11-2 多少はのんびりとした旅
送迎人数は多くないが、貴賓が乗るというので、用意された船はグレードの高いものだった。中型のジャンク船といった趣で、贅沢な三本マスト。いつか大昔の絵巻物で見たようなやつだ。ただ、帆に通っている骨についてなのだが、俺達のいた世界なら竹を使っていたところをシアマブゼで済ませているため、ちょっと凸凹していてそこだけはあまり見映えがよくないように感じる。機能的には問題なく折り畳めるようである。
セーラムの船と比べると操作性が優れており、速度は高く、安定感もある。但し、喫水が浅いので、船倉はあまり広くない。積載量で言えば頼りないくらいだ。こういう用途にはめっぽう向いているが、船団を組んで気合の入った大量輸送となると一段落ちるだろう。
本日はやや落ち着きすぎな天候ではあったが、俺が起こした風を利用して快速に走ってもらっている。
「ありゃ日本で見た時の淡路島よりでかいよ。絶対そうだ」
とナガセさんが一緒に連れてきた開発チームの数人に話している。
その中には、銃器開発の件とは関係ないのだがサカキさんも混じっていて、感心したように頷いている。さらにその隣で、これもまたあまり関係ないのだがタマルさんが安酒の瓶を抱えながら、前方の景色を見るともなしに眺めている。
ソブラニ島はディーンの港から見えるか見えないかといった距離にあった。それがぐんぐん近づいてきて、今はもう甲板からの視界の半分ほどは目的地で埋まってしまっていた。
俺は椅子に座ったまま振り返って、舵取り役や帆の管理員達に軽く手を振った。
彼らは海の漢らしく見た目こそ厳ついが、にこやかに手を振り返してくれる。
仕事が楽になって困らない人はいない。
このような魔法を動力源に利用した航海のことを考えると、おそらく現在の技術でも世界一周は(ここが本当に惑星ならば)可能だと思われるが、やはり戦時下でそれどころではないというのと――結局、新天地を求めて遠海まで本気で出て行って、それから帰ってきた奴らが今のところいないというのが大きいそうである。
諦めて逃げ戻ってきたというケースがあれば挑戦者も後を絶たないのだろうが、ほぼ自殺行為であるということが周知された状態では人もスポンサーも付きはしない。逆に、海の向こうから既知世界に干渉しようとしてくる黒船の如き勢力も確認されないので、時代が動くのはまだまだ先のことになりそうである。
「もう目の前ではないですか。さすがに速いですなあ」
船内から、姫様とジュンと共に、ドワーフのアグラ氏が出てきた。
グランドレンへの入国を考えているのはこれで全員である。
それぞれの目的を整理して説明すると、まずナガセさん率いる開発チームは、小銃の試作品完成を目指して技術を出来る限り盗んでいく。これが一番大事な用件。
次に、タマルさんはこの旅についてはきたが、グランドレンへの運搬魔法家の入国は防衛戦略の面から拒否されるはずなので、ソブラニ島で別れてそこの運搬ポイントを開拓してもらう。完全についでである。
姫様に俺とジュンを加えた三点セットは、監督者兼責任者の役割。
使者の代表でもある。
グランドレンからは亡命してきたというアグラ氏だが、どうも最近気が変わったようで、姫様に一筆書いたのもその関係からだったのだろう。後から、戻る決心を固めたので同行させて欲しい、と申し込んできた。
どんなこじれ方をして逃げてきたのか知らないが、ヒューマン側の要人にくっついて戻るというのは、やり方としては結構上手い気がする。手出しが難しくなるだろうからだ。まあ姫様が利用されているわけで、俺としては遠慮して欲しくはあったのだが、召喚装置修繕の件でがっつりお世話になって、その後保守でもかなり助けられていることもあって、目を瞑るしかなかった。なんだかんだで姫様でさえ行ったことのない地域の旅であるから、案内役が期待できるというのもある。
最後にサカキさんだが、あわよくば結婚相手を探させるつもりでいる。
というのも、そう、ドワーフの女性というのは、歳を食っていても相当若く見えるらしいのである。俺は最初そのことについて触れた文章を読んだ時、詳しいことが書かれていなかったせいもあって、ふーんそうなんだ……と思っただけだった。
ところが最近になって姫様と、アグラ氏から衝撃的な事実を聞かされた。
なんと、髭が生えていないのだという。
違う、これは正確じゃない。――生えないのだという。
俺は驚いて彼らを問い詰めた。それでまあ色々明らかになったところを総合すると、つまり、人間から見たドワーフの女性はヒューマンとそう変わりない外見で、かなり年若い少女の姿を保ったまま一生を終えるというのである。いや、幼いまま、だ。
そんな馬鹿な、と口に出したのをよく憶えている。
