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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第10章 稼働後の拡大
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10-5 中途覚醒

 夢を見ている。

 俺は屍の山に座っている。疲れて座っている。

 遠くにそびえる本物の山よりも高い。あれと競っていた。そして勝った。

 俺は満足している。自分につく分の嘘は持ってない。本当に満足している。

 心の底から、満足を噛みしめている。


 俺は積んであるエルフから飛び降りて、向かいの山に登り始めた。

 そちらは楽な道のりだった。するすると高度を上げ、頂上に到着する。

 屍の山を見上げる。やはり俺が打ち立てた成果の方が高い。素晴らしい気分だ。

 ふと、足元に死体があるのに気付く。

 ゼニアが。




 目を覚ます。

 息は荒くないし、汗もかいてない。自然な目覚めだ。

 ゆっくり上体を起こす。


 代わりに、どうしようもないむかつきが臓腑から沁み出てきた。

 治まりそうにない。


 俺は反射的に枕元の水瓶を放り投げた。

 瓶は壁へ衝突する前に風に巻かれ、ふわりと床に着地する。

 中は空だ。


 部屋の中は月明かりしかない。


 ルーシアの首都の夜は、夏でも思いのほか涼しい。

 大河を囲むように形成された都市では大体どこも緑が多く、農耕も盛んになるが、この都は同じ流域の中でも比較的過ごしやすい土地だと言われている。真夜中の、蓄積された熱が抜けきった時間帯は丁度いい心地よさがある。


 その代わり日中は容赦ない。いつだったか、ルブナ・ジュランという女から聞いた通り、暑い国だ。空気が乾燥しがちなくせに体感気温は高く、日差しも鋭い。肌が焼けすぎるので、屋外で長時間活動する時は半端な格好ができない。それは貴人でさえも例外ではない。自然、夜が待ち遠しくなる――だが、そこに侵入されたような嫌な感覚があった。


 顔を両手で覆い、ベッドに倒れ込む。得体の知れない苛立ちがまだ身体をまさぐっている。体内で循環しているのがわかる。夢ごときで。


 あんなもの、記憶のデフラグだ。不安を整理しようとしているだけだ。こういうタイプの夢は、形を変えて何度も見ている。何かの暗示とかじゃない。ただ並外れて恐怖しているだけ――大学の単位が足りなくて留年する夢を見るのと同じだ。実際にはそんなこと起こらなかったのに。一単位だって落としはしなかった。

 姫様も死んだりしない。俺が彼女を失うことはない。


 まだ不安か?

 そうとも。


 エルフを殺し切ったがそこに姫様がいないという事態は十分にありえる。実際起こりかけた。彼女は世界樹の中で蒸し焼きにされていてもおかしくなかった――あれで決定的な危機感が芽生えたのは確かだ。俺は彼女を助けようとして、結果的にいい方向へと転んだが、それを実行していた時でさえ自信など欠片も持てなかったし、今でも、正確には自分が何をやっていたのかよくわからない。


 ――振り払え。これはただの障害物だ。


 水瓶を拾い上げ、部屋から出る。喉は乾いていなかったが、水を飲めば少し落ち着くかもしれないと思えた。皆寝静まっているだろうから、水場まで自分で汲みに行くしかない。ちょっと遠いし、場所もはっきりとしないが、少し迷うくらいの方が気分転換になるはず。


 大統領官邸のすぐ近くにある来訪者向けの屋敷だ。ルーシアの建物からはイスラーム世界の香りがふんだんに感じ取れるが、それと同じくらい中華圏の美術に似たデザインも用いられている。高い場所から眺めるとよく目立つのはドーム屋根だが、街路まで目線を下げると、途端に屋根のとんがった門(確か牌坊といったと思う)で区切られたり飾られたりしているのを意識するようになる。不思議な光景だ。


 何日か過ごしてみて思ったのは、太陽光よりも月明かりを室内に取り入れようとしていることだ。廊下を歩いている今もそれを感じる。規則的に並んだ窓から投げかけられる月光を見ていると、セーラムにいた頃よりも月が近く大きくなっているんじゃないかと錯覚するほどだ。


 ――はっきり言って、悪夢の見せてくるビジョンは、正しくない。

 あれは不当な糾弾だ。

 確かに姫様は危険な目に遭う。この先も。

 だが、それを俺が気にしないとでも思っているのか、俺?

