11-5 ケイギュウ
ドワーフ研究者らの了解が得られると、肩の荷が一つ下りた気分になった。
俺自身は特に何もしていないし、この先開発がどうなっていくかもわからないが、とりあえずナガセさん達の要望を満たしたことにはなる。ついでにアグラ改めラグナエル・ドルバス翁の帰郷についても、あの様子なら路頭に迷わず居場所を見つけられるのではないかと思われた。
俺は毎日監督者としてチームについていった。聞こえはいいが、ドワーフとヒューマンの混成スタッフが上手くやっていけるか、ドルバス氏と共に見守るだけの退屈な役目だ。共通語はグランドレンにも浸透していて、少し訛りを感じるが意思の疎通で躓くようなことはないし、所員も勅命を受けていて、内心はどうあれ最初っから円滑に進めたい感がアリアリのまま話を進めていくから、何か口論が起きてそれを仲裁するような事態は、天地がひっくり返っても起きそうになかった。
それに、やっていくうち、銃という武器の挑戦的な内容に彼らの興味がそそられていくのが傍から見ていてよくわかった。詳細な説明を受ければ受けるほど、恐れおののく反面、それを生み出そうとすることに対しての高揚も感じているに違いなかった。
言いくるめたり、後押しをするまでもない。
多少ぎこちないながらも、この持ち込みプロジェクトは回転速度を上げていった。
それで、仕組みを理解しているから話についていけた最初の頃はよかったのだが、彫り込み呪文の取り扱いや魔力変換の要諦などといった専門的な話に入っていくと、俺は皆が何を喋っているのかわからなくなってしまった。かといって、余計な質問をして、乗りつつある彼らの勢いに水を差すような真似は絶対にしたくない。
そのへんで諦めることにして、俺は買い出しに行ったり茶を入れたりと、彼らの身の回りの世話で暇を潰すようになった。別に席を外したところで困るようなことは何もない。結局共同で物事に当たっていれば、嫌でも打ち解けるか互いを理解して立ち回るようになる。俺は本当に名目上の存在となってしまった。
そのうちナガセさん達はホテルに帰らず、先端技術研究所に泊まり込みで作業するようになり、ドワーフ達もそれを邪険にするようなことはせず、元から昼と夜の区別が曖昧なこの環境でさらに不健康な生活サイクルへと連れ立って突入した。
俺は完全についていけなくなった。
出かけていた間、姫様は女帝カロムナと面会を重ねていた。もう片方の肩の荷であるサカキさんお見合い問題に関しては、こちらの方で話を詰める算段であった。が、今のところ何の話も上がってきていない。
旧交を温めるのは大変に良いことだと思うけれども、俺よりさらに暇を持て余している男のことも、もうちょっと考えてあげて欲しい。まあ――異種族間での婚姻を成立させようなんてチャレンジャーはこの国にはいねえよ、と返されたらぐうの音も出ないわけだが。でも言い出したのは姫様なんだぜ?