俺はこの世界のドワーフの姿をアグラ氏だけしか見たことがなかったが、それは髭をもじゃもじゃに生やして、低重心な体格をしていて、イメージ通りの、ステレオタイプなものだった。だから当然、女性もそのデザインラインに添ったものだと思い込んでいたのだ。改めて先入観のおそろしさを感じた。そして納得がいかず、不満を内に抱えることになった。どこに言える文句でもないとわかっていながら。
この世界の住民にとってはそれが普通だということはわかる。当然ながら、俺の思い描いていたイメージの方が異常であり、それこそ受け入れ難いものだろう。だが、そんなことが許されていいのか、という思いは拭えなかった。この世界に何を期待していたわけでもないが、そんな設定――ナンセンスだ。
それで、サカキさんの性癖について思い出した姫様が、もし向こうの了解さえ得られれば、引き合わせてみればいいと言い出したのだった。なんてことを、と俺は思った。外見のハードルだけクリアさせてくっつけようというのだ。実に乱暴だ。要は欲情さえしてしまえばいいということではないか。いやそこが一番の難点だったから解決されれば一気に話は進むだろうが、別の問題、例えば種族の壁はどうする。こちらが許容しても向こうがどう思うか――ハーフドワーフの新たな出現を受け入れられるかどうかも含めてだ。それもまた前例がないというわけではないらしいが、この時代で皆無なのはおそらく間違いないだろう。
俺はサカキさんの気分を損ねるのではないかと思いながら相談を持ち掛けた。
説明を聞いた彼が深く悩むことはなかった。
「実際に見てみないことには」
それで判定するしかないようだった。
見た目と実年齢の乖離をどこまで違和感なく認識できるかについては、当のサカキさん自身もよくわからないというのが率直なところのようだ。まあそういう存在に出くわしたことがないだろうから、無理もない。
それで適齢期の女性に会ってみて、いけそうだということであれば、土下座してでも頼み込んでみる価値はあるかもしれない。
個人的にはロリっぽいドワーフなんて本当にクソだなと思うが、サカキさんにとっての救いになりえるという点は、否定のしようがなかった。
ソブラニ島に着いた俺達は歓迎されたが、それはあまり規模の大きなものではなかった。一日しか滞在しないということが予めわかっているせいもあるだろうが、どこか、この来客を喧伝したくないような雰囲気が先方には漂っていた。
島を治めているのはロンド家という一族で、現在の当主はハーマン・ロンドという、俺より少し年上くらいの男だった。姫様とは顔見知りで、元服以前にそこそこ交流があったのだという。ただ、久しぶりすぎる再会のせいか、なんとなくギクシャクしたまま時間は過ぎていき、昔話に花を咲かせたりもしない。間を埋めるために俺が色々武功について質問されたり、セーラムの人なら少し聞き飽きたくらいの面白話を語って聞かせた。それで翌日になってしまった。本当にただ泊まっただけの中継地点として、置いていくタマルさんに見送られながらそこを後にする。俺達はソブラニ所有の船に乗り換え、グランドレン東の港を目指した。
海は終始穏やかであった。
ソブラニも島にしてはかなり大きかったが、向こうの大陸の存在感はその比ではなかった。海岸線がどこまでも続いていくのだが、その先がすぐ山や崖になっていて、文明の気配が感じられなかった。アグラ氏によると、西のグランドレンも含めて国土はほとんどどこもこのようになっているという。ドワーフ達は山の表面に点在する小さな集落か、複雑に発達した坑道を中心としたトンネル住居に生息しており、特に後者の大都市圏では非常に多くの同胞が暮らしているという。彼らは山の木々に分け入って狩猟と採集をし、土と岩石をくり抜いた空間では特殊な農耕や牧畜まで行っている。鉱山には有用鉱物も豊富に含まれ、生活を支えている。一応漁にも出るのだそうだが、やはり割合としては山の恵みに大きく依存しているようである。
上陸前に、アグラ氏は念のためにと言って、自分の姿をフード付きの外套で覆った。
何に配慮した念入れなのかわからないが、少なくともすぐに自分の正体を知られたくないのだということはわかる。場合によっては向こうの方々が怒りそうな態度だが、姫様はあまり気にしていないようだった。事情を知らされているからだろうか。
やっと着いた入り江の港町はまるでゴーストタウンである。
ただでさえ少ない平地面積を目一杯有効活用しようという集落計画は見られず、とりあえず必要な建物を設けてそのまま、といった風情だ。それでいて、材料をケチらず造りもしっかりしているのが遠目からでもよくわかる、というチグハグさがある。
