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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第2章 旋風色の道化師
13/212

2-5 あの不人気ろくでなし日本人がついに宮廷デビュー! ふぶき 22歳

「特別な報告というのは?」

「はい、少し気付いたことがあったものですから」

「何かしら」

「私の、魔法のことなのですが」


 いつもの、姫様が来る夜だった。

 この報告のためにほんの少しの、嘘だ、並々ならぬ勇気が必要だった。

 芸の稽古ではなく魔法の開発に(うつつ)を抜かすな、と指摘されることがこわかった。結局、ここんところ魔法しかやっていなかったからだ。後ろめたいわけだ。


 しかし、()()がやはり近道であって、得ることのできた一つの発見を、姫様にも知ってもらう必要はあった。なんとかして自分が有能であることを証明したいという欲に(まみ)れていたとしてもだ。


 とはいえ、姫様が今の俺にとって唯一の生命線であることは依然として揺るがし難い事実であり、その生命線の機嫌を損ねるかもしれないという可能性に対して、本能的な怯えがあった。言われたことをやっていない、というわけではない(と思いたい)が、余計なことをしている自覚も多分にある。刺青の時はわざわざ断って逆らったわけだが、今度のことは黙って逆らった。


 姫様は相変わらず読めない表情のまま黙っている。続きを促されていると判断する。


「いや……その、外に出ている間、何かの役に立たないかと思って、色々と試していたんです」

「そうしたら、気付いたの? 何を?」

「ええ――口で説明するより、実際にやって見せた方がいいとは思うのですが」


 非難するような素振りは見られない。本分を忘れて何やってんだコイツ、とは思われているかもしれないが、今のこの精神状態で姫様の瞳の奥を探るのは難しかった。


「この狭い部屋でも安全なら是非やってほしいけれど、そうでないのならやめて頂戴」

「わかっています。面倒はナシ、そうですね?」

 

 姫様は頷いた。杞憂だったかもしれない、と俺は思った。

 立ち上がり、さっそく取り掛かることにした。


「では、手始めに」


 と言って、俺はまず手を叩いた。パシ、という乾いた音が、しない。

 俺は何度かそれを繰り返して、うまいこと手を叩き合わせていないわけではない、ということを、一応、姫様に確かめさせた。

 次に、ベッドの上に乗って、思いっきり反動をつけてから床に飛び降りた。これも数度繰り返した。だが、衝撃はあっても部屋の中に音はない。


「風で落下の衝撃を和らげているわけではないということは、おわかりいただけますね。では、少し椅子をお借りしても?」


 姫様は椅子から立ち上がり、俺に譲って、感づいたのか出入り口の扉まで離れた。


 俺は椅子を蹴り飛ばした。教室の中でいきなり癇癪を起こしたみたいにやったから、当然吹っ飛んで壁と机に当たった。

 しかし、結果は不気味なほどのミュートだ。一応、両隣と下の部屋には誰も住んでいないが、衝撃だけがあることを妙に思っている人もいるかもしれない。


 俺は再び姫様に椅子を差し出して、自分もベッドに戻った。


「どこかに忍び込んだりする時には便利ね。そういうことになるかどうかは、まだわからないけれど。それで?」

「この()もできるので、いきなり広い場所に出されても問題はなくなったということが、まず一つ」

「他には?」

「――あー、なんというか、その……」


 このことからわかるのは、まず原則として、魔法は科学的に捉えてはならない、ということだ。風というものは空間の暖まり方の違いによって気圧が不均一になるから発生するらしく、音は全く関係ない。


 だが、できてしまっている。


 こうなるとむしろ理屈は邪魔になる。必要なのは屁理屈だ。風が音を運ぶ、という薄っぺらいイメージこそが大切で、つまり、ある種の連想ゲーム。できないと思えばできないだろうし、できると思えばできる()()()()()だろう……逆説的だがよくある話さ。Don’t think feel.だ。