宿からまったく出ない日も出てきて、俺とサカキさんと、若者達の熱意を見て安心したドルバス氏は、昼間からルームサービスで名産品を頼みちょっと酒を入れるような悪い大人達と化していた。腸詰めとエール。イケる。
「それで、借金が膨らみ過ぎてしまったと?」
「まったく、お恥ずかしい限りなのですが……」
話はドルバス氏の、謎に包まれていた身の上話に移った。
「バクチでェ? ドワーフも見かけじゃわかりませんな」
「フブキさんそれちょっと失礼ですよ」
サカキさんに窘められ、俺はゆっくりと額に手を当てた。
「あ、これはどうも、失敬……。そういうつもりでは」
「いえ、よいのです。気にしておりません。恥じるべきは全て我が未熟さ、我が欲望」
研究所内で勤勉に働くドワーフ達を見ていると信じられないことなのだが、グランドレンではかなり賭博が盛んらしい。これは国を挙げて整備するというレベルで、都会の休日は、ファミリーでさえカジノに出かけるという。
ドルバス氏もそんな国民性を持って暮らしていたわけだが、研究所の所長という高給取りであったにも関わらず、ある大敗の日を境に歯止めがきかなくなってしまった。グランドレンの胴元は負け分の支払いを分けたり待ってくれるのが普通であるため、一度だけならすぐ返せると、リベンジ用の金を借り入れ、溶かしてしまったが運の尽き。あとは坂を転げ落ちるように――その肩書きをもってしても支払い不能と思われるほどの負債を抱え込んでしまった。
これはトラブルへと発展し、もちろん周囲のドワーフにも知れ渡ることとなり、責任能力を疑われたドルバス氏は職を追われることに。
「かつては、そうやって身を滅ぼす者の噂を、笑ったこともありました。しかしいざ自分がその立場に置かれてみると……」
最終的に、彼は借金を背負うのをやめた。
だって返せないんだもの、しょうがない。
家財を売り払ってこさえた実弾で、国外へ出るための手引きをしてくれる闇の住民を雇った。亡命なんて、響きだけかっこいいものですらない。夜逃げだ。
それが本当のところだった。
「わたしを受け入れてくれたオーリンの皆には感謝しておりますが、やはりもう一度だけでも、故郷の土を踏みたかった。それが実現した今――」
ドルバス氏は遠い目をして、その先を続けようとはしなかった。
「悔いはない?」
サカキさんが補完してみても、首を振るでもなく、頷くでもなく。
「何かまだ他に心残りが?」
俺も気になって訊ねてみたが、お爺さんは戻ってこない。
サカキさんと顔を見合わせ、杯に残った分を飲み干した。
「あ――そういえば、」
とサカキさんが言った。
「ご家族の方は、どうされたのですか?」
彼は冴えてる。言われてみれば、それは出てきてもおかしくない話だ。
いや、むしろ、触れられていなかったのが不自然な要素ではないだろうか?
それは、まあ、独身という線もあるだろうが、一時でも社会に地位を築いた男が、顧みたかどうかは別として、家庭を持たなかったということがありえるのだろうか?
「そうですよ、逃げる時に一緒に連れ、て……」
だが、俺達はすぐに、これは触れてはならないことだったと考えを改めた。
勘付いても気付かないふりをするのが正解。
ドルバス氏が押さえた目頭と指の間に、湿り気を感じて、時既に遅し――。
確かに、自業自得というやつなのかもしれない。
だがそんな評価で、悲劇が薄まるはずもない。
宮殿にほど近い宿の一室――というか俺の部屋――は重苦しい雰囲気に包まれた。
間をもたせようと口をつける酒さえ残っていない。
仕方なく俺は席を立って、窓の外を眺めに行く。
城下を見下ろすような形になっているのは、セーラムの城と同じだ。街を照らす光り石の陰に、住民の営みが映っては消える。ドルバス氏の家族は、と俺は思った。あの闇の中へ、溶けてなくなってしまったのであろうか。
部屋のドアがノックされた。
誰だか知らんが誰でもいい。この空気を払拭してくれるなら。
俺は代わりに出て行こうとして立ち上がりかけたサカキさんを手で制して、戸口まで早足に向かった。
「はいどちらさ、」
姫様とジュンだった。
「あっ、と――お早いお帰りですね」
「入ってもいいかしら」
「えーと、まあ、ああ、いいで、いやちょっとお待ちください」
閉じようとした扉を、姫様は強引に解き放った。
「入るわ。ジュン」
「はーい」
ジュンは俺を相撲取りのように突っ張り突っ張りでどんどこ押していく。
