10-7 便りを出す便り
「それで、どうして先に私のところへ来たの?」
と、ミキア姫は不思議そうな顔をして言った。
「……予習を、しておいた方がいい、と思えたものですから……」
俺もなんだかよくわからない答え方をした。
姉君様は今にも両腕を組んで首を九十度曲げそうだったが、代わりに手元の花をわさわさと愛でることで代替としていた。
この日は年に二回ほど行われている、庭園の総点検が実施されていた。普段から手入れは馴染みの庭師が請け負っているものの、なんだかんだ広いため行き届かない部分も多い。そういう敢えて放っておいたところもまとめて片付けてしまおうという行事である。全然関係ない部署の使用人達まで集められ、さらに臨時で人足を雇ったりもする。
俺はそこへ突然訪ねて行って姉君様を捕まえ、少々強引に会話の卓へとつかせた。彼女が城のオーナーの一人として立ち会うことを知っていたからだ。これは統括役の執事に任せてもよいことではあるが、長年の苦境が続いた結果、それほどの役職であっても少人数で大変な量の仕事を回している状況が常態化しているため、他のもっと重要な案件を優先させておきたいという場合、王族であっても手の空いている者が細々とした役割を引き受けることは多い。城内に限った話でもなく、例えば姫様が学者先生と仲良しなのはこの理由が手伝っている。
特に指示出しなどするわけではない。あれを植え替えますとかこれを取り除きますといった説明にそうしてそうしてと頷く仕事だ。そもそも代打で、強いて言えばまあ、王女殿下が見ておられるぞ、とすることで気を引き締めさせる狙いがあるくらいか。
しかしそんな、一応の見届け人という立場ではどうせ暇を持て余すわけで、そこへ話し相手として登場すれば邪険にはされまいという計算があった。実際、彼女は予期せぬ来客に多少喜んだように見えた。すぐに困惑することになるのだが……。
「ごめんなさいね、言っている意味がちょっとよくわからなくて……予習って、何の?」
「申しました通り、ドワーフ領への出入りは厳しく制限されておりますから、おそらく通常の手段で客人の入国を要請しても許可されないでしょう。応答さえされないかもしれません。しかし王家からの呼びかけなら、少なくとも耳を傾けてくれる可能性は出てくるはずです」
「そうね、そうかもしれないわ」
「特に、ゼニア様ならば」
ミキア姫は含みを持たせた言葉に反応を示さないまま、見つめ返してくる。
姫様が愛用する、隕鉄の剣。丈夫で切れ味抜群の業物。
かつて、彼女はあれをドワーフからの贈り物だと言った。
その繋がりが今のところ一番頼りになりそうなのは間違いない。
「……ただ、それを切り出すにあたって、知っておくべき事情があると……そう思えたものですから……」
事情。そんなものは無いかもしれない。
俺の勘繰りすぎということはありえる。当時のドワーフはただヒューマン圏の王族だという理由だけで姫様に剣を贈ったのかもしれない。縁と言えるほどのものもなく、セーラムの王女が軍に関わっていると遠く伝え聞いたために、実用性もある装飾品の一種として珍しい剣を(持て余していたとかの軽い理由で)進呈したのかもしれない。
姉君様はまだ言葉を返してはくれない。
「いえ、私の思い過ごしであれば、それでよいのです。しかし、藪をつつくようなことになる予感がどうしても拭えず……こうして参った次第です」
ドワーフとの渡りをつけるよう頼むことが、姫様の過去の詳細の、かなり深い部分まで踏み入るきっかけになってしまうのではないか――その憶測が俺に、精神的なクッションの必要性を訴えていた。
それほど怖れるようなことか? とあんたには思われるかもしれない。
臆病になっていることも認める。
だが、ふと自分を見つめ直した時、囁く声がある。
姫様の口から直接聞かされて、耐えられるか? と。
お前は提示された事実をそのまま受け止められないだろう、とも。
強く否定できなかった。
「姉君様、何かが潜んでいるならば、私はそれを予め知っておきたいのです。唐突で、不躾な願いであることは承知しております。ですがこれを叶えて下さる方はおそらく姉君様をおいて他にいらっしゃらないでしょう。もちろん、差し支えのない範囲で――いや、この際はっきりと申し上げましょう」
今まで、敢えて情報を入れるのをやめていたところはある。
気にしなくてもいいことだ――そう思っていた。
違う、知らない方がいいことだと自分に言い聞かせていた。