「風を操る魔法はこの世界では珍しくない……ということは、この応用もありふれたものなのでしょう。私は風は風、音は音だと思っていたのです。しかし、そうではなかった。この――(ひも)付けとでも言いましょうか、決めつけないで関連させる魔法の使い方は、きっと、とても大切なことなのでしょう。そして、今のようにたくさんの空き時間があるからこそ、自分で気付くことができたように思えてならないのです。急に忙しくなっていたとしたら、誰かに指摘されるまでわからなかったような……姫様が時間を置けと言ったのは、つまりそういう意図があったからで――」


 俺は、まんまと誘導されたような気がしていたのだった。


「だから、報告しなければならないと思ったのです」


 やはり姫様の予定の中に俺の自主練は最初から織り込み済みで、首輪をつけたのも、させないためではなく単に危険性を下げるための処置だったのではないかと、今はそう考えている。確かにこの応用に気付くだけならば、魔法の激しい行使は必要ない。


 が、それについては姫様は何も説明せず、代わりに、


「――頃合いね」


 と、こう呟いたのだった。

 やんわりとした肯定であると俺は受け取った。


「それでは、いつ?」

「二日後の晩よ」


 おう、急だな。


「元々、今日はその話をするつもりだったのよ。本当なら、こんな近くになってから言うべきではないけれどね。そのことについては謝るわ」

「いえ、そんな……そこは、何か理由がおありなのでしょうから、別に」


 諜報云々の噂は置いておくにしても、準備と言うからには裏で色々と手を回していることは間違いない。何もかもが思い通りに行くということはないだろう。多少のズレは想定内――だが、いざ突きつけられると動揺するのも事実ではある。

 早いとこ始まんねーかなという気持ちはあったけど、二日はちょっと早いねえ……。


 しかし、ここ最近を振り返ってみると、使用人達は実に慌ただしくなっていた。それは、世話を焼かなければならない人物が増えたからではないだろうか?


「……もしかすると、今、城には人が集まっているのですか? 何かの催し物ですか」

「まあ、そんなところね。それで、あなたを使った余興を提案して、通したわ。話し合いが目的の会だから長く時間が取れるわけではないけれど、皆の目をあなたに向けさせるための舞台であることは確か」


 いやあ、むしろ短い方が、緊張する時間もそれだけ減って助かるかもしれない。


「急だけど、決して悪くない機会よ。仕上げてくれるわね」

「ええ、もちろん、仰せの通りに――ま、そこんとこは最初っからあんたに任せっきりだったんだ、今更文句言える筋合いでもあるまいよ。どうであろうと、やるさ」

「結構。じゃあ、明日と明後日の昼は予行をするから、そのつもりで。迎えを出すわ」

「了解いたしました」


 一国の姫君ともなると、めっちゃ色んな人と会うのだろう。日中とはいえ俺に構う暇が本当にあるのか――いや、時間は作るのか、この人なら。


 考えてみれば、この人のお姫様らしい姿というのは、実はまだ見たことがなかった。部屋に来る時は決まってあの兵士としての服か、そうでなくても動きやすそうな格好でやってくるし、振る舞いも決してガサツではなくその逆なのだが、むしろしっかりしすぎているせいか、どうも貴婦人のイメージからはかけ離れているように思われた。別に姫様がお姫様であることを疑っているわけではないのだが、カッコよさがハマりすぎていて、その事実を忘れてしまいそうになることはしばしばあったのだ。姫様という呼び方も、最近ではニックネームか何かのように感じてしまう。

 

 だがそれも、夜の限られた時間にしか会わないせいだと思いたい。

 明日からは、やっとそれらしい部分を垣間見ることができるのだろうか?