 いつかまた彼女が燃える檻の中に閉じ込められて、今度は取りこぼすと?


 もちろん、あれからも戦いはずっと続いていて、ヤバい場面にもたくさん出くわした。前線で魔法戦力を率いて戦うのだから当たり前だ。よほど優勢でない限り、魔法戦力は魔法戦力にぶつけなければならない。どうしたって激しい展開になる。


 戦場以外でも危険はあった。賊の襲撃は一度や二度ではなかった。

 ヒューマン社会において、姫様はかなり革新的な立場に置かれている。数年前までは大して重要でもない任務にばかり就いていた姫君が、いつの間にか足場を固めて、陣営全体を巻き込んで動く中心人物として扱われるようになっていた。

 召喚魔法による異界からの大量流入、そして再び激化したエルフとの戦い、これらは間違いなく彼女が意図して引き起こしたものだ。どちらも成果は上がっており、概ねメリットとして捉えられているが、一方で都合が悪くなってしまった人々もいる。避けられない流れだ。決して大きくはないが、それら反対勢力の妨害はある意味エルフよりも頭の痛い問題となった。解決することもないだろう。


 危険なんだ。どうしようもなく。防ぐことはできない。


 だからこそ、正夢にしないって気持ちが大事なんじゃないか!

 姫様はそういう輩に後れを取ったりなんかしない! 戦死もしない。

 ジュンだって付いてる。大丈夫だ。タフな女達だ。心配するのが失礼なくらいに。

 それで万が一駄目なら、俺が切り抜けてやる。


 ずっとそうやってきたじゃないか。

 城の塔から飛んで逃げた。わけのわからん遺跡を攻略した。

 俺達はリスクを負ってきた。レッドゾーンまで突っ込まなければ、敵を捻り潰すことはできない。危険を冒して初めて、欲しいものを手に入れる権利に(さわ)れる。

 それが当然なんだ。


 頭を振る。

 こうして想いを反芻するのも何度目か知れない。


 上の空だったせいか、案の定、道に迷ったようだ。

 ここはどこだろうか。水場までにこんな狭い通路があっただろうか。方向は合っていたと思うが、さっき曲がったのが間違っていたのか? 引き返すべきか。だがそうやって確かめてやっぱり合っててしかもすぐそこまで来ていたというパターンも多い。急ぐでもなし、引き返すのはもう少し行ってみてからでもいいだろう。


 耳が遠くから音を拾う。

 足音だ。近付いてくる。一体誰だ?


 突き当たりの壁に影が映り、こちらを向く。この通路だけ妙に暗くて誰か判別できないが、なんとなく女性に見える。影はそのまま進んでくる。


 誰かわかった。


「あら」

「――姉君様」


 ミキア・ルミノア殿下。姫様のお姉さん、ルミノア家の長女。


 寝間着を隠すためかローブを纏い、俺と同じく水瓶を抱えている。


「どうしたの道化師さん、こんな夜更けに」


 そちらこそ――などと言えるはずもなく、


「……水を……」

「お水?」


 瓶が少し持ち上げられ、ちゃぷん、と鳴った。


「分けましょうか?」

「あっ、いえ、少し道に迷いまして――でもこの先で合ってるみたいですね」

「遠慮しなくていいのよ。どうせこんなに飲まないし……あっそうだ、今から私の部屋に来ない?」

「は……」

「話し相手が欲しくて。目が覚めちゃったのよ。あなたもそうでしょう?」

「ええまあ確かに……すぐには寝付かないでしょうが……。……しかし……」


 夜中に個人的に女性の寝室を訪ねることになるな。


「あっちのテラスでもいいわ。でもどっちにしろコップは取りに戻らないと」


 いや待て、まだ付き合うとは言ってないぞ。水さえ手に入れば俺は別に、


「実は余ったお菓子もあるのよ。本当は夜に食べるのは良くないらしいけれど」


 ――まあ、本当に欲しいのは水じゃなくて気晴らしか。

 それを食えばいくらかマシになるだろうか?