そうじゃないか。そんなことで心乱されるぐらいなら、知らない方がいい。
だが、いつまでもそういうわけにはいかないのかもしれない。
「ルミノア王家には、ドワーフと……グランドレン帝国とどのような繋がりがあるのですか? 何故、ゼニア様は彼らの作った剣を振るっているのです? 何故、ゼニア様は自らが戦おうと考えるようになってしまったのですか? 家族を何人も殺されたからですか? 国を荒らされたからですか? それだけですか? 私は、何か大事なことを知らないような気がするのです」
「――ふーん……」
そこでやっとミキア姫はそれだけを呟いて、目を細め、紅茶に手をつけた。
「それで予習、ね」
そしてさらに、
「そこまで勘付いているのなら、直接あの子に訊くべきではない?」
ともっともなことを言った。
「小賢しい真似なんかしないで、ね」
語尾にハートマークが付きそうなほど魅力たっぷりに指摘される。
瞬時に心が絶望的な色へと染め上げられて、俺は酸素が欠乏したかのような苦しみに襲われた。
姉君様の言う通りだ。
人の、デリケートで、プライベートな部分に触れようというのだ。
第三者から情報を引き出した上でそれ知ってるよと打ち明けるのではなく、それを知りたいのだと本人にきちんと申し出るのが筋ってもんじゃないか。だが、
「そっ、」
れができれば苦労しねえ、と言いかけたのを呑み込む。
姉君様にはお見通しである。
「何かゼニアの機嫌を損ねそうだから?」
「違う! 違います……ただ、」
「ただ、なあに?」
「ただ……ゼニア様は、本当に必要なことは先に言ってくれていたから……?」
しかしこれは自分で言っていても微妙に自信がない。
別に姫様が悪いことをしたわけでもないのに擁護したような響きがあった。
「何と申しましょうか、そうだ、余計なことを訊ねて煩わせないようにですね……」
「無用な詮索をしてしまうのではないかということよね?」
「ちが、……それは……」
「違くないでしょう?」
自分でもどうしてこんなに感情的になっているのかわからなかった。テーブルへ拳を叩きつけそうになるほど掻き乱されたのは久しぶりだ。それにどうして今日のミキア姫がこんなに意地悪なのかもわからなかった。ペースを取り戻した彼女は、穏やかに笑みを浮かべたまま俺を責め立てた。
この人は、多分、俺の内心をわかっているのではないだろうか。そしてその上で、このような言い方をしている――そんな雰囲気がひしひしと感じられる。わざと俺にそれを悟らせることで反応を楽しんでいるんじゃないかとさえ思う。
突然押しかけて彼女を利用しようとしたこちらに非はあるから、何も言えないが。
「あら、黙っちゃった……」
でもそれは、アテにしていたということでもあったのに。
唯一優しく教えてくれそうだった姉君様がこうなら、俺は他にどこを当たればいい?
王様か? アデナ先生か? どちらも相当キツいぞ。
王様は元から俺にあまり好意的じゃないから知っていても何かと理由をつけて教えてくれないだろうし、娘のこととなると意固地になりがちでさらに望み薄だ。アデナ先生は客人の教育機関でこき使いまくってるから正直もう書面以外では会話したくない。相当恨みを買ってて顔でも合わせようものなら何をされるかわからん。
どうすりゃいいんだ……。
とにかくこの場は無益になってしまった。
食い下がっても仕方ないし、大人しく去ろう。
「……大変失礼を致しました。私が間違っておりました。時間を取らせてしまって申し訳もございません。この償いは後日必ずや」
しかし椅子から立ち上がった俺に、姉君様は待ったをかけた。
「まあまあ、ちょっと。何もあんな言い方したからって、私があなたの敵に回ったわけではないのよ」
「……と、申しますと……」
「座って」
「は……」
「それ飲んで、リラーックス」
ミキア姫はそう言いながら優雅に片腕を波打たせた。
俺は見捨てそうだった紅茶を口にする。まだ温かさは十分に残っている。
「いきなりね、そういうことをお願いに来られてもちょっと困るわね?」
「すみません……」
「でもあなたの気持ちはなんとなくわかった。要は、このままゼニアに話をしに行くのはこわいってことでしょう?」
「……まあその、つまりはそういうことに……なるのでしょうか……?」
「悪いけれど、そのために私からあなたへ教えられることは何もないわ。でも安心して。私はあなたの味方よ」
姉君様は胸を張って言う。少し揺れたのを俺は見逃さなかった。