 結論から言うと、バッチリキメてきた状態の姫様もお姫様っぽくなかった。

 きらびやかなドレスを着て、何十分もかけてセットされたであろう髪型は、呆れるほど似合っちゃいなかった。もちろん、美しくないというわけではない。だが、それはどこか悪い冗談のようで、なんというか、そう――()()()()()()()

 どうしてこの人はこうなんだ? と軽く憤りを覚える勢いだ。

 最初は少しからかってみようかとも考えたが、それも何かまずい気がしてやめた。


 姫様は、あまりにいつもの通りすぎた。評判もあながち的外れではなかったということだ。俺への接し方もいつもと変わらず、それが余計ちぐはぐな印象を強くしていた。

 この女が道化師を飼うようには、とても思えなかった。


 幸いにして、中庭の一角を借りた予行はすんなり終わった。

 元から大した内容じゃないというのもあったが、意外なほど姫様は俺の芸に文句をつけなかった。あんまり何も言われないもんだから、却って不安になるくらいだった。何かをやって、反応を(うかが)う度に、


「いいわね」


 こればっか。

 本当にいいのかよ? という気持ちにさせてくれる。

 爆笑させるのは不可能としてもだ、本当にいいと思ってくれているなら、少しくらいニヤリとしてくれてもよろしいのではなかろうか。しかし、現実には真顔の何を考えているかわからない、人払いの好きな女がぽつんと用意された椅子に座り頷いているだけだ。それでいてダメ出しはない。こんなことってあるか? ひどい手応えのなさだ。


 そして、そんな不安が残っていても、俺は本番に臨むしかなかった。




 扉越しでも賑やかさが手に取るようにわかった。広間には既に貴族や将校らがこれでもかとばかりに詰め込まれ、姫様の言う()()()()に、せっせと花を咲かせているのだろう。

 夜会。――つまるところこれは社交界なのだ。戦時だというのに平気で開かれている。


 前触れもなく、静かになった。

 俺はそれを待っていた。長らくそれを待っていた。ずっとそれを待っていた。

 出番だ。


「さて、いつまでも噂のままにしておくわけにはいかないわね。戦時下においては仕方ないといえど、このような席でも暗い話題が絶えないことは、心苦しい限りです。一時でも忘れる時間は必要、その助けになればと考え、この度、私は一人の道化師を召抱(めしかか)えました。名は、フブキ。お楽しみを」


 聞こえてくる姫様の口上と共に、音楽隊の演奏が始まる。俺と共に控えていた二人の衛士が扉を開き、中から一斉にどよめきと好奇の視線が溢れ出てきた。俺はその波に逆らうように、一歩前へと進み出た。そこは、何か大きな生き物の臓腑(ぞうふ)だった。よく肥え太った生き物の、臭気を発する臓腑だ。

 シャンデリアの(まばゆ)灯火(ともしび)が目を刺した。美味であろう酒と料理の発する匂いも鼻をくすぐる。どこからこんなに集めたのか、装いも様々な御貴族(おきぞく)が、広間狭しとガン首揃えて、それらの恩恵に預かっているようだった。

 ドレス、ドレス、軍服、カツラ、軍服、軍服、カツラ、ドレス。

 どいつもこいつも、九割九分九厘は他人の生き血でできてますって(ツラ)をしてやがる。

 どうしても、なぜこの富が前線へ送られていないのか、という考えが頭に浮かぶ。

 覚悟はしていたつもりだったが、いざ見せられるとやはり目を背けたくなる醜悪さだった。愚かの象徴――滅びゆく国のものとは思えない局地的栄華、この三百年間幾度となく繰り返されてきたであろう蛮行!


 とはいえ、こういう場が俺のチャンスでもあるわけだから、あまり文句も言えない。姫様がようやっとねじこんでくれたんだ、後があろうがなかろうが、ものにしなくちゃ(バチ)が当たる。俺の今の仕事は、文句を垂れることじゃない――このクソ共を精一杯(わら)かしてやることだ。


 演奏に合わせて、ステップを踏むように俺は歩を進めた。この時点でかなり恥ずかしい。重ねて言わせてもらうが、俺は本番に強いタチではないのだ。いや、むしろ人より随分弱いと、自分でも評価している。もう少しでもアガりにくければ、こういうことにはなっていなかっただろう――と思えるほどには。俺は人の目を見ることがそもそも苦手なまま、ここまで育ってきてしまった。

