのでそれで見逃してもらえた)。
とりあえず一通り触ってみようということになって、俺と姫様は好奇の眼差しを向けられながら、時には群衆に囲まれながら、テーブルを渡り歩いた。
「どれ、牛で負けた分を取り返してやりましょうかね!」
「……手並みを拝見しましょうか」
結果としては、まあ、所詮、胴元のいるゲームだから……割に合わないということを思い知らされて終わった。スロットなんか操作し放題だろうし、ルーレットだってかなりあやしいもんだ。
もしラスベガスへ行ったら、こんな気分だったのかもしれない。
ただ、カードゲームは、比較的勝利の目があるように感じた。――感じさせられていただけ、かもしれないが、他に比べれば多少は気分がいい。
例の、カルカというアイテムを使ったものに限定されている。
元いた世界の中で似ているのは、クク・カードだ。かなりそっくり。これはヨーロッパに自然発生し洗練を経て広まったとされるもので、伝統(あるいは伝承)ゲームに位置づけられる。日本での知名度は低く、俺も何者かがルールをブラッシュアップして販売したものを数回しか触ったことがない。
そのセットで色んな遊びができるというのはトランプと一緒だが、ウノ・カードゲームのように絵札に何らかの能力が最初から記されていたり(つまり『大富豪』に代表されるように見立てたり設定したりして使うのではない)、あとは、マイナスまで数値があるのが特徴だ。
ただし、その特殊札の種類が圧倒的に多く、各数字の枚数の割合が均等でなく、全部で百枚の分厚い束というのが違う。ドワーフのディーラー達は、お世辞にも長いとは言い難いその指でもって、老若男女問わず器用にそれをシャッフルするのである。
遊びの種類としては、ブラックジャックの変種と、ポーカー・テキサスホールデム(手札と場に出ているカードで役にするゲーム)の変種はすんなり入り込める。特殊札のおかげで大変にややこしい上に、アンバランスな収録内容も手伝ってカウンティングの計算を困難にしているが(ベガスだとご法度でも、この国では許されている!)、その分ゲーム展開に広がりが出ている。客同士での勝負も起こりやすい。
しかし、このカジノで最も人気なのは、クク・カードではカンビオと呼ばれるルールの異世界版、カルカの『エクライズ』。
これは完全に客同士で戦うゲームで、ディーラーは駆け引きはせずカードを配る役に徹する。大体五名から、多くて十数名で一卓の遊び場になる。数戦で抜けてもいいし、仲間を引き連れ、ちょっとした交流の場としてワイワイやってもいい。
ルールの骨子は簡素だ。各員に手札が一枚配られる。これは増えないし、減らない。一枚こっきりの手札。この手札を、一回だけ、隣の、時計回りで見て次のプレイヤーと交換するかどうかを決める。卓が一周するまで繰り返す。最後の交換権保持者は、隣のプレイヤーではなく、山札とカードを交換する。
プレイはそれだけ。
一番弱い札を持っていた奴が死ぬ。
死んだ奴は一時的にそのゲームから抜ける。
誰かが生き残るまで続ける。
生き残った奴は、場所代として皆が卓に置いたチップを総取り。
事前に取り決めができるのであれば、この生き残り枠を三くらいに増やしてもいい。
事前に取り決めができるのであれば、ゲーム毎に席順を変えてもいい。
それがエクライズ。
何だかルールを聞いただけでは、本当に面白いのか? と言いたくなるような内容だが、これが、もし金がかかっていなくてもそこそこ盛り上がりそうな出来なのだ。
唯一のプレイである交換にやはり楽しさが凝縮されていて、賭けなのでつまり――そこにジレンマとリスクが集中する。絵札に付いている能力がミソだ。
例えば、『この札を渡されたら、公開してあなたは死ぬ』という処理の効果がある。
まったくひどい。もちろん、それを下流のプレイヤーに押し付けると得するわけだが、逆もある。手札は交換するまでわからないわけだから、下流のプレイヤーからそんな爆弾を引き取ってしまうこともありえるのだ。最悪の場合、交換先も同じカードを握っていて、両名仲良く死亡ということだってある。必ず交換するのがいいとは限らない。