「二人きりで話すのがこわいなら、私がそこについていればいいのよ。良くない流れになりそうなら、助け舟を出してあげる。今夜にでも行ってみようじゃない?」
上手くいくかはわからないが、精神的な助けを求めていた俺としては呑める妥協だ。
そして、姫様は、何故姉上がここにいるのか、という視線をずっとこちらに向けている。ミキア姫はニコニコしながら、向かい合って卓に着く俺達二人を見守っていた。会話には遠いが、口は挟むには問題ない絶妙な距離だ。
城の適当な一室を借りている。この場合の適当は密談しやすいという意味。
「――というわけで、開発する方向で進めて行きたいのです」
「話の内容はわかったわ。その兵器は期待通りの物に仕上がりそうなの?」
「いえ、あくまでもナガセさんの言うように叩き台ということで……」
当然、姉君様がやってきたことには最初の段階で疑問を呈していたが、「特に何もしないから。気にしないで?」と声をかけられると姫様は「そうですか」と引き下がった。
ちなみに、ジュンはこの日は珍しく休みを取って、隣界隊古参の女子会(!)へ出かけていったという。何を話すのかものすごく気になる。
「製作段階でもかなり難航が予想されそうです」
「そう……でも、取り組むことには価値がありそうね」
「ええ、きっとそうですとも」
姫様は喋りながらも、ちらりちらりと姉君様を盗み見ている。
お互い、数少ない生き残った肉親同士であるし、姉妹仲が悪いという印象はないのだが、長いこと彼女達の関係を観察していてわかったのは、若干姫様が姉君様を(どういう理由によるものかはわからないが)警戒しがちであるということだ。
考えてみれば、姫様が姉のことについて語っているのをほとんど聞いたことがないような気がする。今や唯一残った兄弟姉妹だというのに。姉君様が姫様のことを可愛がっているのはなんとなくわかるのだが、姫様の方がどう思っているかというと実は判断材料に乏しい。
この三人が私的な場で一緒になったことは数えるくらいしかない。それも大体は、二人が話しているところに偶然俺が通りがかるとか用件を持ってくるとか、その程度の面識の重ね方だった。俺は姉妹が家族としてはどのように付き合っているのか、あまりよく知らない。
――もしかしたら、姫様は姉君様をあんまり好きじゃなかったりして……。大人になった今は表面化させていないだけで、幼少期の体験などからクソアマと判断している可能性はなくはない。うわ、そう考えるとこれかなりまずい状況じゃないのか? 連れて来ちゃったよ。というか利用されていたのは俺――?
いやいや待て待て、落ち着け! 具体的なエピソードを聞いたわけでもないのに妄想を膨らませ過ぎだ、いくら不安だからってそうまで悪い方向に考えるな。これまで俺が姉君様を連れてくることがなかったから驚いているだけだろうが!
とにかく話を続けないと。
「但し、そのことで折り入ってご相談がございます」
「何? あらたまって」
「むしろこちらの方が本題と言えるかもしれません。ちと大きめのお話です」
「勿体ぶるわね。聞きましょう?」
姫様は腕を組んで待ち構える。またちらりと姉君様を見た。
「彼が言うには、今集められるスタッフだけでも完成するように設計と理論構築を行ったとのことですが、ここでもしドワーフの知恵を借りられれば、成功の可能性はかなり高まると……」
本当はドワーフの技術を前提条件にしたいという勢いだったが、ここはマイルドに伝えておこう。
「オーリンでアグラ氏に協力してもらったように?」
「左様です。そこで、これは前々から要望もあったのですが、客人をグランドレンへ留学させたいのです」
「無理ね」
はっやーっ。
「……しかしながら、姫様の名声をもってすれば彼らと連絡を取ることは可能なのでは? 隕鉄の剣はかつてドワーフの方々より贈られた物だと言っていたではないですか。縁は切れていないのでしょう? そりゃあいきなり留学させてと要求して通るなどとは思っておりません。まず第一歩として、誰かお知り合いに文を出すくらいのことは、」
「無理ね」
「なんでだよ」
姫様は長く息を吐いた。
「――詳しく説明するのはこれが初めてかもしれないわね。といっても、あなたはもう調べているかもしれないけれど」
俺はどきりとした。
先にミキア姫を訪ねた心理を見透かされているような気がした。それに、姫様がこれまで秘密にしていたことをあっさり零すかもしれないという緊張もあった。
「いえ、実は関わるにしても当分先のことだろうと思って、かなり細い外交関係であるということしか知らないままで……他のことを学んでいるうち、疎かに……」