 足が震えているのがわかる。中学生の頃からだったと思うが、この癖がついた。いつもそうなるというわけではなかったが、代わりに、直せなかった。わざと踊るように登場しているのは、これを隠すためでもある。


 誰もがもの珍しげに俺を見ていた。貴族達の格好も俺から見ればたいがい妙だったが、やはり俺の格好が一番おかしかった。そのために作ったのだから、当然といえば当然。しかし、元からあまり歓迎できないデザインであることが俺の心に余計な負担をかけているのは否定できない。


 確かに、道化服には道化服のデザインラインというものがある。それを否定はすまい。だが俺は頭巾(ずきん)に付いているこの二本のぴろんとしたやつがどうしても好きになれなかった。好きで変な格好をしているのなら、羞恥など苦にもならないだろう。むしろそれは快楽へと転じるはずだ。だが、俺は今のところそうではなかった。


 俺が欲しいのはダサカッコよさだった。不格好ながらもどこか惹きつけられる、そういうダサカッコよさを望んでいた。この頭巾は、ダサい。道化服自体は、それなりに見れるものだと俺は思っている。自分で色を選んだ分、愛着もある。だがこの頭巾はダサい。絶望的なダサさだ。


 他は悪くない。選んだ色のパッチワークは、良い具合にド派手で目立つ。体型を隠してしまうほど全体的にぶかぶかで、襟も袖も過剰な主張をしている。だが、それらは調和していた。この服は変だ。しかし、みっともないということはない。あの仕立て屋さんは実にいい仕事をしてくれた。頭巾を除いては。この、ロバの耳由来のナンセンスな装飾が――度を越してナンセンスなものだと俺には思えてならなかった。今すぐこの場で千切り取ってもいいくらいだ。それをやったらウケるだろうか?


 広間の中央にはスペースができていた。意図的にテーブルと椅子がそれを囲むように遠ざけられており、視力検査のランドルト環を連想させた。俺はその中に入っていかなければならなかった。そこには特殊な力場が発生しているように思えた。あの中に入ったら、消滅してしまうのではないだろうか。ブラックホールに飲み込まれてバラバラになるのと同じ理屈だ。引っ張られたり押さえつけられたりして、バラバラに――。


 だが、入っていくんだ。

 俺は生まれて初めて、それに対抗しうる武器を持ち込んでいる。


 さあ、頭と脚を切り離してしまうことに成功した。

 これで、いくら臆していようがもう止まることはできまい!


 一瞬だけ、奥を見る。明らかに特別扱いの段と、豪華だが一人掛けの椅子が三つ。

 中央に、整った口髭のむすっとしたナイスミドル――さっすが――初めて見る王様。

 俺から見て左、三人の中ではこの人だけが笑みを(たた)えている。妹と顔つきは似ているが体つきは似ていない、第一王女ミキア姫。

 そして、右側に、見間違えじゃないのかと思うほど小さく頷く姫様。


 ああ――本当に逃げられないんだな、と俺は思った。

 もう、面接室から出ていくことも、竜巻を起こすこともできない。

 吉とウケるか凶とスベるか。二つに一つ。

 始めるぞ。


「皆様、どうもこんば」


 中心へ辿り着くその前に、魔法で空気の壁を発生させる。

 まったく速度を落とさずに突っ込んだ。

 (したた)かに衝突し、大袈裟にもんどり打ってその場に倒れ込む。音楽隊が演奏を止めた。


「んぶげ……ッ」


 非常に痛かった。しかし、それ以上に俺を煽るのは、炎のように燃え盛る羞恥だ。そこへさらに燃料を投下するべく、俺は必死に集中を保って、壁が消えないようにした。素早く鼻に触って、鼻血が出ていないかどうかも確かめる。そこまでいくと客は引いちまう――よし、大丈夫。