「わかりました、テラスで話しましょう。私も一旦部屋へ戻ります。コップのために」




「はい、どうぞ」


 それは煉瓦に見える。

 香りから判断するに、練り胡麻か何かを油やらバターと混ぜて小麦粉で固めたものだと思うが、名前はわからない。


「ありがとうございます。では、いただきます」


 齧る。

 これは……なかなかすごい甘さだ。ほんのり蜂蜜の風味も感じる。


「それは胡麻味だけど、本当はもっと色々入れるそうよ。果物とか松の実とか」


 沖縄土産のちんすこうに似ているような気もするが、口当たりはふわっとしている。勝手に崩れていくような食感だ。手に持っている分からも欠片がこぼれていく。


「水、飲みたいでしょう」


 俺は頷いた。これは典型的な、口中の水分を奪うタイプの食べ物だ。


「お茶だったらもっとよかったわね」


 姉君様自ら注いでくれる。

 ああ……いいのか? 一国の王女にこんなことさせてしまって……。

 いや、普段から姫様には割と色々させているが……姉君様とはなんというか、そういう関係じゃない。彼女は道化師としての俺を高く評価してくれているらしいし、最初から結構好意的でもあったから、こうして突然二人きりになっても何を話していいか全くわからないということはないが、仕事の範囲の関係もあって、一緒に行動する機会はあまり多くなかった。やっぱりどこかこう――例えるなら、よく家まで遊びに行く友達のお姉さんに顔を憶えられているという感じがして、要するに微妙な距離感だ。


「どうしたの、じっと見て」

「あ、いえ……」


 さすがに姉妹なので顔は似ている。だが雰囲気は全然似ていない。


 姫様が表情を隠すことで読ませないように努めているとすれば、この人はその逆で、いつも悪戯っぽく微笑むことで腹の内を探らせないようにしている――と思われる。正直そこまで親しくお付き合いしたことがないので、真相は定かじゃない。単に温和な性格というだけかもしれない。まあ、生きてきた時代と家の事情を考えると、そんなことはまずないので、この人はこの人で色々と抱えているのだろうが……。


 このミキア姫も年相応という言葉からは程遠い人物だ。姫様は若いとかそういう問題じゃないのでアレだが、姉君様は言うなれば正統派の年齢不詳である。確か一番最初に生まれたはずで、そして姫様の下にはもう弟しかいなかったわけだから、どう短く見積もっても五歳は違う。五歳!?


 ジュンでさえ二十歳(はたち)という状況だ。俺もいい歳になった。最近ようやく確信を持てるようになったが、姫様はさらにその上の上くらいだ。そこから五を足すとやばい数字にしかならない。