自分の初期手札、それと上流から交換で渡されたカードが、卓の中で一番弱いのかどうか考えて、握ったままでいるか、下流と交換してよりよいカードを手に入れるか選択することになる。そういうゲームである。
まあ、交換は拒否できないから(拒否できる効果の札もあるけど)、上流から即死カードを渡されたら問答無用で負けてしまう部分はちょっと切ないが、そんなに長いゲームではないので、すぐ次に気分を切り替えていけるのはいい。
他に収録されているカードの効果、『二つ下流のプレイヤーと交換できる(させる)』、『交換を迫られたら公開して相手を殺す』、最も強い『天地』の札、『公開すると全員がカードを公開して交換は終わる』、などはクク・カードにも見られる。
カルカにしかないと思われるものは、『捨て札を山札に復活させる(一度使われた札は捨てられたままで公開情報になる。そういうルールなのでカウンティングが許されているのだろう)』、『公開すると山札と手札を交換できる』、『下流の札と同じ札になる』、『公開時の最強の数字の半分の数字になる』、『下流の数字と掛け算して、半分に割ったものを共有する(つまりマイナス同士だとプラスに転じる可能性がある)』、などである。
ちなみに、カルカにも道化師の札はある(ククにもある)。
最も弱く、そしてこれが『この札を渡されたら、公開してあなたは死ぬ』カードなのである。ただし、山札から引いてきた時に限り、最も強いカードとして扱われる。
例外的に、天地よりも強くなる。
散々遊んだ後、俺達は少し休憩を入れることにした。
場内にはちょっとしたカフェやバーが併設されており、軽食も提供している。手や道具を汚さない、サンドイッチやおにぎり的な食べ物はテイクアウトさえ可能だ。
「にしても、あそこで姫様が『猫』を掴んでたのは本当に痛かった……」
「ああいうのこそ時の運ね」
結構頭を使ったので、甘い菓子をいくつか注文し、それを頬張りながら、俺達は賭博に興じるドワーフを眺めた。あっちではルーレットの大当たりが出て歓声が起こり、こっちではポーカーのブラフ大勝負が失敗して深い溜め息に沈んでいる。そっちでは何かのキャンペーンなのかビンゴゲームコーナーが設けられて、列を抜いた順から豪華景品を持ち帰っていく。
「何か……こういう感じの二人きりというのは、あんまりなかったですね」
「そうね。結構早いうちに、ジュンが来たものね」
それからは三人で行動するか、忙しくなってからはバラバラということの方が多かった。
「まあ、これだけしっかり遊んでしまうと、ジュンお嬢様が見てるだけというのは酷かもしれません」
「これでよかったのよ。今日はね」
「――今日だけ?」
言ってから、
「あ、いや、なんでも――」
「明日も来たい?」
姫様は俺を見つめていた。
久しぶりに、彼女の瞳をまともに覗き込む。視線を逸らそうと思うのだが、何か、そうすると幸福が目減りするような気がして、俺もじっとしたままになる。
「できれば」
と俺は言ってみることにした。
「できれば、遊んでいたい。貴女と」
返事は早かった。姫様はしっかりと頷いて言った。
「いいわ」
「いいかな?」
「そうしましょう。明日も」
「そう?」
「そうよ。明後日も」
「その次は?」
「――あなたが望むなら」
姫様はテーブルに置いていた手を、腕ごと俺の手に寄せた。
少し引っ込めて、彼女のためにスペースを作る。
だがお構いなしに、重ねられる。
――何なんだろう、これ。
「次は何をしようかしら?」
「――他にやってないものはあったかな……」
俺は両手を使って、配布されていたパンフレットを広げた。
ある項目に気付く。
そして顔を上げ、場内を見渡す。
ここからは遠かったが、それは確かにそこにあった。
その一画では熱気というか、他のブースとはまた違った、独特の、真剣勝負の緊張があった。やけに静かなのがわかった。カードを配るディーラーはいない。ルーレットを回すディーラーもいない。ただトラブルに対処する見張りがいるだけ。
「姫様、戦盤をやりましょう」
と俺は言った。