 いかにも不思議そうにその空間を見つめ、よろよろと立ち上がって、辺りを見回し、少し間を置いてから、なんとなく……というふうに頷き、気を取り直して、


「皆様、ど」


 もう一度ぶつかりに行く。ここで四、五人分の笑いを堪える音が聞こえた。どうもおかしい、とばかりに俺は首を傾げ、壁のある場所をじろじろと様々な角度から見つめ、思いついた、ということを示すために手を叩き、三度同じ轍は踏むまいと肩からぶつかろうとして――その直前に壁を消す。勢い余って今度は前のめりに転び、顎や頭をさすりながら立ち上がって、何なんだよ、と後ろを振り向き、肩をすくめて、


「皆様、」


 再び壁を発生させて突っ込んだ。しつこいかもしれないと思ったが、どこかで少しくらい趣味を混ぜたかったのだ。()()は俺の好みのうちの一つだった。

 焚き火の薪が()ぜるように、とうとう何人かが吹き出した。

 爆笑の渦には程遠いが、つられるように、くすくす、ふふふ、と笑いが伝染(うつ)っていく。

 絶対に失敗できない失敗、まずは上々といったところか。


 錯乱したように振る舞いながら起き上がる最中、いいことを思いついた。

 癇癪を起こして頭をわしゃわしゃと掻く勢いに乗じて――俺は、頭巾を脱いだ。

 肋骨(ろっこつ)(へそ)の間に重くのしかかっていたものが、急に離れていったような気がした。地団太を踏むその足に、なめらかな力が宿った。声も、腹の底から浮き出てくる。


「一体どこの馬鹿野郎だ!? こんなところに壁を置いたのは!」


 観客の中には魔力の見える者も少なくないだろう。彼らには俺が魔法を使ったことはわかっているはずだった。最初からタネがモロバレということだ。それではつまらない。彼らも一緒に楽しませるため、俺は次のステップへと進んだ。


「音楽!」


 憤慨しながら叫ぶと同時に、空気の壁を消した。そして俺はそこに、()()()と、片手をついた。演奏が再開される。それに合わせて、壁が本当にあるかのように確かめ始める――ちゃんとそう見えていることを願いながら――ひとしきり触って、力一杯押しても動かないことを観客に認めさせる。不機嫌さも露わに蹴飛ばして、痛めた足を抱えてぴょんぴょん跳ねる。笑いが増えていく。

 仕方がないので右から迂回しようとするが、そこにもまた壁がある。左――やはりそこにも。いよいよおかしいと後ずさると、俺はいつの間にか四方を壁に囲まれた格好になった。


「おいおい、なんだってこんなことに……!」


 ぼやきながらもう一度前方の壁を押そうとすると、腕が満足に伸びる前に止められる。どうしたことか、先程よりも壁が近くなっているのだ。ぎょっとして左右を触れば、同じように距離は縮まっている。後ろも! 壁は俺が触る度にどんどん狭まっていき、俺がいることなどまるでおかまいなしにその規模を縮小した。俺はとうとう一歩も動けなくなるばかりか、身じろぎ一つできなくなった。いかにも軍人らしい厳格な面構えのおっさんが、耐え切れずに下を向いた。やだあ、なんて声も聞こえる。

 ただ、指先だけは自由だった。困ったように笑いながら、俺はぱちりと一つ鳴らして、


「ちくしょうっ!」


 笑いを消し飛ばす程の風を起こした。

 何も壊さず、落とさず、ひっくり返さず、捲らない程度の風ではあったが――観客にそれらを予想させるような風だった。王様の前髪だって揺らしたかもしれない。ご婦人方が揃ってスカートを押さえたかどうかの方が、俺にはよほど重要なことだったが。

 成果を見届けた後、俺はおどけて手首をくるくると回しながら深々とお辞儀した。が、我に返ってみると何かが足りない。原因に思い当たった俺は、体を起こして顔を上げると、またもや演奏を止めてしまった音楽隊をじっと見つめた。

 彼らは、じゃじゃーん、とシメの一節を奏でた。俺はもう一度深々とお辞儀をした。

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