「う、お、ちょ、おいやめあーあーあー」
姫様はその後に続き、部屋の全貌を見て、そして了解した。
「……呆れた」
ジュンは発音こそしなかったがしっかりと口の形を作って、うわ、と言った。
「何やってるのあなた達。こんな時間から」
テーブルにはまったく言い訳のしようもない酒盛りの跡がある。
何をやっているのだと問われれば、見た通りだと返すほかない。
「す、すいませんすぐ出て行きますから……」
退散しようと腰を浮かすサカキさんを、俺は再び制した。
「いや! いいんだ、サカキさん。謝る必要はねえ!」
「ええ……?」
「いいんです。こんな時間からと言いますがね、ここはいつでも夜みたいなものではないですか。だから飲んでていいんです」
「……あなた酔ってるわね」
「ぜぇんぜん酔っとりゃしませんよ……へっ、よしんば酔っていたとしても? これは私の小遣いから出して購入したオヤツですから、姫様とて文句を差し挟める筋合いはござーいません。だから酔ってません」
「まあ、ある意味、そうなのかもしれないけれど……とにかく、これはいただけないわね。自分でそう思わないかしら?」
「思います」
「……なら、」
「思いますけどしょうがないでしょう? やることないんですからさあ。サカキさんだってそうなんですよ、カワイソーに奥さん探しに来たんだかクダ巻きに来たんだかわかりゃしない。女帝と王女の権力で、誰か席に座らせるくらいできないんですか?」
「――だから、その知らせを持ってきたんじゃない」
「ほれみろやっぱドワーフ女にしてみりゃヒューマン男なんて気持ち悪くって仕方がねえんだ、大体俺は最初っから気に入、い、……ええ?」
「ほ、本当ですかあ!?」
「本当よ。大手の牧場主の御息女。これでも見つけるのに苦労したわ」
「……へえー……。で、いつ?」
「三日後」
「結構近いな。じゃあ……場所とかも、決まって?」
「ええ、ケイギュウを観に行くわ」
「けいぎゅう?」
音と意味がすぐには頭の中で結びつかない。
「おお、競牛ですか!」
後ろでギャンブル大好きだった爺さんが言ってくれたおかげでなんとなく察した。
老ドワーフは全員の視線を浴びてハッとなり、萎縮したように、
「あ……いや、失礼」
確か元いた世界でも地域によっては競馬と同じ感覚でやっていたと思う。
「ちょっと待った、まさか賭けに行くんじゃないでしょうね」
「競牛場へ行くのに他の目的があると思っているの?」
「どういう繋がりなんだ? あ、牧場だからか……」
「そうよ、そこの牛が出走するの。カロムナの名前が付いた賞を取るためにね。丁度よく双方が出席できるから、話を持ちかけたら通った」
「はあ、そりゃまたなんとも……」
「開発組を見守るのに飽きたなら、あなたにも来てもらおうかしら」
「それは、はい、お供いたします……」
「アグ、……ドルバス殿も、よろしければどうでしょうか?」
「あ、いや、姫様、彼は」
「ああ、聞かされたの? 私は知っているのよ」
それも、手紙に書いていたのか。
「もし不安があるなら、ただ見ているだけでも構いませんし、無理して付き合うこともありませんが、如何でしょうか? ここに塞いでいるよりは……」
ドルバス氏は明らかに迷っていた。それは苦悩にも見えた。
半生を台無しにしたきっかけに、もう一度触れてみるかどうか。
厄介なのは、さっき競牛という言葉を聞いた時に、一瞬でも目を輝かせてしまったことだろう。破産で懲りたといっても、魅力を感じていた頃の記憶も共に残っている。
多分、全てを失い、賭場なんて立たないような土地に流れ着いた後でも、ひりひりするようなスリルを欲した夜があったのではないだろうか。
皆、言葉を待った。
俺は、彼が屈するのではないかと思った。金を賭けないにしても、その場所の雰囲気だけでも感じたいと考えるような気がした。国にいられなくなるほどの苦い思い出は、それはそれで、最も印象深い故郷の記憶だろうから。
彼が研究所以外に行こうとしないで、こんな酒の席に付き合ってくれるのは、気を付けておかないと、足が勝手に賭場まで歩いてしまうからではないか?
「いや――わたしは、その日はまた研究所の方に顔を出すつもりでしたゆえ」
予想は外れた。
「決まりね。フブキ、準備は任せていいのかしら?」
「もちろんですとも」
「酒の臭いをさせてきたら承知しないわよ」
指を差してまで言われたら、俺も無言で頷くしかなかった。