姫様は、今度は少し長めに姉君様の方を見やった。
それから俺を見つめてこう言った。
「どうして彼らが国を閉じているのかわかる?」
江戸幕府においては貿易の管理とカトリック宣教師の排除を目的にしていたと考えられているが、この世界のグランドレン帝国ではどうか。
「――戦争に巻き込まれるのは迷惑だから?」
「正解。ヒューマン圏とエルフ圏での衝突だから、あれらの大陸が戦場となることはないでしょうけれど、外交上、難しい立場に置かれることはありえた。彼らはそれを嫌ってヒューマンとエルフのどちらにも関わらないようになったと言われているわ。関係が悪くなって困るくらいなら、もう無いものにしようとしたのね。よって、当事国群の大勢力である我々セーラムとの関係もほぼ無いに等しいの」
「ほぼ、っていうなら、皆無ではないのでしょう?」
「双方向ではないのよ。彼らは決まって一方的。私の剣だって……」
「でも、それをここまで届けた伝手があるはずだ」
「そうね。ヒューマン同盟とグランドレン帝国の直接の接点は、彼らの住むミルド山脈へ渡るための港を持った、ごく少数の島だけよ。それらはディーン皇国に隣接しているけれど、全て独立した小さな国なの。けれど、その国々だってドワーフと親しいわけではない……便りを頼んでも、それが届く保証はないのよ」
「なるほどね……」
「期待に添うことはできそうにない」
「――参ったなあ、ナガセさんになんて言おう」
そういう事情であれば、まあ、実現はかなり厳しいかもしれない。
姫様も心なしか申し訳なさそうだ。
「駄目元でやってみるということも、不可能ですか?」
「……いいえ。そのくらいならしてあげられると思うわ。返事はないでしょうけれど」
「なんとかそれだけでもお願いします。せめてこちらがポーズだけでも見せないことには、彼らの努力も浮かばれません」
「そうね……わかった。やってみるだけ、やってみましょう。話はこれで終わり?」
俺の話は終わりだ。しかし、用事はまだある。
「――いえ。最後に、手紙を預かっているので、それにだけ目を通して欲しいのですが」
「手紙? 私宛てなの?」
「もちろん」
「誰から……」
「さっきも話に出た、ドワーフのアグラ氏です」
「――内容は?」
「ご冗談でしょ? 自分以外の方が書いた手紙、封切って読みませんて」
「……そうね。変なことを言ったわ」
表情こそ変えないが少しばつの悪そうな姫様に、俺は封書を手渡した。
ペーパーナイフも用意してある。
「あ、ただ……アグラ氏はナガセさんと親しく交流されているようですから、彼がグランドレンへの渡航を強く望んでいることはご存知であるかと……」
「そう……」
俺は本当にアグラ氏がどんな手紙をしたためたのか知らない。
だがこの直前のタイミングでナガセさんからこれを読ませるよう頼まれた時、そこに何らかの意図は感じざるを得なかった。
なんとなくだが、後押ししてくれるような――いや、無根拠な期待だ。
姫様はしばらく文面に目を通す。
二回は、確実に読んだと思う。三回目の途中で顔を上げた。
そして考えるような顔つきになり、考え、考えて――。
「――何が書いてあったか訊いても?」
姫様はそれには答えなかった。代わりに、
「グランドレンへ便りを出すわ。それでいいわね?」
俺とミキア姫はその場を辞した。
帰りの廊下で、ミキア姫は俺の眉間の辺りを軽く小突いた。
「思い過ごしだったわね」
確かに、話を終えるまで彼女が発言をすることはなかった。
俺が怯えていたような展開はなく、ナガセさんからのお願いに手応えもありそうだ。
だが、俺はその言葉を額面通りに受け取る気にはなれなかった。
「深く訊かなかっただけです」
「またこういうことがあったら私、いた方がいいかしら?」
「いえ――」
いてもらっても、暇させるだけならやめた方がいいだろう。
「大変に助かりはしましたが、次からは自分だけで挑みます」
「そうよね。それがいいわ」
「では、私はこちらですので……」
別れ際、彼女の顔に貼りついている笑みが深みを増したような気がした。
「おやすみなさい……」
俺は挨拶を返そうとしたが、その前にミキア姫は背を向けて行ってしまった。
後日、意外なほどの早さで、グランドレンから返信が来た。
姫様がどんな書き方をしたのかはしらないが、ドワーフの返事はこうだ。
秋の終わりに来られたし――シンプルなその一文のみであった。