 だが目の前の女性はピチピチだ。極端な言い方をすると、調子がいい時の姫様は高校生に見えるが、姉君様は大学生に見える。こいつら妖怪である。


「一度、きちんとお礼を言わなきゃと思っていたのよ」

「お礼? 一体何の……」

「いつもあの子を助けてくれてありがとう」

「――そんな、助けられているのは私の方です! 姉君様もよくご存じでしょう? 姫さ、ゼニア様に拾われなければ、私などとうに朽ち果てておりました」

「じゃあ、やっぱりあの子はいい拾いものをしたのよ。あなたの命を助けた結果、あなたに命を助けてもらったんだから」

「……それは、そう考えることもできるでしょうが……」

「ともかく、私はあなたに感謝しているわ。お父様もそうよ。ジュンちゃんとはよく話すからいつも言っているけれど、あなたは忙しそうだから。捕まえられてよかった」

「左様でしたか、これは何と言ったらいいか……光栄に思います」


 うーむ、こそばゆい。


「ほら、もっと食べて?」

「は、いただきます」


 慌てて口に運ぶ。あれだな、お茶も合うだろうが牛乳はもっと合いそうだ。


「ところで、どうして目が覚めてしまったの? お手洗い?」


 おお、すげーなこの人、俺、一応物食ってんだけど……。


「私は元々寝つきが悪くて、夜中によく起きるけれど、あなたもそうなのかしら」

「あー、そういうわけではないのですが……」

「ただの偶然?」

「まあ、そんなような……」

「何か歯切れが悪いわね」

「も、申し訳ありません」

「怒ってるわけじゃないのよ。でも、そうね――嫌なら、そのまま偶然だって言い切ってしまえばよかったのに。不思議よね」


 目を覗き込まれると、見透かされたような気になる。


「何か話してしまいたいんじゃない?」


 もしかして、この人は思いつきでもなんでもなく、俺を誘ったのだろうか。


「そうでもない? じゃあいいけれど、」

「気になりますか」

「――気になるわねえ」

「そんなに面白い話ではないですよ。普段、その……皆様の前で語って聞かせるのとは違って」

「構わないわ」

「しかし……」

「大丈夫、相談なら乗るわ。かわいい妹の友達ですもの」

「いや、私はゼニア様のしもべでありますれば、」

「犬を友達として飼うヒューマンもいるわ。あなたとゼニアはそれに近いじゃない」


 ――妙に、納得してしまった。


「お願い、話して頂戴?」


 俺は菓子の残りを口に放り込み、コップの水も飲み干した。


「私は――」


 所詮、弱い男か。


「時々、あなたの妹が、ゼニア様が死んでいる夢を見ます。決まって同じ内容です。私が何かを達成した時、ゼニア様も命を落としている。引き換えとなったかのように」

「まあ。……こわいわね。それで目が覚めるの」

「私は……そうならないことを、いつも願っているのです。ただ不安と恐れが夢という形で表面化しているだけなのもわかっている。しかしその一方で、どうしても心に引っかかって仕方のない夜が来ます。参っているというわけではないのですが、ふと気付くとそのことを考えたりしていて、どうも……」


 姉君様は小さく何度か頷き、


「なるほどね。それはあの子には相談できないわね」

「いえ、本当は姉君様にも言うべきではなかったのでしょう。不吉な夢ですから」

「確かに縁起が悪いように思えるけれど、それは見る人のせいじゃないわ。あの子が危なっかしいのは事実だし……」

「心配するのは当然?」

「そう! こんなことを言うのは変かもしれないけど、ちょっと嬉しいわ。だって、それだけあなたがゼニアについて考えてくれているということだものね」

「……そうですとも、ゼニア様がいなくなったら、私は――」

「そうよね。そんなの駄目だわ。生き延びないと。そのためにも、あなたがゼニアを信じてあげて」

「わかっております」

「もっとよ。今よりもっと信じてあげるの」

「今より、もっと……」

「うんざりするくらい。あの子にもうイヤって言わせるのよ。そのくらいあの子のことを想ってあげて。勝手なお願いかもしれないけど……」

「そんなことはありません。そうか……私はそうすべきかもしれない」

「あの子を支えてあげて。そして、あなたもあの子に支えてもらいなさい。もちろんジュンちゃんも一緒にね。これまでと何も変わらなくても、そうしてみて」

「はい。必ずや」

「いいわね。――じゃあ、そろそろまた寝ましょうか。明日はまた出かけるものね」


 部屋に帰ってベッドへ潜り込み、自分の話した内容を思い返すと恥ずかしくなった。

 それを考えないように考えないように寝返りを繰り返すうち、眠気がやってくる。




 夢を見ていた。

 俺は花畑に座っている。楽しく座っている。

 セーラムの城内にある庭より広い。花冠を作っていた。そして仕上がった。

 俺は満足している。自分につく分の嘘は持ってない。本当に満足している。

 心の底から、満足を噛みしめている。


 俺はきょろきょろと辺りを見回して、向かいの丘にいる姫様を見つけた。

 花冠を乗せていいかと問う。そうしたければ私を捕まえることね、と答えられる。

 二人は追いかけっこを始めた。やはり姫様は足が速い。素晴らしい気分だ。

 ふと、彼女が振り返って囁く。

 フブキと。




 目を覚ます。

 呼吸が苦しい、背中が汗で濡れている。最低な目覚めだ。

 激しく上体を起こす。


 窓から、朝日は直接差し込んでいないはずなのに熱の形までわかるようだ。

 快適に過ごせそうにない。


 俺は反射的に枕元の水瓶を掴み、コップにも移さず口元へ当てた。

 中は空だ。昨晩もらい忘れたのだ。

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