いつもこうなのかと船員に訊ねてみると、冬場は基本的に貿易しないため、季節の変わり目に合わせて、ここの住民は奥へ引っ込んでいくのだという。今回は俺達が来るということがわかっているから、数名だけが家に残っているか、今日に合わせて出てきて、詰め所に泊まっているはずだ、と。
その説明の通りに、船が桟橋に停泊したのを見て、小さな建物の中から、男が二名だけ現れた。どちらも長斧を背負っており、皮鎧も着けて武装していた。
ソブラニの船員達が先に下船して、ドワーフと少し話をする。色々と確認を取っているようだ。それが済むと、姫様を先頭に、俺達も陸へ立った。
「セーラム王国を代表して参りました、第三王女ゼニア・ルミノアです。訪問の受け入れを感謝します。まずは代表者の方とこの先の予定について打ち合わせたいのですが」
コンビはもっさり髭を生やした初老(に見える)の男と、こちらも髭を生やしているが短く刈り揃えている若者(に見える)の組み合わせで、返答はこうだった。
「我々は先遣隊にすぎません。皆様を送り届けるのが任務ではありますが、すぐに別の班に引き継ぎます。さらにその次の班が控えておりますし、さらにその次の次の班も控えております。何か相談したいことがございましたら、都に到着してから、担当の者へお伝えください。ここでは対応しかねます」
そういうことらしかった。
まず都までの移動が予定として埋まっていて、異論を差し挟む余地はない、と。
船から持参した荷物を全て降ろした頃、また別のドワーフ達が四名ほど建物から出てきた。それで全員らしかった。彼らはできるだけこちらの荷物を運んでくれるようだったが、それでも俺達は残りを背負わなくてはならなかった。
心配そうなソブラニ人に見守られながら、俺達はいきなり急斜面を上っていく。
「もしかして、しばらく登山でしょうか」
と俺が訊くと、その中ではリーダー格らしい、最初に出てきた年長の方の男が振り返って、この世に感動的なものなど何も一切ないのだよ、というような表情で、
「そうです」
と言った。
だがそれは間違いだった。いや、彼の言うしばらくと俺達の思っていたしばらくに差異があっただけなのだが。
登山は四日続いた。
途中、何度も山小屋に立ち寄って、食料と水を補給しながらの道程であった。
しかも二日目の昼過ぎからとうとう雪が降ってきて、その量も半端なものではない。一晩で信じられない積もり方をしたため、決まっていたらしいルートから外れて、集落の協力を得て俺達の分の耐雪装備を調達しなければならなかった。住民の珍しげな視線は、オーリンの時と大体同じようなものだ。
かんじきを履き、幾重にも外套を着込んで、物言わぬ動物となって先へ進む。
チェックポイントはどこかの山頂ではなく、中腹に設けられたトンネルだった。
俺達はそこで待っていた集団に引き渡された。
その頃にはもう俺は帰りたくなっていた。どころかダメ元で姫様に帰らないかと言ってみた。だが彼女にその気はなかったし、開発チームについてもそれは同じことだった。唯一、ジュンだけが俺に共感してくれていたが、北国出身の彼女は断熱材マシマシの住宅で育ったくせになんだかんだで寒さ耐性があって、俺の辛さの真の理解者にはなってくれない。どうして忘れた頃に苦行が訪れるのだろう。不思議でならない。
ところで奇妙なのは、長い時間を共にするにあたって、ドワーフ達は当然アグラ氏の存在に気付いたわけだが、特に騒ぎ立てる様子はなく、半ば黙殺するような形で同行を認めたことだった。外からやってくるドワーフなど彼らにしても珍しいはずだが、まあ日頃からこういう任務ばかりこなしていると出入りはそれほどのイベントではないということなのだろうか。
ともあれ、トンネル担当(彼らも寡黙)の先導に付いていった俺達は、さらにまた三日ほど(中では時間感覚が壊れる!)探検ツアーに参加させられた。今度は狭さが敵だ。岩肌にピタリと頬をくっつけて通り抜けなければならない時など、決して気分はよくない。荷物も場所によって一旦降ろしたり分解したりが必要でひどい。外とどちらがマシだったろうと思いながら、俺は無我の境地に至ろうとしていた。
だが、その次に出会った班は陽気な男達だった。
「お会いできて光栄ですよ! 僕はヒューマンと会うのが初めてで! ねえ!」
握手さえも交わしてくれる。
全員が判で押したように同じことを言ったのでなければ、素直に受け取れたのだが。
「ここからはほら、ご覧の通りトロッコを利用しますので、楽な旅になりますよー!」
手漕ぎだったが、最早大した労力ではなかった。
車輪で移動するようになって二日目、途中途中でトンネルを歩きながら、現在は十番目の路線に乗っているところだ。
俺達はどこまでも山の中へ入り込んでいく。




